地の上に平和が、み心にかなう人々にあるように
ーいと高き所に、栄光が神にあるように。
地の上に平和が、み心にかなう人々にあるように。ー
これは、2018年ほど前にユダヤのベツレヘムで野宿をしていた羊飼いたちが、聞いた天使らの歌の歌詞です。
平和とは、戦争と戦争の間のつかの間の休息の期間の名称に過ぎないとどこかの誰かがネットの記事で書いていました。
正直、人間が天使にでもならない限り、犯罪も戦争も無くならないでしょう。
もう一つ。どこかの強い国が世界を支配し、すべての人がひとりの独裁者の管理下に置かれると平和が訪れます。
ただし、みんながみんな、独裁者の言いなりにおとなしくしているという条件付きの「奴隷の平和」です。
世界のリーダーとなった者が、神さまのように正しく罪に対しては厳しく、また慰めと慈愛に満ちていて、すべての人を平等に扱ってくれるのなら、その管理下に置かれることも心地が良いものなのかもしれません。
でも、人間自体が間違いも犯す弱いものであるならリーダーも失敗を犯すものなのです。
それに、ひとりの人間の命は有限で、病気でもすれば不機嫌になったり偏屈になったりするものです。口の上手い側近にコントロールされて、オセロのようにに、無実の妻を殺すような罪を犯すかもしれない。
世界中の王様や独裁者らや政治家は、自分の持っている金と権力や立場を利用して、それぞれ、自分たちの理想を実現させるために、自分たちにとっての敵とぶつかりあっている。それが、酷くなると陰謀や戦争となる。
世の中の事をニュースで知れば知るほど、自国の利益のためには、他国を犠牲にしても平気な人々のエゴのぶつかり合いで、嫌になります。どこかの国がエゴをひっこめて我慢しないと戦争になります。日本が日本国民の利益を考えず、どんどんアメリカの都合の良い方向に向かっているのを見ると、嫌になります。ただ、自衛隊しかない日本が、自国の島々を守るためには、それしか道が無いようです。文句があるなら、日本は軍隊も抑止力としての核兵器も持つべきです。
他国が攻撃してきたら、あっという間に日本に人が住めなくなりそうな原発の問題など、考えてみれば、日本人はとても危険な状態にあると言っていいと思います。地震と津波が起これば、原発がどういうことになるか、やっと日本人は気が付いたところです。
確かに人々は不安を抱えて生きているのです。仕事を失うこと、貯金を失うこと、健康を失うことも恐れています。何よりも、自分や家族が思いがけず早く死んでしまうことを恐れている。
でも、危険なものを恐れることは、人間として長生きするために必要な感覚だと思うのです。
電車を待っている時に、線路側の白線の外側に立つことを恐れない人は、おかしな人です。
車を運転中に、眠気を感じて、何度も意識が飛んでいるのに、コンビニに入って休まない人もおかしな人です。給料をその日のうちに全部使い切ってしまう人も、先のことを考えないおかしな人です。
恐れがあるから、人間はいろいろなことに気を使い、貯金もするし、自分や家族の健康に気を配るのです。福島原発の問題も、もっと日本人の政治家や関係者が事故を恐れて準備を怠らずにいて欲しかった。
人々は、正しく恐れ、準備をする必要があるのです。
日本は地震大国なので、日ごろから建築物には耐震設備を取り付けたり、最初から免震機構を設置したりして対応しています。
対処できることには、きちんと対処するべきだろうし、自分と家族の健康も日頃から整えておかねばならないでしょう。日本と日本人を愛していない悪い政治家は、選挙で落し、文句を言うべきことには、黙っていないで文句を言うべきでしょう。独裁者の支配する国では、選挙もないので、何もできませんが、日本はそういう国ではない。
ただ、ひとつだけ、対処できないことがあります。
先ほども書きましたが人の命は有限だということです。
そして、人が一番恐れていることは、死後はどうなるのかわからないということです。
人は微生物から進化したものだと完全に信じている無神論者は、死んだら無になると信じています。でも、人間は何かを拝むのが好きなので、自分勝手な偶像を選び、自分が「神と決めたもの」に向かって、拝んだり願いごとを祈ったりしています。
それは、本当の神さまがいるとしたら、その神さまに対する罪です。
本当の神さまがいるとしたら、宇宙も地球もその中の生き物全てを創造された方です。
人間に命を吹き込んで、神に似た知性を与え、人間に美と善を愛する心も備えた神です。
その神さまが存在されるのなら、人間を無知なまま、ほおっておかれるでしょうか?
