本当にあった酷い話 (映画にもなりました)
2008年01月14日
「お母さん遅いよ 死んだ弟は口の中に虫いっぱい入ってたよ」 苫小牧2児ネグレクト殺人母と「映画:誰も知らない」と「巣鴨子供置き去り事件」
虐待の家―義母は十五歳を餓死寸前まで追いつめた
心に澱の様に沈んでいる事件がありまして、実は12月19日付けで下書きのまま埋もれているエントリー
最近、本当に嫌な記事は書きたくない病に罹りまして、先の福岡飲酒運転3児殺害裁判もスルーしたり・・
で、本件も途中まで書いたんですが、校了出来ませんでした。
ところが、用意周到に話題から避けていたつもりが偶然、先週のチューリップエントリーで奇しくも「youと柳楽君」に当たりましてww
(書きながら気が付いた)
【CM】 ぼくがつくった愛のうた♪
これは誰かが「書け」と命令しているのではと。
という訳で以下、長いけど感情排して淡々とコピペ中心にて。
生ゴミ、生米くらって餓死免れた! 鬼母に遺棄された5歳の「地獄絵」 J-CASTニュース
2007/12/18
幼い長男(5)と三男(当時1)を自宅に1か月以上置き去りにし、三男を死亡させて死体を遺棄したとして、母親に懲役15年の判決が下された。生き延びた長男は生の米や生ゴミ、冷蔵庫にあったマヨネーズで飢えを凌いでいた。2人とも「死んでいる」と思って自宅に帰った母親に、長男はそれでも、「ママ遅いよ」と駆け寄った。
「ママ、遅いよ」と駆け寄る長男の哀れ
苫小牧市の自宅に幼い長男と三男を1か月以上放置し、三男を死亡させて遺体を遺棄したとして、殺人と死体遺棄、保護責任者遺棄の罪に問われた無職・山崎愛美被告(21)の判決公判(杉浦正樹裁判長)が2007年12月18日、札幌地裁室蘭支部でひらかれ、懲役15年(求刑懲役20年)が言い渡された。裁判長が「幼い兄弟の飢えと苦痛は想像を絶する。計画的で非情で残酷な犯行」とまで形容した、「置き去り」のおぞましい実情とはどんなものだったのか。弁護側は「(被告の)不幸な生い立ちや、経済的な困窮」を挙げて情状酌量を求めていたが、判決や各紙の報道などから見える事件の実態はまさしく「地獄絵図」である。
事件は山崎被告が06年10月30日、自宅に鍵をかけた時から始まる。山崎被告は長男と三男の存在を疎ましく思い、部屋に放置して餓死させることを考えた。山崎被告はチャーハンを食べさせたあと、12月初旬まで交際相手の家に行ったままで2人を放置。1か月間以上あとに再び自宅の鍵を開けるまで、2人の幼子は飢えのなかで苦しんでいた。幼い三男は餓死したが、長男は生の米や生ゴミ、冷蔵庫にあったマヨネーズを食べて命をつないでいたという。
山崎被告は裁判のなかで、長男が生きていることに驚き、長男は「ママ、遅いよ」と駆け寄ってきたと証言している。その後、山崎被告は三男の遺体を交際相手の家にある物置に遺棄した。自分を放置したにも係らず「ママ、遅いよ」と駆け寄る長男の姿はなんとも哀れだ。しかし、生きていた長男にとっては、弟の遺体を横に生活した体験は地獄ともいえる。
「(死んだ三男の)口の中に虫いっぱい入ってた」
2007年6月8日の毎日新聞(北海道版)では、山崎被告の母(46)に対して行った取材のなかで明らかになった、事件後に長男が発したとされる言葉を次のように紹介している。
「ママ怖い」「そら(青空)、動かない(編注:『そら』は三男の名前)」「口の中に虫いっぱい入ってた。ママ取ってた」「ビニールかぶせた。口にガムテープ張った」。長男は青空ちゃんの傷んだ遺体を愛美被告が隠そうとする様子を見ていたとみられる
事件後には山崎被告が書き込んでいたと見られる携帯電話サイトがインターネット上で大きな話題を呼んでいた。そこには、
「あなたに逢えて、本当によかった(ハート)幸せ(ハート)愛してる(ハート)心から本当にそう思うよ(ハート)もぅ離さないでね」
と書かれていた。2人の幼子に向けたものではないことだけは確かだ。
厚生労働省が公表している児童相談所への児童虐待相談件数(2006年度)は3万7323件。そのうち育児を放棄する「ネグレクト」(保護の怠慢ないし拒否)は38.5%の1万4365件にも上る。
誰も知らない [DVD]
おすすめ平均
“親に捨てられた子供たちのノンフィクションストーリー”
だれも知らない?
