カサンドラ症候群
アスペルガー症候群の人と結婚してしまったために
心が通い合わず、体調を崩してしまった人の症状。
他人に訴えても「みんなそうよ」と言われて相手にされないので、孤独になるそう。
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カサンドラ症候群ーウィキ
「カサンドラ症候群;カサンドラ情動剥奪障害(カサンドラしょうこうぐん;カサンドラじょうどうはくだつしょうがい)」とは、アスペルガー症候群(AS)[注釈 1]の夫または妻(あるいはパートナー)と情緒的な相互関係が築けないために配偶者やパートナーに生じる、身体的・精神的症状を表す言葉である[1]。アスペルガー症候群の伴侶を持った配偶者は、コミュニケーションがうまくいかず、わかってもらえないことから自信を失ってしまう。また、世間的には問題なく見えるアスペルガーの伴侶への不満を口にしても、人々から信じてもらえない。その葛藤から精神的、身体的苦痛が生じる[2]。
症状としては偏頭痛、体重の増加または減少、自己評価の低下、パニック障害、抑うつ、無気力などがある。カサンドラ症候群の悩みを訴える者のブログも多く見られ、アスペルガー症候群の伴侶を持つ者の二次障害として深刻な問題となっている[2]。 家族に対するケアの重要性が指摘されている[3]。
アスペルガー症候群 (AS)は男性が女性の4倍ほど多い[4]ため、カサンドラ症候群は妻の病気として書かれることが多い。アスペルガー症候群が女性である場合は、AS男性をAS女性に置き換えて読む必要がある[5]。
ここでは一部の記述において、男性をAS、女性を非ASとして説明する。
カサンドラ症候群について理解を深めることは、決してASの人を否定したり差別を助長したりするためではない。AS-非AS夫婦間に生じる問題の原因に向き合い、適切な支援を受け、パートナーのお互いがより良い生き方を模索するために必要なことである。
カサンドラ症候群は妻だけでなく、家族、友人、会社の同僚にも起こるとされている[6]。 カサンドラ症候群を知ることは、定型-非定型間のコミュニケーションのあり方を認識することであり、つまりは、ASの社会的認知度を高める手助けにもなると考えられる。
「カサンドラ」の名称
語源
カサンドラは「人々から決して信じてもらえない予言者」のことで、ギリシャ神話に登場する、トロイの王女である。アポロンは彼女に予言の能力を授けたが、アポロンの愛が冷めて自分を捨て去っていく未来が見えたカサンドラは、アポロンの愛を拒絶する。アポロンは「カサンドラの予言を誰も信じない」という呪いをかけてしまう。カサンドラは予言の能力を残されたが、未来の出来事を変えることも、予言の正当性を他の人たちに納得させることもできなかった[7][8]。
歴史
カサンドラの比喩は、心理学、環境保護主義、政治、科学、映画、企業世界、哲学など様々な文脈で使われてきた。少なくとも1949年には、フランスの心理学者ガストン・バシュラール(Gaston Bachelard)が'Cassandra Complex'の用語を作り出し、以後広まってきた[8]。
非ASの配偶者や家族がASの行動の影響を受ける状態は、もともとは「鏡症候群」(Mirror Syndrome;ミラーシンドローム)と言われていた。これは、1997年にアメリカのFAAAS(ASの成人の家族の会)が考え出したものである。特に、診断されていない成人のASの場合に生じるとされる。非ASの家族は、常に一緒に生活するASが表すペルソナ(外的人格)を、少しずつ長い時間をかけて映し出すようになる。孤立し、誰からも正当性を認められない[6]。
「鏡症候群」は数年後には「カサンドラ現象(Cassandra Phenomenon)」に変更され、2003年にFAAASの会議で「カサンドラ情動障害(Cassandra Affective Disorder)」として初めて公表された[9]。
最近では「カサンドラ情動剥奪障害(Cassandra Affective Deprivation Disorder;CADD、AfDD)」「カサンドラ愛情剥奪症候群(Cassandra Affective Deprivation Syndrome;CAD)[10]」と言われるようになった。これらの言葉は、非ASの人が、ASの人との関係において経験することを示してきた。彼女たちの多くが、パートナーとの関係において情緒的な相互関係が欠如しているために、身体的・精神的な不安反応を示している[1]。
予言者カサンドラは、真実を知る力を与えられながらも、呪いにより誰からも信じてもらえなかった。この様子が、ASと非AS間の関係の状態を表していると言われる。彼らは自分たちの関係が典型的なものではないとわかっているが、他の人たちはその関係の真実を受け入れたがらないのである[1]。
なお、「カサンドラ症候群」の名称はアメリカ精神医学会の診断基準に含まれておらず、正式病名というのはない。これらの症状はASのパートナーを持ったことにより起こるので、関係性による「障害」であり、病名がつかないため「状態」や「現象」と呼ぶのが現在のところはいいとされる[11]。
症状
カサンドラの状態
カサンドラ症候群は二次障害である。人と人との関係における認識の欠如の結果であり、人格障害とは異なる。情緒的な相互関係と愛と所属は、人間の本質的なニーズであり、これらが満たされず、そしてその理由が解らないとなれば、心身の健康は影響を受ける可能性がある[12]。
カトリン・ベントリー(Katrin Bentley)は、ASパートナーとのコミュニケーションにおける情動剥奪について、ジェイムズ・レッドフィールド(James Redfield)のエネルギー理論の哲学をもとに説明している[13]。
