そもそも日本は少子化を推進していた

 

私が小学生の頃から(20年以上前)社会の教科書などで少子高齢化の問題は載っていた。

また、当時はメディアと言えばテレビか新聞かの時代でオマケ程度にラジオがある位だったが、この問題について危機感を持って報じている局は無かったように記憶している。

それよりも、バブル崩壊で地価、証券、株価の暴落による不良債権問題が連日報道されていた。

これはいわゆる高度経済成長から引き起こされた日本の経済や金融の地続き的な問題ではるが、少子高齢化問題というのは実はそれよりもっと前から始まっていた。

 

日本では1947年から1949年にベビーブームが起きたとされており、第一次ベビーブームとも呼ばれる。

この3年間は出生数が250万人を超えており、合計すると約800万人程度の出生数となる。

1949年の出生数269万6638人は戦後の統計において過去最多であり、この出生数は2019年の出生数86万5239人の約3.1倍である。なお、この期間に生まれた世代は団塊の世代と呼ばれる。

 

第二次ベビーブームと呼ばれるのは、1971年から1974年までの出生数200万人を超える時期を指すことが多く、1973年の出生数209万1983人がピークとなった。ただし、この出生数の増加は第一次ベビーブームと違い、合計特殊出生率の増加が伴われない出生数の増加である。なお、この期間に生まれた世代は団塊ジュニアと呼ばれることが多い。

 

これら2回のベビーブームは戦争終結後の安堵感なのか定かでは無いが、明らかに平時とは異なる人口動態を生み出している事は確かである。

自然発生的なのかメディア扇動があったかは別にしてここまでは仕方の無いファクトであったのだろう。

 

さて、既述の第二次ベビーブーム後、日本政府は未来の少子高齢化を見据えていたのだろうか?

答えは否である。

 

以下サイトより引用

>3回目のベビーブームが来なかった理由とも関連しますが、そもそも日本政府が当時少子化を推奨していたという事実をご存じでしょうか。

>1974年6月に、人口問題審議会(当時、旧厚生省内)により、人口白書『日本人口の動向』が刊行されました。

>そこには「静止人口をめざして」という副題が付けられています。

>当時は、増えすぎる人口のほうが大きな課題だったのです。

>さらに、1974年7月に実施された「第1回日本人口会議」(国立社会保障・人口問題研究所)では、増えすぎる人口を問題視し、「子どもは2人まで」という宣言を出しています。

 

要は、法律として制度化してはいなかったものの、1974年の人口会議において「子どもは2人まで」という宣言を出してしまったのだ。

確かに過去2度のベビーブームはその後の日本社会の経済や雇用や社会保障などの仕組みを一気に狂わせたかもしれない。

しかしそれより私が一番問題視しているのは、日本政府自身が人口動態に関して宣言介入してしまった事だ。

これにより、本来出生率の増減が自然な形で収束していく流れをぶった斬り、極端な出生率減少の流れを作り出してしまったのだ。

以下上記のサイトから引用

その宣言は忠実に守られて現在へと続いている。

 

個人的には、人口減少も高齢化も仕方の無い事だと思っている。

何故ならブームはいつかは終焉が来るものだし、その反動も確実にやってくるのだから。

しかし日本政府の失態は、

①人口動態について中途半端に宣言介入してしまった。(モラル面などで法制化が無理)

②将来起こる少子高齢化による予見でき得る諸問題の対策を放置してきた。(先送り主義と危機感の欠如)

単純に言うと、“しなくても良いことをして““しなきゃいけないことを放置してきた“と言うのが本質なのでは無いだろうか?

