当時の外務省による根本失策が、アメリカ・ルーズベルト政権の 「正義論」の口実を与えてしまった
●『総点検・真珠湾50周年報道』(杉田誠<杉原氏のペンネーム>著/森田 出版/1992年)も、英語版もあり外国人学者が周知の本でありながら、同 様に<インターネット展 日米開戦>の<参考文献>として収録されてい ない。
このインターネット展の制作責任は言うまでもなく外務省にあるが、外務 省の戦争責任を明確に指摘する本は意図的に排除し、日の目を見ないように操作しているものと考えられる。
その結果は、外務省の戦争責任は免れないに関わらず、日本国民の目には一切意識にも上らない結果となっている。
280131発 これを無視してよいのか!?
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
濱田 實
杉原誠四郎・ハリー・レイ著『日本人の原爆投下論はこのままでよいのか』(日新報道/1800円)について
<戦後70年記念出版/原爆投下をめぐる 日米の初めての対話>杉原氏:教育学者、
レイ氏:米国人・近現代史歴史 学者アメリカによる原爆投下問題は未だ解決していない。
被害者である日本は、一向に声を荒げない。
一方のアメリカは種々の理由を付けて(レイ氏の立場)「正当論」を維持したまま日本に対しては沈黙 を保つ(米国内ではそのように教育)。
杉原教授は、たぶん唯一(といってよいほどに)この問題に一途な執着をもって取組んできた一人であろう。
昨年12月、本書を拝読、自分なりに整理するつもりでいたが、幸いにも窪田伸雄氏が『世界日報』で(1/17)、堤堯氏が『WILL/2016年3月号』で明 快な書評を寄せておられるので、それを引用しながら概略を紹介する。
窪田氏は、冷静な議論をしにくい問題、学問的良識をもって情勢を検証。
日本からすれば当時、米国からどう見られていたかが教訓となる。
米国は責任がないのか?
終戦を遅くした要因に、厳格な「無条件降伏」を突きつ けた米国側にも瑕疵ありとの杉原氏の論を引用紹介されている。
堤氏は、当時アメリカによるソ連牽制とソ連への見せつけ説、あるいはポツダム宣言の解釈に関する日米の齟齬、さらには開戦通告における在米大使館の事務的ミスと、それによるルーズヴェルトの「騙し打ち」呼ばわり。
杉原氏はなぜ直後にミスを公表謝罪しなかったのか?
50年後に公表したものの、それは詳細をぼやかして、国民、外国に対しても周知を潔しとし ない言わば省をあげての「情報隠蔽工作」を、あまりに重大な不作為の、杉原氏の主張を紹介。
杉原氏が外務省に質問書を持参、真摯に対応し回答書をくれた主席は、なぜかのちに左遷され、数年後本省で謎の投身自殺をしたという。
ここで読者の興味は外務省の闇的構造問題へと映る。
本書にはレイ氏を通じてアメリカ側の正当論が克明に記されており、アメリカ側の片棒を担ぐとかいう声も一部にあるが、それは誤解である。
杉原氏は本書で、そこまでアメリカ側に誤解を与え続けてきた要因として、吉田茂外相(当時)に始まる外務省の「情報隠蔽」工作が厳然としてあり、教科書誤報事件から南京問題、慰安婦問題へと続いて、日米両国による東京裁判史観への呪縛に影響を与えているという。
戦後の歴史に関わる幾多の不毛な論議を振り返るとき慄然としたものを感 じる。
想像がつくように、外務省の最も恐れることは一連の隠蔽工作が国内外に漏れわたることである。
そのいい例が、政府のホームページに杉原氏の、外務省にとって都合の悪い著書が収録されていないことである。それは、
●『日米開戦以降の日本外交の研究』(杉原誠四郎著/亜紀書房/1997年)・・公文書館のネット<インターネット展 日米開戦>の<参考文 献>から抜けている。
本書は英語版、中国語版、韓国語版も出ており、(ウィキペディア杉原誠四郎)でも、本書が史料研究者にも必須という高い評価を得ていながらあまりにも不自然である。
また、