神さまを信じないで、欲望のまま生きて、神で無いモノを拝み、神さまに敵対している人は神さまとの平和を持っていません。
そのまま死ねば、神さまに逆らう悪の霊である悪魔と同じ場所に行きます。
つまり、永遠の燃える火の中に落ちて悪魔と共に永遠に苦しむことになります。
そのような存在になるように神さまは人間を創造したのではありません。人間は神さまと仲の良い関係を楽しみ神さまと永遠に幸せに生きるように、創られた特別な創造物なのです。
永遠について思いを巡らし、何かを拝みたいという宗教心を持ち、見えないものを待ちわびる想いを持った特殊な生き物は人間しかありません。
最初の人間が、神さまの願いに従わず、自分勝手に生きることを決めてから、その子孫はずっと生まれつき心に罪を持って生まれてくることになりました。
世の中で男はひたいに汗して食料を手に入れ、女は、苦しみながら子供を産むようになりました。神さまに積極的に逆らった人間によって、地球は呪われてしまい、自然災害も起こるし、人災も起こります。陰謀による人工災害も起こります。もちろん、戦争も事故も事件も起こります。
人間は神さまから離れた時から、心に不安を抱えて生きることが運命のように定められてしまったのです。そんな、守ってくれる親のいない孤児のような人間を罪の裁きから救うために、神さまが昔から約束してくださったことがあります。イスラエルの王様の家系の女性から、救い主を
送るという預言があったのです。
その救い主は、イスラエルのユダヤのベツレヘムから来るという預言もあります。
通常の男女の営みによってではなく、処女を通して特別な方法で人となるという預言もあります。預言を代々書き綴ってきたのは、イスラエル人です。神さまのことばをその時々の王様に伝える預言者という役割を与えられた人々によって書かれました。
その預言の通りに来てくださったのが、イエス・キリストです。キリストとは、救い主という意味です。イエスという名前はインマヌエルという意味で「神さまが共にいてくださる」という意味です。神さまのひとり子の関係の、もうひとりの神が、昔からの預言通りに、この世界に介入してくださったのです。
神さまは人間をこの呪われた世界にほおりっぱなしにはされず、救い主によって、神さまとの関係を修復できるようにしてくださいました。
罪の無い神さまのひとり子は、人間の姿をとって、この世に来てくださり、人間の受けるべき罪の裁きを身代りに受けて、十字架の上で父である神さまによって裁かれました。
それは、十字架にかけられた痛みというものではなく、神さまの人類に対する怒りを受ける苦しみです。罪に対する神様の怒りとはどのようなものなのかは、人間のわたしには想像できません。ですが、神さまが人間を地獄から救うためには、必要なことだったのです。
イエス・キリストは、罪のあるわたしたちの代わりに十字架にかかられ、神さまの怒りを終わらせられました。そして、聖書の預言通りに3日目によみがえられて、500人以上の人々に同時に現れて、ご自分が聖書の約束の救い主だとはっきりと教えられてから、40日目にみんなが見ている前で天に帰られました。
このことを信じるものは、罪を赦されて救われます。
生まれつき罪を心に持って生まれた人間が、生きている間に犯すすべての罪を赦されて、罪が無い者と神さまに認められるのです。
救い主が十字架にかかって成し遂げられたことは、完全に神さまの怒りを満足させることができるものです。神さまのひとり子が、人間となって、身代りに人類の罪の罰を背負うことは、神さまの願いだったのです。神さまは、あなたの罪を赦して、死後に裁きにあうことなく、永遠の神さまの国、天国で、あなたと過ごしたいと願っておられます。
この世の中が、どんなに酷い場所でも、あなたの身の周りの世界が罪にまみれた嫌な場所でも、
あなたが、今、持っているものを失うかもしれないという不安があったとしても、まず一番に、不安に思わなければならないことがあります。あなたの今の立場は、創造主の神さまと無関係であることです。
あなたは、神さまを無視して、積極的に神ではないモノを拝み、神さまに敵対しています。
一番、必要なことは、神さまと和解して、死後の裁きを免れ、生きている間も神さまと共に生き、人生の終わりに神さまのおられ場所に迎えられることです。
そこが本来、人間が戻るべき場所なのです。
神さまとの平和を心に持って、クリスマスをお迎えください。
メリークリスマス!