人間は感情的エネルギーを必要としていて、それは日常生活で幸福を見つけるために欠かせない源である。ASとの結婚において感情的エネルギーで自分を満たすことは難しい。支え合うというエネルギーの交換が起こらない。非AS女性はエネルギーを差し出すが、ASのパートナーから受け取るものはほとんどなく、常に消耗する。
カサンドラ症候群は、パートナーのお互いが原因を理解し受け入れることによってのみ、克服あるいは軽減することができる[12]。つまり、女性がASの知識を持ち、男性がASを自覚していることが前提となる。
お互いの違いを理解し、コミュニケーションや感情表現・愛情の示し方のより良い方法を見つけるために、パートナーの両方がお互いのために勉強して協力するならば、二人の関係はうまくいくことがある[14]。
しかし、男性本人も周囲もASに気づかないまま大人になっている場合も多く[15]、そのことがカサンドラ症候群の克服を難しいものにしている。
診断基準
カサンドラ症候群は次の3つの要素から成る、とされている[16]。
パートナーの少なくとも一人[注釈 2][14]が、低い心の知能指数/共感指数、あるいはアレキシサイミア(失感情症)[注釈 3][17]。
人間関係の相互作用や経験を害する
精神的および身体的(またはどちらか一方)なマイナスの症状
具体的には、以下の各カテゴリーに1つ以上該当すること。
少なくともパートナーの一人が次の診断基準の1つ以上に該当する
低い感情知能
アレキシサイミア
低い共感指数
人間関係の面で次の1つ以上に該当する
激しい対立関係
家庭内虐待(精神および身体、またはどちらか一方)
人間関係の満足感の低下
人間関係の質の低下
起こりうる精神的または身体的症状
低い自己尊重
混乱/当惑した感情
怒り、抑うつ、不安の感情
罪悪感
自己喪失
恐怖症(社会恐怖症、広場恐怖症)
心的外傷後ストレス反応
疲労
不眠症
偏頭痛
体重の増減
PMT;月経前緊張症(婦人科系の問題)
その他、カサンドラ症候群の症状として「アスペルガー的行動」が生じる場合もある[18]。
ASと非ASの関係
異なる文化背景
ASの人との結婚は、異なる文化的背景をもつ二人の人間の関係に例えられる[19]。どちらの文化にも良い面があるが、言葉と行動に関しては違いがある。ASの人との結婚でパートナーが苦しむ理由は、文化的ストレスと呼ばれる状態にある。自分のよく知っているコミュニケーション方法から切り離されたとき、文化的ストレスは生じるという。別の方法を正しいとする新しい環境に直面したときに、アイデンティティと自尊心が影響を受ける可能性がある。
外国で暮らすとき、人はふつう言葉と行動の違いは覚悟している。それに対して、ASの人と結婚するときに文化的な違いには気づかない。(「#ASと非ASのカップルに問題が生じる理由」、「#第三者が理解しにくい理由」参照)
ASは病気ではないので、治療法はない。それは1つの文化であり、尊重すべきものである。誰が間違っていて誰が正しいか、ということではない。認知にはかなりの違いがあり、パートナーたちはお互いを理解するためには努力が必要なのである[20]。
たとえ話
AS男性とその妻(以下、(非AS)女性)の関係は、よくたとえ話で説明される。
マクシーン・アストン(Maxine Aston)[注釈 4][21]はAS男性をワシ、非AS女性をシマウマに例えている[22]。
ワシとシマウマは食べるものも生き残る環境も違うので、つながってもうまくいかない。生活を共にしたいなら、ワシは構造化されていない予測不可能なシマウマの環境で生きていかなければならない。しかし、その環境で生きられる時間は限られるため、ワシはときどき山に帰って一人で過ごし、生命維持に必要な食べ物を食べて元気を取り戻さなければならない。その理由がわからないシマウマは、ワシの関心が自分から逸れると深く傷つく。二人の間に波風が立つようになり、関係は非常に不安定になる。シマウマは拒否されている、価値がないと見なされていると思い、ワシは間違ったことをしていると責められていると思う。
マクシーン・アストンはまた、認知の違いを次のように説明している。
夫婦が同じ時、同じ場所にいても、こんなにも異なる視点であるということを理解するには、2人の人が山の頂上で背中合わせに立っているのを想像してほしい。1人は定型発達者、もう1人はASである。ASの見ている景色は都会で、ビル、電車、車や工場から成っている。定型発達者の見ている景色は田園地帯で、川や野生動物、色彩豊かな牧草地が見える。2人とも同じ時、同じ場所に立っているが、非常に異なる景色を見ている。同じ場所に対するそれぞれの感じ方は、根本的に異なっているのだ。あとで話し合った時、彼らはその経験の記憶がお互いに異なっていることに驚き、あっけにとられる。そして、それぞれの認知がなぜそんなに異なるのか、理解しようともがくのだ[23]。
カトリン・ベントリーはAS男性をサボテン、非AS女性をバラに例えて詩に表現している[24]。
AS男性に惹かれて結婚し、ASを知らぬまま苦しみながら生活を送り、やがてASに気づいて理解し、違いを受け入れていく様子が描かれる。
(詩の要約)
サボテンを気に入ったバラだが、サボテンに合わせて砂漠に住むのは難しかった。生きていくために水がほしかったが、少しずつしおれ、やがて何も感じなくなった。サボテンの愛し方を知らず、バラに変えようと一生懸命だった。サボテンはバラのように振る舞ったが、一人のほうが心地よく、孤独に戻っていった。しおれたバラを、ほかのバラたちは仲間はずれにした。やがて、サボテンには別の愛情の示し方があると知り、サボテンは変種のバラではないと気づいた。二人が同じ植物になるより、違いを受け入れ、お互いを大切にし合おう。二人の子供は、バラの野生・繊細さ・色鮮やかさと、サボテンの頼もしさ・強さ・人を惹きつける魅力を併せ持つだろう。
ルディ・シモン(Rudy Simone)[注釈 5]はAS男性を岩、非AS女性を水に例えている[25]。
