中国の台頭と傍若無人化、そして北朝鮮の核武装と朝鮮半島の不安定化に最も影響を受けるのは日本 | 日本のお姉さん

中国の台頭と傍若無人化、そして北朝鮮の核武装と朝鮮半島の不安定化に最も影響を受けるのは日本

原爆をどこに落すか。
トルーマンが決めたのではない。
トルーマンは、アメリカを支配する闇の世界政府の上司である自分の部下の言いなりだったのだ。
長崎に原爆を落とすことは最初から決まっていた。
広島に先に落したのは、長崎のカトリックの総本山、浦賀天主堂を潰して信者たちを一気に亡き者にすることを隠すため。
日本を支配するには、カトリックが邪魔だと闇の世界政府の上司は
判断したのである。その組織は、悪魔崇拝をしていて、
カトリックは常に世界に対してその組織の危険性を指摘していた。
長崎では三菱の工場には原爆は落とされなかった。
三菱は、その組織と仲がいいので、利用価値があるからだ。

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原爆はなぜ長崎に投下されたのか
長崎における被爆体験と対核防護の勧め
2014.8.8(金) 加藤 高明

私は、1945(昭和20)年8月9日に長崎で被爆した。魔の11時2分である。

家族の中で母と私は、爆心地から1500メートル地点で場所を異にして被爆し、私が最も重傷を負った。家族は、皆心身ともに傷を負ったものの幸運にも全員命拾いした。しかし現在は、長崎で同時に被爆した両親も姉も兄もこの世にはいない。

一緒に遊んで被爆した友人の母親は、浦上川で洗濯中に被爆し、黒焦げの遺体が川で発見された。亡くなって10数年後に知った、年下の親友も3年後に帰らぬ人となった。友人の死を知った後、私は、8月9日11時2分に毎年黙祷を捧げている。被爆時、私は10歳だった。
長崎に投下された原爆で被爆した浦上天主堂の聖母マリア像〔AFPBB News〕

子供心に「原爆はなぜ長崎に投下されたか?」という疑問を抱いた。

二度と起きてはならない原子爆弾の被害、米ソ両国の核開発はエスカレートし米ソの核競争は激化して、巨大な戦略兵器と言われる水素爆弾の実験へと進み、ビキニ環礁でのマグロ漁船「第五福竜丸」の被爆となった。

私は、大学を卒業して、自衛隊の幹部候補生学校を受験し、化学職種を選んだ。長崎の被爆者がなぜ自衛隊にと高校、大学の友人に質問を受けた。

被爆者だからこそ自衛隊に入隊し、被爆体験を糧に「対核防護」を我がライフワークとして取り組みたいと思った。

被曝70年を間近にして、10歳の時の鮮烈な体験記録をここに残して置きたいというのが今夏の私の課題である。

1 なぜ原爆が長崎に投下されたか
2 広島と長崎の被爆はどのように違うのか
3 私の被爆体験と後世に残したい教訓
4 日本における対核防護の勧め

以上について、高齢者となり、記憶を失う前に書き下ろすこととした。

第1章 なぜ原爆が長崎に投下されたか

1.投下までの背景

私が住んでいた長崎市は、昭和20年当初からご多分に漏れず警戒警報や空襲警報を発令される日が多くなってきた。ラジオからは、当時から佐世保軍港上空に敵機B29来襲、大村海軍航空隊上空をB29が飛行中との放送が流れており、長崎は、佐世保市や大村市に比較して空襲の頻度は、少なかったと記憶している。

その長崎がどうして原子爆弾の投下を受け被害にあったのか、当時から疑問に思えた。出口輝夫編著『原爆の話』を参考にした原子爆弾投下に至る経緯は、次の通りである。



広島に原爆を落とした後、テニアン島に帰還したB29爆撃機「エノラ・ゲイ」〔AFPBB
News〕



(1)最初の核爆発

まず1945年7月16日早朝、米国のニューメキシコ州アラモゴードにおいて、世界最初の核爆発実験が行われ成功した。高さ30メートルの櫓の上にプルトニウムを詰めた筐体を据え、スイッチを押して爆発させたもので飛行機からの投下ではなかった。

