真実は闇の中 | 日本のお姉さん

真実は闇の中

ロシアは今も昔も「暗殺国家」
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平井 修一

「荘子」に、「有機械者必有機事 有機事者必有機心」(機械あるものは 必ず機事あり 機事あるものは必ず機心あり)という言葉がある。

新漢和中辞典によれば――

機械:仕掛けのある器具、兵器の総称、いつわり、たくらみ
機事:機密の事柄、秘密、巧みに偽ること、
機心:偽りたくらむ心、はかりごとをめぐらす心

日本語にすれば「企みがあれば秘密がある。秘密があれば謀略がある」と いった意味だろう。

水面下で諜報活動をし、時には謀略をめぐらしたり、暗殺もするのが諜報 機関だ。どこの国の諜報機関も絶対に表に出せない裏仕事をしているはず だが、暗殺はロシアの得意技だ。

プーチンはKGBのスパイだった。どう見ても「人を殺した人の顔」で、不 気味である。産経ロンドン支局の岡部伸記者は20年ほど前にロシア情報機 関から脅されたという。

産経新聞1/22「元露スパイ毒殺事件 猛毒は核閉鎖都市で製造…暗殺国家 の闇浮き彫り 戦慄の報告書」から。

<ロシアの「毒殺」は小説より奇なり-。2006年に元ロシア連邦保安庁 (FSB)中佐、リトビネンコ氏(当時43歳)が暗殺された事件の真相を解 明する英国の独立調査委員会(公聴会)が最終報告書でロシア政府の関与 の可能性を示し、リトビネンコ氏のほかにポロニウム210で毒殺された人 物を特定したことなどからロシアが政敵をいとも簡単に毒殺する「暗殺国 家」であることを改めて裏付けた。(ロンドン 岡部伸)

■ボルシチに睡眠薬

プーチン大統領が毒殺を「承認した可能性が高い」とする英国の調査委員 会の結論に妥当性があると判断した。筆者自身、モスクワ特派員時代にロ シア情報機関から飲食物に睡眠薬を混入された経験があるからだ。

赴任して間もない1997年4月か5月ごろ、投宿したサンクトペテルブルクの ホテルでルームサービスのボルシチを取って食べたところ、衣服を着たま ま熟睡してしまい、翌朝起きると財布の中から、米ドル札だけが抜き取ら れていた。

パスポートやルーブル札は残っていた。不審に思い、外務省の知人に相談 すると、しばらくしてロシア情報機関から次のような回答が来たと伝えて くれた。

「あなたの行動をずっと見張っている。今回はそのことを知らす警告だ」

入り口の鍵とチェーンロッカーはかけていた。連中はボルシチに睡眠薬を 混入して眠らせた上で、コネクティングルームの隣から侵入したようだっ た。薬物をいとも簡単に混入させ相手を意のままに操ろうとするロシア国 家の本質を垣間見て背筋が寒くなった。

■凶器 ポロニウム210

今回のリトビネンコ氏暗殺事件では、睡眠薬ではなく致死に至る放射性物 質、ポロニウム210が使用されていたが、報告書でロシア政府関与の可能 性が高い根拠としたのが、ポロニウム210の入手ルートだった。

サセックス大学のドムベイ名誉教授の研究成果から、殺害の「凶器」ポロ ニウム210は、大変レアで致死量を製造できるのは核兵器を製造するロシ ア西部の核閉鎖都市で、ロシア政府の管理下で製造されたことを突き止めた。

しかも事前テストとして2004年にロシア南西部ボルゴグラードで収監して いたチェチェンの反体制活動家のイスラモフ氏ら2人にもポロニウム210を 飲ませ、殺害していた。

さらにモスクワからロンドンにポロニウム210を3回持ち込み、事件があっ た約1カ月前の6年10月にもリトビネンコ氏はポロニウム210を盛られた可 能性が高いと指摘した。

そこでポロニウム210を製造、使用できるロシア政府が殺害に関わった可 能性が高いと結論づけた。

■毒殺の伝統

ロシアでは毒物によって暗殺する伝統がある。古くは暗殺者たちを生み出 す原点となった帝政ロシア末期に、人心を乱すとして怪僧ラスプーチンに 青酸カリを飲ませ、殺害を試みたことはよく知られている。

そしてロシア革命の父、レーニンが1917年の10月革命後、政敵に対するテ ロ暗殺のために設立した国家保安委員会(KGB)の前身である「チェ カー」(秘密警察組織の通称)の毒物研究が発端となり、ジェルジンス キーらが裁判なしに反革命派を逮捕・処刑、最後の皇帝ニコライ2世一家 殺害にも関与した。