AS男性は岩で、彼を愛する女性は岩に向かって流れる水。岩が水によって形づくられるように、彼も彼女からの影響を受ける。ただし、とてもゆっくりした速度で。女性は優しく、根気強く接した方がよい。もし波のように強く流れると、微動だにしない彼に当たって砕け散ってしまうからだ。何度もそれを繰り返していると、やがて彼女には何も残らなくなる。
専門家の見解
AS男性と非AS女性の関係については、医師らによる次のような指摘がある。
トラブルや不和
大人の発達障害の人は、自分のパートナーや家族、会社の上司や同僚、友人たちにとって、本人には悪意がないにもかかわらずトラブルメーカーになったり、周囲をイライラさせたりする[26]。仕事でミスを繰り返したり、家庭内でもコミュニケーションがうまく取れていなかったりして、人間関係も悪循環に陥っていることが多い[27]。(星野仁彦)[注釈 6] 大人の発達障害の家族、つまり夫や妻、恋人、同居している親・兄弟・子どもたちは、多かれ少なかれ発達障害の人の言動や行動に振り回されている。極端な場合、夫婦間不和、暴力(DV)、児童虐待などが見られるケースも少なくない。そのほとんどの場合、大人の発達障害というハンディがあるということに本人も家族も気づいてはおらず、「本人のわがままで自己中心的な性格の問題」として片付けられている。 家族は「夫(妻)の言動にうんざりしている」「夫(妻)は私のことを理解してくれない」「物事をいつも自分流に行って、人の意見に聞く耳を持っていない」など強い不満を抱いている。発達障害の人自身も、自分の問題点に気づかず、自分の家族がなぜそんなに自分に不満を持っているのかさえ、気づいていないことがある。気づいていたとしても、自分ではどうすることもできない。発達障害の人がいる家庭では、夫婦関係や親子関係が悪化して、暴力や虐待に走ったり、離婚に至ることも少なくない[28]。 発達障害の人とそのパートナーは、さんざんケンカを繰り返し、「口やかましい人と聞く耳を持たない人」という関係になっていることが多い[29]。 発達障害の人がいると、家族は次のような両極端のパターンになりがちだ。一つは、発達障害者に巻き込まれ、彼らの乱雑さや突発的な行動に家族全体が振り回され、その後始末に追われる。家族のニーズは後回しにされるため、家族の不満がたまるというパターンである。もう一つは、家族全員が発達障害者のことをあきらめて、無視や放任状態になるパターンである[30]。(星野仁彦) 家庭内では、自閉的特性を持った人のしつこさや自己主張の強さが原因となったトラブルや、家庭不和の問題がある。本人には自分勝手にしているつもりはなくても、結果的にそれで不和が生まれることにもなる。 自閉的な特性が強い夫にはヒステリックな妻、というパターンが多く見受けられる。自閉的な特性を持っている人と、気分感情の波が激しい人は、惹かれあう部分があるのか。あるいは、配偶者が自閉的であると、気分感情の波が激しくなる傾向があるのか。いずれにしても、このような場合、たいていは夫の社会的適応は比較的よく、家庭内の問題が強いために、妻主導で受診することが多く、夫は問題を自覚していないことが多い。幼少期から周囲とは異なっているという感覚は持っているが、知的レベルの高い人が多く、本人の努力で一定以上の社会適応性を身に付けている。その反面、家庭では本来の自分をさらけ出し、妻が迷惑を被るというパターンが多い[31]。(林寧哲)[注釈 7] 2人の間にある問題がASDである場合、残念ながら、社会性の発達のギャップが埋まることはない。生活能力はトレーニングによって向上するが、相手を気遣いケアする気持ちは、訓練で得られるものではない。職場では「ちょっと変わった人」くらいで済んでも、日々共に暮らすパートナーにとっては、情緒的な問題以外でも深刻な問題を引き起こすことがある[32]。(服巻智子)[注釈 8]
受診
妻からの気づきから受診を促す場合は、かえってそれが夫婦の問題になったり、夫が仕事の意欲をなくすこともある。受診した医療機関が大人の発達障害に詳しくない場合など、診断に至らないことがある。社会的に適応していれば、妻からは特性が認められるのに、診断に至らない場合が少なくない。受診を促したこと自体を、パートナーが被害的に受けとることもある。しかし、パートナーの特性で悩んでいるなら、発達障害に詳しい専門機関に相談するのは重要なことである。妻からの情報で、パートナーにASの傾向があると認められ、それが妻の精神的身体的ダメージに繋がっているとしたら、それはカサンドラの状態であると考えられる[33]。(滝口のぞみ)[注釈 9]
カウンセリング
専門家がカップルに介入することは、気持ちが伝わらない苦しさの中にある「お互いの言葉と感情の意味」を整理し、翻訳することに似ている。夫と妻は、自分の理屈では何も間違っていないので、自分は正しいと確信があり、どちらが正しいのかで争うことになりがちだ。しかし、問題は気持ちの伝わらなさであり、正しいかどうかではない。 専門家が間に入り、何が「今ここで」起きているか、どんな「意味」がやりとりされているか、そのズレや誤解に気づくこと、そして新しい共通の意味を見いだしていくこと、それがカップルをセラピーすることの意義である[34]。(滝口のぞみ)
結婚を境に変化するAS