(2)ボツダム会談、ボツダム宣言と日本の黙殺

連合国側は日本がポツダム宣言を受け入れないと見込んでいた節があり、宣言の前日の1945年7月25日に、原爆投下を急がないと日本に対する緊急性がなくなるため、米軍は投下命令をポツダム宣言の前日に下されていたとも言われている。

当時私は、子供心に一億総玉砕、竹やりをもって応戦する覚悟が国民の総意ではなかったかと思う。

2.原子爆弾の投下命令(「原爆の話」より)

(1)1945年7月25日、アメリカ陸軍省参謀本部指令としてトーマス・T・ハンディ参謀総長代理からカール・スパーツ戦略空軍司令官宛に下された命令の要旨は、下記のようなものであった。

ア、1945年8月3日以降、最初の特殊爆弾をもって攻撃目標の1つに目視爆撃を行うこと。



イ、目標は、広島・小倉・新潟・長崎とする。
ウ、爆発効果の観測及び記録を行うこと。その為観測機を随行させること。
エ、準備が完了次第、第2弾を投下すること。
オ、当兵器の使用に関する情報は、陸軍長官及び大統領以外には漏らさない。
カ、ニュース記事は、すべて陸軍省の特別検閲を受けること。
キ、マッカーサー元帥及びニミッツ提督への情報は手渡すこと。

さらに、「マンハッタン計画」実施責任者グローブス将軍(1942年9月23日大佐から准将に昇任)からカール・スパーツ戦略空軍司令官宛の内容は、もう少し具体的であったと言われている。

●第20航空軍第509混成群団部隊は、8月3日以降、なるべく早く天候の状況を見て次の目標のうち1つに対して特殊爆弾第1号を投下すること。

目標地は、広島・小倉・新潟・長崎とする。

●追加の爆弾は、準備ができ次第、これを前記目標に投下すること。前記4都市以外の目標については、別に指示する。

目視投下が厳命されたのは、非常に高価な爆弾であり、原子爆弾攻撃の効果を正確に評価するためには目標から外れてはならないからであった。

(2)目標地の変遷

ア、1945年5月12日:京都・広島・横浜・小倉
イ、1945年5月28日:京都・広島・新潟(横浜と小倉は外される)
ウ、1945年7月21日:京都・広島・小倉・新潟
エ、1945年7月21日:原子爆弾以外の通常型爆弾および焼夷弾による攻撃目標は、人口順に180の都市がリストアップされ、作戦上東京の皇居と京都は除外。横浜・神戸・川崎・名古屋・東京・大阪・尼崎と北方の17都市は、硫黄島の基地が使えるようになるまで除外された。また夜間および悪天候下の爆撃禁止は15都市であり、長崎もこれに属していた。
オ、1945年7月22日:広島・小倉・長崎・新潟と決定し、京都が目標から外された。

(3)長崎が原爆投下目標地に選ばれた理由

長崎が原爆投下目標に選ばれたのは、戦艦「大和」と同型の「武蔵」を造った三菱造船所があったこと、ハワイの真珠湾攻撃時に使用された「魚雷」を造った三菱兵器製作所(兄が学生の身で勤労奉仕場所:後述)があったことなどと言われている。

市街の大きさは、南北6キロ、東西6キロで、街並みはヒトデのような形に伸び、人口は25万3000人と原爆目標地としては、広島・小倉と比べて規模が貧弱で、捕虜収容所があったために第3目標となったと言われている。

長崎は、細長くて2つの山の間にあり、爆弾の効果が十分に発揮されないうえにこれまで原爆投下以前に5回の空襲を経験し、延べ136機の爆撃により総計270トンの高性能爆弾と53トンの焼夷弾、20トンの破裂弾が投下されている。

グローブス将軍は、原爆投下には不適と反対したが、スチームソン陸軍長官は「これは政治的判断である」と言明し、長崎を目標地に進言したのは、米陸軍航空部隊司令長官のヘンリー・H・アーノルドだったと言われている。

