日本を救った男―吉田昌郎元所長の原発との壮絶な闘いと死
日本を救った男―吉田昌郎元所長の原発との壮絶な闘いと死
門田 隆将 【Profile】
[2013.08.21]他
東日本大震災の際、福島第一原発事故の収束作業を現場で指揮した故・吉田昌郎元所長。吉田氏への長時間インタビュー、多くの関係者取材を行ったノンフィクション作家が、改めて吉田元所長の闘いを振り返る。
「お疲れさまでした。本当にありがとうございました」
7月9日午前11時32分、吉田昌郎・福島第一原発元所長が亡くなったという一報を吉田さんの親友からもらった時、私はそうつぶやいて胸の前でそっと手を合わせた。
吉田さんは、最後まで原子力発電に携わる人間としての「本義」を忘れず、「チェルノブイリ事故の10倍」規模の被害に至る事態をぎりぎりで回避させ、文字通り、「日本を救った男」だった。今も東京に住み続けている一人として、吉田さんへの心からの感謝の念が込み上げてきたのである。
国家の「死の淵」で闘い、「戦死」した男
吉田さんは、昨年2月7日に食道がんの手術を受け、回復するかにみえたが、7月26日に今度は脳内出血で倒れ、二度の開頭手術とカテーテル手術を受けた。
しかし、がん細胞は肝臓へと転移、最後は、肺にも転移し、太腿に肉腫もでき、肝臓の腫瘍はこぶし大になっていた。
そのことを聞いていた私は、「いつかはこの日が来る」ことを覚悟していた。吉田さんは暴走しようとする原子炉と闘い、過剰介入を繰り返す首相官邸とも闘い、時には、理不尽な要求をする東京電力本店とも闘った。自分だけでなく、国家の「死の淵」に立って究極のストレスの中で闘った吉田さんは、58歳という若さで「戦死」したのだと私は思っている。
昨年7月に脳内出血で倒れる前、私の二度にわたる都合4時間半のインタビューを受けてくれた。それは、あらゆるルートを通じて1年3カ月も説得作業を続けた末のインタビューだった。
初めて会った吉田さんは、184センチという長身だが、闘病生活で痩せ、すっかり面変わりしていた。吉田さんは、それでも生来の明るさとざっくばらんな表情で、さまざまなことを私に語ってくれた。
前述のように、あそこで被害の拡大を止められなかったら、原子炉の暴走によって「チェルノブイリ事故の10倍」規模の被害になったこと、そして、それを阻止するべく原子炉冷却のための海水注入活動を行い、汚染された原子炉建屋へ突入を繰り返した部下たちの姿を詳細に語ったのである。
官邸、東電上層部の命に反して、断固として海水注入を続行
吉田さんは、いち早く自衛隊に消防車の要請をし、海水注入のためのライン構築を実行させ、1号機の原子炉格納容器爆発を避けるための「ベント」(格納容器の弁を開けて放射性物質を含む蒸気を排出する緊急措置)の指揮を執っている。空気ボンベを背負ってエアマスクをつけ、炎の中に飛び込む耐火服まで身に着けての決死の「ベント作業」は、すさまじいものだった。
その決死の作業を行った部下たちは、私のインタビューに、「吉田さんとなら一緒に死ねる、と思っていた」「所長が吉田さんじゃなかったら、事故の拡大は防げなかったと思う」。そう口々に語った。自分の命をかけて放射能汚染された原子炉建屋に突入する時、心が通い合っていない上司の命令では、“決死の突入”を果たすことはできないだろう。
吉田さんは、彼らが作業から帰ってくると、その度に一人一人の手をとって、「よく帰ってきてくれた! ありがとう」と、労をねぎらった。
テレビ会議で本店にかみつき、一歩も引かない吉田さんの姿を見て、部下たちは、ますます吉田さんのもとで心がひとつになっていった。吉田さんらしさが最も出たのは、なんといっても官邸に詰めていた東電の武黒一郎フェローから、官邸の意向として海水注入の中止命令が来た時だろう。「官邸がグジグジ言ってんだよ! いますぐ止めろ」
武黒フェローの命令に吉田さんは反発した。「なに言ってるんですか! 止められません!」
海水注入の中止命令を敢然と拒否した吉田さんは、今度は東電本店からも中止命令が来ることを予想し、あらかじめ担当の班長のところに行って、「いいか、これから海水注入の中止命令が本店から来るかもしれない。俺がお前にテレビ会議の中では海水注入中止を言うが、その命令は聞く必要はない。そのまま注入を続けろ。いいな」。そう耳打ちしている。案の定、本店から直後に海水注入の中止命令が来る。だが、この吉田さんの機転によって、原子炉の唯一の冷却手段だった海水注入は続行されたのである。
多くの原子力専門家がいる東電の中で、吉田さんだけは、原子力に携わる技術者としての本来の「使命」を見失わなかったことになる。
次ページ 最後まで現場で闘った「フクシマ69」
最後まで現場で闘った「フクシマ69」
2011年3月15日早朝、いよいよ2号機の格納容器の圧力が上昇して最大の危機を迎えた時、吉田さんは「一緒に死んでくれる人間」の顔を一人一人思い浮かべ、その選別をする場面を私に語ってくれた。
吉田さんは指揮を執っていた免震重要棟二階の緊急時対策室の席からふらりと立ち上がったかと思うと、今度はそのまま床にぺたんと座り込んで頭を垂れ、瞑想を始めた。それは、座禅を組み、なにか物思いにふけっているような姿だった。