AS男性は結婚すると大きく2つに分かれる。ひとつは、関係性が変化することを受け入れられず、恋人同士のままのパターン。もう一つは、正式な夫婦になると、それまでとは全く違う態度をとるパターン。どちらも、パートナーをどのように捉えたかで決まる。 恋人同士のままの場合は、パートナーを恋人として認識したことが変化しないので、子どもができると問題が生じる。夫にとって妻は恋人であり、子どもの母親ではないのである。夫は恋人を子どもに取られたことにショックを受け、妻に裏切りを感じ、子どもをライバル視する。妻が子どもに愛情を向けることを制限したり、子育ての手伝いは全くしてくれず、妻は1人で子育てをしているような孤独な気持ちになる。 一方、夫婦となった途端に態度が変わる夫は、結婚後は妻を他者として認識しなくなるようだ。これまで妻にしてきたこと、言ってきたことを全くしなくなる。もはや妻の気持ちを配慮する必要はないのだ。そのため会話もなくなり、むしろ独りでいたがり、妻は孤独に陥る。妻からの否定は裏切りになる。 周囲からは「自分が選んだのだから」「そこが好きだったのでしょう」と言われがちだ。しかし、これほど気持ちがすれ違い、一緒にいるのに孤独になることなど誰にもわからなかったのだ[35]。(滝口のぞみ)
改善のために
ASの人は「一見ちょっと変わっているけどいい人」である。実際にパートナーに持たなければわからない理不尽さやストレスが、いつしかパートナーの精神に変調をきたしてしまう。それはやがて、数々の肉体的な症状にも発展していく。 改善するには対処療法的に、うつ状態や精神不安を解消する薬を服用する。あとは、ASのパートナーと離れるしかない。ASの人は自分のパートナーの重篤な精神状態を察することができないため、離れる必要も理解されにくいかもしれないが、カサンドラ症候群の症状が顕著であれば、離れることを考えるべきだと思われる[36]。(宮尾益知)[注釈 10] 一方が発達障害を抱えている夫婦では、共依存的な関係が習慣になってしまう危険性がある。それぞれの自立や責任を犠牲にしてまで、相手に関心を注いでいる状態だ。 例えば、発達障害の人は自分が起こした問題をすぐにパートナーのせいにしたり、状況のせいにしたりする。一方、パートナーはすべて自分の責任と思い込み、トラブルの後始末も一人で引き受けるのが習慣になっている。このような関係になっている場合は、単身赴任や一時的な別居で、物理的、心理的距離を置くと効果的だ。お互いに干渉しすぎず、自立する方向へ促す[37]。(星野仁彦) パートナーがコミュニケーション方法を変えるだけでも、関係は変えることができる。ASDの人に対して「どうしてやってくれないの?何回も言ったでしょ」とプライドを傷つけるような責め方をしたり、「なんであなたはそうなの?」と曖昧な表現をするのは逆効果になる[38]。 カサンドラ症候群は、疾患ではなく「現象」だ。その結果、身体症状が出たり、本当に病気になってしまうこともあるが、カサンドラ症候群自体は薬では治せない。 カサンドラ症候群を超えていくには、いい意味での「開き直り」と「距離感」が必要になる。線引きをして、自分の中で折り合いをつけていくことが大切だ。妻でも母でもなく、「私」としての考えを持って、何を選ぶか自分で選択していくことを求められる。「相手がこう言ったから」とか「子どものために」ではなく、自ら選択し、「これは自分のためにやっている」と思えたとき、カサンドラ症候群を乗り越えているのだ[39]。(服巻智子)
ASと非ASのカップルに問題が生じる理由
以下はASの人の結婚でよく見られる例であるが、ASの人は行動が独特なので、必ずしも他の人の例が当てはまるとは限らない[40]。
女性にASの知識がない(なかった)
精神科医療の中でASが表面化したのは1981年で[41]、日本でASが注目を浴びるようになったのは2006年頃からである[42]。子供のASは研究も進み、専門書も多く発行されている。しかし、大人のASについて研究されるようになったのは、つい最近のことである[42]。パートナーがASだと気づくチャンスもなく、「ちょっと変わっている人」「正直でまじめすぎる人」「自己中心的で困った人」[42]というように、性格だと思い込んでいることが多い。
何十年も悩み続け、還暦を過ぎて初めて診察に訪れる妻もいる[43]。カトリン・ベントリーの場合も、夫がASだと初めて気づいたのは結婚17年後だった[44]。
ASパートナーの行動を「普通の辞書」で解釈しようとしてもうまくいかない。幸せな結婚生活を送るためには、何がパートナーを幸せにするか学び、できるだけうまく相手の要求に応えるよう努める必要がある[45]。しかし、通常は夫婦二人の間に、先生と生徒、親と子供というような立場の違いはない。相手は指導する、育てるという任務の対象でもない。対等な大人同士の関係のはずである[46]。ASについて知らないまま結婚した女性には、なぜコミュニケーションがうまくいかないのかわからない。
カトリン・ベントリーは著書『一緒にいてもひとり』の中で、「何年間も自分たちの結婚はうまくいっていないと感じていたが、その理由を説明できなかった」、「困っていることは誰にも話さなかった」「もし一言話せばこんな言葉が返ってきただろう。『男だから』『うちの夫も同じよ』『自立しなさい』…」「相談できる人も、わかってくれる人もいなかった」「すべて自分一人で抱え込み、万事うまくいっているふりをした」と述べている[47]。
外界から自分を閉ざしたASパートナーと一緒にいると、姿は見えるのに存在が感じられず、一緒にいても一人ぼっちのように感じられる。しかし、外から見ると全て普通である[48]。むしろ他の人には、ASパートナーの行動に悩む妻は、あれこれ指図するえらそうな妻に見える[49]。
夫婦という立場からAS当事者をとらえた本『旦那(アキラ)さんはアスペルガー』の著者である野波ツナは、ASパートナーとの関係を「言葉では表しにくい正体不明の違和感」と表現している[50]。
ASかもしれないということに本人より家族が気づく場合も多く[51]、アスペルガー症候群の専門外来への相談が急増している[43]。
ただし、ASは統合失調症や社会不安障害など様々な病気と重なる特性が多々あるため[52]、大半は別の病気であったり、あるいは夫婦間にコミュニケーションがないだけだったりするという[43]。昭和大学付属烏山病院(東京都)院長加藤進昌によると、2008年に成人のASの専門外来を開いた同病院の場合、ASの人は初診全体の約2割にとどまるという[43]。