(4)1945年8月6日ついに広島に原子爆弾投下

広島は、8月3日前後から5日まで悪天候のため投下は順延され、8月5日、B29型爆撃機「エノラ・ゲイ」へ原爆の搭載が完了した。

8月6日、気象偵察機3機が原子爆弾搭載機より先行して離陸して行った。広島へはクロード・イーザリー機長の「ストレート・フラッシュ」機、小倉へは、ジョン・ウイルソン機長の「ジャピット三世」機、長崎へはラルフ・テイラー機長の「フルハウス」機だった。

1時間遅れて原子爆弾を搭載した第509混成群団の指揮官ポール・W・テイベッツの「エノラ・ゲイ」機、随行するラジオ・ゾンデ搭載機には、指揮官補佐のチャールズ・W・スウィーニー機長「グレート・アーチスト」機、写真撮影機はジョージ・マクオート機長の「ネセサリー・イーグル」機だった。

ラジオ・ゾンデ搭載機にはルイス・アルバレッ、ローレンス・ジョンソン、ハロルド・アグニューの3人の科学者が同乗していた。ラジオ・ゾンデから発する信号をキャッチして解読し、その威力を測定するためだった。



広島に原爆を投下した後のB-29爆撃機「エノラ・ゲイ」の搭乗員。左から、セオドア・バン・カーク)航法士、ポール・ティベッツ機長、トーマス・フィアビー爆撃手(1945年8月撮影)〔AFPBB News〕



民間人を戦闘する飛行機に乗せることは「ジュネーブ条約」に違反するので、便宜上の処置として将校に任命していた。

なお、万一の支障に備えて、チャールズ・マクナイト機長の「ビック・ステング」機が硫黄島で待機していたという。

広島へ先行した気象観測機から、「晴天、雲量は低空、中空および1万5000フイート(4575めーとる)共に10分の2」と報告があり、攻撃部隊は広島へ向かった。

2機は突然分散し、先頭の「エノラ・ゲイ」機は、左へ、後続の「グレ-ト・アーチスト」機は、右へ急降下急旋回し、同時に3個のパラシュートを投下し、島病院上空567メートルでさく裂した。 8月6日8時15分であった
(これまで出口輝夫氏の「原爆の話」を参考にした)。

長崎の原子爆弾の投下については、第3章の被爆体験として後述する。

http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/41413

Komei Akashi
原発が54基も日本列島にあるのに対核防護に意味があるんですかね?。またフクシマ原発事故後に政府は放射能汚染のリスコミで健康被害を過小評価させてフクシマ原発事故そのものを風化させようとしています。現実を隠蔽したこんな状態で対中核戦争対策なんてたてようがないでしょう。中国が日本の原発に長距離巡航ミサイルを数十発から数百発ぐらい連続して打ち込めば、中国は核攻撃なんかしなくても日本を破滅させられます。中国の長距離巡航ミサイルが一発でも日本の対空ミサイル網をすり抜けて原発とその管理施設に命中すれば作戦成功なんです。せっかく日米安保があり、オバマの尖閣防衛発言を引き出したのに、日本列島そのものが自爆型核爆弾と化している現状は史上最大の皮肉としか言いようがないです。原発再稼働派(=核武装派)は日本が核武装可能だと考えるのならば、米国を中心とした国連常任理事国にどうやって日本の核武装を容認させるのか是非教えてほしいですね。日本はWW2戦勝国の意向を無視して核武装を強行しても大丈夫だと本当に考えているんでしょうか?。
2014年8月8日 13:45

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トランプの"暴言"に感謝してもし足りない日本
もしもの核攻撃に備える一刻も早いシームレスな法整備を
2016.4.11(月) 森 清勇
日本と韓国の核武装容認論をぶち上げて物議をかもしているドナルド・トランプ氏〔AFPBB


News〕
米国大統領選の共和党候補指名争いで首位に立つドナルド・トランプ氏の発言が関心を呼んでいる。中でも日米同盟の破棄、在日米軍の撤退、さらには日韓の核武装容認発言など、日本が無関心ではいられない発言も多い。