「あの時、海水注入を続けるしか原子炉の暴走を止める手段はなかったですね。水を入れる人間を誰にするか、私は選ばなければなりませんでした。それは誰に“一緒に死んでもらうか”ということでもあります。こいつも一緒に死んでもらうことになる、こいつも、こいつもって、次々、顔が浮かんできました。最初に浮かんだのは、自分と同い年の復旧班長です。高卒で東電に入った男なんですけど、昔からいろんなことを一緒にやってきた男です。こいつは一緒に死んでくれるだろうな、と真っ先に思いました…」
生と死を考える場面では、やはり若い時から長くつき合ってきた仲間の顔が浮かんだ、と吉田さんは語った。
「やっぱり自分と年嵩(としかさ)が似た、長いこと一緒にやってきた連中の顔が浮かんできましてね。死なせたらかわいそうだなと思ったんですね。だけど、ここまできたら、水を入れ続けるしかねぇんだから、最後はもう諦めてもらうしかねぇのかな、と。そんなことがずっと頭に去来しながら、座ってたんですね…」
それは、壮絶な場面だった。この時、のちに欧米メディアから“フクシマ・フィフティ(Fukushima 50)”と呼ばれて吉田さんと共に現場に残った人間は、実際には「69
人」いた。
どんなことになろうと、俺たちが原子炉の暴走を止める—その思いは、事故に対処した福島第一原発の現場の人間に共通するものだっただろう。こうしてあきらめることのない吉田さんたちの格闘は、ついに福島が壊滅し、日本が「3分割」される事態を食い止めた。
津波対策にも奔走していた矢先に発生した大震災
吉田さんの死後、反原発を主張するメディアが、「吉田は津波対策に消極的な人物だった」というバッシングを始めたことに私は驚いた。それは、まったく事実に反するからだ。
吉田さんは、2007年4月に本店の原子力設備管理部長に就任した。その時から、津波について研究を続けている。
土木学会の津波評価部会が福島県沖に津波を起こす「波源」がないことを公表し、日本の防災の最高機関である中央防災会議(本部長・総理大臣)が、「福島沖を防災対策の検討対象から除外する」という決定を行っていたにもかかわらず、吉田さんは明治三陸沖地震(1896年岩手県三陸沖で発生、津波による犠牲者が約22000人)を起こした波源が「仮に福島沖にあった場合はどうなるか」という、いわば“架空の試算”を行わせた。これによって「最大波高15.7メートル」という試算結果を得ると、今度は、土木学会の津波評価部会に正式に「波源の策定」の審議を依頼している。
さらに吉田さんは、西暦869年の貞観(じょうがん)津波の波高を得るために堆積物調査まで行い、「4メートル」という調査結果を得ている。
巨大防潮堤の建設は、簡単なものではない。仮に本当に大津波が来て巨大防潮堤にぶち当たれば、津波は横にそれ、周辺集落へ大きな被害をもたらすことになる。巨大防潮堤は、海の環境も変えてしまうので、漁業への影響ほか「環境影響評価(環境アセスメント)」など、クリアしなければいけない問題もある。
吉田さんは、津波対策に「消極的」どころか、その対策をとるため、周辺自治体を説得できるオーソライズされた「根拠」を得ようと、最も「積極的」に動いた男だったのである。
しかし、その途中でエネルギー量が阪神淡路大震災の358倍、関東大震災の45倍という、どの学会も研究機関も予想し得なかった「過去に類例を見ない巨大地震」が襲った。福島第一原発の所長となっていた吉田さんは、自らの命を賭けてこの事故と闘った。
吉田さんのもと、心をひとつにした部下たちが放射能汚染された原子炉建屋に何度も突入を繰り返し、ついに最悪の事態は回避された。吉田さんが、「あの時」「あそこにいた」からこそ、日本が救われたのである。
(2013年8月14日 記、タイトル写真=福島第一原子力発電所の免震重要棟で、報道陣の質問に答える吉田昌郎所長<中央>[2011年11月12日、写真提供=読売新聞 / アフロ])
http://www.nippon.com/ja/currents/d00093/?pnum=1
健康体が1年で末期がん、2年で死亡した福島第一原発吉田元所長
2013年07月18日 | 放射能と情報操作
『普通なら最短でも5年~10年はかかる食道がんの発症』
がんは細胞分裂で増殖するので、検診で見つかる1センチ以上の大さになるには通常15年の時間が必要とされている。(1年で倍以上になるので早期発見には毎年のがん検診が大事)
3・11のレベル7のメルトダウン事故から9ヶ月間、福島第1原子力発電所内で直接陣頭指揮を執っていた吉田元所長が58歳の若さで食道がんで死亡する。
早すぎる元所長の死に対して東京電力はすぐさま、『吉田元所長の死と被曝との直接的な関係はない』との公式見解を発表している。
そもそもレベル7のチェルノブイリ原発事故での『被曝との直接的な因果関係がある』と、現在の国連やIAEAが公式に認めているのは6000人ほどの小児甲状腺がんの発症だけなのです。
原発由来の放射線被曝による健康被害を立証することは現在の医学では極めて困難で、『ほとんど不可能』である。
放射線以外の他の原因でも、同じ病気が発症する。