ただ、ただ悲しい・・・。何も映し出されていない瞳、幽霊の子供達。
なんどやめようかと
大都会東京に埋もれていく人々
Amazonで詳しく見る by G-Tools
あらすじ
トラックからアパートに荷物が運び込まれてゆく。引っ越してきたのは母けい子(YOU)と明(柳楽優弥)、京子(北浦愛)、茂(木村飛影)、ゆき(清水萌々子)の4人の子供たち。だが、大家には父親が海外赴任中のため母と長男だけの二人暮らしだと嘘をついている。母子家庭で4人も子供がいると知られれば、またこの家も追い出されかねないからだ。その夜の食卓で母は子供たちに「大きな声で騒がない」「ベランダや外に出ない」という新しい家でのルールを言い聞かせた。
子供たちの父親はみな別々で、学校に通ったこともない。それでも母がデパートで働き、12歳の明が母親代わりに家事をすることで、家族5人は彼らなりに幸せな毎日を過ごしていた。そんなある日、母は明に「今、好きな人がいるの」と告げる。今度こそ結婚することになれば、もっと大きな家にみんな一緒に住んで、学校にも行けるようになるから、と。
ある晩遅くに酔って帰ってきた母は、突然それぞれの父親の話を始める。楽しそうな母親の様子に、寝ているところを起こされた子供たちも自然と顔がほころんでゆく。だが翌朝になると母の姿は消えていて、代わりに20万円の現金と「お母さんはしばらく留守にします。京子、茂、ゆきをよろしくね」と明に宛てたメモが残されていた。
この日から、誰にも知られることのない4人の子供たちだけの"漂流生活"が始まった―――。
この映画は主演の柳楽君が2004年のカンヌ国際映画祭最優秀主演男優賞を受賞したのは周知の事実でDVDも数年前に発売されていますので、公式のあらすじの先をばらしますと・・
電気も水道もガスも止められ、兄弟は乞食生活に突入。(アパート入居は家賃未払いも居住死守)
ゆきが椅子に乗ってベランダのプランターに水やっている際、転倒して死亡します。
明は不登校の彼女と共に、死んだゆきをトランクに詰めて羽田空港近くの空き地に埋めます。(生前、ゆきとモノレールに乗って飛行機を見る約束をしていた為)
これで映画終了。
最後に巣鴨子供置き去り事件。映画の元ネタ。
巣鴨子供置き去り事件 - Wikipedia
(当管理人註:このウィキの記事は最下段でリンク貼付している「http://www8.ocn.ne.jp/~moonston/family.htm」のエントリーを参照にしていると思われます)
巣鴨子供置き去り事件(すがもこどもおきさりじけん)は東京都豊島区で1988年に発生した保護責任者遺棄事件。 父親が蒸発後、母親も4人の子供を置いて家を出たが、母親は完全に
育児放棄をしていたわけではなく、金銭的な援助を続け、不定期にではあるが子供たちの様子を見ていた。
事件後、長女と次女は母親に引き取られたが、長男に関しては資料不足のため不明。
経緯
1973年頃、Aちゃん誕生。Aちゃんが就学年齢に達するが案内がこず、出生届が出されていないことが判明する。しかし、母親は行政を頼ることはなかった。
1981年頃、Bちゃん誕生。
1984年頃、Cちゃんが生まれるが生後間もなく死亡。
1985年頃、Dちゃん誕生。
1986年頃、Eちゃん誕生。
1987年秋頃、恋人と同棲するために母親が兄弟の世話をAちゃんに任せ家を出る。母親は生活費として数万円を送金し、時折様子を見に来ていた。
1988年
4月、Eちゃんが Aちゃんの遊び友達らからイジメ(暴行)を受け死亡。
7月17日、大家からの不良の溜まり場になっているとの通報を受け巣鴨署員がマンションの一室を調べ、Aちゃん(推定14歳。以下同)、Bちゃん(7 歳)、Dちゃん(3歳)の三人の子供と白骨化した乳
児の遺体(Cちゃんの遺体)が発見された。親の姿は無かった。
Bちゃん、Dちゃんは衰弱していたため、翌18日、福祉事務所に預けられた。
Aちゃんから事情を聞くが、あいまいな点が多く、またBちゃんの供述から、Aちゃんが兄弟の面倒を見ていたらしいことがわかる。Aちゃんらはコンビニ弁当などのジャンクフードで生活していたため、栄養失調に陥っていた。
Aちゃんらに出生届が出されていないことがマスコミで報じられる。
23日、テレビのニュースで事件を知った母親が出頭。母親の証言から、9ヶ月前に家を出ていたこと、Eちゃん(2歳)が失踪していることが判明。
25日、Aちゃんの証言により、EちゃんがAちゃんの遊び友達の折檻を受け死亡しており、遺体は秩父市内の雑木林に埋められたことがわかる。