地の上に平和が、み心にかなう人々にあるように。ー
これは、2018年ほど前にユダヤのベツレヘムで野宿をしていた羊飼いたちが、聞いた天使らの歌の歌詞です。
平和とは、戦争と戦争の間のつかの間の休息の期間の名称に過ぎないとどこかの誰かがネットの記事で書いていました。
正直、人間が天使にでもならない限り、犯罪も戦争も無くならないでしょう。
もう一つ。どこかの強い国が世界を支配し、すべての人がひとりの独裁者の管理下に置かれると平和が訪れます。
ただし、みんながみんな、独裁者の言いなりにおとなしくしているという条件付きの「奴隷の平和」です。
世界のリーダーとなった者が、神さまのように正しく罪に対しては厳しく、また慰めと慈愛に満ちていて、すべての人を平等に扱ってくれるのなら、その管理下に置かれることも心地が良いものなのかもしれません。
でも、人間自体が間違いも犯す弱いものであるならリーダーも失敗を犯すものなのです。
それに、ひとりの人間の命は有限で、病気でもすれば不機嫌になったり偏屈になったりするものです。口の上手い側近にコントロールされて、オセロのようにに、無実の妻を殺すような罪を犯すかもしれない。
世界中の王様や独裁者らや政治家は、自分の持っている金と権力や立場を利用して、それぞれ、自分たちの理想を実現させるために、自分たちにとっての敵とぶつかりあっている。それが、酷くなると陰謀や戦争となる。
世の中の事をニュースで知れば知るほど、自国の利益のためには、他国を犠牲にしても平気な人々のエゴのぶつかり合いで、嫌になります。どこかの国がエゴをひっこめて我慢しないと戦争になります。日本が日本国民の利益を考えず、どんどんアメリカの都合の良い方向に向かっているのを見ると、嫌になります。ただ、自衛隊しかない日本が、自国の島々を守るためには、それしか道が無いようです。文句があるなら、日本は軍隊も抑止力としての核兵器も持つべきです。
他国が攻撃してきたら、あっという間に日本に人が住めなくなりそうな原発の問題など、考えてみれば、日本人はとても危険な状態にあると言っていいと思います。地震と津波が起これば、原発がどういうことになるか、やっと日本人は気が付いたところです。
確かに人々は不安を抱えて生きているのです。仕事を失うこと、貯金を失うこと、健康を失うことも恐れています。何よりも、自分や家族が思いがけず早く死んでしまうことを恐れている。
でも、危険なものを恐れることは、人間として長生きするために必要な感覚だと思うのです。
電車を待っている時に、線路側の白線の外側に立つことを恐れない人は、おかしな人です。
車を運転中に、眠気を感じて、何度も意識が飛んでいるのに、コンビニに入って休まない人もおかしな人です。給料をその日のうちに全部使い切ってしまう人も、先のことを考えないおかしな人です。
恐れがあるから、人間はいろいろなことに気を使い、貯金もするし、自分や家族の健康に気を配るのです。福島原発の問題も、もっと日本人の政治家や関係者が事故を恐れて準備を怠らずにいて欲しかった。
人々は、正しく恐れ、準備をする必要があるのです。
日本は地震大国なので、日ごろから建築物には耐震設備を取り付けたり、最初から免震機構を設置したりして対応しています。
対処できることには、きちんと対処するべきだろうし、自分と家族の健康も日頃から整えておかねばならないでしょう。日本と日本人を愛していない悪い政治家は、選挙で落し、文句を言うべきことには、黙っていないで文句を言うべきでしょう。独裁者の支配する国では、選挙もないので、何もできませんが、日本はそういう国ではない。
ただ、ひとつだけ、対処できないことがあります。
先ほども書きましたが人の命は有限だということです。
そして、人が一番恐れていることは、死後はどうなるのかわからないということです。
人は微生物から進化したものだと完全に信じている無神論者は、死んだら無になると信じています。でも、人間は何かを拝むのが好きなので、自分勝手な偶像を選び、自分が「神と決めたもの」に向かって、拝んだり願いごとを祈ったりしています。
それは、本当の神さまがいるとしたら、その神さまに対する罪です。
本当の神さまがいるとしたら、宇宙も地球もその中の生き物全てを創造された方です。
人間に命を吹き込んで、神に似た知性を与え、人間に美と善を愛する心も備えた神です。
その神さまが存在されるのなら、人間を無知なまま、ほおっておかれるでしょうか?