科学的に『これは間違いなく被曝が原因だ』と、明確に断定出来ないのが現状なのです。
このことを理由(逃げ道?)として、極めて被曝と病気の発症の因果関係が深いと思われる小児の急性白血病さえ、一切これ等の国際機関は放射性被害とは認めていない。
その意味では東京電力が今回小児甲状腺癌ではなくて、成人の食道がんだった吉田元所長の死と『原発事故の被曝との直接的な関係はない』と即座に主張するのは当然である。
今回の『食道がんは被曝とは無関係』との、東京電力の発表は何の不思議も無かった。
『吉田元所長の死と原発事故の、何らかの関連を認めている東電』
今回の『吉田元所長の死と被曝との直接的な関係はない』との東電発表で一番大事なのは、実は(みんなが注目する)『関係ない』の言葉ではない。
その直前にさりげなく抽入されている(注目度が低い)『直接的な』の言葉が、もっとも大事な意味を持っているのである。
テレビCMで樹木希林の頭に『それなりに』を付ければ、あれ不思議。不美人が表現上だけは反対の美人に変化する。
直後の『言葉』の意味を180度反対にする『それなりに』の言葉と同じ面白い働きが、2年前に枝野幸男がテレビで何回も繰り返した『直ちに』(食べても健康に影響が無い)とか、今回の東電発表の『直接的な』(関係は無い)が持っているのである。
典型的な無責任官僚体質の東京電力でも今回だけは、自分たちの同僚である吉田所長の無念の早すぎる死を目撃して、3・11原発事故との因果関係を薄々認めているのである。
『原発事故と発病の因果関係を認めていた吉田昌郎前所長』(フライデーの2012年2月10日号インタビュー)
それまで一切沈黙していた吉田昌郎福島第一原発前所長は食道がん手術を前に2012年02月04日(土) 『私のがんは、ステージ3だと医者からは言われています。今となっては、
淡々と入院して、手術をするだけですよ』とフライデーのインタビューに答えている。
吉田所長は自分の避けられない死を悟っていたのだろう。
『診察結果は食道がんということです。ステージは・・・厳し目に言うとⅣ(最末期)に近いと言われていたんだけど』。
食道がんと被曝との因果関連を問われて、
『今の病状だけで言えば、放射線の影響は直接ないんじゃないかなあ、
と私もそう思っています』
と一応は否定するが、
最後に受けた癌検査の時期については、
『一昨年の秋です。ウチの会社ではいつも秋に人間ドックレベルの検診をやっているんですが、その時には何にもなかったんです。
バリウムを飲んで食道と胃の検査をして、写真も両方見ましたが何にもない。
素人が見て分かるかどうかは別として、きれいなんです。』
2010年の秋の人間ドックでは健康体だったのです。
ところが1年後に事態は突然急変する。
『しかし、病気が分かった時の検査の写真を見ると、ちょうど喉のところに引きずっているような異常がある。素人が見て、何か異常があるなという程度』。
素人目にも分かるほど悪化していた。
前年に無かったが東日本大震災を経た後に突然ステージⅢの後期の異常が出た検査の結果に対しては冷静に、
『一昨年(2010年)は医者にも何もなかったと言っているので、
まあ、やっぱりこの事故の、あれだと思うんですけども・・・』
と、吉田昌郎元所長は正直に2011年3月11日の福島第一原発のメルトダウン事故との因果関係をはっきりと認めている。
突然のアクシデントともいえる末期がん(ステージⅣに近いⅢ)の異常事態は、吉田昌郎でなくても誰が考えても『3・11』しか思い浮かばないのである。
『福島の子供達の約6000人に1人の割合で小児甲状腺癌が発症している日本の悪夢』
小児甲状腺がんは極めて珍しく通常は100万人当たり0~1人(厚生労働省)1~2人(甲状腺学会)程度の疾患なのです。
福島県の人口は200万人なので、去年9月に1人目発症が発表された時に『原発とは一切無関係』と頭から突っぱねた。
たしかに、どれ程低い確率でも6億円の宝籤に当たる人もいれば運悪く小児甲状腺がんになる子供も出る。しかし6億円が連続して当たればアウト。詐欺など別の原因が疑われる。
2ヵ月後の11月の2人目の時には、日本中が大慌て。
二人目発症なのに日本のマスコミは(地元なので騙せない福島県を除き)『一人目が発症』と嘘八百の大本営発表を行って、何と野田佳彦は突然衆議院を解散して、100%負ける総選挙を行った。
万事休す。
形勢不利を悟って、自分から政権を放り出して多分自民党に大政奉還したのです。
民主党の野田佳彦から政権を譲り渡された現在の安倍自民党政府は、今年2月の北朝鮮の核実験でマスコミが大騒ぎしている隙を突いて、3万8千人中で小児甲状腺癌が3人確定7人疑いと発表する。
確定とは甲状腺の全摘出のことで、疑いとは細胞診断が陽性で摘出手術を待っている状態のことなので、『発症者は10人である』と福島県検討委のトップの山下俊一福島県立医大副学長は断言している。
ところが4ヵ月後の6月には事態はもっと深刻になる。
17万人分の検査結果では数十人が発症。
今の日本国の『避けられない破滅』との余りにも目の前の現実が恐ろしいので、すべてのマスメディアは全員一致の大政翼賛会で、気休め程度の意味の無い大本営発表を繰り返しているのが現状です。