コミュニケーションが取れない
コミュニケーションのほとんどは非言語コミュニケーションで、言語コミュニケーションはごく一部にすぎない言われている。自閉的特性の濃厚な人は、非言語コミュニケーションに属する「暗黙の了解」が不十分であると考えられる。そのため、コミュニケーション全体が不十分で、スムーズではなくなる[53]。
逃げる
AS男性は間違ったことを言って人と衝突することを恐れるため、パートナーとコミュニケーションを取らない、あるいは意見を言わない。AS男性は、パートナーとの衝突を避けるためなら、問題があることすら否定したり、二人の違いを無視したりする。パートナーの考えを理解できない人もいる。愛されず、受け止めてくれないことに女性が傷つき、それが苛立ちや怒りの原因になっていることがわからない。 女性も、ASの人が感情を読み取ることが難しい、ということがわからない場合もある[54]。
このような状態では、話し合いはうまくいかない。女性の感情的な要求が高まるほど、AS男性は距離を置くようになる。衝突を回避し、問題を未解決のままにする。その「先送りすること」こそ問題の原因であり、問題をさらに深刻なものにしていく[54]。
衝突する
ASの人は自分の視点からしか考えられないので、自分とは違う意見を受け入れることができず、自分が悪いと認めない。言い争いは、健康的な生活を送るために必要な自信と強さを失わせ、女性は感情的に消耗する[55]。感情について話し合えず、関係は表面的なレベルにとどまり、二人の間には距離が生じる[56]。
ASの人の行動は一見薄情に見えるが、心の理論(Theory of Mind)[57])[注釈 11][10]がないだけである。言い換えれば、他の人の考えや気持ちがわからない。自分の視点からしか状況を判断できない。悪意があるわけではなく、相手が傷つくことがわからない[58]。
ASの人にとって感情の世界は入り組んでいるので、他の人の気分の変化に対処するためには、論理的に感情を扱わなくてはならない。直感の助けがないので、他の人とのやりとりがとても難しいものになる[59]。
第三者が理解しにくい理由
カサンドラ症候群の女性は、悩みを他者に理解してもらうことが難しい。第三者は以下のような疑問を抱くためである。
なぜカサンドラの状態になるまで気づかないのか
AS男性との関係は必ずしも初めから悪いわけではなく、コミュニケーションが困難であることの積み重ねによって悪化していく[60]。
マクシーン・アストンの調査によると、初めは女性がAS男性を助ける役割を担うことが多い[61]。AS男性の子供のような無邪気さと、穏やかで受動的な性質に惹かれた女性は、やがてAS男性がいつまでたっても感情を表さないことに気づく。原因は子供時代にあるのではないかと考え、感情表現と愛情を注いで彼を助けよう、気持ちの表し方を教えてあげようとする。これは無意識のうちに行われる。
しかし、時間の経過とともに、簡単に変えられる性質ではないことがわかってくる。気づくまでに何年もかかることもある。女性がどんなに努力しても、彼は気持ちを表さないので、「私のことを好きではない」と思い、苛立ちと憤りがつのっていく。そうなると、彼が何をしてもしなくても彼女の気に障り、怒りっぽくなる。一方、彼はいったい何が起きているのかわからない。
カトリン・ベントリーは、結婚生活の維持を車のメンテナンスに例えて説明している[60]。
初めは運転しやすいが、時には部品が壊れることもある。でも、走れないわけではないし、順調なふりもできる。しかし、良い状態に保つためには壊れた部品を交換しなければならない。問題を未解決のままにすれば、修理では済まないほど事態は悪化し、いつかだめになる。
夫婦の場合、結婚や子供の誕生など環境の変化をきっかけに問題が顕在化することがある[43]。(「#結婚を境に変化するAS」参照)
普通の夫婦とどこが違うのか
どこの夫婦も、多かれ少なかれコミュニケーションが取れないものではないのか?
サイモン・バロン=コーエン(Simon Baron-Cohen)は、自閉症スペクトラムの男性の脳は究極の「男性脳」であると述べている[62]。
一般的に、他者との相互作用やコミュニケーションにおいて、男性は論理的で率直になりやすい一方、女性は感情的かつ記述的な言葉を多用する傾向がある[62]。
そのため、カサンドラ症候群の女性が悩みを口にしても、他の人たちは非AS夫婦間の愚痴との違いがわからず、「どこの夫婦も同じ」「うちもそうよ」などと答えがちである。実際、ASとの生活のエピソードの一つ一つを見れば「誰にでもあるようなこと」と言える。しかし、それがあらゆる形で一人の人に日々起こり続けるのがASである[63]。カサンドラ症候群の女性は悩みを理解してもらえず、孤独感に陥る。
パートナーとの関係がいまくいかない時期はどんなカップルにもあるが、一方がASのカップルは、両者ともASではないカップルのような対処ができない[64]。
「論理脳」を持つASは、感情的な話になると、非論理的・無秩序・無構造な情報を解読処理しようとして、脳が負荷過剰(オーバーロード;メルトダウン)になってしまう。他の情報を処理する余裕がなくなり、記憶や解釈の違いがコミュニケーションに支障をきたす[65]。
オーバーロード状態になると、AS男性は会話を正確に思い出せないことがある。
女性は、AS男性の脳の情報処理の仕方の違いや、複数の回路を同時に使えないことを受け入れ、覚えておいてほしいことは紙に書き、大切なことはタイミングをよく見計らって伝えなければならない[62]。AS男性との共通理解を得るためには、女性は考えや感情を説明する方法を身につけなければならない[66]。
オーバーロード状態では、AS男性は話し合いを避け、二人の間のコミュニケーションは途絶えてしまう。処理しきれない情報を脳が整理する時間が必要なため、AS男性には引きこもることが必要になる[67]。