政府は過去の失政の責任は取らないし、メディアも報じないし、国民も記憶の中から無くしてしまう。

そのツケを我々国民が払わされているだけで。

 

じゃあ最終的に少子高齢化は問題どうするの?っていう声が聞こえてくるが、

日本国における適正人口(幸福度など色々な尺度から)を算定して、その数までは人口減少を受け入れるしかない。(今から対策しても手遅れ)

高齢化に関して言えば、これも適正人口になるまで現役世代に比べて社会保障の高負担をお願いする。(生活保護を取りやすくして各々の資産に比例するが、ベースの負担度は底上げする)

どれも未来永劫適用させる物ではなく、しっかりとした将来予測と分析によって時限的に法制化する物だと思っている。

 

人口動態に限らず、あらゆる事象は変化していく。

そして変化していく中で問題は発生し、組織や社会といった人々の集団で問題は複雑化する。

その問題が発生した時、もしくは発生する前にルール(法律)を作り問題解決を図っていくのが国会議員の人達の仕事だと思うんだがどうだろう…

いつも思う事があって、日本人はとても本質的な議論を避けて忌み嫌っている事である。

にも関わらず、東日本大震災のような致命的な被害を受ける事態になった途端に標的をぶっ叩き続けて溜飲を下げるのである。その後何か素晴らしい物が生まれたりするのかと期待はしてみるのだが、何も残らず放置され続けた被災者だけが割を食う結果となる。

 

ここで何故日本人が本質的な議論を避けたがるのかと考えてみると、日本人特有の気質が関係しているのではないか?と推察できる。

一般企業とかの会議を見てもよく分かるだろう。

大量の紙ベースの資料を何日もかけた上で準備し、一部の役員などが集まって生産性のない話を延々と何時間も繰り広げる。

これで何か結論や新たな価値が創造できるならまだしも、何も残らない事が大半なのではないか?

別に私は話し合う事自体、悪だとは思っていない。業務に必要な会話、改善などは現場レベルで必要だと思っているし、上司への報告も大事だと思っている。

ただ、本質的な議論という所に注目すると、ある意味相手に嫌われる覚悟が必要だし、嫌な所、デメリットにも向き合う必要が出てくる。

すると、そのデメリットをどうやったら消せるか、消せるまでいかなくても低減させる事が出来るのかに繋がってくる。

 

震災後に「東電に騙された!」と仰る方が多数いらっしゃったが、それは違うのでは?と思う。原発導入時に東電からある程度説明はあったと思うし、デメリットまで聞く義務が当時の国民にはあったと思う。

そこを避けて、耳障りの良い部分だけ聞いて原発を容認し、電力という恩恵だけ受けて何か問題が起きたら全て東電の責任という態度で来たのが今の現状ではないか。

勿論、震災時における企業としてのオペレーションミスという1点においては、批判は免れないだろう。

だがそれも、津波による電源喪失というのが最大の原因であり技術的に解決する問題だ。

処理水の問題も海洋放出も科学的に可能だという結論になった。

最終的に残るのが、放射性廃棄物の処理問題だ。

これこそ原発が登場して以降、ずーっと議論され続けてきて解決してこなかった課題で、技術的には地中深くに埋めて管理する事が出来るらしいが民主主義の問題で未だ進んでいない。

話が元に還るが、技術的に出来るのに解決しない、しようとしないというのは、日本人に本質的な議論をする能力が無いか気が無いのどちらかしかないのでは?と思ってしまう。

 

嫌な所、受け入れ難い所、極端に言えば血を流してでも、色んな負の側面も理解した上で、本質的な議論をして責任を持って決断をしていく事が重要なのだと思う。

失った命は帰ってこない、だがそれは我々日本国民が本質的な議論から避け続けた結果なのだ。

 

私自身の見解は、今後も原発の稼働は必要だと思っている。

これは様々な理由によるものである。以下。

①ベースロード電源として必要不可欠な物であるから。

再エネは自然環境によるものが大きく出力も不安定。国土が狭く設置場所が少ない上に更に切り開くとなると自然破壊にも繋がるので非現実的である。

②発電コストは原発が一番安い

具体的な数値はネットで拾って貰えばわかるが、原発が一番安くて、逆に再エネは維持するためのコストの方が高くついてしまう。

③国家安全保障上、原発と原発技術は必要

皆さんご存知の通り、現在ほとんどの原発が止まっている中での火力発電、主に化石燃料に依存している所があり全て輸入で賄っている。

もしこれらの化石燃料の供給がストップされたら?