民主主義国家の最高責任者は国民が選挙で選ぶ。かつてヒトラーも民主的な選挙で選ばれたように、当該国の国民が支持すれば権力の座に着くことになる。

トランプ氏が大統領に選ばれるか否かはともかくとして、日米同盟を基軸において非核3原則を呪文のように唱えてきた「他人任せの安全保障」に鉄槌を落としているかのようである。

改めて言うまでもないが、フランスの元大統領シャルル・ドゴールが「同盟などというものは、双方の利害が対立すれば一夜で消える」と喝破したように、国益に関する日米双方の考えが食い違えば、思わぬ事態に突入しないとも限らない。

日本および日本人が国家や主権の在り方、そして安全保障問題を考える機会としてはいかがであろうか。

施行された安保法制

自衛隊は平和維持活動(PKO)や大規模災害救助活動などで海外に派遣されることが多くなった。しかし、従来は平和維持活動で外国の軍隊に守ってもらいながら、その外国軍隊が危険に直面しても守ってやれなかった。

また、日本の安全に関わる活動をしている米国や友好国の軍隊が攻撃に晒されてもただ傍観するしかなかった。

しかし、3月29日に施行された安保法制で、前者は「駆けつけ警護」として、また後者は「集団的自衛権の一部行使」で可能となり、国際信義にもとる状況を解消させることになる。

トランプ氏の「日米安保条約は片務的な取り決め」であり、「不公平だ」との批判に応えることにもなる。この点から見ても、先の国会における民主党など野党の論点は間違っていたし、いままた安保廃止法案提出の暴挙は二重の過ちを犯していると言えよう。

民主党など法案反対政党の「戦争法案」というレッテル貼りで踊らされた人々は、自衛官のリスクの高まりを強調していたが、国民の共感を得ようとした姑息な計算であったと言っても過言ではない。
実際の任務に就く自衛隊はそうしたリスクもさることながら、防護してもらいながら防護してやれない国際信義にもとる行為しかできないことに対して忸怩たる思いを抱いていたと仄聞する。


そもそも派遣される部隊や自衛官は、「自隊のリスク」よりも「国家・国民のリスク」の排除や低減を意識しているのであり、そうした目的のために自衛隊の行動を律する安保法制である。

ともあれ、自衛官のリスク問題は派遣前の十分な教育訓練と、今次法制によって可能となる現場での適時適切な対処行動でむしろ安全が高まり、派遣部隊のリスクは軽減されると見ているようである。

法制の施行がもたらす最大のメリットは、国際信義にもとる行為の解消であろう。援護してくれる部隊を援護してやれないことは、日本人、なかでも自衛隊にとっては武士道精神に悖る「恥」以外の何物でもなかったからである。今回の施行によって、総合的な安全と国際信義が高まることは言うまでもない。

シームレスになったか

潮匡人拓殖大学客員教授は『正論』2015年12月号で、「あんなに大騒ぎしたのに、こんなにショボい安保法制」という論考を寄稿している。大山鳴動したが、「無いよりはマシ。現状より多少は改善する」程度で、最も懸念される領海警備さえできない法案であると指摘する。

法案が大詰めを迎えていた2015年9月16日、ロイターは「安保法制で転換迎える日本、『普通の国』なお遠く」と題し、「自衛隊と米軍は中国を想定した備えができるようになるが、(中略)英国やオーストラリアといった『普通の国』とは、まだ開きがある」という記事を配信したそうである。

記事の中見出しの「『普通の国』の半分」では、豪ニューサウスウェールズ大学のアラン・デュポン教授が「これまで(普通の国の)25%だったものが倍増して50%になり、海外に自衛隊を派遣する柔軟性と能力が増す。しかし『業界標準』からすれば、まだ50%足りない」と語ったことを紹介する。

しかも、米国と日本では集団的自衛権に対する認識に差があり、摩擦が生じることが懸念されるともしている。そのうえに、政府・与党は一部野党を法案賛成に引き込むために、努めて国会承認を得るという歯止めを合意して付帯決議した。

