日本人は、世界でも稀な古代血統とされる、Y遺伝子D系統を多く持つ人種に分類される | 日本のお姉さん

日本人は、世界でも稀な古代血統とされる、Y遺伝子D系統を多く持つ人種に分類される

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日本人を遺伝子から見直すと。

日本人は、世界でも稀な古代血統とされる、Y遺伝子D系統を多く持つ人種に分類されると言うのです。

島国って、大陸より古い時代のものが残りやすいって言うけど。

日本人も、その例に漏れないわけですか。

日本人は、Y染色体DNAのD系統を高頻度で持つ事で有名だそうです。

Y染色体は、父親から息子に受け継がれる遺伝子です。

それくらい、知ってますよ。

Y染色体DNAのD系統は、日本人とチベット人や中近東の人の他には、世界のどこにもほとんど存在しないのですって。

え!

江戸時代に日本に訪れ天皇に謁見した欧米人は、「日本の皇族は中東系である」という発言を残したほどです。

そういえば、イラクの故フセイン元大統領の会見で背後にあった紋章に、日本の皇室のものと似ているという声が上がった。

フセインは、中東に古代から伝わる王家の紋章だと、一蹴したけど。

日本人は韓国人よりも、二重瞼が多く立体的な容姿が多いです。

現在の日本の皇族は、一重瞼が多いです。
それは、昭和天皇の皇后の血筋の影響です。

それ以前は、比較的彫の深い濃い顔が多いです。

現在でも昭和天皇皇后の血を継いでいない傍系の皇族方は、二重瞼の彫の深いお顔立ちの方々が多いですよね。

じゃあ、古代エジプト神話と日本神話の類似は、偶然じゃないってことね!

太陽神を中心に、動物神を含む八百万の神が崇拝され、三神構造を持つことが最大の類似ですよね。

古代エジプトの死者の書には、太陽神ラーは聖なる猫(neko)の姿で、 ナイフを持って進路を妨げる蛇のアボビスと戦う姿が描かれる。

「牡猫」は太陽神の象徴で、 バステト女神は熟した作物への太陽の力を表したのでしょ。

太陽神を最高神とする日本の神職は、禰子(neko)から選ばれる。

これ知ったとき、思わず笑っちゃったけど。

日本のすぐ近くの朝鮮半島や中国人は、アジア特有のO系統ですって。

東アジアの地域全体には、アジア系O系統が広く分布しているのです。

島国の日本や山岳のチベットにのみ、D系統が残ったと考えられる。

Y遺伝子のD2系統は、韓国は、ほぼ0%だそうです。

一方、チベット33%、アイヌ人88%、沖縄人56%、本土日本42%から56%ですって。

本土日本人のD系統は、半数以上ね。

アイヌにはアジア主流のO系統は無く、完全なD系統です。
本土日本人と沖縄人には、O系統が混ざっているのですけど。

事実上アイヌと本土日本人は、大差がない。

日本人は基本的に共通して、アイヌ人や本土日本人そして沖縄人までD系統といえるそうですね。

アイヌにアジア主流のO系統を足したのが、本土日本人となる。

古代に中近東から来た人々は、その大半がチベットと日本に定住した。

このD系統はYAP型とも言われ、Y遺伝子の中でも非常に古い系統だそうですよ。

日本人のYAP型は、YAP(-)遺伝子だそうですね。

YAP型は、Y染色体に存在する、300塩基配列で構成される遺伝子の事です。

民族の特徴が現れる事で注目されている、因子です。

YAP(-)遺伝子は、日本人特有であると強調する人もいるのでしょ。

古代イスラエル人と、日本人くらいしかいないと、指摘する人もいます。

これじゃあ日ユ同祖論が、出てくるわけだわ…。

スメル渡来説も、ありますよ。

そうそう。

D系統はアジア人種よりも、地中海沿岸や中東に広く分布するE系統の仲間なのですって。

キップリングが長崎で見た、バスク人似の若者もご先祖はバスク人だったりするのかしら。

バスク人と日本人、顔ばかりか、気質も似ているって言うのですからね。
可能性を否定できないかも。

遺伝子を、比べてみたい…。

それと、イタリアに、日本人と顔や体つき、食文化の似た人たちが、日本と似た風土の国土に住んでるのも偶然じゃないでしょうね。

科学的に、裏付けがとれる日も近いかしら。

誰か、調べてくれたら良いですけどね。

追記

日本人の大半はYAPマイナス遺伝子だが、アイヌと琉球民族はYAPプラス遺伝子を持つ事がわかっています。

YAP遺伝子は、D2系統とO2b系統が存在するD系統に属しています。

D系統は アジア人種よりも地中海沿岸や中東に広く分布するE系統の仲間であり、Y染色体の中でも非常に古い系統です。
2010年1月22日 (金)
http://cova-nekosuki.cocolog-nifty.com/blog/2010/01/post-ac91.html