8月、母親が保護者遺棄、致傷で起訴される。懲役3年執行猶予4年の判決をうける。Aちゃんは Eちゃん折檻死にかかわっていたとされ、傷害致死ならびに死体遺棄で起訴され
るが、状況を考慮され、養護施設に送られる。
関連項目
誰も知らない - この事件をモチーフに作られた映画。長男は兄弟思いの優しい少年として描かれている。
※新聞記事引用という事ですので、無断ですが再引用させて頂きました。(ぺこり)
誰も知らない<巣鴨子供置き去り事件> iFinder 雑読乱文
「誰も知らない」のモチーフとなった事件
古い事件のため、なかなかソースが見つからなかったため、当時の新聞記事から転載して掲載することとした。
<<1988年朝日新聞記事より>>
・母親(事件発覚当時40歳)は川崎の私立高校卒業後、服飾専門学校に進学
・歌手を目指したこともあり、実際にレコードも何枚か出している。
・昭和43年頃からデパートの派遣店員として就労。勤め先で男性と同棲を始める。
・この男性との結婚を両親から猛反対される。
・2人の間に子どもができたが、その子は養子に出している。
・48年、同じ男性との子を足立区で出産するが、母親は「正式の夫との間にできた子どもではなので怖くなり、結局出生届はださずじまいだった」。この子が長男で事件発覚当時の14歳少年。少年は父親については「わからない」と話している。(母親はこれまで父親の違う子どもを5人生んだと話しているが、少なくとも3人の男性との間に、6児を出産。養子に出した子と長男以外は、すべて自宅で自分の力だけで生んだということが判明)
・その後都内のマンションを転々とし、食いつなぐために窃盗や売春をし、警察に捕まったこともあったという。
・56年頃に長女(事件発覚当時の7歳)を出産。
・59年9月に次男を生んでいるが、この子は60年2月に仕事から家に帰ると、ほ乳瓶をくわえたまま死んでいた。処置に困り当時住んでいた家に隠していた。
・母親は長男に「親戚のおじさんに預けた」と説明している。
・60年頃に二女(事件発覚当時の3歳)を出産
・61年7月に三女を出産
・62年9月頃までは大塚駅周辺に住んでいたが、その後西巣鴨に転居。死んでいた次男はビニール袋に入れてスーツケースに入れたまま荷物として運んだ。
・西巣鴨のマンションは表通りに面した鉄筋四階建て。住んでいたのは2階で、1階には24時間営業のコンビニがあった。
・大家には、「長男と2人暮らし。長男は立教中学に通っている。夫は数年前に死亡した」「私はデパートに勤めている」と話して大家を信用させマンションに入居。大家は他に子どもがいることは知らなかったと話している。
・長男には「事情があって今は学校に行けないが、いつかは行けるように手続きしてやる」と言い聞かせ、市販されている学習ブックを買い与えていた。(発覚時、名前を書かせても、姓は漢字で書けるものの、名前はひらがなでしか書けなかった。
・62年秋頃から千葉県浦安市の冷凍食品販売業の愛人(56歳)ができ、愛人のところに入り浸るようになった。長男の話では62年秋頃から、「仕事で大阪に出張する」と言ってマンションを出たままだというが、母親はときどき2・3万円ずつ送金してきたようで、たまに姿をみせていたこともある。
・その後、63年の正月に一度戻っているが、子どもが邪魔になってマンションに置き去りにし、千葉県内の愛人のマンションに同居していた。長男には千葉県の住所を教えていた。
・長男によると、マンションには時々男性が「元気か」と訪ねてきていたらしいが、愛人か長男の父親かはわからない。
・長男は、いなくなった母親の代わりに食事を作ったり、おむつを取り替えたりしていた。また、毎日のようにコンビニを訪れては菓子パンやおにぎり、アイスクリームなどを買っていた。コンビニの店長は「夜中の2、3時に来たり、学校のある昼間の時間帯にもしばしば見かけたりするので、変だなあと思っていた」と話していた。
・母親がいなくなって、11月頃に長男は近所の菓子店で中学1年生の2人と知り合う。彼らは頻繁に出入りするようになった。
・63年3月末、長男は滞納していた1月までの3ヶ月分の家賃(27万円)を支払ったが、2月以降は未払いでその後はガスと電気を止められていた。
・4月21日昼頃、遊びに来ていた友達2人のうちの1人が前日に買っておいたカップめんがなくなっているのに気づいた。三女(2歳)の口元にのりが付いていたため、長男が(あるいは友だちが)三女が食べたと思い殴りはじめた。
・友人2人は、はじめは「長男がやめろと止めた」と供述していたが、その後「初めは、長男も殴った」と話し、長男も「3人でいじめた」と認めた。