『住民被曝の極悪犯罪者が公職に立候補する腹立たしい茶番劇』
世界中の組織や個人を盗聴していた国家の違法を暴露した正義の人エドワード・スノーデンを、悪事の張本人のアメリカが訴追する逆さま現象が起きている。
我が日本国では一律15分間12000円の明朗会計の飛田の管理売春の顧問弁護士だった橋下徹が始めた不真面目な維新の会の政治ごっこを天まで持ち上げるマスコミの不見識。同じ逆さま現象だがレベルが低すぎる。
管理売春は日本では明確に違法であり如何なる公職にもつく資格が、そもそも橋下徹には無いのである。
メルトダウンした福島第一原発の爆発で発生した放射能雲(プルーム)は3月13日には北東の福島県飯館村方面に、15~16日には南の千葉県や東京都方面を襲って大勢の住民を被曝させるが、正しく予測していたSPEEDIは監督官庁である文科省は表に出さず隠蔽する。
原発事故後子供の被曝量の1mSvの基準値を一気に20倍した荒業を繰り出したのも文科省であるが、何れも鈴木寛文科副大臣が主導したと言われている。
ところが民主党は反原発派の現職女性候補を下ろしてまで原発推進派の鈴木寛元文科副大臣を東京都の候補に一本化。
『貧すれば鈍す』とは言うが幾ら民主党が落ち目でも、これは許され無い暴挙である。
今回の参議院選挙では、政府の意識的怠慢によって無意味に大量被曝させられた一般市民によって極悪民主党に天誅が下ることを祈らずにはいられない。
もちろん3・11時点で、たまたま政権にいた無能な民主党よりも、世界に冠たる地震列島に54基もの原発を建設して安全神話の原子力ムラを育成した超無責任で極悪な自民党が民主党の20000倍は悪いことは言うまでも無い。
『経済的理由では無かった、日本国の原子力発電』
7月16日付け毎日新聞コラム『原発、再稼働を聞く』で寺島実郎が『国際情勢 見誤るな』との興味ある記事を書いている。
対米従属の立場から恥知らずにも、軍事と一体となっている日本の原発の危険すぎる意味を正直に語っている。
破廉恥な寺島実郎ですが、『原発は日本の核の機微技術の確保が目的』との能天気な軍事オタクの石破茂と同じで、『良くぞ。そこまで言い切った』と、ある意味では天晴れで拍手したいくらいである。
『日米は「原子力共同体」の関係を築いた。』
『オバマ政権にとって、日本の原子力産業は必要不可欠な存在だ。』
『日本が自国の判断だけで脱原発に向かうのは現実問題として無理がある。』
『原子力は軍事(核兵器)と民生(原発)とが表裏一体の関係。』
『日米安全保障条約で米国の核の傘に守られながら、日本が脱原発を唱えることは「甘えの構造」と言える。』
『「原発ゼロ」を選ぶなら(日米同盟関係の変化も辞さない)相当の覚悟が必要だ。』
と経済的な意味では全くなかった、(日米安保条約と連動していて、軍事目的が主)日本の原子力発電の意味が実に分かりやすい。
そもそも原発は経済的に成り立たない施設だったのである。
『すでに完全にメルトダウンしている自民党』
今回の参議院選挙で3・11時点で偶然政権にいた無能な民主党の悪事が目立つので大敗北し、自民党が大勝ちそうだとマスコミが言っているが完璧に狂っている。
本来なら自民党は2年前、レベル7の原発事故発生時点で自主的に解散していて、極悪利権集団の原子力ムラに関係していた幹部連中は全員が逮捕され、市中引き回しの上で打ち首獄門になっているのが正しい。
ところが自民党は解散していないし、もちろん誰一人も逮捕されていない。
無責任の極みであり、無茶苦茶。
日本国の人口で4割、国土面積で3分の1が福島第一原発のメルトダウン事故で被害を受け毀損されているのですよ。
安倍晋三や自民党は『日本を取り戻す』と言うが、2年前の3月11日に昔の美しく清浄だった日本は失われたのですから、これ以上に腹立たしい話は無い。
『日本を取り戻す』との主張自体が、いくら正しくとも原発事故の張本人である自民党にはそもそも言う資格が無いのである。
『お前だけは言うな!!。』
関連記事
福島県の小児甲状腺がんの爆発的発症で日本全体が茫然自失「言葉を失う」
2013年06月11日 | 政治
チェルノブイリの4年後より10倍悪い福島県「小児甲状腺がんが爆発的発症」
2013年06月08日 | 放射能と情報操作
NHK「核を求めた日本」原子力発電は核機微技術の確保目的
2011年08月24日 | 軍事、外交
福島第一原発事故の損害額はいくらか、幻の半世紀前の政府試算
2011年07月12日 | 放射能と情報操作
http://blog.goo.ne.jp/syokunin-2008/e/e6727ab5813845b4d205725400119f07
吉田さんらしさが最も出たのは、なんといっても官邸に詰めていた東電の武黒一郎フェローから、官邸の意向として海水注入の中止命令が来た時だろう。「官邸がグジグジ言ってんだよ! いますぐ止めろ」
武黒フェローの命令に吉田さんは反発した。「なに言ってるんですか! 止められません!」
~~~~~~
官邸がグジグジじ言うから東電から停止命令がはっきり出ているじゃん。↑
やはり、管元首相が何か言ったんだよ。海水注入を止めろと言ったんだよ。または、海水注水を続けたら不味いと東電が判断するようなことを言ったんだよ。
