あと3年泳がせておけば10倍の大きさに育つのにそれを待たずにどんどん獲ってしまう。
すしざんまい社長・木村清氏の心意気「ニッポンのマグロは私たちが守る!!」
2016年01月16日 ビジネス コメント
’01年に第1号店を東京・築地場外市場に「すしざんまい 本店」をオープン。現在では北海道から九州まで、51店舗を展開。その多くが年中無休24時間営業で、本格的な寿司を手ごろな価格で楽しむことができるという、それまでの寿司屋の常識を覆したのが、株式会社喜代村の木村清社長だ。
木村清社長 日本の正月の新たな風物詩ともなった、「すしざんまいの社長」による、築地初セリでの、クロマグロの競り落し合戦。14年には1億5540万円での落札となり、単なる「話題」を超え、喧々囂々の議論の種にさえなった。名物社長の、マグロと商売にかける思いとは。
35坪で年間10億を売り上げる驚異的な寿司屋
――市場といえば「朝」のイメージですが、今の築地場外市場は、平日の昼過ぎや週末でも人通りが絶えませんね。特に最近では外国人観光客の人数もぐんと増えた印象を受けます。
木村:そう。ものすごい人でしょ。でもほんの10数年前は、業務筋の買い出しが終わる昼前にはもう人通りが絶えていました。まるでシャッター通りです。見かねた私の知人が、場外市場に人を集めてほしい、ちょうど空き店舗があるから何かやってもらえないかという話を持ち込んできました。それが「すしざんまい」のきっかけだったんです。「あんなところで今さら寿司屋をやっても」という人もいましたが、私には勝算がありました。実際、35坪、40数席の店で、年間売り上げは10億円、1日の客回転率が23.5という、驚異的な店ができたわけです。うちの店を目当てに人が集まるようになり、市場らしい賑わいも戻ってきました。気がつけば「築地で買い物をして寿司を食べる」というのが東京観光の定番コースになっていたというわけです。
――勝算とは?
木村:築地といえばやっぱり、新鮮な魚でしょ。場外市場にはいろんなものを売っていますが、一般の人が期待するのはやっぱり魚だし、寿司なんです。ところが、いざ足を運んでも、昼近くになればほとんどの店は閉まっていて、「なんだ、築地に行けばうまそうなものがあるかと思ったが、何もない」と思われてしまう。これじゃあ廃れても当然ですよね。だから私は、年中無休24時間営業で寿司屋をやろうと思ったんです。いつ行っても、うまい寿司が手ごろな価格で食べられる。しかもそれが築地にあるとなれば、絶対にお客が集まってくるはずだと考えたわけです。築地の場外にどういう店があったらお客が喜んでくれるかを考えて「すしざんまい」をつくったのです。
築地市場の初競り
北海道から九州まで51店舗を展開する「すしざんまい」。築地市場の初競りで報じられる木村社長の姿はお正月の風物詩。
→次ページ木村清社長「日本のマグロ漁と中国のマグロ漁は違う!」
日本のマグロ漁と中国のマグロ漁は違う!
――最近、中国のマグロの漁獲量が増えています。「日本の食文化を守る」とおっしゃっている木村社長としては、「すしざんまい」を訪れた中国人がマグロの美味しさを知って、中国でのマグロ人気がさらに高まってしまうと、忸怩たる思いもあるのでは?
木村:その認識が間違っているんです。中国人がいくらマグロを好きになるといっても、毎日寿司を食べるわけじゃないでしょ。刺身としてマグロを食べる量なんて、たかが知れているんです。どんどん食べてもらえばいいじゃないですか。問題なのは、生食用のマグロじゃないんです。ツナ缶用のマグロなんです。彼らが獲っているマグロの9割はツナ缶用にまわされています。しかもそのマグロは、「幼魚」と言ってもいい、まだ小さいサイズのマグロ。ツナ缶で油漬けにしてしまうなら、マグロの大きさなんか関係ないですからね。だから、小さいマグロまでどんどん獲ってしまうんですよ。あと3年泳がせておけば10倍の大きさに育つのに、それを待たずにどんどん獲ってしまう。そういうところをちゃんと見ないで、マグロ資源の保護だとか、漁獲量の制限なんてことをやっていると、おかしなことになるんじゃないですか。
――確かにクロマグロは一時減少しましたが、ICCAT(大西洋まぐろ類保存国際委員会)の漁獲規制などで資源量が回復し、今では漁獲規制が緩和されていますね。
木村:そう。でも、だからといってまだ小さいマグロまで獲っていいのでしょうか。私たちは、クロマグロの備蓄システムを開発・確立し、15年掛けて、現在、北大西洋では一日で一年分の二万数千トン獲れるようにしました。漁獲規制で「とにかくクロマグロを獲るな」というだけでは、何の解決にもならないと思います。
――まるで木村社長が日本の水産行政を担っているようです。
国別マグロ類の漁獲量