直近の脅威である中国やロシア、北朝鮮、韓国などは原発の元となる核技術を放棄したら大いに喜ぶであろう。

日本の存立すら危うい事態に追い込まれるのは確実だ。

もしも、国を売られてもエコを優先するんだ!という気概のある方がいるのなら是非話を聞いて見たいものだ。。。

 

日本という国は日本人が思っている以上に外国の物に頼っているのをみんな気付いていない。

牛肉とうもろこし小麦大豆、原油を含む化石燃料、私達が着ている衣類も中国や東南アジアから輸入している。

日本は全知全能ではなく、諸外国の資源をお金という資産で買っているに過ぎないのだ。

と、ここまで議論を発展させて諸々の条件等を総合的に勘案して決断を下せる人間が日本に何人いるか?という事に帰結するのではないか。

本質的な議論とは、その決断の過程であり、実行して初めて効力を発揮するものだと思っている。

議論をする事自体が目的化してまって、未だに議論の中に入れない日本にはまだ難しいのかもしれない。

 

先日、群馬県知事の山本一太氏が提起した都道府県魅力度調査の問題であるが、その全貌というか中身の点でついに決着したのではないかと思っている。

私自身ネットニュースで“法的措置も検討“という文字を最初見た時は“おっ!“となり驚いた。

しかしこれも知事の思惑通りで、大衆にこの実態をアナウンスするには最大かつ最も効率的な手法だったと思う。

そもそも知事がこの問題を提起していたのはもっと前で、昨年の10月から検証チームを立ち上げて今年の7月に結果を公表していたのは周知の事実である。

結論として、参考に値しない上に非常に稚拙な調査によるランキングであったという事が明らかになったのではないか。以下問題点。

①サンプルが少なすぎる

②アンケートの項目が5つのみで内容が「魅力的だと思いますか?」という抽象的かつ主観的。

③評価点が上位2項目が100点で他の3項目が0という意味不明な配点

まず言っておきたいのが、いち群馬県人としてこのランキングは非常に不愉快で無価値で不要不急の最たるものであると断言する。

どんな組織体でも色んな要素が絡み合って出来ており、その要素や項目を全て呈上してアンケート回答者が全て理解した上で回答するなら正確なランキングが出来ると思うが、そこまできたら寧ろランキング自体無意味なものだと大衆は悟るだろう。

だって最終的には個人の主観的な感想になるのだから。

要は、物凄い雑な「それ、あなたの感想ですよね?」なランキングを毎年公表する意味ってあります?価値あります?という事なんだと思う。

(〜ランキング問題の総括はここで終わり〜)

 

上記の問題に関して知事が問題提起をし、実際に声を上げられた事は群馬県民の一人として誇らしいし賞賛されるべきだと思う。

だが、ここで一抹の不安がよぎってしまう。

この都道府県魅力度調査の問題を笠に今までやってきた県政を隠蔽、誤魔化そうとしているのではないか?という事である。

思い返してみて頂きたい。

既知のランキングが始まる前も後も、群馬県が県の魅力を上げる為に行ってきた事とは何だったんだろうか…?と。

県民の税金を使って、効果があるのかも分からないポスターを作ってみたり、某県民の代表が集まって喋るバラエティ番組に群馬県出身のタレントが出てヘラヘラしながら自虐をネタにしてみたり。

県民の私でさえこの二つ位しか出てこない程いかに意味の無いことに税金を垂れ流し、いかに県政を放置してきたかが分かる。

これは決して山本氏を叩きたいから言っているのでなく、これまでの群馬県知事が何もせず酷過ぎたのである。

そして、私はこれからの山本氏がどう県民の為に行動をするのかを厳しい目線で見ている。

単なる表面上のお茶濁しになるのか、本気で革命を起こす位の覚悟があるのか、今後の行動にかかっていると言えるだろう。

 