門田 隆将 【Profile】
[2013.08.21]他
東日本大震災の際、福島第一原発事故の収束作業を現場で指揮した故・吉田昌郎元所長。吉田氏への長時間インタビュー、多くの関係者取材を行ったノンフィクション作家が、改めて吉田元所長の闘いを振り返る。
「お疲れさまでした。本当にありがとうございました」
7月9日午前11時32分、吉田昌郎・福島第一原発元所長が亡くなったという一報を吉田さんの親友からもらった時、私はそうつぶやいて胸の前でそっと手を合わせた。
吉田さんは、最後まで原子力発電に携わる人間としての「本義」を忘れず、「チェルノブイリ事故の10倍」規模の被害に至る事態をぎりぎりで回避させ、文字通り、「日本を救った男」だった。今も東京に住み続けている一人として、吉田さんへの心からの感謝の念が込み上げてきたのである。
国家の「死の淵」で闘い、「戦死」した男
吉田さんは、昨年2月7日に食道がんの手術を受け、回復するかにみえたが、7月26日に今度は脳内出血で倒れ、二度の開頭手術とカテーテル手術を受けた。
しかし、がん細胞は肝臓へと転移、最後は、肺にも転移し、太腿に肉腫もでき、肝臓の腫瘍はこぶし大になっていた。
そのことを聞いていた私は、「いつかはこの日が来る」ことを覚悟していた。吉田さんは暴走しようとする原子炉と闘い、過剰介入を繰り返す首相官邸とも闘い、時には、理不尽な要求をする東京電力本店とも闘った。自分だけでなく、国家の「死の淵」に立って究極のストレスの中で闘った吉田さんは、58歳という若さで「戦死」したのだと私は思っている。
昨年7月に脳内出血で倒れる前、私の二度にわたる都合4時間半のインタビューを受けてくれた。それは、あらゆるルートを通じて1年3カ月も説得作業を続けた末のインタビューだった。
初めて会った吉田さんは、184センチという長身だが、闘病生活で痩せ、すっかり面変わりしていた。吉田さんは、それでも生来の明るさとざっくばらんな表情で、さまざまなことを私に語ってくれた。
前述のように、あそこで被害の拡大を止められなかったら、原子炉の暴走によって「チェルノブイリ事故の10倍」規模の被害になったこと、そして、それを阻止するべく原子炉冷却のための海水注入活動を行い、汚染された原子炉建屋へ突入を繰り返した部下たちの姿を詳細に語ったのである。
官邸、東電上層部の命に反して、断固として海水注入を続行
吉田さんは、いち早く自衛隊に消防車の要請をし、海水注入のためのライン構築を実行させ、1号機の原子炉格納容器爆発を避けるための「ベント」(格納容器の弁を開けて放射性物質を含む蒸気を排出する緊急措置)の指揮を執っている。空気ボンベを背負ってエアマスクをつけ、炎の中に飛び込む耐火服まで身に着けての決死の「ベント作業」は、すさまじいものだった。
その決死の作業を行った部下たちは、私のインタビューに、「吉田さんとなら一緒に死ねる、と思っていた」「所長が吉田さんじゃなかったら、事故の拡大は防げなかったと思う」。そう口々に語った。自分の命をかけて放射能汚染された原子炉建屋に突入する時、心が通い合っていない上司の命令では、“決死の突入”を果たすことはできないだろう。
吉田さんは、彼らが作業から帰ってくると、その度に一人一人の手をとって、「よく帰ってきてくれた! ありがとう」と、労をねぎらった。
テレビ会議で本店にかみつき、一歩も引かない吉田さんの姿を見て、部下たちは、ますます吉田さんのもとで心がひとつになっていった。吉田さんらしさが最も出たのは、なんといっても官邸に詰めていた東電の武黒一郎フェローから、官邸の意向として海水注入の中止命令が来た時だろう。「官邸がグジグジ言ってんだよ! いますぐ止めろ」
武黒フェローの命令に吉田さんは反発した。「なに言ってるんですか! 止められません!」
海水注入の中止命令を敢然と拒否した吉田さんは、今度は東電本店からも中止命令が来ることを予想し、あらかじめ担当の班長のところに行って、「いいか、これから海水注入の中止命令が本店から来るかもしれない。俺がお前にテレビ会議の中では海水注入中止を言うが、その命令は聞く必要はない。そのまま注入を続けろ。いいな」。そう耳打ちしている。案の定、本店から直後に海水注入の中止命令が来る。だが、この吉田さんの機転によって、原子炉の唯一の冷却手段だった海水注入は続行されたのである。
多くの原子力専門家がいる東電の中で、吉田さんだけは、原子力に携わる技術者としての本来の「使命」を見失わなかったことになる。
次ページ 最後まで現場で闘った「フクシマ69」
最後まで現場で闘った「フクシマ69」
2011年3月15日早朝、いよいよ2号機の格納容器の圧力が上昇して最大の危機を迎えた時、吉田さんは「一緒に死んでくれる人間」の顔を一人一人思い浮かべ、その選別をする場面を私に語ってくれた。
吉田さんは指揮を執っていた免震重要棟二階の緊急時対策室の席からふらりと立ち上がったかと思うと、今度はそのまま床にぺたんと座り込んで頭を垂れ、瞑想を始めた。それは、座禅を組み、なにか物思いにふけっているような姿だった。