・長男は死なせた3女を含め3人の妹の面倒を一人でみていたが、言うことをきかない幼い妹たちに困り果て、そそうをしたりすると体罰を加えていたようだ。
・三女は翌22日午前8時半ごろ死亡。「三女が死亡する致命傷は、長男でなく友人が押し入れから何回も落としたことによる」と長男の弁護士は述べている。
・26日、長男は三女の遺体を友人2人とともにビニール袋に包み、さらにボストンバッグに詰めて、3人で電車に乗り、夜11時頃秩父市大宮の公園わきの雑木林に捨てた。友人のうち1人は「夜遅くなるとしかられる」と途中で電車を降りた。
・2人は遺体を捨てた後、帰る電車がなかったため、その夜は駅で明かした、という。
・見つかった三女の遺体は、カーディガンとスカート姿だった。
・17日、「親は帰ってこないし、不良のたまり場になっている」という大家の連絡で、巣鴨署員がドアを開けると長女と次女がいた。大家がバナナとおにぎりを差し出すと、むさぼるように食べた。
・長男は「夜の商売の人の子どもで預かっている。母は大阪に仕事にでかけている」と説明した。
・18日午前10時、同署員と福祉事務所の女子相談員が訪れると、玄関を入ってすぐのダイニングに妹2人が毛布にくるまって寝ていた。長男は奥の6畳に布団を敷いて寝ており、パジャマ姿で出てきた。
・妹たちは衰弱しきった様子で、特に3歳の二女はガリガリにやせていた。
・カーテンは閉め切り、部屋には衣類が散乱。台所には残飯の一部がかびた状態で残っていた。
・部屋には一通りの家具があり、電気炊飯器でご飯が炊かれ、電熱器にはみそ汁をつくったなべがかけられた跡があった。冷蔵庫にはニンジン、タマネギ、キャベツなどが入っていた。洗濯機には洗いかけの衣類が入っていた。
・2人の妹は「パンが欲しい」と言い、相談員が買ってきたパンと牛乳をおいしそうに食べ、その後もアイスクリーム、チョコレートなどと食べ物を欲しがった。
・「どうしたの」という問いかけに、7歳の長女は「お兄ちゃんに面倒をみてもらっている」と話すばかりだった。
・2人の妹は新宿区の都児童相談センターに預けられた。
・長男は21日朝、友人の父親に付き添われて福祉事務所を訪れ保護されたが、センターに空きがないため、都八王子児童相談所に収容された。健康状態、顔色ともにごく普通であったという。
・23日、千葉県内の愛人のマンションに同居していた母親は「テレビのニュースで事件を知り、自首しようと思った。中学程度の子どもに幼い子みんなの面倒を見させて悪かったと思う」と話し、保護者遺棄の疑いで緊急逮捕された。涙は見せていないという。
・母親は発見された子どものほかにも三女を産んだと話していた。
・25日、長男は三女をせっかん死させたことを供述し、傷害致死と死体遺棄の疑いで逮捕。この日まで児童相談所に収容されていたが、三女のせっかん死を供述してからは目に見えて顔つきが穏やかになった。「やはり、隠し事があるのを気にしていたのでしょう。秩父の現場検証から帰ってきたときは、重荷をおろしたような表情でした」と児相の所長は話している。
・「本当に優しい子だと感じた。社会の汚れに染まらず生きてきて、母親も絶対的な存在だった。でも、友人との出会いで、小さな子どもの世話をするのが重荷に感じてきたのでは」とセンターの職員は話した。
・8月10日、東京地検は、この長男を傷害致死、死体遺棄罪で東京家裁に送致。同地検は「母親さえいれば起こりえなかった事件であり、長男には教育的措置が必要」として少年院ではなく、教護院へ送ることが相当との、異例の処遇意見を付けた。今回は長男が戸籍もなく、全く学校教育を受けていないなど特殊な事情があり、児童福祉施設の教護院で教育を受けさせる方が良いと判断したという。
・犯行に加わった少年2人は、刑事責任を問えない年齢であり巣鴨署で補導した。
・10月26日、保護者遺棄、同致傷の罪に問われた母親に対する判決公判があり、裁判官は「わが子を養育するわずらわしさから逃れようとした無責任、身勝手きわまりない犯行。三女の死の遠因となったといっても過言ではない」として、懲役3年、執行猶予4年(求刑懲役3年)の有罪判決を言い渡した。
・判決理由の中で、執行猶予について「子ども出生を届けず、学校にも通わせないなど母親の自覚がなく、放置が続けば子どもの生命が失われる危険もあった。親の責任を放棄した罪は重いが、同姓相手と結婚してやり直すと誓っていることなどを考慮、今回に限り、自力更生の機会を与えることにした」と述べた。
*要参照+MONSTERS+
実話のエンディングを踏襲する方がよりよい映画になったと思うんだけど。。
で、おいらの心の澱はこれ。