そこで群馬県が、魅力度という言葉の定義は置いといて、他県民から見た群馬県に対するイメージを上げる為に今何が欠けているのかを幾つか提言していきたいと思う。

①点ではなく線でもなく丸で勝負する。

よく群馬県の魅力を上げる時に、“草津温泉“だとか“富岡製糸場“だとか“パスタやうどんで有名“という紹介の仕方をしてしまうと思うが、正直言ってこれは失敗だ。

温泉なら温泉、食なら食で一度パッケージ化して、その中で細分化された要素を紐付けて紹介していくのが良いのではないか。要は、それぞれは頑張ってはいるんだけども、束ねる存在がいない為に個々の力が分散して発信力を弱めてしまっているのが致命的な問題だと思う。

②コト消費が圧倒的に足りない。

水上ではスキーがあり、下仁田には蒟蒻パークなども出来たが個人的にはまだまだ足りないと思う。

主要な温泉地も良いが、コト消費という体験型に限って言えば少し弱いのではないか。

千葉のディズニーや大阪のUSJまでとは言わないが、群馬県独自のインパクトがありリピート率の高いアクティビティ施設が必要である。

コロナ禍で自粛し続けた人間達の大半が体験に飢えており、しかも今までに体験した事のない物に興味を示す絶好の機会がそこにある。

これに関しては群馬県単独で考える必要はなくて、様々な専門家等の知見を積極的に活用し、10年後20年後更にはその後も…というような普遍的な価値を創造する為の戦略を練ってほしい。

③宣伝周知の手法や方向性はこれらが揃って初めて効力を発揮する。

モノもある、コトもある、それらを束ねるパッケージもある、よしじゃあそれを皆に広めよう!というのが正しい順序である。手法としては既存のTVメディアやSNSがあるが、戦略によって効果が全然違うのでそこはしっかりと練る必要があるだろう。

個人的には真面目路線の方が良いが、検証チームの力が試されるのでは。

④県民の幸福度≒県の魅力度である

今まで挙げた3つの項目全て重要なことだが、それもベースに県民の幸福度があってこそ成り立つモノであると考えている。

どこかのニュースで見たが、群馬県民の平均所得は全国平均よりも上だったり、住みやすい町ランキングでもそこそこ上位だったりと悪くない指標は幾つか出ていると思う。

しかしだからと言って同時に、この状況に甘んじていて良いのか?とも思う。

個人的な主観になって申し訳ないが、明らかに給与の水準が低い企業だったり働く環境が劣悪な企業が群馬県内には多すぎると思っている。

それに対して県は、何かしら行政として処分だったり改善命令などを行う姿勢が全く見られない。

勿論、県が一民間企業に口出し出来ないのは百も承知だが、余りにも長い間この問題が放置され過ぎてきたのでは無いかと思う。

“ブラック企業排除!ホワイト企業応援!“この1点だけにおいても、群馬県のイメージ向上に十分寄与すると思う。

⑤県政ToDoリスト一覧を作成、優先度を決めてPDCAサイクルを回すべき

県政の中で毎年必ずやるべき事は別として、新たにやるべき事や改善すべき事をリスト化しておく事が重要である。

実行するに当たって、重要度が高いもの、金額ベースが高いもの、非常にリスクが付き纏うものを総合的に判断して、優先度の高いものからPDCAしていって欲しいと思う。

 

とまぁここまで長々と書いてきたが、このような素人的な考えは山本氏なら既に把握していらっしゃると思うので、ぜひ実行されることを期待している。

 

解散総選挙の期日前投票が始まり投開票日が迫る中、如何に山本氏が群馬県の現状に目を背ける事なく、曇りなき眼で見定めながら県民の声に寄り添う事が出来るかが重要だと思う。

また今後、知事の姿勢と県民の想いが一致した時に初めて、一筋の希望の光が見えてくるのでは…。