「あの時、海水注入を続けるしか原子炉の暴走を止める手段はなかったですね。水を入れる人間を誰にするか、私は選ばなければなりませんでした。それは誰に“一緒に死んでもらうか”ということでもあります。こいつも一緒に死んでもらうことになる、こいつも、こいつもって、次々、顔が浮かんできました。最初に浮かんだのは、自分と同い年の復旧班長です。高卒で東電に入った男なんですけど、昔からいろんなことを一緒にやってきた男です。こいつは一緒に死んでくれるだろうな、と真っ先に思いました…」
生と死を考える場面では、やはり若い時から長くつき合ってきた仲間の顔が浮かんだ、と吉田さんは語った。
「やっぱり自分と年嵩(としかさ)が似た、長いこと一緒にやってきた連中の顔が浮かんできましてね。死なせたらかわいそうだなと思ったんですね。だけど、ここまできたら、水を入れ続けるしかねぇんだから、最後はもう諦めてもらうしかねぇのかな、と。そんなことがずっと頭に去来しながら、座ってたんですね…」
それは、壮絶な場面だった。この時、のちに欧米メディアから“フクシマ・フィフティ(Fukushima 50)”と呼ばれて吉田さんと共に現場に残った人間は、実際には「69
人」いた。
どんなことになろうと、俺たちが原子炉の暴走を止める—その思いは、事故に対処した福島第一原発の現場の人間に共通するものだっただろう。こうしてあきらめることのない吉田さんたちの格闘は、ついに福島が壊滅し、日本が「3分割」される事態を食い止めた。
津波対策にも奔走していた矢先に発生した大震災
吉田さんの死後、反原発を主張するメディアが、「吉田は津波対策に消極的な人物だった」というバッシングを始めたことに私は驚いた。それは、まったく事実に反するからだ。
吉田さんは、2007年4月に本店の原子力設備管理部長に就任した。その時から、津波について研究を続けている。
土木学会の津波評価部会が福島県沖に津波を起こす「波源」がないことを公表し、日本の防災の最高機関である中央防災会議(本部長・総理大臣)が、「福島沖を防災対策の検討対象から除外する」という決定を行っていたにもかかわらず、吉田さんは明治三陸沖地震(1896年岩手県三陸沖で発生、津波による犠牲者が約22000人)を起こした波源が「仮に福島沖にあった場合はどうなるか」という、いわば“架空の試算”を行わせた。これによって「最大波高15.7メートル」という試算結果を得ると、今度は、土木学会の津波評価部会に正式に「波源の策定」の審議を依頼している。
さらに吉田さんは、西暦869年の貞観(じょうがん)津波の波高を得るために堆積物調査まで行い、「4メートル」という調査結果を得ている。
巨大防潮堤の建設は、簡単なものではない。仮に本当に大津波が来て巨大防潮堤にぶち当たれば、津波は横にそれ、周辺集落へ大きな被害をもたらすことになる。巨大防潮堤は、海の環境も変えてしまうので、漁業への影響ほか「環境影響評価(環境アセスメント)」など、クリアしなければいけない問題もある。
吉田さんは、津波対策に「消極的」どころか、その対策をとるため、周辺自治体を説得できるオーソライズされた「根拠」を得ようと、最も「積極的」に動いた男だったのである。
しかし、その途中でエネルギー量が阪神淡路大震災の358倍、関東大震災の45倍という、どの学会も研究機関も予想し得なかった「過去に類例を見ない巨大地震」が襲った。福島第一原発の所長となっていた吉田さんは、自らの命を賭けてこの事故と闘った。
吉田さんのもと、心をひとつにした部下たちが放射能汚染された原子炉建屋に何度も突入を繰り返し、ついに最悪の事態は回避された。吉田さんが、「あの時」「あそこにいた」からこそ、日本が救われたのである。
(2013年8月14日 記、タイトル写真=福島第一原子力発電所の免震重要棟で、報道陣の質問に答える吉田昌郎所長<中央>[2011年11月12日、写真提供=読売新聞 / アフロ])
http://www.nippon.com/ja/currents/d00093/?pnum=1
健康体が1年で末期がん、2年で死亡した福島第一原発吉田元所長
2013年07月18日 | 放射能と情報操作
『普通なら最短でも5年~10年はかかる食道がんの発症』
がんは細胞分裂で増殖するので、検診で見つかる1センチ以上の大さになるには通常15年の時間が必要とされている。(1年で倍以上になるので早期発見には毎年のがん検診が大事)
3・11のレベル7のメルトダウン事故から9ヶ月間、福島第1原子力発電所内で直接陣頭指揮を執っていた吉田元所長が58歳の若さで食道がんで死亡する。
早すぎる元所長の死に対して東京電力はすぐさま、『吉田元所長の死と被曝との直接的な関係はない』との公式見解を発表している。
そもそもレベル7のチェルノブイリ原発事故での『被曝との直接的な因果関係がある』と、現在の国連やIAEAが公式に認めているのは6000人ほどの小児甲状腺がんの発症だけなのです。
原発由来の放射線被曝による健康被害を立証することは現在の医学では極めて困難で、『ほとんど不可能』である。
放射線以外の他の原因でも、同じ病気が発症する。
科学的に『これは間違いなく被曝が原因だ』と、明確に断定出来ないのが現状なのです。