木村:好きでやっているんじゃないですよ。水産資源のことをもっと皆が時間をかけてちゃんと勉強し、とことん議論を尽してないから、一部の狂信的な自然保護団体の理不尽なクレームに右往左往してしまうのではないでしょうか。彼らの言っていることが、本当の自然保護につながっているのでしょうか? 私はちゃんと調べて、筋の通ったことを言っているつもりです。だから私が言っていることも、彼らは納得してくれています。
インタビュー中の木村社長の話し方は、ひと言ひと言が力強く、圧倒的な説得力を持ち、熱い思いがヒシヒシと伝わってくる。しかし、決して「乱暴」な話し方ではない。自分の言いたいことや思いが次から次へとあふれてくるのだ。このパワーが、好調に出店を続ける「すしざんまい」の原動力となっているのだろう。
波瀾万丈!木村清氏の来歴
1952年:千葉県東葛飾郡関宿町木間ヶ瀬(現 野田市)に生まれる。4歳のとき、父親が他界する。
1968年:中学校を卒業。F104のパイロットをめざして航空自衛隊第4術科学校生徒隊に入隊するも、通信兵を養成するための学校だったことを知る。失望するも、厳しい訓練の毎日に耐える。
1970年:大検に合格したことで、航空操縦学生になる資格を取得。
1972年:中央大学法学部(通信制)入学。司法試験合格を目指し、通信教育で学ぶ。
1973年:事故で目を患い、パイロットを断念。同年、航空自衛隊退官。
1974年:中央大学入学後、2年で司法試験の択一式試験に合格するも、学費を捻出するため、百科事典の訪問販売など、数々のアルバイトに精を出す。その後、大洋漁業(現・マルハニチロ)の子会社で、冷凍食品などを扱う新洋商事に入社。3か月間のアルバイトの予定だったが、水産や食材に深い興味を持ち、正社員に。
1979年:それまでの経験と知識を活かし独立、木村商店を創業。お弁当・寿司ネタなどの開発・製造・販売、世界各国の海産物の輸入・販売ガリの製造から本マグロの漁獲販売までを手がけるほか、カラオケボックスレンタルビデオ店、コンビニなども経営。手がけた業種業態は90に及ぶ。同年、中央大学卒業。
1985年:株式会社喜代村を設立。それまで多角化してきた事業を「水産食品」「弁当」「寿司」「商品開発」の4部門に絞って経営。順調に事業を拡大するも、バブル崩壊でメインバンクの裏切に合い、止むなく、事業を縮小。最後に手元に残っていた資金300万円で、築地に「喜よ寿司」を開業。
2001年:日本で初めての年中無休、24時間営業のすし店「すしざんまい本店」を開業。またたく間に店舗数を増やす。
2006年:寿司職人の養成学校「喜代村塾」開校。
2013年:初競りで、大間産の本マグロを1億5540万円で落札し話題に。アフリカ・ソマリア沖の海賊問題解決と、同海域でのマグロ漁場開拓のため、ソマリアの新政府に、民間による漁業支援を申し出る。
2014年:築地市場が豊洲に移転するのに合わせ、同地に新たな「場外観光拠点」として、応募した「千客万来施設」が採用される。
2015年:「千客万来施設」建設・運営の辞退を発表。
― すしざんまい木村清社長「ニッポンのマグロは私たちが守る!!」 ―
http://hbol.jp/77362
すしざんまい社長が語る「築地市場移転問題」と「ソマリア海賊問題」
2016年01月18日
’01年に第1号店を東京・築地場外市場に「すしざんまい 本店」をオープン。現在では北海道から九州まで、51店舗を展開。その多くが年中無休24時間営業で、本格的な寿司を手ごろな価格で楽しむことができるという、それまでの寿司屋の常識を覆したのが、株式会社喜代村の木村清社長だ。
「すしざんまい」が年間300件の海賊被害をゼロに
木村社長は、ソマリアだけでなく、漁場の開拓に、魚の買い付けに、自ら世界を飛び回る。
――「『すしざんまい』の社長が、アフリカのソマリアで、元海賊とマグロ漁をやっている……と話題になったことがありましたね。
木村:今でもやってますよ。ソマリアの沖というのは、キハダマグロのいい漁場なんです。ところが海賊が出るようになり、危なくてマグロを獲りに行けなくなってしまったんです。しかし、聞いてみると誰も海賊とは話していないという。おかしいじゃないですか。海賊といったって相手は人間なんですから。それでさっそく、伝手を頼ってソマリアの海賊たちに会いに行きました。そこでわかったことは、彼らだってなにも好き好んで海賊をやっているわけじゃないということです。だったらこの海で、マグロを獲ればいいじゃないか。自分で稼いだ金で家族を養うという、誇りを持った人生にしなくちゃいかん――と、彼らと話し合ったんです。
――ソマリアの人たちは、内戦で国を失い、無法地帯となった彼らの海が荒らされたため、海賊になったと主張しているそうですが、自力では対抗できなかったのでしょうか……?