このようにして、重要影響事態や存立危機事態などの事態の推移認識に関わる切れ目、国会承認に要する時間的な切れ目、また領域警備に関わるグレーゾーンに対しては警察権の行使から準有事的事態や防衛出動事態への切れ目などシームレスになるどころか、いくつもの切れ目が生じてしまったようである。
最大の切れ目は「核対処」

安保法制はシームレス、すなわち切れ目のない対応が最小限できることを目指すものであったが、核対処については米国の「核の傘」に依存するというだけで考慮外であった。


こうした点から、ハドソン研究所主任研究員の日高義樹氏は同誌で、「中国・ロシア・北朝鮮・・・日米の最大の脅威は核軍拡だと銘じよ」というタイトルで、「平和を祈るだけでは対処できない厳しい現実」を具体的に描き出している。

そして、極めつけがジャーナリストの東谷暁氏による「日本の核武装を可能にするのは何か~60年代の蹉跌を教訓に」であろう。

国民にほとんど知られていないが、日本の安全に関して「核装備」が多くの首相の頭をよぎったことが書かれている。国家の安全に責任を持つということはそうした意識のことであろう。

安保法制であれほど騒いだ日本である。ましてや核武装となると、とてもすんなりとはいかないことは火を見るよりも明らかであろう。ただ、現在はリアリズムで考えなければ日本の安全には結びつかない。

独自の核装備はできないが、北朝鮮は国際世論や国連の制裁決議にもかかわらず、なりふり構わずに核装備に邁進している。

中国は影響力を行使できないし、表向きの国際社会に協調する発言とは裏腹に、国連制裁をかいくぐって支援さえしているとも見られている。こうして日本への核脅威はどんどん高まっているという認識を共有することが必要であろう。

その核兵器について、日本は米国が提供することになっている拡大抑止力に依存している。ところが、核の運用については、ドイツと異なり日本の意志は考慮されるメカニズムにはなっていない。

2015年4月に再改定された「日米ガイドライン」を見ると、核関係についての言及は「日本に対する武力攻撃が発生した場合」の「c 作戦支援活動」中の「v CBRN(化学・生物・放射線・核)防
護」の項目であり、下記のように言及されている。

「米国は、日本における米軍の任務遂行能力を主体的に維持し回復する。日本からの要請に基づき、米国は日本の防護を確実にするため、CBRN事案及び攻撃の予防並びに対処関連活動において、適切に日本を支援する」
すなわち、相手がCBRN兵器を使用した場合の防護についてだけの言及であり、米国の主体は米軍の防護である。もちろんのことながら、相手の核運用に関して日本が云々言えるようにはなっていない。


通常兵器による対応では一応シームレスを目指す努力をしているが、通常兵器と核兵器の間には歴然とした切れ目がある。ドイツも日本と同様に自国の核兵器は保有しないで、米国の拡大抑止力に依存する考えは同じである。

しかし、ドイツは普段から核兵器の運用などに関わる計画などに関与するようになっている。最終的に使用する状況になった場合、同盟国と米国の双方の同意のもとに発射される「二重キー方式」と呼ばれるシステムをとっている。この点については郷友総合研究所編『日本の核論議はこれだ』に詳しい。

おわりに

日本の安全を日常の生業にしている自衛隊や海上保安庁などを除いては、多くの国民、また国民の信託を得て国家の安全に関心を持つべき多くの政治家もほとんど無関心できたのではないだろうか。

安保法案の審議において、国際情勢、中でも日本を取り巻く近隣諸国の情勢がほとんど取り上げられることがなかったことが何よりの証左であった。

シームレスを目指したはずの安保法制であったが議論がかみ合わなかったことから、多くの切れ目を残した。これに関しては、今後逐次の改正もあり得るであろうが、問題は従来無関心で来た核抑止やより大きな視点での国家安全保障についても、真剣な検討を要する状況になりつつあるということである。

核抑止については米国の拡大抑止に依存していることはドイツと同じであるが、ドイツは関与できるシステムをとっているのに対し、日米間においてはそのようにはなっていない。日本から米国への働きかけなども必要ではないだろうか。