このことを理由(逃げ道?)として、極めて被曝と病気の発症の因果関係が深いと思われる小児の急性白血病さえ、一切これ等の国際機関は放射性被害とは認めていない。
その意味では東京電力が今回小児甲状腺癌ではなくて、成人の食道がんだった吉田元所長の死と『原発事故の被曝との直接的な関係はない』と即座に主張するのは当然である。
今回の『食道がんは被曝とは無関係』との、東京電力の発表は何の不思議も無かった。
『吉田元所長の死と原発事故の、何らかの関連を認めている東電』
今回の『吉田元所長の死と被曝との直接的な関係はない』との東電発表で一番大事なのは、実は(みんなが注目する)『関係ない』の言葉ではない。
その直前にさりげなく抽入されている(注目度が低い)『直接的な』の言葉が、もっとも大事な意味を持っているのである。
テレビCMで樹木希林の頭に『それなりに』を付ければ、あれ不思議。不美人が表現上だけは反対の美人に変化する。
直後の『言葉』の意味を180度反対にする『それなりに』の言葉と同じ面白い働きが、2年前に枝野幸男がテレビで何回も繰り返した『直ちに』(食べても健康に影響が無い)とか、今回の東電発表の『直接的な』(関係は無い)が持っているのである。
典型的な無責任官僚体質の東京電力でも今回だけは、自分たちの同僚である吉田所長の無念の早すぎる死を目撃して、3・11原発事故との因果関係を薄々認めているのである。
『原発事故と発病の因果関係を認めていた吉田昌郎前所長』(フライデーの2012年2月10日号インタビュー)
それまで一切沈黙していた吉田昌郎福島第一原発前所長は食道がん手術を前に2012年02月04日(土) 『私のがんは、ステージ3だと医者からは言われています。今となっては、
淡々と入院して、手術をするだけですよ』とフライデーのインタビューに答えている。
吉田所長は自分の避けられない死を悟っていたのだろう。
『診察結果は食道がんということです。ステージは・・・厳し目に言うとⅣ(最末期)に近いと言われていたんだけど』。
食道がんと被曝との因果関連を問われて、
『今の病状だけで言えば、放射線の影響は直接ないんじゃないかなあ、
と私もそう思っています』
と一応は否定するが、
最後に受けた癌検査の時期については、
『一昨年の秋です。ウチの会社ではいつも秋に人間ドックレベルの検診をやっているんですが、その時には何にもなかったんです。
バリウムを飲んで食道と胃の検査をして、写真も両方見ましたが何にもない。
素人が見て分かるかどうかは別として、きれいなんです。』
2010年の秋の人間ドックでは健康体だったのです。
ところが1年後に事態は突然急変する。
『しかし、病気が分かった時の検査の写真を見ると、ちょうど喉のところに引きずっているような異常がある。素人が見て、何か異常があるなという程度』。
素人目にも分かるほど悪化していた。
前年に無かったが東日本大震災を経た後に突然ステージⅢの後期の異常が出た検査の結果に対しては冷静に、
『一昨年(2010年)は医者にも何もなかったと言っているので、
まあ、やっぱりこの事故の、あれだと思うんですけども・・・』
と、吉田昌郎元所長は正直に2011年3月11日の福島第一原発のメルトダウン事故との因果関係をはっきりと認めている。
突然のアクシデントともいえる末期がん(ステージⅣに近いⅢ)の異常事態は、吉田昌郎でなくても誰が考えても『3・11』しか思い浮かばないのである。
『福島の子供達の約6000人に1人の割合で小児甲状腺癌が発症している日本の悪夢』
小児甲状腺がんは極めて珍しく通常は100万人当たり0~1人(厚生労働省)1~2人(甲状腺学会)程度の疾患なのです。
福島県の人口は200万人なので、去年9月に1人目発症が発表された時に『原発とは一切無関係』と頭から突っぱねた。
たしかに、どれ程低い確率でも6億円の宝籤に当たる人もいれば運悪く小児甲状腺がんになる子供も出る。しかし6億円が連続して当たればアウト。詐欺など別の原因が疑われる。
2ヵ月後の11月の2人目の時には、日本中が大慌て。
二人目発症なのに日本のマスコミは(地元なので騙せない福島県を除き)『一人目が発症』と嘘八百の大本営発表を行って、何と野田佳彦は突然衆議院を解散して、100%負ける総選挙を行った。
万事休す。
形勢不利を悟って、自分から政権を放り出して多分自民党に大政奉還したのです。
民主党の野田佳彦から政権を譲り渡された現在の安倍自民党政府は、今年2月の北朝鮮の核実験でマスコミが大騒ぎしている隙を突いて、3万8千人中で小児甲状腺癌が3人確定7人疑いと発表する。
確定とは甲状腺の全摘出のことで、疑いとは細胞診断が陽性で摘出手術を待っている状態のことなので、『発症者は10人である』と福島県検討委のトップの山下俊一福島県立医大副学長は断言している。
ところが4ヵ月後の6月には事態はもっと深刻になる。
17万人分の検査結果では数十人が発症。
今の日本国の『避けられない破滅』との余りにも目の前の現実が恐ろしいので、すべてのマスメディアは全員一致の大政翼賛会で、気休め程度の意味の無い大本営発表を繰り返しているのが現状です。
『住民被曝の極悪犯罪者が公職に立候補する腹立たしい茶番劇』