木村:口で言うのは簡単ですが……、まず彼らは、マグロ漁の技術をもっていないし、船もありません。マグロを獲ってもそれを入れておく冷凍倉庫が使えなくなっている。獲ったマグロは売らなければなりませんが、そのルートをもっていない。IOTC(インド洋まぐろ類委員会)に加盟していないから、輸出ができなかったんです。じゃあ、仕方がない。うちの船を4隻もっていった。漁の技術も教えましょう。冷凍倉庫も使えるようにする。ソマリア政府にはたらきかけてIOTCにも加盟する。獲ったマグロをうちが買えば、販売ルートも確保できる。こうやって一緒になってマグロ漁で生活ができるようにしていったんです。
――「民間外交」の枠を超えた貢献ですね。なぜそこまで?
ソマリアの隣国のジブチにも赴き、漁業分野の合意書を締結した。’13年に安倍首相がジブチを訪問した際には、ジブチ滞在中の木村社長が首相を表敬訪問するなど、まさにジブチと日本の民間外交の主役となっている
木村:いろんな国や国際機関も援助をやっていますが、どれも上滑りのことばかりであまり役に立っていないことも少なくありません。相手の視線に立って、相手の悩みに気がついてあげることが必要なんです。ソマリア沖じゃ一時は年間300件、海賊による被害があったそうですが、うちが行くようになって、この3年間の海賊の被害はゼロだと聞いています。よくやってくれたと、ジブチ政府から勲章までいただきました。
――そこまでして、事業として採算はとれるんですか。
木村:んー。まあ、正直言って今のところまだ採算はとれていませんね。しかし、将来的にはきちんと利益が出る目論見はたっていますよ。それに商売というのは、目の前の利益、儲けのことを第一に考えていたんではうまくいかないものなんです。まず考えなくてはならないのは、どうやったら喜んでもらえるか、何を求められているかということ。それに応える算段をするのが「商売」なのではないですか。
→次ページ木村清社長「世界に唯一で最高の市場を私たちがつくる」
世界に唯一で最高の市場を私たちがつくる
――儲けと言えば、築地市場の豊洲移転に関連して、大和ハウス工業と共同して大型商業施設の進出を計画されたものの、最終的に断念されました。会見で「私利私欲でやったことではない……」と涙を流されました。
築地市場
現在の築地市場。開発が進み新しいビルが建ち並ぶ隅田川対岸の勝ちどき地区と比べると、まるで時代が止まっているかのような印象を受ける。
木村:「築地市場」という文化を守りたかったんですよ。考えてみてください。世界中どれだけ探したって、生で食べられる魚をこれだけ扱っている市場は築地だけですよ。そのことを私たちはもっと誇りに思うべきでしょう。ご存じのように築地市場というのは、卸売市場である「場内」と、一般客向けの「場外」とで成り立っています。2016年の11月に「場内」は豊洲に移転し、「場外」は基本的には築地に残ることが決まっています。それはそれでいいけれど、やっぱり「場内」と「場外」がセットになった良さもあったほうがいいと、私は思うんです。豊洲移転を成功させ、東京、ひいては日本の魅力を国内外に発信していくためには豊洲に新たな「場外」を作ることが必要なんです。ならば、かつて寂れかけていた築地場外に「すしざんまい」を初めて開店させたときと同じ気持ちで私が豊洲に「場外」を作ろう、そう考えていたのです。
いろいろな問題があり結局実現させられませんでしたが、これからも「日本の食文化と市場は私たちが守る!」という気持ちに、今も変わりはありません。
築地市場移転問題とは
いわゆる「場内」である築地卸売市場は1935年に開設されたもので、施設の老朽化が進んでいる上、貨物列車による輸送を前提とした建物の配置が非効率になっている。一方、輸送の主力がトラックに変わったにもかかわらず、駐車場が狭小で、ピークの時間帯には市場近くの道路に入場待ちの車がずらりと並ぶほどであった。さらに施設の規模そのものが、世界最大の市場と言われる扱い量をさばくにはあまりにも手狭となっていたため江東区豊洲の、東京ガス工場の跡地への移転計画が持ち上がった。
予定地の土壌が汚染されていることが判明したことなどで移転反対運動が起こったが、2012年に移転が正式に決定。2016年11月の新市場開所が決まった。
豊洲市場
建設中の豊洲市場
公設の市場である「場内」の移転が決まる一方で、一般の商店街と同じ扱いの「場外」の動向が注目されたが、これまで通り都心の飲食店関係者が日常的な買い回りを続けられるよう、築地に残ることになった。しかし、建物の老朽化が進んでいるのは場外も同じ。そのため、隣接地に新市場を建設し、場内の移転と時期を合わせ「築地魚河岸」の名称でオープンする予定で整備が進められている。
