ミケランジェロが請求した残業手当。これが記録に残されている世界初の残業手当です。
2時のうんちく劇場
2015年9月8日 ミケランジェロ
2015/9/ 8
511年前:1504年9月8日:ミケランジェロ作の彫刻「ダビデ像」が公開された日です。
ミケランジェロは生涯を芸術に捧げた人で、結婚はおろか恋愛も生涯で1度、60歳の時にした片思いしかなかったと言われています。
その事もあって同性愛者という噂が当時たったみたいですが、そっちの影も全くなかったみたいです。
この恋愛をしなかった理由は容姿にかなりコンプレックスを持っていたからだと言われ、特に10代の頃にケンカをして鼻の骨が曲がってしまった事がコンプレックスの大きな要因だったみたいです。
同じ時代の芸術家にレオナルド・ダ・ヴィンチがいて、23歳上のスーパースターにミケランジェロも憧れていたみたいです。
あんな素晴らしい作品を作りたい、ダ・ヴィンチに少しでも近づきたいと14歳の時から美術工房で勉強していたのです。
ところがその憧れのダ・ヴィンチ先輩が優れた芸術家というだけでなく、超イケメンで女性からモテモテだという事を知り、ミケランジェロは「あんなスカしたヤツに負けるワケにはいかない」と、よけい恋愛から遠ざかっていったのです。
ミケランジェロは彫刻こそが最大の芸術と考え、ローマのサン・ピエトロ大聖堂にある「ピエタ」という凄い彫刻を20歳の時に、そして「ダビデ像」を29歳の時に作っています。
実は絵画などは平面で表され、芸術としては表面的なものだと馬鹿にしていたみたいで、絵を描く勉強はほとんどしていなかったみたいです。
しかしある時、ミケランジェロの名声をねたんだ他の彫刻家が「ヤツは絵は得意じゃないらしい」と恥を掻かせようと、大きな教会の壁画の仕事をムリヤリ押しつけたのです。
ところがその嫌がらせがキッカケで「ミケランジェロは絵もいける」と判明してしまい、教会の壁画の仕事が多数舞い込んでくることになったのです。
さらに教会の仕事をした関係でバチカン市国の衛兵が来ている制服のデザインをしています。オレンジと青の派手なストライプの制服ですが、400年以上も使われ続けています。
そしてミケランジェロは現代のビジネスにも大きな功績を残しています。
当時の画家は宮廷や教会から依頼されて壁などに絵を描いていたのですが、作業時間というのは大体「○時から○時まで」と決められていていたのです。
ところが名作「最後の審判」を描いている時にかなり切羽詰まった〆切を言い出されたのです。そこで「夜遅くまで作業をするので、その作業分の時間給を別に支払ってくれ」と時間外労働・残業代を要求したのです。
これが記録に残されている世界初の残業手当です。
ミケランジェロは死の間際に「私はまだ神に召されるだけの仕事をしたとは思えないし、何より漸く仕事の基本を覚えたところで死ぬのは残念だ」と言ったと伝えられています。最後の最後まで、自分の才能はもっと上へ行けると願い続けた巨匠だったのです。
投稿者:らぶらじスタッフ
http://www.at-s.com/sbsradio/program/love/2015/09/201598.html
2015年9月8日 ミケランジェロ
2015/9/ 8
511年前:1504年9月8日:ミケランジェロ作の彫刻「ダビデ像」が公開された日です。
ミケランジェロは生涯を芸術に捧げた人で、結婚はおろか恋愛も生涯で1度、60歳の時にした片思いしかなかったと言われています。
その事もあって同性愛者という噂が当時たったみたいですが、そっちの影も全くなかったみたいです。
この恋愛をしなかった理由は容姿にかなりコンプレックスを持っていたからだと言われ、特に10代の頃にケンカをして鼻の骨が曲がってしまった事がコンプレックスの大きな要因だったみたいです。
同じ時代の芸術家にレオナルド・ダ・ヴィンチがいて、23歳上のスーパースターにミケランジェロも憧れていたみたいです。
あんな素晴らしい作品を作りたい、ダ・ヴィンチに少しでも近づきたいと14歳の時から美術工房で勉強していたのです。
ところがその憧れのダ・ヴィンチ先輩が優れた芸術家というだけでなく、超イケメンで女性からモテモテだという事を知り、ミケランジェロは「あんなスカしたヤツに負けるワケにはいかない」と、よけい恋愛から遠ざかっていったのです。
ミケランジェロは彫刻こそが最大の芸術と考え、ローマのサン・ピエトロ大聖堂にある「ピエタ」という凄い彫刻を20歳の時に、そして「ダビデ像」を29歳の時に作っています。
実は絵画などは平面で表され、芸術としては表面的なものだと馬鹿にしていたみたいで、絵を描く勉強はほとんどしていなかったみたいです。
しかしある時、ミケランジェロの名声をねたんだ他の彫刻家が「ヤツは絵は得意じゃないらしい」と恥を掻かせようと、大きな教会の壁画の仕事をムリヤリ押しつけたのです。
ところがその嫌がらせがキッカケで「ミケランジェロは絵もいける」と判明してしまい、教会の壁画の仕事が多数舞い込んでくることになったのです。
さらに教会の仕事をした関係でバチカン市国の衛兵が来ている制服のデザインをしています。オレンジと青の派手なストライプの制服ですが、400年以上も使われ続けています。
そしてミケランジェロは現代のビジネスにも大きな功績を残しています。
当時の画家は宮廷や教会から依頼されて壁などに絵を描いていたのですが、作業時間というのは大体「○時から○時まで」と決められていていたのです。
ところが名作「最後の審判」を描いている時にかなり切羽詰まった〆切を言い出されたのです。そこで「夜遅くまで作業をするので、その作業分の時間給を別に支払ってくれ」と時間外労働・残業代を要求したのです。
これが記録に残されている世界初の残業手当です。
ミケランジェロは死の間際に「私はまだ神に召されるだけの仕事をしたとは思えないし、何より漸く仕事の基本を覚えたところで死ぬのは残念だ」と言ったと伝えられています。最後の最後まで、自分の才能はもっと上へ行けると願い続けた巨匠だったのです。
投稿者:らぶらじスタッフ
http://www.at-s.com/sbsradio/program/love/2015/09/201598.html