78年、ロンドンでブルガリアの反体制活動家が傘の先に仕掛けられた猛 毒、リシンによって殺害された。KGBの対外防諜局長で米国に亡命したオ レグ・カルーギンが、亡命先でKGBの犯行であったことを暴露している。

スターリン時代に規模が拡大され、ソ連崩壊後はFSBが研究を引き継い だ。ロシア西部サロフの国家施設アヴァンガルド・プラントで開発された 放射性物質ポロニウム210は最新の「凶器」といえる。サロフは、旧ソ連 時代には「アルザマス16」の名前で呼ばれていた秘密核兵器開発都市だ。

■動機 モスクワアパート連続爆破事件

報告書は暗殺の動機を「FSBの腐敗を告発するなど、リトビネンコ氏はロ シアに多くの敵を作った」とした。

具体的には99年に300人の死者を出したモスクワアパート連続爆破事件の “内幕”を暴露したことにあり、背景にプーチン氏とリトビネンコ氏の浅か らぬ因縁があったと指摘した。

プーチン氏が、第2次チェチェン戦争の引き金となったアパート連続爆破 事件を契機に絶大な権力を握るようになったのは有名だ。

リトビネンコ氏は98年11月、政商ベレゾフスキー氏の暗殺を命じられなが ら、その命令を内部告発して逮捕された。その上司であるFSB長官がプー チン氏だった。リトビネンコ氏は無罪となるが、翌年再逮捕され、再び釈 放され2000年に家族を連れて英国に亡命した。

ロンドンでリトビネンコ氏は、モスクワの一連のアパート爆破事件とプー チン氏の大統領就任を結びつける告発本「ロシア爆発。内からのテロ」を 出版する。アパート爆破事件はチェチェンの犯行と決めつけたプーチン氏 はそれを理由にチェチェン弾圧を行い、国民から圧倒的な支持を得た。病 弱なエリツィン大統領(当時)はプーチン氏を後継者に指名、99年12月に 引退。チェチェン平定を果たしたプーチン氏は2000年3月大統領選挙で圧 勝する。

権力を掌握したチェチェン弾圧とそのきっかけとなったアパート爆破事件 が、チェチェンのテロリストの犯行ではなくFSBのプーチン勢力による自 作自演だったとリトビネンコ氏は内部告発したことがプーチン氏の逆鱗に 触れたと報告書は分析している。

報復と見せしめの可能性が強い。リトビネンコ氏自身は、死のベッドで書 いた遺書で、プーチンとFSBにやられたと記している。

リトビネンコ氏と連絡を取り、FSB関与疑惑を調査した野党のユシェンコ フ下院議員は2003年4月、射殺されている。

また次期大統領候補といわれたレベジ元安保会議書記もアパート連続爆破 事件は「治安機関が関与している疑いがある」と発言して、ヘリコプター が突然墜落する不審な事故で死亡している。

99年にモスクワに赴任していた筆者も第二次チェチェン戦争の引き金と なったアパート連続爆破事件がチェチェンのテロと結論付けることに疑念 を抱いたことを覚えている。あまりにも証拠に乏しく唐突に思えたから だ。ロシアの暗殺を巡る闇は深い。

*ポロニウム210 ポーランド出身のノーベル物理・化学賞受賞のキュ リー夫人が1898年に発見した放射性物質。ポーランドのラテン語が語源に なっている。強い放射線を出すとされ、放射性元素の中で最も有毒とされ ている。

*リトビネンコ事件 プーチン政権を批判していたFSB元幹部のアレクサ ンドル・リトビネンコ氏が2006年11月、亡命先のロンドンで急に体調を崩 して死亡。体内から放射性物質ポロニウム210が検出され、毒殺されたこ とが判明した。

英検察当局は翌07年5月、ロンドンでリトビネンコ氏と接触した旧ソ連国 家保安委員会(KGB)元職員の実業家、ルゴボイ容疑者の犯行と断定した が、ロシア政府は身柄の引き渡しを拒否している>(以上)

いやはや、まるで早川ミステリーの世界だ。諜報員は血も涙もない冷血漢 という感じだが、「正義と思えば何でもできる」のが人間だからターゲッ トを冷静に殺すのだろう。邪魔者は殺せ。

支那も伝統的に毒殺が好きだ。主人と賓客が宴会で大皿からとって食べる のは「毒は入っていませんよ」というメッセージだったという。習近平は 会議でお茶に毒を盛られるのを恐れていた。

盗聴したり、盗聴されたり、殺したり、殺されたり。政治・外交の世界は 表裏の乖離がすさまじい。「真実は闇の中」、ヒラリーが国務長官時代に 起きた米領事館襲撃事件(ベンガジ事件、2012年9月)も闇の中か。それ とも・・・(2016/1/24)