なお、豊洲の新市場では、隣接地に「新たな場外市場」ともいうべき商業施設「千客万来」を、喜代村と大和ハウス工業が共同で設置すると発表されたが、その後、条件面での折り合いがつかず、計画は撤回された。
http://hbol.jp/77365
すしざんまいが救いきれなかったソマリア海賊の微妙な転職先
Telegraphより
一時、世界中の海を恐怖に陥れていたアフリカ・ソマリア沖で出没していた海賊たち。だが、近年、これらソマリア海賊の発生件数が激減している。
1月18日に配信した『すしざんまい社長が語る「築地市場移転問題」と「ソマリア海賊問題」』でもお伝えしたように、一部のソマリア海賊たちは「すしざんまい」の支援もと、漁師への転職(または復職)を果たしていた。
もともと、ソマリア沖はキハダマグロの恰好の漁場として、世界的にも有名だ。だが、海賊が出没するようになってからは、その漁場は放置されたままだった。
そこに目をつけたすしざんまいの木村清社長は、ソマリア海賊たちと面会。略奪行為で得たカネではなく、「自分の稼いだカネで家族を養うべきだ」と説得を試みた。
さらに木村社長は、漁師としては素人同然だった彼らにマグロ漁船を与え、漁の技術を教え、彼らに代わってマグロの輸出ルートも確保。「海賊」から足を洗う手伝いをしたという。
しかし、当然ながら、全員が漁師に転職できたわけではない。では、そのほかの海賊たちは、いまなにをしているのだろうか。
そもそもソマリア海賊による海賊行為自体は1990年代からおこなわれていたものの、2008年から被害件数が急増。運航船を襲撃しては人質をとり、身代金を要求するケースが相次いだ。世界銀行の試算によると、ハイジャックでの平均身代金額は306万ドル。2005年から2012年までの被害総額は3億1500万ドルから3億8500万ドルと言われている。
2008年のソマリア海賊のハイジャック事件急増を転機として、事態を重く受け止めた各国は、2009年から海賊対策を実施。
欧州連合による「アトランタ作戦」や北大西洋条約機構(NATO)による「オーシャンシールズ作戦」をはじめ、各国が人員を派遣し、掃討作戦の実施や一般船舶の護衛を開始した。日本でも、2009年から自衛隊を派遣し、船舶の護衛にあたっているという。また、ソマリア沖を運行する船舶側でも危機意識が高まり、武装護衛をつけるケースが増えた。
こうした努力の末、2009年には218件だった海賊発生件数が、2012年には75件へと減少。さらに、2015年の7月30日の時点で発生件数0件にまで激減した(国際商業会議所(ICC)国際海事局(IMB)海賊情報センターの発表より)。数字を見ると、ソマリア海賊による略奪行為が収まったかのように見える。
だが、一方ではいまだ「違法行為」に手を染めるソマリア海賊たちも存在する。
イギリスのテレグラフ紙の報道によれば、かつては運航船を襲っていたソマリア海賊たちのなかには、海外漁船を守る「ボディーガード」に転身している者もいるという。
これが普通の漁船の警護ならばよいのだが、問題は、元・ソマリア海賊たちが警護しているのが「違法な漁船」であることだ。
もともと、ソマリア沖はマグロをはじめ、世界的にも水産資源が豊富なエリアとして知られている。だが、内戦が勃発後、漁業水域が曖昧になり、先進国からやってきた漁船軍団がソマリア沖に来て、不法な漁業を繰り返し、地元漁民の生活を圧迫し続けてきた。
外国船の乱獲により生態系が破壊されている上、地元漁民たちの生活の糧となる水産資源が根こそぎ持って行かれてしまうため、地元漁民にとっての経済的被害も拡大。現在、地元住民は、海賊だけでなく、これら不法な漁船の取り締まりを希望しているが、その被害は拡大する一方だという。
また、ソマリア沖でもうひとつ問題視されているのが先進国から持ち運ばれる産業廃棄物の不法投棄だ。ソマリアでは、1990年代頃から、有害な産業廃棄物や医療廃棄物の投棄も多数おこなわれてきた。これにより、ソマリア沖の生態系が汚染され、ソマリア漁民や水産資源に甚大なるダメージを与えている。
東京大学教授・遠藤貢氏の著書『崩壊国家と国際安全保障』によれば、外国船によってもたらされる違法漁業などから自国の海洋資源を守るため、海賊へと「転職」した漁民もいるとの分析もある。現状、こうしたソマリアを取り巻く現状の根本的な改善がおこなわれていない以上、いつ海賊行為が再開されるとも限らない。
なお、海賊行為の発生件数が減ったことで、以前に比べて運航船の警戒が薄れつつある上、2016年12月に欧州連合海軍部隊のソマリア沖派遣期限が切れるため、このタイミングを狙って再びソマリア海賊が復活する可能性も低くはないとの声もある。
国際海事局(IMB)海賊情報センターのポッテンガル・ムクンダン局長も、昨年の海賊発生件数減少を楽観視せず、「いまだにソマリア沖の運航リスクは高く、いつ海賊行為が再開するとも限らない」と注意喚起を呼びかけている。