●『総点検・真珠湾50周年報道』(杉田誠<杉原氏のペンネーム>著/森田 出版/1992年)も、英語版もあり外国人学者が周知の本でありながら、同 様に<インターネット展日米開戦>の<参考文献>として収録されてい ない。
このインターネット展の制作責任は言うまでもなく外務省にあるが、外務 省の戦争責任を明確に指摘する本は意図的に排除し、日の目を見ないように操作しているものと考えられる。
その結果は、外務省の戦争責任は免れないに関わらず、日本国民の目には一切意識にも上らない結果となっている。
未だ戦後政治が過般の戦争をめぐって際限のない不毛な論議を繰り返しており、昨今の情報戦をめぐっても、マスコミ、教育界などが自虐体制から 抜け出せないのも、ひとえに外務省の「開戦責任に対する隠蔽工作」が存 在することに起因するというのが杉原氏の主張である(本書を通読すれば 否応なく、それを認めざるを得ないだろう)。
私もこの事実を世に示す必要があると判断せざるを得ない。
この問題を、 本著上梓に当たり、「杉原さんの学者としての生命はもう終わりですね」とも言われた杉原氏を含む一部知識人の奮闘に対し、見て見ぬフリをするのは、日本国民の重大な不作為と思う。
その態度は、祭日になっても「国旗掲揚」を素知らぬ顔で無視する多くの日本国民(大人)の堕落と卑怯精神ともダブって見える。
各位におかれても、まずは本書を通読されることをお勧めしたい。
レイ氏 の執拗ともいえる主張は典型的な欧米論理に立脚していると思うが、皆さまなりに客観評価いただきたい。
そこには、原爆投下、幾度となく行われた都市爆撃について、日本人がイメージする非人道的戦争犯罪への反省は微塵もない。
あるのは日本海軍による真珠湾攻撃に対する復讐として、当然の反撃としか受け取られていない。
つまり当時の外務省による根本失策が、アメリカ・ルーズベルト政権の 「正義論」の口実を与えてしまったのである。「正義論」を当てはめれば、残虐ともいえる復讐攻撃も霞の如く扱われる。
さすが南北戦争で人類最初の「総力戦」をおっぱじめた国ではある(笑い事では済まされないが・・)。さらには、その大失策によって、我が国はアメリカの利用した「罠」と「世論戦」に負けたのである。
それが欧米世界であることを、当時の日本人がどれほど認識していたの か?
南京事件にしても、当時の欧米、シナの「世論戦」に見事に負けたで はないか。
その情けない姿は今に至るも続いている。
いつも受け身であ り、too lateである。
ついでの話だが、
・『ふたつのFORTUNE』(ダイヤモンド社/1993年)によれば、『フォー チュン』誌の生みの親でもあるヘンリー・ルースは当時のアメリカで一大メディア帝国を形成。
彼は長老教会(カルビン主義に基づくキリスト教新教の一派)の伝道師の 息子としてシナで誕生。
父親の教育も手伝って米国のグローバルな指導性、優位性を確信するに至った。
当時のアメリカにおけるブラックボックスであったシナに焦点をあて、米国民の関心を高める必要を感じていた。
その彼が1936年、『フォーチュン 日本特集』で、今の日本人からいえば誤解の塊である特集内容であったが、アメリカのエリート層の意識に刻印されて行ったのである。
この内容が当時の日本人に広く知られていたならば、その後の歴史も変わっていたに違いないと思われるが、日本国内の販売・翻訳は天皇への扱いが「不敬罪」に当たるとして日本政府によって*禁じられたようで、日本人の多くがこの事実を知らないままで終わったことは残念なことであった。
ルースの「日本嫌い」は徹底しており、そのメディア王が偏った日本人観を米国民に対し、確実に植え付けたのだった。
この「*禁じられた」というのが、どうも杉原氏の指摘する外務省による「情報隠蔽工作」と重なって見えるから不思議である。
その結果たるや、いずれも日本の歴史に「想定外の汚点(いや回復できない精神的、思想的惨禍)」をもたらしたといえるであろう。
戦争とは、勝者も敗者もない。
あるのは無明同士の戦いであるというのは、そういう愚かさも含めてのことではないだろうか?