口の中に蟲が一杯入った状態でミイラ化して死んでいた我が子を発見しパニクった山崎愛美さんが咄嗟に書いたブログ。
否、死んでいる筈の長男が生きていた事にパニクったのか・・・
これでこの事件を忘れられそう。。
亡くなった青空君。今度生まれる時は、きっと優しいお母さんだよ。
http://birthofblues.livedoor.biz/archives/50501656.html
「お母さん遅いよ 死んだ弟は口の中に虫いっぱい入ってたよ」 苫小牧2児ネグレクト殺人母と「映画:誰も知らない」と「巣鴨子供置き去り事件」
虐待の家―義母は十五歳を餓死寸前まで追いつめた
心に澱の様に沈んでいる事件がありまして、実は12月19日付けで下書きのまま埋もれているエントリー
最近、本当に嫌な記事は書きたくない病に罹りまして、先の福岡飲酒運転3児殺害裁判もスルーしたり・・
で、本件も途中まで書いたんですが、校了出来ませんでした。
ところが、用意周到に話題から避けていたつもりが偶然、先週のチューリップエントリーで奇しくも「youと柳楽君」に当たりましてww
(書きながら気が付いた)
【CM】 ぼくがつくった愛のうた♪
これは誰かが「書け」と命令しているのではと。
という訳で以下、長いけど感情排して淡々とコピペ中心にて。
生ゴミ、生米くらって餓死免れた! 鬼母に遺棄された5歳の「地獄絵」 J-CASTニュース
2007/12/18
幼い長男(5)と三男(当時1)を自宅に1か月以上置き去りにし、三男を死亡させて死体を遺棄したとして、母親に懲役15年の判決が下された。生き延びた長男は生の米や生ゴミ、冷蔵庫にあったマヨネーズで飢えを凌いでいた。2人とも「死んでいる」と思って自宅に帰った母親に、長男はそれでも、「ママ遅いよ」と駆け寄った。
「ママ、遅いよ」と駆け寄る長男の哀れ
苫小牧市の自宅に幼い長男と三男を1か月以上放置し、三男を死亡させて遺体を遺棄したとして、殺人と死体遺棄、保護責任者遺棄の罪に問われた無職・山崎愛美被告(21)の判決公判(杉浦正樹裁判長)が2007年12月18日、札幌地裁室蘭支部でひらかれ、懲役15年(求刑懲役20年)が言い渡された。裁判長が「幼い兄弟の飢えと苦痛は想像を絶する。計画的で非情で残酷な犯行」とまで形容した、「置き去り」のおぞましい実情とはどんなものだったのか。弁護側は「(被告の)不幸な生い立ちや、経済的な困窮」を挙げて情状酌量を求めていたが、判決や各紙の報道などから見える事件の実態はまさしく「地獄絵図」である。
事件は山崎被告が06年10月30日、自宅に鍵をかけた時から始まる。山崎被告は長男と三男の存在を疎ましく思い、部屋に放置して餓死させることを考えた。山崎被告はチャーハンを食べさせたあと、12月初旬まで交際相手の家に行ったままで2人を放置。1か月間以上あとに再び自宅の鍵を開けるまで、2人の幼子は飢えのなかで苦しんでいた。幼い三男は餓死したが、長男は生の米や生ゴミ、冷蔵庫にあったマヨネーズを食べて命をつないでいたという。
山崎被告は裁判のなかで、長男が生きていることに驚き、長男は「ママ、遅いよ」と駆け寄ってきたと証言している。その後、山崎被告は三男の遺体を交際相手の家にある物置に遺棄した。自分を放置したにも係らず「ママ、遅いよ」と駆け寄る長男の姿はなんとも哀れだ。しかし、生きていた長男にとっては、弟の遺体を横に生活した体験は地獄ともいえる。
「(死んだ三男の)口の中に虫いっぱい入ってた」
2007年6月8日の毎日新聞(北海道版)では、山崎被告の母(46)に対して行った取材のなかで明らかになった、事件後に長男が発したとされる言葉を次のように紹介している。
「ママ怖い」「そら(青空)、動かない(編注:『そら』は三男の名前)」「口の中に虫いっぱい入ってた。ママ取ってた」「ビニールかぶせた。口にガムテープ張った」。長男は青空ちゃんの傷んだ遺体を愛美被告が隠そうとする様子を見ていたとみられる
事件後には山崎被告が書き込んでいたと見られる携帯電話サイトがインターネット上で大きな話題を呼んでいた。そこには、
「あなたに逢えて、本当によかった(ハート)幸せ(ハート)愛してる(ハート)心から本当にそう思うよ(ハート)もぅ離さないでね」
と書かれていた。2人の幼子に向けたものではないことだけは確かだ。
厚生労働省が公表している児童相談所への児童虐待相談件数(2006年度)は3万7323件。そのうち育児を放棄する「ネグレクト」(保護の怠慢ないし拒否)は38.5%の1万4365件にも上る。
誰も知らない [DVD]
おすすめ平均
“親に捨てられた子供たちのノンフィクションストーリー”
だれも知らない?