一見沈静化したかのように見えるソマリア海賊だが、その火種はまだまだ当分は燃え尽きそうもない。<文/HBO取材班>
http://hbol.jp/82261
2016年01月16日 ビジネス コメント
’01年に第1号店を東京・築地場外市場に「すしざんまい 本店」をオープン。現在では北海道から九州まで、51店舗を展開。その多くが年中無休24時間営業で、本格的な寿司を手ごろな価格で楽しむことができるという、それまでの寿司屋の常識を覆したのが、株式会社喜代村の木村清社長だ。
木村清社長 日本の正月の新たな風物詩ともなった、「すしざんまいの社長」による、築地初セリでの、クロマグロの競り落し合戦。14年には1億5540万円での落札となり、単なる「話題」を超え、喧々囂々の議論の種にさえなった。名物社長の、マグロと商売にかける思いとは。
35坪で年間10億を売り上げる驚異的な寿司屋
――市場といえば「朝」のイメージですが、今の築地場外市場は、平日の昼過ぎや週末でも人通りが絶えませんね。特に最近では外国人観光客の人数もぐんと増えた印象を受けます。
木村:そう。ものすごい人でしょ。でもほんの10数年前は、業務筋の買い出しが終わる昼前にはもう人通りが絶えていました。まるでシャッター通りです。見かねた私の知人が、場外市場に人を集めてほしい、ちょうど空き店舗があるから何かやってもらえないかという話を持ち込んできました。それが「すしざんまい」のきっかけだったんです。「あんなところで今さら寿司屋をやっても」という人もいましたが、私には勝算がありました。実際、35坪、40数席の店で、年間売り上げは10億円、1日の客回転率が23.5という、驚異的な店ができたわけです。うちの店を目当てに人が集まるようになり、市場らしい賑わいも戻ってきました。気がつけば「築地で買い物をして寿司を食べる」というのが東京観光の定番コースになっていたというわけです。
――勝算とは?
木村:築地といえばやっぱり、新鮮な魚でしょ。場外市場にはいろんなものを売っていますが、一般の人が期待するのはやっぱり魚だし、寿司なんです。ところが、いざ足を運んでも、昼近くになればほとんどの店は閉まっていて、「なんだ、築地に行けばうまそうなものがあるかと思ったが、何もない」と思われてしまう。これじゃあ廃れても当然ですよね。だから私は、年中無休24時間営業で寿司屋をやろうと思ったんです。いつ行っても、うまい寿司が手ごろな価格で食べられる。しかもそれが築地にあるとなれば、絶対にお客が集まってくるはずだと考えたわけです。築地の場外にどういう店があったらお客が喜んでくれるかを考えて「すしざんまい」をつくったのです。
築地市場の初競り
北海道から九州まで51店舗を展開する「すしざんまい」。築地市場の初競りで報じられる木村社長の姿はお正月の風物詩。
→次ページ木村清社長「日本のマグロ漁と中国のマグロ漁は違う!」
日本のマグロ漁と中国のマグロ漁は違う!
――最近、中国のマグロの漁獲量が増えています。「日本の食文化を守る」とおっしゃっている木村社長としては、「すしざんまい」を訪れた中国人がマグロの美味しさを知って、中国でのマグロ人気がさらに高まってしまうと、忸怩たる思いもあるのでは?
木村:その認識が間違っているんです。中国人がいくらマグロを好きになるといっても、毎日寿司を食べるわけじゃないでしょ。刺身としてマグロを食べる量なんて、たかが知れているんです。どんどん食べてもらえばいいじゃないですか。問題なのは、生食用のマグロじゃないんです。ツナ缶用のマグロなんです。彼らが獲っているマグロの9割はツナ缶用にまわされています。しかもそのマグロは、「幼魚」と言ってもいい、まだ小さいサイズのマグロ。ツナ缶で油漬けにしてしまうなら、マグロの大きさなんか関係ないですからね。だから、小さいマグロまでどんどん獲ってしまうんですよ。あと3年泳がせておけば10倍の大きさに育つのに、それを待たずにどんどん獲ってしまう。そういうところをちゃんと見ないで、マグロ資源の保護だとか、漁獲量の制限なんてことをやっていると、おかしなことになるんじゃないですか。
――確かにクロマグロは一時減少しましたが、ICCAT(大西洋まぐろ類保存国際委員会)の漁獲規制などで資源量が回復し、今では漁獲規制が緩和されていますね。
木村:そう。でも、だからといってまだ小さいマグロまで獲っていいのでしょうか。私たちは、クロマグロの備蓄システムを開発・確立し、15年掛けて、現在、北大西洋では一日で一年分の二万数千トン獲れるようにしました。漁獲規制で「とにかくクロマグロを獲るな」というだけでは、何の解決にもならないと思います。
――まるで木村社長が日本の水産行政を担っているようです。
国別マグロ類の漁獲量