いずれにせよ、杉原氏の指摘する外務省の「隠蔽工作」が看過できないことであることは、いうまでもない。
以上
このインターネット展の制作責任は言うまでもなく外務省にあるが、外務 省の戦争責任を明確に指摘する本は意図的に排除し、日の目を見ないように操作しているものと考えられる。
その結果は、外務省の戦争責任は免れないに関わらず、日本国民の目には一切意識にも上らない結果となっている。
280131発 これを無視してよいのか!?
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
濱田 實
杉原誠四郎・ハリー・レイ著『日本人の原爆投下論はこのままでよいのか』(日新報道/1800円)について
<戦後70年記念出版/原爆投下をめぐる 日米の初めての対話>杉原氏:教育学者、
レイ氏:米国人・近現代史歴史 学者アメリカによる原爆投下問題は未だ解決していない。
被害者である日本は、一向に声を荒げない。
一方のアメリカは種々の理由を付けて(レイ氏の立場)「正当論」を維持したまま日本に対しては沈黙 を保つ(米国内ではそのように教育)。
杉原教授は、たぶん唯一(といってよいほどに)この問題に一途な執着をもって取組んできた一人であろう。
昨年12月、本書を拝読、自分なりに整理するつもりでいたが、幸いにも窪田伸雄氏が『世界日報』で(1/17)、堤堯氏が『WILL/2016年3月号』で明 快な書評を寄せておられるので、それを引用しながら概略を紹介する。
窪田氏は、冷静な議論をしにくい問題、学問的良識をもって情勢を検証。
日本からすれば当時、米国からどう見られていたかが教訓となる。
米国は責任がないのか?
終戦を遅くした要因に、厳格な「無条件降伏」を突きつ けた米国側にも瑕疵ありとの杉原氏の論を引用紹介されている。
堤氏は、当時アメリカによるソ連牽制とソ連への見せつけ説、あるいはポツダム宣言の解釈に関する日米の齟齬、さらには開戦通告における在米大使館の事務的ミスと、それによるルーズヴェルトの「騙し打ち」呼ばわり。
杉原氏はなぜ直後にミスを公表謝罪しなかったのか?
50年後に公表したものの、それは詳細をぼやかして、国民、外国に対しても周知を潔しとし ない言わば省をあげての「情報隠蔽工作」を、あまりに重大な不作為の、杉原氏の主張を紹介。
杉原氏が外務省に質問書を持参、真摯に対応し回答書をくれた主席は、なぜかのちに左遷され、数年後本省で謎の投身自殺をしたという。
ここで読者の興味は外務省の闇的構造問題へと映る。
本書にはレイ氏を通じてアメリカ側の正当論が克明に記されており、アメリカ側の片棒を担ぐとかいう声も一部にあるが、それは誤解である。
杉原氏は本書で、そこまでアメリカ側に誤解を与え続けてきた要因として、吉田茂外相(当時)に始まる外務省の「情報隠蔽」工作が厳然としてあり、教科書誤報事件から南京問題、慰安婦問題へと続いて、日米両国による東京裁判史観への呪縛に影響を与えているという。
戦後の歴史に関わる幾多の不毛な論議を振り返るとき慄然としたものを感 じる。
想像がつくように、外務省の最も恐れることは一連の隠蔽工作が国内外に漏れわたることである。
そのいい例が、政府のホームページに杉原氏の、外務省にとって都合の悪い著書が収録されていないことである。それは、
●『日米開戦以降の日本外交の研究』(杉原誠四郎著/亜紀書房/1997年)・・公文書館のネット<インターネット展 日米開戦>の<参考文 献>から抜けている。
本書は英語版、中国語版、韓国語版も出ており、(ウィキペディア杉原誠四郎)でも、本書が史料研究者にも必須という高い評価を得ていながらあまりにも不自然である。
また、
●『総点検・真珠湾50周年報道』(杉田誠<杉原氏のペンネーム>著/森田 出版/1992年)も、英語版もあり外国人学者が周知の本でありながら、同 様に<インターネット展日米開戦>の<参考文献>として収録されてい ない。