ただ、ただ悲しい・・・。何も映し出されていない瞳、幽霊の子供達。
なんどやめようかと
大都会東京に埋もれていく人々
Amazonで詳しく見る by G-Tools
あらすじ
トラックからアパートに荷物が運び込まれてゆく。引っ越してきたのは母けい子(YOU)と明(柳楽優弥)、京子(北浦愛)、茂(木村飛影)、ゆき(清水萌々子)の4人の子供たち。だが、大家には父親が海外赴任中のため母と長男だけの二人暮らしだと嘘をついている。母子家庭で4人も子供がいると知られれば、またこの家も追い出されかねないからだ。その夜の食卓で母は子供たちに「大きな声で騒がない」「ベランダや外に出ない」という新しい家でのルールを言い聞かせた。
子供たちの父親はみな別々で、学校に通ったこともない。それでも母がデパートで働き、12歳の明が母親代わりに家事をすることで、家族5人は彼らなりに幸せな毎日を過ごしていた。そんなある日、母は明に「今、好きな人がいるの」と告げる。今度こそ結婚することになれば、もっと大きな家にみんな一緒に住んで、学校にも行けるようになるから、と。
ある晩遅くに酔って帰ってきた母は、突然それぞれの父親の話を始める。楽しそうな母親の様子に、寝ているところを起こされた子供たちも自然と顔がほころんでゆく。だが翌朝になると母の姿は消えていて、代わりに20万円の現金と「お母さんはしばらく留守にします。京子、茂、ゆきをよろしくね」と明に宛てたメモが残されていた。
この日から、誰にも知られることのない4人の子供たちだけの"漂流生活"が始まった―――。
この映画は主演の柳楽君が2004年のカンヌ国際映画祭最優秀主演男優賞を受賞したのは周知の事実でDVDも数年前に発売されていますので、公式のあらすじの先をばらしますと・・
電気も水道もガスも止められ、兄弟は乞食生活に突入。(アパート入居は家賃未払いも居住死守)
ゆきが椅子に乗ってベランダのプランターに水やっている際、転倒して死亡します。
明は不登校の彼女と共に、死んだゆきをトランクに詰めて羽田空港近くの空き地に埋めます。(生前、ゆきとモノレールに乗って飛行機を見る約束をしていた為)
これで映画終了。
最後に巣鴨子供置き去り事件。映画の元ネタ。
巣鴨子供置き去り事件 - Wikipedia
(当管理人註:このウィキの記事は最下段でリンク貼付している「http://www8.ocn.ne.jp/~moonston/family.htm」のエントリーを参照にしていると思われます)
巣鴨子供置き去り事件(すがもこどもおきさりじけん)は東京都豊島区で1988年に発生した保護責任者遺棄事件。 父親が蒸発後、母親も4人の子供を置いて家を出たが、母親は完全に
育児放棄をしていたわけではなく、金銭的な援助を続け、不定期にではあるが子供たちの様子を見ていた。
事件後、長女と次女は母親に引き取られたが、長男に関しては資料不足のため不明。
経緯
1973年頃、Aちゃん誕生。Aちゃんが就学年齢に達するが案内がこず、出生届が出されていないことが判明する。しかし、母親は行政を頼ることはなかった。
1981年頃、Bちゃん誕生。
1984年頃、Cちゃんが生まれるが生後間もなく死亡。
1985年頃、Dちゃん誕生。
1986年頃、Eちゃん誕生。
1987年秋頃、恋人と同棲するために母親が兄弟の世話をAちゃんに任せ家を出る。母親は生活費として数万円を送金し、時折様子を見に来ていた。
1988年
4月、Eちゃんが Aちゃんの遊び友達らからイジメ(暴行)を受け死亡。
7月17日、大家からの不良の溜まり場になっているとの通報を受け巣鴨署員がマンションの一室を調べ、Aちゃん(推定14歳。以下同)、Bちゃん(7 歳)、Dちゃん(3歳)の三人の子供と白骨化した乳
児の遺体(Cちゃんの遺体)が発見された。親の姿は無かった。
Bちゃん、Dちゃんは衰弱していたため、翌18日、福祉事務所に預けられた。
Aちゃんから事情を聞くが、あいまいな点が多く、またBちゃんの供述から、Aちゃんが兄弟の面倒を見ていたらしいことがわかる。Aちゃんらはコンビニ弁当などのジャンクフードで生活していたため、栄養失調に陥っていた。
Aちゃんらに出生届が出されていないことがマスコミで報じられる。
23日、テレビのニュースで事件を知った母親が出頭。母親の証言から、9ヶ月前に家を出ていたこと、Eちゃん(2歳)が失踪していることが判明。
25日、Aちゃんの証言により、EちゃんがAちゃんの遊び友達の折檻を受け死亡しており、遺体は秩父市内の雑木林に埋められたことがわかる。
8月、母親が保護者遺棄、致傷で起訴される。懲役3年執行猶予4年の判決をうける。Aちゃんは Eちゃん折檻死にかかわっていたとされ、傷害致死ならびに死体遺棄で起訴され