木村:好きでやっているんじゃないですよ。水産資源のことをもっと皆が時間をかけてちゃんと勉強し、とことん議論を尽してないから、一部の狂信的な自然保護団体の理不尽なクレームに右往左往してしまうのではないでしょうか。彼らの言っていることが、本当の自然保護につながっているのでしょうか? 私はちゃんと調べて、筋の通ったことを言っているつもりです。だから私が言っていることも、彼らは納得してくれています。
インタビュー中の木村社長の話し方は、ひと言ひと言が力強く、圧倒的な説得力を持ち、熱い思いがヒシヒシと伝わってくる。しかし、決して「乱暴」な話し方ではない。自分の言いたいことや思いが次から次へとあふれてくるのだ。このパワーが、好調に出店を続ける「すしざんまい」の原動力となっているのだろう。
波瀾万丈!木村清氏の来歴
1952年:千葉県東葛飾郡関宿町木間ヶ瀬(現 野田市)に生まれる。4歳のとき、父親が他界する。
1968年:中学校を卒業。F104のパイロットをめざして航空自衛隊第4術科学校生徒隊に入隊するも、通信兵を養成するための学校だったことを知る。失望するも、厳しい訓練の毎日に耐える。
1970年:大検に合格したことで、航空操縦学生になる資格を取得。
1972年:中央大学法学部(通信制)入学。司法試験合格を目指し、通信教育で学ぶ。
1973年:事故で目を患い、パイロットを断念。同年、航空自衛隊退官。
1974年:中央大学入学後、2年で司法試験の択一式試験に合格するも、学費を捻出するため、百科事典の訪問販売など、数々のアルバイトに精を出す。その後、大洋漁業(現・マルハニチロ)の子会社で、冷凍食品などを扱う新洋商事に入社。3か月間のアルバイトの予定だったが、水産や食材に深い興味を持ち、正社員に。
1979年:それまでの経験と知識を活かし独立、木村商店を創業。お弁当・寿司ネタなどの開発・製造・販売、世界各国の海産物の輸入・販売ガリの製造から本マグロの漁獲販売までを手がけるほか、カラオケボックスレンタルビデオ店、コンビニなども経営。手がけた業種業態は90に及ぶ。同年、中央大学卒業。
1985年:株式会社喜代村を設立。それまで多角化してきた事業を「水産食品」「弁当」「寿司」「商品開発」の4部門に絞って経営。順調に事業を拡大するも、バブル崩壊でメインバンクの裏切に合い、止むなく、事業を縮小。最後に手元に残っていた資金300万円で、築地に「喜よ寿司」を開業。
2001年:日本で初めての年中無休、24時間営業のすし店「すしざんまい本店」を開業。またたく間に店舗数を増やす。
2006年:寿司職人の養成学校「喜代村塾」開校。
2013年:初競りで、大間産の本マグロを1億5540万円で落札し話題に。アフリカ・ソマリア沖の海賊問題解決と、同海域でのマグロ漁場開拓のため、ソマリアの新政府に、民間による漁業支援を申し出る。
2014年:築地市場が豊洲に移転するのに合わせ、同地に新たな「場外観光拠点」として、応募した「千客万来施設」が採用される。
2015年:「千客万来施設」建設・運営の辞退を発表。
― すしざんまい木村清社長「ニッポンのマグロは私たちが守る!!」 ―
http://hbol.jp/77362
すしざんまい社長が語る「築地市場移転問題」と「ソマリア海賊問題」
2016年01月18日
’01年に第1号店を東京・築地場外市場に「すしざんまい 本店」をオープン。現在では北海道から九州まで、51店舗を展開。その多くが年中無休24時間営業で、本格的な寿司を手ごろな価格で楽しむことができるという、それまでの寿司屋の常識を覆したのが、株式会社喜代村の木村清社長だ。
「すしざんまい」が年間300件の海賊被害をゼロに
木村社長は、ソマリアだけでなく、漁場の開拓に、魚の買い付けに、自ら世界を飛び回る。
――「『すしざんまい』の社長が、アフリカのソマリアで、元海賊とマグロ漁をやっている……と話題になったことがありましたね。
木村:今でもやってますよ。ソマリアの沖というのは、キハダマグロのいい漁場なんです。ところが海賊が出るようになり、危なくてマグロを獲りに行けなくなってしまったんです。しかし、聞いてみると誰も海賊とは話していないという。おかしいじゃないですか。海賊といったって相手は人間なんですから。それでさっそく、伝手を頼ってソマリアの海賊たちに会いに行きました。そこでわかったことは、彼らだってなにも好き好んで海賊をやっているわけじゃないということです。だったらこの海で、マグロを獲ればいいじゃないか。自分で稼いだ金で家族を養うという、誇りを持った人生にしなくちゃいかん――と、彼らと話し合ったんです。
――ソマリアの人たちは、内戦で国を失い、無法地帯となった彼らの海が荒らされたため、海賊になったと主張しているそうですが、自力では対抗できなかったのでしょうか……?