世界中の組織や個人を盗聴していた国家の違法を暴露した正義の人エドワード・スノーデンを、悪事の張本人のアメリカが訴追する逆さま現象が起きている。
我が日本国では一律15分間12000円の明朗会計の飛田の管理売春の顧問弁護士だった橋下徹が始めた不真面目な維新の会の政治ごっこを天まで持ち上げるマスコミの不見識。同じ逆さま現象だがレベルが低すぎる。
管理売春は日本では明確に違法であり如何なる公職にもつく資格が、そもそも橋下徹には無いのである。
メルトダウンした福島第一原発の爆発で発生した放射能雲(プルーム)は3月13日には北東の福島県飯館村方面に、15~16日には南の千葉県や東京都方面を襲って大勢の住民を被曝させるが、正しく予測していたSPEEDIは監督官庁である文科省は表に出さず隠蔽する。
原発事故後子供の被曝量の1mSvの基準値を一気に20倍した荒業を繰り出したのも文科省であるが、何れも鈴木寛文科副大臣が主導したと言われている。
ところが民主党は反原発派の現職女性候補を下ろしてまで原発推進派の鈴木寛元文科副大臣を東京都の候補に一本化。
『貧すれば鈍す』とは言うが幾ら民主党が落ち目でも、これは許され無い暴挙である。
今回の参議院選挙では、政府の意識的怠慢によって無意味に大量被曝させられた一般市民によって極悪民主党に天誅が下ることを祈らずにはいられない。
もちろん3・11時点で、たまたま政権にいた無能な民主党よりも、世界に冠たる地震列島に54基もの原発を建設して安全神話の原子力ムラを育成した超無責任で極悪な自民党が民主党の20000倍は悪いことは言うまでも無い。
『経済的理由では無かった、日本国の原子力発電』
7月16日付け毎日新聞コラム『原発、再稼働を聞く』で寺島実郎が『国際情勢 見誤るな』との興味ある記事を書いている。
対米従属の立場から恥知らずにも、軍事と一体となっている日本の原発の危険すぎる意味を正直に語っている。
破廉恥な寺島実郎ですが、『原発は日本の核の機微技術の確保が目的』との能天気な軍事オタクの石破茂と同じで、『良くぞ。そこまで言い切った』と、ある意味では天晴れで拍手したいくらいである。
『日米は「原子力共同体」の関係を築いた。』
『オバマ政権にとって、日本の原子力産業は必要不可欠な存在だ。』
『日本が自国の判断だけで脱原発に向かうのは現実問題として無理がある。』
『原子力は軍事(核兵器)と民生(原発)とが表裏一体の関係。』
『日米安全保障条約で米国の核の傘に守られながら、日本が脱原発を唱えることは「甘えの構造」と言える。』
『「原発ゼロ」を選ぶなら(日米同盟関係の変化も辞さない)相当の覚悟が必要だ。』
と経済的な意味では全くなかった、(日米安保条約と連動していて、軍事目的が主)日本の原子力発電の意味が実に分かりやすい。
そもそも原発は経済的に成り立たない施設だったのである。
『すでに完全にメルトダウンしている自民党』
今回の参議院選挙で3・11時点で偶然政権にいた無能な民主党の悪事が目立つので大敗北し、自民党が大勝ちそうだとマスコミが言っているが完璧に狂っている。
本来なら自民党は2年前、レベル7の原発事故発生時点で自主的に解散していて、極悪利権集団の原子力ムラに関係していた幹部連中は全員が逮捕され、市中引き回しの上で打ち首獄門になっているのが正しい。
ところが自民党は解散していないし、もちろん誰一人も逮捕されていない。
無責任の極みであり、無茶苦茶。
日本国の人口で4割、国土面積で3分の1が福島第一原発のメルトダウン事故で被害を受け毀損されているのですよ。
安倍晋三や自民党は『日本を取り戻す』と言うが、2年前の3月11日に昔の美しく清浄だった日本は失われたのですから、これ以上に腹立たしい話は無い。
『日本を取り戻す』との主張自体が、いくら正しくとも原発事故の張本人である自民党にはそもそも言う資格が無いのである。
『お前だけは言うな!!。』
関連記事
福島県の小児甲状腺がんの爆発的発症で日本全体が茫然自失「言葉を失う」
2013年06月11日 | 政治
チェルノブイリの4年後より10倍悪い福島県「小児甲状腺がんが爆発的発症」
2013年06月08日 | 放射能と情報操作
NHK「核を求めた日本」原子力発電は核機微技術の確保目的
2011年08月24日 | 軍事、外交
福島第一原発事故の損害額はいくらか、幻の半世紀前の政府試算
2011年07月12日 | 放射能と情報操作
http://blog.goo.ne.jp/syokunin-2008/e/e6727ab5813845b4d205725400119f07
吉田さんらしさが最も出たのは、なんといっても官邸に詰めていた東電の武黒一郎フェローから、官邸の意向として海水注入の中止命令が来た時だろう。「官邸がグジグジ言ってんだよ! いますぐ止めろ」
武黒フェローの命令に吉田さんは反発した。「なに言ってるんですか! 止められません!」
~~~~~~
官邸がグジグジじ言うから東電から停止命令がはっきり出ているじゃん。↑
やはり、管元首相が何か言ったんだよ。海水注入を止めろと言ったんだよ。または、海水注水を続けたら不味いと東電が判断するようなことを言ったんだよ。