改めて日本人を遺伝子から見てみた。
2012年11月1日、このような記事が各種報道で伝えられました。

これは、中国新聞のものです。

縄文・弥生混血説を裏付け 日本人の遺伝子解析

日本列島の先住民である縄文人と、朝鮮半島から渡ってきた弥生人とが混血を繰り返して現在の日本人になったとする「混血説」を裏付ける遺伝子解析の結果を、総合研究大学院大(神奈川県)などのチームがまとめ、日本人類遺伝学会が編集する1日付の国際専門誌電子版に発表した。

これまでも同様の研究結果はあったが、今回は1人当たり最大約90万カ所のDNA変異を解析し、結果の信頼性は非常に高いとしている。

チームはこれまで公開されている本土出身者(主に関東居住者)、中国人、欧米人など約460人分のDNAデータに、アイヌ民族と沖縄出身者の計71人分を新たに加えて解析した。

その結果、アイヌ民族と遺伝的に最も近いのは沖縄出身者で、次が本土出身者と判明した。

本土出身者は韓国人とも近かった。

この結果は、日本人全般が縄文人の遺伝子を受け継いでいる一方、本土出身者は弥生人との混血の度合いが大きく、混血しながら北海道や沖縄方面に広がっていったと解釈できるという。

日本人の起源は縄文人がそのまま各地の環境に適応した「変形説」、縄文人を弥生人が追い出して定着した「人種置換説」も知られているが、総研大の斎藤成也(さいとう・なるや)教授(遺伝学)は「研究結果は混血説のシナリオに一致した」と説明している。

チームは今後、縄文遺跡で見つかる人骨のDNAを分析するなどし、日本人のルーツの解明を進める。

本土出身者は韓国人とも近かったと解釈されているが、その一方で興味深い調査結果も出ています。

モンゴロイドはお酒に弱い アルコール代謝の個人差 酒は、なによりも、適量です。

http://www.suntory.co.jp/arp/main/candrink/index2.html

飲酒と体の基礎知識
アルコール代謝の個人差
モンゴロイドはお酒に弱い

ALDH2の不活性な人は、実はモンゴロイド系の人々の間にしか存在しません。

この不活性型は、アメリカ大陸の先住民のなかにもいますから、彼らがアジアから大移動して行ったはるか以前に、突然変異が起こり、その遺伝子が、世界に広がっていったのでしょう。