るが、状況を考慮され、養護施設に送られる。
関連項目
誰も知らない - この事件をモチーフに作られた映画。長男は兄弟思いの優しい少年として描かれている。
※新聞記事引用という事ですので、無断ですが再引用させて頂きました。(ぺこり)
誰も知らない<巣鴨子供置き去り事件> iFinder 雑読乱文
「誰も知らない」のモチーフとなった事件
古い事件のため、なかなかソースが見つからなかったため、当時の新聞記事から転載して掲載することとした。
<<1988年朝日新聞記事より>>
・母親(事件発覚当時40歳)は川崎の私立高校卒業後、服飾専門学校に進学
・歌手を目指したこともあり、実際にレコードも何枚か出している。
・昭和43年頃からデパートの派遣店員として就労。勤め先で男性と同棲を始める。
・この男性との結婚を両親から猛反対される。
・2人の間に子どもができたが、その子は養子に出している。
・48年、同じ男性との子を足立区で出産するが、母親は「正式の夫との間にできた子どもではなので怖くなり、結局出生届はださずじまいだった」。この子が長男で事件発覚当時の14歳少年。少年は父親については「わからない」と話している。(母親はこれまで父親の違う子どもを5人生んだと話しているが、少なくとも3人の男性との間に、6児を出産。養子に出した子と長男以外は、すべて自宅で自分の力だけで生んだということが判明)
・その後都内のマンションを転々とし、食いつなぐために窃盗や売春をし、警察に捕まったこともあったという。
・56年頃に長女(事件発覚当時の7歳)を出産。
・59年9月に次男を生んでいるが、この子は60年2月に仕事から家に帰ると、ほ乳瓶をくわえたまま死んでいた。処置に困り当時住んでいた家に隠していた。
・母親は長男に「親戚のおじさんに預けた」と説明している。
・60年頃に二女(事件発覚当時の3歳)を出産
・61年7月に三女を出産
・62年9月頃までは大塚駅周辺に住んでいたが、その後西巣鴨に転居。死んでいた次男はビニール袋に入れてスーツケースに入れたまま荷物として運んだ。
・西巣鴨のマンションは表通りに面した鉄筋四階建て。住んでいたのは2階で、1階には24時間営業のコンビニがあった。
・大家には、「長男と2人暮らし。長男は立教中学に通っている。夫は数年前に死亡した」「私はデパートに勤めている」と話して大家を信用させマンションに入居。大家は他に子どもがいることは知らなかったと話している。
・長男には「事情があって今は学校に行けないが、いつかは行けるように手続きしてやる」と言い聞かせ、市販されている学習ブックを買い与えていた。(発覚時、名前を書かせても、姓は漢字で書けるものの、名前はひらがなでしか書けなかった。
・62年秋頃から千葉県浦安市の冷凍食品販売業の愛人(56歳)ができ、愛人のところに入り浸るようになった。長男の話では62年秋頃から、「仕事で大阪に出張する」と言ってマンションを出たままだというが、母親はときどき2・3万円ずつ送金してきたようで、たまに姿をみせていたこともある。
・その後、63年の正月に一度戻っているが、子どもが邪魔になってマンションに置き去りにし、千葉県内の愛人のマンションに同居していた。長男には千葉県の住所を教えていた。
・長男によると、マンションには時々男性が「元気か」と訪ねてきていたらしいが、愛人か長男の父親かはわからない。
・長男は、いなくなった母親の代わりに食事を作ったり、おむつを取り替えたりしていた。また、毎日のようにコンビニを訪れては菓子パンやおにぎり、アイスクリームなどを買っていた。コンビニの店長は「夜中の2、3時に来たり、学校のある昼間の時間帯にもしばしば見かけたりするので、変だなあと思っていた」と話していた。
・母親がいなくなって、11月頃に長男は近所の菓子店で中学1年生の2人と知り合う。彼らは頻繁に出入りするようになった。
・63年3月末、長男は滞納していた1月までの3ヶ月分の家賃(27万円)を支払ったが、2月以降は未払いでその後はガスと電気を止められていた。
・4月21日昼頃、遊びに来ていた友達2人のうちの1人が前日に買っておいたカップめんがなくなっているのに気づいた。三女(2歳)の口元にのりが付いていたため、長男が(あるいは友だちが)三女が食べたと思い殴りはじめた。
・友人2人は、はじめは「長男がやめろと止めた」と供述していたが、その後「初めは、長男も殴った」と話し、長男も「3人でいじめた」と認めた。
・長男は死なせた3女を含め3人の妹の面倒を一人でみていたが、言うことをきかない幼い妹たちに困り果て、そそうをしたりすると体罰を加えていたようだ。
・三女は翌22日午前8時半ごろ死亡。「三女が死亡する致命傷は、長男でなく友人が押し入れから何回も落としたことによる」と長男の弁護士は述べている。