木村:口で言うのは簡単ですが……、まず彼らは、マグロ漁の技術をもっていないし、船もありません。マグロを獲ってもそれを入れておく冷凍倉庫が使えなくなっている。獲ったマグロは売らなければなりませんが、そのルートをもっていない。IOTC(インド洋まぐろ類委員会)に加盟していないから、輸出ができなかったんです。じゃあ、仕方がない。うちの船を4隻もっていった。漁の技術も教えましょう。冷凍倉庫も使えるようにする。ソマリア政府にはたらきかけてIOTCにも加盟する。獲ったマグロをうちが買えば、販売ルートも確保できる。こうやって一緒になってマグロ漁で生活ができるようにしていったんです。
――「民間外交」の枠を超えた貢献ですね。なぜそこまで?
ソマリアの隣国のジブチにも赴き、漁業分野の合意書を締結した。’13年に安倍首相がジブチを訪問した際には、ジブチ滞在中の木村社長が首相を表敬訪問するなど、まさにジブチと日本の民間外交の主役となっている
木村:いろんな国や国際機関も援助をやっていますが、どれも上滑りのことばかりであまり役に立っていないことも少なくありません。相手の視線に立って、相手の悩みに気がついてあげることが必要なんです。ソマリア沖じゃ一時は年間300件、海賊による被害があったそうですが、うちが行くようになって、この3年間の海賊の被害はゼロだと聞いています。よくやってくれたと、ジブチ政府から勲章までいただきました。
――そこまでして、事業として採算はとれるんですか。
木村:んー。まあ、正直言って今のところまだ採算はとれていませんね。しかし、将来的にはきちんと利益が出る目論見はたっていますよ。それに商売というのは、目の前の利益、儲けのことを第一に考えていたんではうまくいかないものなんです。まず考えなくてはならないのは、どうやったら喜んでもらえるか、何を求められているかということ。それに応える算段をするのが「商売」なのではないですか。
→次ページ木村清社長「世界に唯一で最高の市場を私たちがつくる」
世界に唯一で最高の市場を私たちがつくる
――儲けと言えば、築地市場の豊洲移転に関連して、大和ハウス工業と共同して大型商業施設の進出を計画されたものの、最終的に断念されました。会見で「私利私欲でやったことではない……」と涙を流されました。
築地市場
現在の築地市場。開発が進み新しいビルが建ち並ぶ隅田川対岸の勝ちどき地区と比べると、まるで時代が止まっているかのような印象を受ける。
木村:「築地市場」という文化を守りたかったんですよ。考えてみてください。世界中どれだけ探したって、生で食べられる魚をこれだけ扱っている市場は築地だけですよ。そのことを私たちはもっと誇りに思うべきでしょう。ご存じのように築地市場というのは、卸売市場である「場内」と、一般客向けの「場外」とで成り立っています。2016年の11月に「場内」は豊洲に移転し、「場外」は基本的には築地に残ることが決まっています。それはそれでいいけれど、やっぱり「場内」と「場外」がセットになった良さもあったほうがいいと、私は思うんです。豊洲移転を成功させ、東京、ひいては日本の魅力を国内外に発信していくためには豊洲に新たな「場外」を作ることが必要なんです。ならば、かつて寂れかけていた築地場外に「すしざんまい」を初めて開店させたときと同じ気持ちで私が豊洲に「場外」を作ろう、そう考えていたのです。
いろいろな問題があり結局実現させられませんでしたが、これからも「日本の食文化と市場は私たちが守る!」という気持ちに、今も変わりはありません。
築地市場移転問題とは
いわゆる「場内」である築地卸売市場は1935年に開設されたもので、施設の老朽化が進んでいる上、貨物列車による輸送を前提とした建物の配置が非効率になっている。一方、輸送の主力がトラックに変わったにもかかわらず、駐車場が狭小で、ピークの時間帯には市場近くの道路に入場待ちの車がずらりと並ぶほどであった。さらに施設の規模そのものが、世界最大の市場と言われる扱い量をさばくにはあまりにも手狭となっていたため江東区豊洲の、東京ガス工場の跡地への移転計画が持ち上がった。
予定地の土壌が汚染されていることが判明したことなどで移転反対運動が起こったが、2012年に移転が正式に決定。2016年11月の新市場開所が決まった。
豊洲市場
建設中の豊洲市場
公設の市場である「場内」の移転が決まる一方で、一般の商店街と同じ扱いの「場外」の動向が注目されたが、これまで通り都心の飲食店関係者が日常的な買い回りを続けられるよう、築地に残ることになった。しかし、建物の老朽化が進んでいるのは場外も同じ。そのため、隣接地に新市場を建設し、場内の移転と時期を合わせ「築地魚河岸」の名称でオープンする予定で整備が進められている。
なお、豊洲の新市場では、隣接地に「新たな場外市場」ともいうべき商業施設「千客万来」を、喜代村と大和ハウス工業が共同で設置すると発表されたが、その後、条件面での折り合いがつかず、計画は撤回された。