ちなみに、白人や黒人の間には、この不活性型はみられません。

ALDH2の低活性型+不活性型の割合

日本 44%
中国 41%
韓国 28%
インド 5%
アメリカ先住民 2~4%
ハンガリー 2%
西ヨーロッパ 0%
中東 0%
アフリカ 0%

原田勝二・Journal of the Anthropological Society of Nippon,Vol 99.NO.2.1991より改変

ALDH2とは、アルデヒドデヒドロゲナーゼ(ALDH)の2型のことです。

2型というからには、当然、1型もあります。

アルコールが体内に入ると、まずアセトアルデヒドに分解されます。

ちなみに、アセトはacetic acid、即ち、酢酸から誘導される物質であることを表しており、炭素数2の有機物であることを示すそうです。

Aceticは、ラテン語で「酢」を表す"acetum"から来ているといいます。

アセトアルデヒドは極めて毒性が強く、顔面の紅潮、頭痛、吐き気、頻脈などの不快な症状を引き起こします。

このアセトアルデヒドを分解するのが、アルデヒドデヒドロゲナーゼ(ALDH)なのです。


アルデヒドデヒドロゲナーゼは、アルデヒド脱水素酵素ともアルデヒド分解酵素とも呼ばれます。

アルデヒドデヒドロゲナーゼには、高濃度になって働くALDH1と、低濃度から働くALDH2があります。

両方備わっていなければ、アルコールの分解によって生じたアセトアルデヒドを着々と分解することはできません。

日本人の場合、約40%の人がALDH2の働きが弱い「低活性型」でお酒に弱く、4%が全くない「不活性型」で全くお酒を飲めない人だと言われています。

面白いことに、このALDH2の低活性型+不活性型の比率に近いのは韓国より中国なのです。

そして、お酒に強いのが、縄文人の血を引く人々と言われます。

そういえば、北海道、東北、九州、沖縄に酒豪が、中部、近畿に下戸が多いと指摘されますね。

中華人民共和国山東省淄博市の市轄区の臨淄(りんし)区で行われた、調査に注目したことがありました。

2500年前から2000年前の500年間に中国の土地から、日本への大規模な人類が移動があったとしか思えない内容でしたね。

調査対象となった山東省は、徐福で知られる土地でもあります。

徐福が日本に来たとみられる2300年前と言えば、日本では縄文時代後期から弥生時代にあたりますね。

そして神武がいたとすれば、弥生時代になると言われ続けてきました。

まさに、徐福が来た時代と弥生時代、そして、2500年前から2000年前の500年間に中国の土地から日本への大規模な人類が移動があった可能性がある時期は、大きく重なります。

さらに、徐福伝説は済州島など朝鮮半島の地域にもありますね。

縄文時代については、類似の土器がアメリカ大陸から出土したばかりか、フランスやスペインの様式の鏃とともにイギリス人にもアイヌにも似た古代人骨もアメリカから出ています。

アメリカ先住民の下戸の割合は、比較的インドに近いですね。

彼らがインド人と勘違いされたことと合わせると、奇妙な気がします。

インドも、日本人のルーツ探しで注目された土地ですからね。

そしてインドとペルシャは近縁であり、日本にはインドやペルシャの人々から同郷人と勘違いされるほどそっくりな人もいますよね。

トルコも似た人が結構いるし、エジプトも日本と似た顔の人は多そうですよ。

やはり、中東から地中海を経てアメリカさらに日本へと来た縄文人と、中国から朝鮮経由の弥生人という構図のようですね。

それと、日本に弥生人が来たころと今とでは、朝鮮半島では大幅な人類の入れ替わりがあった可能性も見えますね。

中国も、大勢が日本に渡った後、人類入れ替えのあった可能性はありそうですね。

この、朝鮮や韓国に後から来た見られる人々は、どこから来たのかも気になるところですね。

今後の調査が、待たれます。

追記

中華人民共和国山東省淄博市の市轄区の臨淄(りんし)区で行われた調査については、ここで触れたので良かったら見てください。

古代中国の日本人?
http://cova-nekosuki.cocolog-nifty.com/blog/2011/01/post-c0cf.html

追記2

総合研究大学院大学
プレスリリース概要
『日本列島3人類集団の遺伝的近縁性』
http://www.soken.ac.jp/news_all/2719.html

このプレスリリースには、韓国人や朝鮮人は集団としては本土人と同じクラスターに属するとあります。

いいかえれば、ルーツは近縁ではあるが、人種としては別系統ということになり、下戸の比率の差から見ても、そのことは裏付けられています。

記事は明らかに、同じクラスターに属すると言う言葉の意味を勘違いしていることになります。

2012年11月 3日 (土) アメリカ, イギリス, インド, スペイン・ポルトガル, フランス, ペルシャ, 中国, 歴史, 生物, 科学, 食文化 | 固定リンク
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古代中国の日本人?
中国語と英語を含むヨーロッパ系言語では、文法や語順のなどが、非常に似通っているのです。

 中国語は、文字が漢字だから、見た目のイメージはまるで異なる言語にみえますけど。

語族として考えたら、日本語と違って中国語は、ヨーロッパ系言語に近いのです。

平成12年つまり2000年、中国で発見されている遺骨のDNA分析の結果が発表されました。

発表したのは、東大の植田信太郎、国立遺伝学研究所の斎藤成也、中国科学院遺伝研究所の王瀝(WANG Li)らです。

調査の対象となった遺伝子は、次の通りです。

1、約2500年前の春秋時代の人骨
2 約2000年前の漢代の臨淄(りんし)である中国山東省、黄河下流にある春秋戦国時代の斉の都の遺跡から出土した人骨
3 現代の臨淄(りんし)住民