自分たちがどう感じているかを伝えるのはASの結婚にとって大事である。「違う」ということは、パートナーの気持ちを理解できるとは限らないということなので、誤解を避けるために話し合い、何が必要か説明しなければならない[68]。
仕事ができるなら女性のわがままではないか
人によってASの症状はさまざまである。穏やかな人もいれば、感情が激しやすい人もいる。一生懸命やっても仕事がうまくいかない人もいれば[69]、有名大学卒や大企業に勤務する人もいる[43]。
ASの人は極めて論理的な思考の持ち主なので、構造化された環境で適職に就いた場合は、その力を発揮できる可能性がある[70]。
あるいは、ASの人はむしろ知的には高いことも多いので、周囲が障害に気づかず、「ちょっと変わった人だな」と思われるだけで済んでいることもある[71]。
一方で、決まりきった日常と予想可能性が必要な[72]AS男性にとって、予想不可能な事柄が多い家庭生活では困難なことが多い。生活上で困ったことが起きると、神経系への過剰な負担となって、AS男性は頑固になりストレスが高じてくる。オーバーロード状態になり、女性はパートナーに支えてもらえない。さらに、AS男性の存在自体が問題をさらに難しくする。ストレスで冷静さを失ったAS男性は、問題に立ち向かうのを拒否する[73]からである。
どんぐり発達クリニック(東京都世田谷区)の宮尾益知院長は「アスペルガーの人は会社など外では問題がない場合もあり、パートナーの苦しみが周囲に理解されづらい。実際に一緒に暮らしてみないと分からない問題がある」と指摘する。外で気を張っている分、家庭内で緊張感がなくなり、より特徴が強く出てしまうことがあるという[3]。
家族支援の取り組み
同じ苦しみを抱えている家族同士の交流は、考えや気持ちを共有できるので有意義である[74]。 例えば、大人のASの専門外来を開いた昭和大学付属烏山病院(東京都)では、定期的に家族会を開いている[43]。 とはいえ、ASが広く知られるようになってまだ歴史が浅いため、AS当事者の支援も発展途上であり、家族支援まで十分に行き届いていないのが現状である。
心が通い合わず、体調を崩してしまった人の症状。
他人に訴えても「みんなそうよ」と言われて相手にされないので、孤独になるそう。
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カサンドラ症候群ーウィキ
「カサンドラ症候群;カサンドラ情動剥奪障害(カサンドラしょうこうぐん;カサンドラじょうどうはくだつしょうがい)」とは、アスペルガー症候群(AS)[注釈 1]の夫または妻(あるいはパートナー)と情緒的な相互関係が築けないために配偶者やパートナーに生じる、身体的・精神的症状を表す言葉である[1]。アスペルガー症候群の伴侶を持った配偶者は、コミュニケーションがうまくいかず、わかってもらえないことから自信を失ってしまう。また、世間的には問題なく見えるアスペルガーの伴侶への不満を口にしても、人々から信じてもらえない。その葛藤から精神的、身体的苦痛が生じる[2]。
症状としては偏頭痛、体重の増加または減少、自己評価の低下、パニック障害、抑うつ、無気力などがある。カサンドラ症候群の悩みを訴える者のブログも多く見られ、アスペルガー症候群の伴侶を持つ者の二次障害として深刻な問題となっている[2]。 家族に対するケアの重要性が指摘されている[3]。
アスペルガー症候群 (AS)は男性が女性の4倍ほど多い[4]ため、カサンドラ症候群は妻の病気として書かれることが多い。アスペルガー症候群が女性である場合は、AS男性をAS女性に置き換えて読む必要がある[5]。
ここでは一部の記述において、男性をAS、女性を非ASとして説明する。
カサンドラ症候群について理解を深めることは、決してASの人を否定したり差別を助長したりするためではない。AS-非AS夫婦間に生じる問題の原因に向き合い、適切な支援を受け、パートナーのお互いがより良い生き方を模索するために必要なことである。
カサンドラ症候群は妻だけでなく、家族、友人、会社の同僚にも起こるとされている[6]。 カサンドラ症候群を知ることは、定型-非定型間のコミュニケーションのあり方を認識することであり、つまりは、ASの社会的認知度を高める手助けにもなると考えられる。
「カサンドラ」の名称
語源
カサンドラは「人々から決して信じてもらえない予言者」のことで、ギリシャ神話に登場する、トロイの王女である。アポロンは彼女に予言の能力を授けたが、アポロンの愛が冷めて自分を捨て去っていく未来が見えたカサンドラは、アポロンの愛を拒絶する。アポロンは「カサンドラの予言を誰も信じない」という呪いをかけてしまう。カサンドラは予言の能力を残されたが、未来の出来事を変えることも、予言の正当性を他の人たちに納得させることもできなかった[7][8]。
歴史
カサンドラの比喩は、心理学、環境保護主義、政治、科学、映画、企業世界、哲学など様々な文脈で使われてきた。少なくとも1949年には、フランスの心理学者ガストン・バシュラール(Gaston Bachelard)が'Cassandra Complex'の用語を作り出し、以後広まってきた[8]。
非ASの配偶者や家族がASの行動の影響を受ける状態は、もともとは「鏡症候群」(Mirror Syndrome;ミラーシンドローム)と言われていた。これは、1997年にアメリカのFAAAS(ASの成人の家族の会)が考え出したものである。特に、診断されていない成人のASの場合に生じるとされる。非ASの家族は、常に一緒に生活するASが表すペルソナ(外的人格)を、少しずつ長い時間をかけて映し出すようになる。孤立し、誰からも正当性を認められない[6]。