神さまを信じないで、欲望のまま生きて、神で無いモノを拝み、神さまに敵対している人は神さまとの平和を持っていません。
そのまま死ねば、神さまに逆らう悪の霊である悪魔と同じ場所に行きます。
つまり、永遠の燃える火の中に落ちて悪魔と共に永遠に苦しむことになります。
そのような存在になるように神さまは人間を創造したのではありません。人間は神さまと仲の良い関係を楽しみ神さまと永遠に幸せに生きるように、創られた特別な創造物なのです。
永遠について思いを巡らし、何かを拝みたいという宗教心を持ち、見えないものを待ちわびる想いを持った特殊な生き物は人間しかありません。
最初の人間が、神さまの願いに従わず、自分勝手に生きることを決めてから、その子孫はずっと生まれつき心に罪を持って生まれてくることになりました。
世の中で男はひたいに汗して食料を手に入れ、女は、苦しみながら子供を産むようになりました。神さまに積極的に逆らった人間によって、地球は呪われてしまい、自然災害も起こるし、人災も起こります。陰謀による人工災害も起こります。もちろん、戦争も事故も事件も起こります。
人間は神さまから離れた時から、心に不安を抱えて生きることが運命のように定められてしまったのです。そんな、守ってくれる親のいない孤児のような人間を罪の裁きから救うために、神さまが昔から約束してくださったことがあります。イスラエルの王様の家系の女性から、救い主を
送るという預言があったのです。
その救い主は、イスラエルのユダヤのベツレヘムから来るという預言もあります。
通常の男女の営みによってではなく、処女を通して特別な方法で人となるという預言もあります。預言を代々書き綴ってきたのは、イスラエル人です。神さまのことばをその時々の王様に伝える預言者という役割を与えられた人々によって書かれました。
その預言の通りに来てくださったのが、イエス・キリストです。キリストとは、救い主という意味です。イエスという名前はインマヌエルという意味で「神さまが共にいてくださる」という意味です。神さまのひとり子の関係の、もうひとりの神が、昔からの預言通りに、この世界に介入してくださったのです。
神さまは人間をこの呪われた世界にほおりっぱなしにはされず、救い主によって、神さまとの関係を修復できるようにしてくださいました。
罪の無い神さまのひとり子は、人間の姿をとって、この世に来てくださり、人間の受けるべき罪の裁きを身代りに受けて、十字架の上で父である神さまによって裁かれました。
それは、十字架にかけられた痛みというものではなく、神さまの人類に対する怒りを受ける苦しみです。罪に対する神様の怒りとはどのようなものなのかは、人間のわたしには想像できません。ですが、神さまが人間を地獄から救うためには、必要なことだったのです。
イエス・キリストは、罪のあるわたしたちの代わりに十字架にかかられ、神さまの怒りを終わらせられました。そして、聖書の預言通りに3日目によみがえられて、500人以上の人々に同時に現れて、ご自分が聖書の約束の救い主だとはっきりと教えられてから、40日目にみんなが見ている前で天に帰られました。
このことを信じるものは、罪を赦されて救われます。
生まれつき罪を心に持って生まれた人間が、生きている間に犯すすべての罪を赦されて、罪が無い者と神さまに認められるのです。
救い主が十字架にかかって成し遂げられたことは、完全に神さまの怒りを満足させることができるものです。神さまのひとり子が、人間となって、身代りに人類の罪の罰を背負うことは、神さまの願いだったのです。神さまは、あなたの罪を赦して、死後に裁きにあうことなく、永遠の神さまの国、天国で、あなたと過ごしたいと願っておられます。
この世の中が、どんなに酷い場所でも、あなたの身の周りの世界が罪にまみれた嫌な場所でも、
あなたが、今、持っているものを失うかもしれないという不安があったとしても、まず一番に、不安に思わなければならないことがあります。あなたの今の立場は、創造主の神さまと無関係であることです。
あなたは、神さまを無視して、積極的に神ではないモノを拝み、神さまに敵対しています。
一番、必要なことは、神さまと和解して、死後の裁きを免れ、生きている間も神さまと共に生き、人生の終わりに神さまのおられ場所に迎えられることです。
そこが本来、人間が戻るべき場所なのです。
神さまとの平和を心に持って、クリスマスをお迎えください。
メリークリスマス!