このインターネット展の制作責任は言うまでもなく外務省にあるが、外務 省の戦争責任を明確に指摘する本は意図的に排除し、日の目を見ないように操作しているものと考えられる。
その結果は、外務省の戦争責任は免れないに関わらず、日本国民の目には一切意識にも上らない結果となっている。
未だ戦後政治が過般の戦争をめぐって際限のない不毛な論議を繰り返しており、昨今の情報戦をめぐっても、マスコミ、教育界などが自虐体制から 抜け出せないのも、ひとえに外務省の「開戦責任に対する隠蔽工作」が存 在することに起因するというのが杉原氏の主張である(本書を通読すれば 否応なく、それを認めざるを得ないだろう)。
私もこの事実を世に示す必要があると判断せざるを得ない。
この問題を、 本著上梓に当たり、「杉原さんの学者としての生命はもう終わりですね」とも言われた杉原氏を含む一部知識人の奮闘に対し、見て見ぬフリをするのは、日本国民の重大な不作為と思う。
その態度は、祭日になっても「国旗掲揚」を素知らぬ顔で無視する多くの日本国民(大人)の堕落と卑怯精神ともダブって見える。
各位におかれても、まずは本書を通読されることをお勧めしたい。
レイ氏 の執拗ともいえる主張は典型的な欧米論理に立脚していると思うが、皆さまなりに客観評価いただきたい。
そこには、原爆投下、幾度となく行われた都市爆撃について、日本人がイメージする非人道的戦争犯罪への反省は微塵もない。
あるのは日本海軍による真珠湾攻撃に対する復讐として、当然の反撃としか受け取られていない。
つまり当時の外務省による根本失策が、アメリカ・ルーズベルト政権の 「正義論」の口実を与えてしまったのである。「正義論」を当てはめれば、残虐ともいえる復讐攻撃も霞の如く扱われる。
さすが南北戦争で人類最初の「総力戦」をおっぱじめた国ではある(笑い事では済まされないが・・)。さらには、その大失策によって、我が国はアメリカの利用した「罠」と「世論戦」に負けたのである。
それが欧米世界であることを、当時の日本人がどれほど認識していたの か?
南京事件にしても、当時の欧米、シナの「世論戦」に見事に負けたで はないか。
その情けない姿は今に至るも続いている。
いつも受け身であ り、too lateである。
ついでの話だが、
・『ふたつのFORTUNE』(ダイヤモンド社/1993年)によれば、『フォー チュン』誌の生みの親でもあるヘンリー・ルースは当時のアメリカで一大メディア帝国を形成。
彼は長老教会(カルビン主義に基づくキリスト教新教の一派)の伝道師の 息子としてシナで誕生。
父親の教育も手伝って米国のグローバルな指導性、優位性を確信するに至った。
当時のアメリカにおけるブラックボックスであったシナに焦点をあて、米国民の関心を高める必要を感じていた。
その彼が1936年、『フォーチュン 日本特集』で、今の日本人からいえば誤解の塊である特集内容であったが、アメリカのエリート層の意識に刻印されて行ったのである。
この内容が当時の日本人に広く知られていたならば、その後の歴史も変わっていたに違いないと思われるが、日本国内の販売・翻訳は天皇への扱いが「不敬罪」に当たるとして日本政府によって*禁じられたようで、日本人の多くがこの事実を知らないままで終わったことは残念なことであった。
ルースの「日本嫌い」は徹底しており、そのメディア王が偏った日本人観を米国民に対し、確実に植え付けたのだった。
この「*禁じられた」というのが、どうも杉原氏の指摘する外務省による「情報隠蔽工作」と重なって見えるから不思議である。
その結果たるや、いずれも日本の歴史に「想定外の汚点(いや回復できない精神的、思想的惨禍)」をもたらしたといえるであろう。
戦争とは、勝者も敗者もない。
あるのは無明同士の戦いであるというのは、そういう愚かさも含めてのことではないだろうか?
いずれにせよ、杉原氏の指摘する外務省の「隠蔽工作」が看過できないことであることは、いうまでもない。
以上