さらに大きな問題は、「安全保障基本法」ともいうべきものが存在さえしないことである。戦争の危機や戦争が発生した場合、国会や内閣が平時同様に機能するとは限らないし、むしろ機能しないと考えなければならない。

例えばスウェーデンでは憲法の最後の章を「戦争および戦争の危機」としている。内容は国会の機能不全と戦時代表団の発足・権限、内閣の機能不全、国会や元首の所在など13か条にわたって書かれている。国会同様に皇居も安全とは限らないので移動もあり得るからである。

日本以外のほとんどの国がこうした非常時対応の条項を何らかの形で設けている。安保法制にすら野党は「戦争法案」のレッテルを張ったので、安全保障基本法などにはさらにトーンを上げたレッテルが張られよう。

しかし、非常時対応は平時において行っておかなければ、泥棒に入られて鍵をかけるようなもので後の祭りである。国家の安全及び国民の生命財産の保護に後の祭りは許されない。
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/46554
尖閣諸島防衛、やってはいけないこと、やるべきこと
安易な自衛隊投入は国の破滅、まずは海保の強化を
2016.2.24(水) 織田 邦男
南シナ海で接近する中国の沿岸警備隊の船舶(上)とフィリピンの補給船(2014年3月29日撮影、資料写真)〔AFPBB News〕



2015年9月、可決成立した安全保障関連法案が3月に施行される。政府・与党は昨年、この法案を第189回通常国会の最重要法案と位置づけ、95日間という戦後最長の会期延長をしてこれに臨んだ。だが、大山鳴動のわりに本質的議論は最後まで盛り上がらなかった。



特に奇異に感じられたのは、我が国の取り巻く安全保障情勢の議論なく、憲法論議に終始したことだ。国際情勢の議論なく、安全保障を論議する国は、世界広しといえど、日本だけだろう。また憲法論議から安全保障法制に入るのも順序が間違っている。

最近の南シナ海における岩礁埋め立て、軍事基地化などでも明らかなように、「力による現状変更」を企てる中国に対し、我が国がどのように認識し、どう対応すればいいのか。北朝鮮の独裁政権と核、ミサイル開発に対し、いかにすれば東アジアの平和と安定は保たれるのか。このような根本的な議論はほとんど行われなかった。

安全保障の前提となる国際情勢の議論を欠いたまま、法案が提出されても、国会の論議は深まらないし、国民の理解は得られない。まるで空腹を覚えていない人に、フランス料理のフルコースを勧めるようなもので、満腹感(拒否感)だけが先に立つ。

野党法案の大きな勘違い

その結果が「戦争法案」「徴兵制」といった「レッテル張り」と「揚げ足取り」低劣な議論だった。

2月19日、民主党や共産党など野党5党は、来月施行される安全保障関連法について、憲法違反であり認められないとして、法律廃止の法案を衆議院に共同で提出した。これも「国際情勢の議論なき安保法制」の後遺症に違いない。

今回の安全保障法案を廃案にし、代替法案を提示しないということは、理屈的には、現下の国際情勢にあって、現行法制が最善と云うことになる。だが、本当にそうか。

中国の台頭と傍若無人化、そして北朝鮮の核武装と朝鮮半島の不安定化への対応は、まさに21世紀の国際社会の課題とも言われる。最も影響を受けるのは日本である。こういう現実を直視せず、現行法制が最善とはブラックジョークとしか思えない。

今からでも遅くはない。「廃止法案」提出を好機として、是非、国際情勢の議論を国会で一から始めてもらいたい。

2月18日、民主党と維新の党は、領域警備法案、そして周辺事態法改正案、国連平和維持活動(PKO)協力法改正案の三法を共同提出した。メディアは「昨年9月に成立した安全保障関連法の対案と位置付ける三法案」と報じている。だが、中身を一瞥する限り、断片的であり包括的な安保関連法案の「対案」とはなり得ない。
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/46147?utm_source=outbrain&utm_medium=recommend&utm_campaign=link&utm_content=side