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すしざんまいが救いきれなかったソマリア海賊の微妙な転職先
Telegraphより
一時、世界中の海を恐怖に陥れていたアフリカ・ソマリア沖で出没していた海賊たち。だが、近年、これらソマリア海賊の発生件数が激減している。
1月18日に配信した『すしざんまい社長が語る「築地市場移転問題」と「ソマリア海賊問題」』でもお伝えしたように、一部のソマリア海賊たちは「すしざんまい」の支援もと、漁師への転職(または復職)を果たしていた。
もともと、ソマリア沖はキハダマグロの恰好の漁場として、世界的にも有名だ。だが、海賊が出没するようになってからは、その漁場は放置されたままだった。
そこに目をつけたすしざんまいの木村清社長は、ソマリア海賊たちと面会。略奪行為で得たカネではなく、「自分の稼いだカネで家族を養うべきだ」と説得を試みた。
さらに木村社長は、漁師としては素人同然だった彼らにマグロ漁船を与え、漁の技術を教え、彼らに代わってマグロの輸出ルートも確保。「海賊」から足を洗う手伝いをしたという。
しかし、当然ながら、全員が漁師に転職できたわけではない。では、そのほかの海賊たちは、いまなにをしているのだろうか。
そもそもソマリア海賊による海賊行為自体は1990年代からおこなわれていたものの、2008年から被害件数が急増。運航船を襲撃しては人質をとり、身代金を要求するケースが相次いだ。世界銀行の試算によると、ハイジャックでの平均身代金額は306万ドル。2005年から2012年までの被害総額は3億1500万ドルから3億8500万ドルと言われている。
2008年のソマリア海賊のハイジャック事件急増を転機として、事態を重く受け止めた各国は、2009年から海賊対策を実施。
欧州連合による「アトランタ作戦」や北大西洋条約機構(NATO)による「オーシャンシールズ作戦」をはじめ、各国が人員を派遣し、掃討作戦の実施や一般船舶の護衛を開始した。日本でも、2009年から自衛隊を派遣し、船舶の護衛にあたっているという。また、ソマリア沖を運行する船舶側でも危機意識が高まり、武装護衛をつけるケースが増えた。
こうした努力の末、2009年には218件だった海賊発生件数が、2012年には75件へと減少。さらに、2015年の7月30日の時点で発生件数0件にまで激減した(国際商業会議所(ICC)国際海事局(IMB)海賊情報センターの発表より)。数字を見ると、ソマリア海賊による略奪行為が収まったかのように見える。
だが、一方ではいまだ「違法行為」に手を染めるソマリア海賊たちも存在する。
イギリスのテレグラフ紙の報道によれば、かつては運航船を襲っていたソマリア海賊たちのなかには、海外漁船を守る「ボディーガード」に転身している者もいるという。
これが普通の漁船の警護ならばよいのだが、問題は、元・ソマリア海賊たちが警護しているのが「違法な漁船」であることだ。
もともと、ソマリア沖はマグロをはじめ、世界的にも水産資源が豊富なエリアとして知られている。だが、内戦が勃発後、漁業水域が曖昧になり、先進国からやってきた漁船軍団がソマリア沖に来て、不法な漁業を繰り返し、地元漁民の生活を圧迫し続けてきた。
外国船の乱獲により生態系が破壊されている上、地元漁民たちの生活の糧となる水産資源が根こそぎ持って行かれてしまうため、地元漁民にとっての経済的被害も拡大。現在、地元住民は、海賊だけでなく、これら不法な漁船の取り締まりを希望しているが、その被害は拡大する一方だという。
また、ソマリア沖でもうひとつ問題視されているのが先進国から持ち運ばれる産業廃棄物の不法投棄だ。ソマリアでは、1990年代頃から、有害な産業廃棄物や医療廃棄物の投棄も多数おこなわれてきた。これにより、ソマリア沖の生態系が汚染され、ソマリア漁民や水産資源に甚大なるダメージを与えている。
東京大学教授・遠藤貢氏の著書『崩壊国家と国際安全保障』によれば、外国船によってもたらされる違法漁業などから自国の海洋資源を守るため、海賊へと「転職」した漁民もいるとの分析もある。現状、こうしたソマリアを取り巻く現状の根本的な改善がおこなわれていない以上、いつ海賊行為が再開されるとも限らない。
なお、海賊行為の発生件数が減ったことで、以前に比べて運航船の警戒が薄れつつある上、2016年12月に欧州連合海軍部隊のソマリア沖派遣期限が切れるため、このタイミングを狙って再びソマリア海賊が復活する可能性も低くはないとの声もある。
国際海事局(IMB)海賊情報センターのポッテンガル・ムクンダン局長も、昨年の海賊発生件数減少を楽観視せず、「いまだにソマリア沖の運航リスクは高く、いつ海賊行為が再開するとも限らない」と注意喚起を呼びかけている。
一見沈静化したかのように見えるソマリア海賊だが、その火種はまだまだ当分は燃え尽きそうもない。<文/HBO取材班>
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