臨淄(りんし)区は、中華人民共和国山東省淄博市の市轄区のことです。

工業都市・交通の要所で、国家歴史文化名城に指定されているのです。

臨淄(りんし)区は、中国春秋時代の斉の首府とされた都市です。

周王室により東海地方に封じられた太公望によって築かれ、最初営丘、のちに名をあらため臨淄(りんし)となりました。

 現代の臨淄(りんし)住民は、比較対象ということですか。

三つの時代の変遷を、見ようというわけですね。

これらの人骨から得たミトコンドリアDNAの比較研究の結果によると、三つの時代の臨淄(りんし)人類集団は、まったく異なる遺伝的構成を持っていました。

どういうことかというと、約2500年前の春秋戦国時代の臨淄(りんし)住民の遺伝子は、現代「ヨーロッパ人」の遺伝子に非常に近いです。

約2000年前の前漢末の臨淄(りんし)住民の遺伝子は、現代の「中央アジアの人々」の遺伝子と非常に近いです。

現代の臨淄(りんし)住民の遺伝子は、現代「東アジア人」の遺伝子と変わらないといいます。

2500年前の中国大陸で、春秋戦国時代を築いていた集団は、現代ヨーロッパ人類集団と遺伝的に近縁な人類集団でした。

 2500年前は、いまの中国人たちとはまるで異なる集団であったのかしら。

言いかえれば、2500年前から2000年前の500年間に、中国の土地では大きな遺伝的変化が生じました。

中国の版図では、大規模な人類の移動があったということです。

ここで注目したいのは、約2500年前の春秋戦国時代の臨淄(りんし)住民の遺伝子は、現代「ヨーロッパ人」の遺伝子に非常に近いことです。

徐福は中国山東省出身の方士であり、呪術、祈祷、薬剤の調合に長け、医薬・天文・占術などに通じた学者であったといいます。

徐福の時代と、臨淄(りんし)住民の遺伝子が現代「ヨーロッパ人」の遺伝子に非常に近かった時代は、ほぼ重なるといっていいです。

 ちょっと待って、それって徐福たちは現代ヨーロッパ人に近い遺伝子を日本にもたらしたってこと。

楊貴妃ギリシャ美人説を、考えたことあったでしょ。

楊貴妃は、楊一族出身の貴い妃ということで、本名ではないですよ。

楊一族の出た土地は、揚子江と呼ばれる長江下流域と見なせるようです。

というより、揚とも記される楊一族の地だったから揚子江と名づけられたのではないかと、論じてきました。

 臨淄(りんし)のある山東省は、長江より黄河の流域でしょ。

古代中国に現代「ヨーロッパ人」の遺伝子に非常に近い人たちがいたこと自体は、遺伝子が語っているのです。

 長江の資料も、裏を取るためには欲しいけどね。

楊貴妃ギリシャ美人説にとっては、つっかえ棒程度には使える情報ですよ。

 徐福には、日本にわたって神武になったという説がある。

 徐福は、現代「ヨーロッパ人」的顔の人たちを連れてきたというの。

日本人の顔を、よく見てくださいね。

東アジアの朝鮮や韓国より、目元の印象は西アジアからさらに西に近いでしょ。

遠目に見ると、ヨーロッパ的に見える顔立ちの人は、日本人って意外といると思いませんか。

日ユ同祖論を批判する人の中には、ユダヤ人は白人風の顔立ちだから来ているわけないという人がいるのです。

でもその人たちは、日本にいる白人的な人がユダヤの末裔と言いたいのかとの反論で、完封されるでしょうね。

白人的な人たちの存在は、徐福はヨーロッパ的な顔だちの人々を連れてきたわけがない、いう人への反論にもなるわけですよ。

さらに、今から2000年ほどまえといえば、仁徳天皇の時代に重なるでしょうね。

天孫一族初代天皇として、日本に君臨したのは仁徳天皇である可能性は極めて高くなっているのです。

 天孫一族が、今から2000年ほど前に現代の「中央アジアの人々」の遺伝子と非常に近い人々を伴ってきた。

キルギスでは、こんな話があるそうです。

「大昔、キルギス人と日本人が兄弟で、肉が好きな者はキルギス人となり、魚が好きな者は東に渡って日本人となった。」

それくらいキルギス人には、日本人とそっくりな顔の人は多いですよ。

キルギス人に間違われ、キルギス語で話しかけられることが多いと証言する人もいるのです。

 2500年前から2000年前の500年間に、中国の土地では大きな遺伝的変化が生じたわけでしょ。

 じゃあ、2500年前から2000年前の500年間に中国の土地から大規模な人類が移動して、彼らは日本に来たわけ。

消去法からいえば、それしかないでしょうね。

さもなければ、過去二回の民族全滅があったかどちらかでしょうね。

全滅の痕跡もなく、どこかに消えたなら大移動しかありえない。

 その大移動の先が、日本。

他にどこがあるでしょう。

2011年1月20日 (木) イスラエル・ユダヤ, ギリシャ, 中国, 歴史 | 固定リンク
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