・26日、長男は三女の遺体を友人2人とともにビニール袋に包み、さらにボストンバッグに詰めて、3人で電車に乗り、夜11時頃秩父市大宮の公園わきの雑木林に捨てた。友人のうち1人は「夜遅くなるとしかられる」と途中で電車を降りた。
・2人は遺体を捨てた後、帰る電車がなかったため、その夜は駅で明かした、という。
・見つかった三女の遺体は、カーディガンとスカート姿だった。
・17日、「親は帰ってこないし、不良のたまり場になっている」という大家の連絡で、巣鴨署員がドアを開けると長女と次女がいた。大家がバナナとおにぎりを差し出すと、むさぼるように食べた。
・長男は「夜の商売の人の子どもで預かっている。母は大阪に仕事にでかけている」と説明した。
・18日午前10時、同署員と福祉事務所の女子相談員が訪れると、玄関を入ってすぐのダイニングに妹2人が毛布にくるまって寝ていた。長男は奥の6畳に布団を敷いて寝ており、パジャマ姿で出てきた。
・妹たちは衰弱しきった様子で、特に3歳の二女はガリガリにやせていた。
・カーテンは閉め切り、部屋には衣類が散乱。台所には残飯の一部がかびた状態で残っていた。
・部屋には一通りの家具があり、電気炊飯器でご飯が炊かれ、電熱器にはみそ汁をつくったなべがかけられた跡があった。冷蔵庫にはニンジン、タマネギ、キャベツなどが入っていた。洗濯機には洗いかけの衣類が入っていた。
・2人の妹は「パンが欲しい」と言い、相談員が買ってきたパンと牛乳をおいしそうに食べ、その後もアイスクリーム、チョコレートなどと食べ物を欲しがった。
・「どうしたの」という問いかけに、7歳の長女は「お兄ちゃんに面倒をみてもらっている」と話すばかりだった。
・2人の妹は新宿区の都児童相談センターに預けられた。
・長男は21日朝、友人の父親に付き添われて福祉事務所を訪れ保護されたが、センターに空きがないため、都八王子児童相談所に収容された。健康状態、顔色ともにごく普通であったという。
・23日、千葉県内の愛人のマンションに同居していた母親は「テレビのニュースで事件を知り、自首しようと思った。中学程度の子どもに幼い子みんなの面倒を見させて悪かったと思う」と話し、保護者遺棄の疑いで緊急逮捕された。涙は見せていないという。
・母親は発見された子どものほかにも三女を産んだと話していた。
・25日、長男は三女をせっかん死させたことを供述し、傷害致死と死体遺棄の疑いで逮捕。この日まで児童相談所に収容されていたが、三女のせっかん死を供述してからは目に見えて顔つきが穏やかになった。「やはり、隠し事があるのを気にしていたのでしょう。秩父の現場検証から帰ってきたときは、重荷をおろしたような表情でした」と児相の所長は話している。
・「本当に優しい子だと感じた。社会の汚れに染まらず生きてきて、母親も絶対的な存在だった。でも、友人との出会いで、小さな子どもの世話をするのが重荷に感じてきたのでは」とセンターの職員は話した。
・8月10日、東京地検は、この長男を傷害致死、死体遺棄罪で東京家裁に送致。同地検は「母親さえいれば起こりえなかった事件であり、長男には教育的措置が必要」として少年院ではなく、教護院へ送ることが相当との、異例の処遇意見を付けた。今回は長男が戸籍もなく、全く学校教育を受けていないなど特殊な事情があり、児童福祉施設の教護院で教育を受けさせる方が良いと判断したという。
・犯行に加わった少年2人は、刑事責任を問えない年齢であり巣鴨署で補導した。
・10月26日、保護者遺棄、同致傷の罪に問われた母親に対する判決公判があり、裁判官は「わが子を養育するわずらわしさから逃れようとした無責任、身勝手きわまりない犯行。三女の死の遠因となったといっても過言ではない」として、懲役3年、執行猶予4年(求刑懲役3年)の有罪判決を言い渡した。
・判決理由の中で、執行猶予について「子ども出生を届けず、学校にも通わせないなど母親の自覚がなく、放置が続けば子どもの生命が失われる危険もあった。親の責任を放棄した罪は重いが、同姓相手と結婚してやり直すと誓っていることなどを考慮、今回に限り、自力更生の機会を与えることにした」と述べた。
*要参照+MONSTERS+
実話のエンディングを踏襲する方がよりよい映画になったと思うんだけど。。
で、おいらの心の澱はこれ。
口の中に蟲が一杯入った状態でミイラ化して死んでいた我が子を発見しパニクった山崎愛美さんが咄嗟に書いたブログ。
否、死んでいる筈の長男が生きていた事にパニクったのか・・・
これでこの事件を忘れられそう。。
亡くなった青空君。今度生まれる時は、きっと優しいお母さんだよ。
http://birthofblues.livedoor.biz/archives/50501656.html