「鏡症候群」は数年後には「カサンドラ現象(Cassandra Phenomenon)」に変更され、2003年にFAAASの会議で「カサンドラ情動障害(Cassandra Affective Disorder)」として初めて公表された[9]。
最近では「カサンドラ情動剥奪障害(Cassandra Affective Deprivation Disorder;CADD、AfDD)」「カサンドラ愛情剥奪症候群(Cassandra Affective Deprivation Syndrome;CAD)[10]」と言われるようになった。これらの言葉は、非ASの人が、ASの人との関係において経験することを示してきた。彼女たちの多くが、パートナーとの関係において情緒的な相互関係が欠如しているために、身体的・精神的な不安反応を示している[1]。
予言者カサンドラは、真実を知る力を与えられながらも、呪いにより誰からも信じてもらえなかった。この様子が、ASと非AS間の関係の状態を表していると言われる。彼らは自分たちの関係が典型的なものではないとわかっているが、他の人たちはその関係の真実を受け入れたがらないのである[1]。
なお、「カサンドラ症候群」の名称はアメリカ精神医学会の診断基準に含まれておらず、正式病名というのはない。これらの症状はASのパートナーを持ったことにより起こるので、関係性による「障害」であり、病名がつかないため「状態」や「現象」と呼ぶのが現在のところはいいとされる[11]。
症状
カサンドラの状態
カサンドラ症候群は二次障害である。人と人との関係における認識の欠如の結果であり、人格障害とは異なる。情緒的な相互関係と愛と所属は、人間の本質的なニーズであり、これらが満たされず、そしてその理由が解らないとなれば、心身の健康は影響を受ける可能性がある[12]。
カトリン・ベントリー(Katrin Bentley)は、ASパートナーとのコミュニケーションにおける情動剥奪について、ジェイムズ・レッドフィールド(James Redfield)のエネルギー理論の哲学をもとに説明している[13]。
人間は感情的エネルギーを必要としていて、それは日常生活で幸福を見つけるために欠かせない源である。ASとの結婚において感情的エネルギーで自分を満たすことは難しい。支え合うというエネルギーの交換が起こらない。非AS女性はエネルギーを差し出すが、ASのパートナーから受け取るものはほとんどなく、常に消耗する。
カサンドラ症候群は、パートナーのお互いが原因を理解し受け入れることによってのみ、克服あるいは軽減することができる[12]。つまり、女性がASの知識を持ち、男性がASを自覚していることが前提となる。
お互いの違いを理解し、コミュニケーションや感情表現・愛情の示し方のより良い方法を見つけるために、パートナーの両方がお互いのために勉強して協力するならば、二人の関係はうまくいくことがある[14]。
しかし、男性本人も周囲もASに気づかないまま大人になっている場合も多く[15]、そのことがカサンドラ症候群の克服を難しいものにしている。
診断基準
カサンドラ症候群は次の3つの要素から成る、とされている[16]。
パートナーの少なくとも一人[注釈 2][14]が、低い心の知能指数/共感指数、あるいはアレキシサイミア(失感情症)[注釈 3][17]。
人間関係の相互作用や経験を害する
精神的および身体的(またはどちらか一方)なマイナスの症状
具体的には、以下の各カテゴリーに1つ以上該当すること。
少なくともパートナーの一人が次の診断基準の1つ以上に該当する
低い感情知能
アレキシサイミア
低い共感指数
人間関係の面で次の1つ以上に該当する
激しい対立関係
家庭内虐待(精神および身体、またはどちらか一方)
人間関係の満足感の低下
人間関係の質の低下
起こりうる精神的または身体的症状
低い自己尊重
混乱/当惑した感情
怒り、抑うつ、不安の感情
罪悪感
自己喪失
恐怖症(社会恐怖症、広場恐怖症)
心的外傷後ストレス反応
疲労
不眠症
偏頭痛
体重の増減
PMT;月経前緊張症(婦人科系の問題)
その他、カサンドラ症候群の症状として「アスペルガー的行動」が生じる場合もある[18]。
ASと非ASの関係
異なる文化背景
ASの人との結婚は、異なる文化的背景をもつ二人の人間の関係に例えられる[19]。どちらの文化にも良い面があるが、言葉と行動に関しては違いがある。ASの人との結婚でパートナーが苦しむ理由は、文化的ストレスと呼ばれる状態にある。自分のよく知っているコミュニケーション方法から切り離されたとき、文化的ストレスは生じるという。別の方法を正しいとする新しい環境に直面したときに、アイデンティティと自尊心が影響を受ける可能性がある。
外国で暮らすとき、人はふつう言葉と行動の違いは覚悟している。それに対して、ASの人と結婚するときに文化的な違いには気づかない。(「#ASと非ASのカップルに問題が生じる理由」、「#第三者が理解しにくい理由」参照)
ASは病気ではないので、治療法はない。それは1つの文化であり、尊重すべきものである。誰が間違っていて誰が正しいか、ということではない。認知にはかなりの違いがあり、パートナーたちはお互いを理解するためには努力が必要なのである[20]。
たとえ話
AS男性とその妻(以下、(非AS)女性)の関係は、よくたとえ話で説明される。
マクシーン・アストン(Maxine Aston)[注釈 4][21]はAS男性をワシ、非AS女性をシマウマに例えている[22]。
ワシとシマウマは食べるものも生き残る環境も違うので、つながってもうまくいかない。生活を共にしたいなら、ワシは構造化されていない予測不可能なシマウマの環境で生きていかなければならない。しかし、その環境で生きられる時間は限られるため、ワシはときどき山に帰って一人で過ごし、生命維持に必要な食べ物を食べて元気を取り戻さなければならない。その理由がわからないシマウマは、ワシの関心が自分から逸れると深く傷つく。二人の間に波風が立つようになり、関係は非常に不安定になる。シマウマは拒否されている、価値がないと見なされていると思い、ワシは間違ったことをしていると責められていると思う。
マクシーン・アストンはまた、認知の違いを次のように説明している。
夫婦が同じ時、同じ場所にいても、こんなにも異なる視点であるということを理解するには、2人の人が山の頂上で背中合わせに立っているのを想像してほしい。1人は定型発達者、もう1人はASである。ASの見ている景色は都会で、ビル、電車、車や工場から成っている。定型発達者の見ている景色は田園地帯で、川や野生動物、色彩豊かな牧草地が見える。2人とも同じ時、同じ場所に立っているが、非常に異なる景色を見ている。同じ場所に対するそれぞれの感じ方は、根本的に異なっているのだ。あとで話し合った時、彼らはその経験の記憶がお互いに異なっていることに驚き、あっけにとられる。そして、それぞれの認知がなぜそんなに異なるのか、理解しようともがくのだ[23]。
カトリン・ベントリーはAS男性をサボテン、非AS女性をバラに例えて詩に表現している[24]。
AS男性に惹かれて結婚し、ASを知らぬまま苦しみながら生活を送り、やがてASに気づいて理解し、違いを受け入れていく様子が描かれる。
(詩の要約)
サボテンを気に入ったバラだが、サボテンに合わせて砂漠に住むのは難しかった。生きていくために水がほしかったが、少しずつしおれ、やがて何も感じなくなった。サボテンの愛し方を知らず、バラに変えようと一生懸命だった。サボテンはバラのように振る舞ったが、一人のほうが心地よく、孤独に戻っていった。しおれたバラを、ほかのバラたちは仲間はずれにした。やがて、サボテンには別の愛情の示し方があると知り、サボテンは変種のバラではないと気づいた。二人が同じ植物になるより、違いを受け入れ、お互いを大切にし合おう。二人の子供は、バラの野生・繊細さ・色鮮やかさと、サボテンの頼もしさ・強さ・人を惹きつける魅力を併せ持つだろう。
ルディ・シモン(Rudy Simone)[注釈 5]はAS男性を岩、非AS女性を水に例えている[25]。
AS男性は岩で、彼を愛する女性は岩に向かって流れる水。岩が水によって形づくられるように、彼も彼女からの影響を受ける。ただし、とてもゆっくりした速度で。女性は優しく、根気強く接した方がよい。もし波のように強く流れると、微動だにしない彼に当たって砕け散ってしまうからだ。何度もそれを繰り返していると、やがて彼女には何も残らなくなる。
専門家の見解
AS男性と非AS女性の関係については、医師らによる次のような指摘がある。
トラブルや不和
大人の発達障害の人は、自分のパートナーや家族、会社の上司や同僚、友人たちにとって、本人には悪意がないにもかかわらずトラブルメーカーになったり、周囲をイライラさせたりする[26]。仕事でミスを繰り返したり、家庭内でもコミュニケーションがうまく取れていなかったりして、人間関係も悪循環に陥っていることが多い[27]。(星野仁彦)[注釈 6] 大人の発達障害の家族、つまり夫や妻、恋人、同居している親・兄弟・子どもたちは、多かれ少なかれ発達障害の人の言動や行動に振り回されている。極端な場合、夫婦間不和、暴力(DV)、児童虐待などが見られるケースも少なくない。そのほとんどの場合、大人の発達障害というハンディがあるということに本人も家族も気づいてはおらず、「本人のわがままで自己中心的な性格の問題」として片付けられている。 家族は「夫(妻)の言動にうんざりしている」「夫(妻)は私のことを理解してくれない」「物事をいつも自分流に行って、人の意見に聞く耳を持っていない」など強い不満を抱いている。発達障害の人自身も、自分の問題点に気づかず、自分の家族がなぜそんなに自分に不満を持っているのかさえ、気づいていないことがある。気づいていたとしても、自分ではどうすることもできない。発達障害の人がいる家庭では、夫婦関係や親子関係が悪化して、暴力や虐待に走ったり、離婚に至ることも少なくない[28]。 発達障害の人とそのパートナーは、さんざんケンカを繰り返し、「口やかましい人と聞く耳を持たない人」という関係になっていることが多い[29]。 発達障害の人がいると、家族は次のような両極端のパターンになりがちだ。一つは、発達障害者に巻き込まれ、彼らの乱雑さや突発的な行動に家族全体が振り回され、その後始末に追われる。家族のニーズは後回しにされるため、家族の不満がたまるというパターンである。もう一つは、家族全員が発達障害者のことをあきらめて、無視や放任状態になるパターンである[30]。(星野仁彦) 家庭内では、自閉的特性を持った人のしつこさや自己主張の強さが原因となったトラブルや、家庭不和の問題がある。本人には自分勝手にしているつもりはなくても、結果的にそれで不和が生まれることにもなる。 自閉的な特性が強い夫にはヒステリックな妻、というパターンが多く見受けられる。自閉的な特性を持っている人と、気分感情の波が激しい人は、惹かれあう部分があるのか。あるいは、配偶者が自閉的であると、気分感情の波が激しくなる傾向があるのか。いずれにしても、このような場合、たいていは夫の社会的適応は比較的よく、家庭内の問題が強いために、妻主導で受診することが多く、夫は問題を自覚していないことが多い。幼少期から周囲とは異なっているという感覚は持っているが、知的レベルの高い人が多く、本人の努力で一定以上の社会適応性を身に付けている。その反面、家庭では本来の自分をさらけ出し、妻が迷惑を被るというパターンが多い[31]。(林寧哲)[注釈 7] 2人の間にある問題がASDである場合、残念ながら、社会性の発達のギャップが埋まることはない。生活能力はトレーニングによって向上するが、相手を気遣いケアする気持ちは、訓練で得られるものではない。職場では「ちょっと変わった人」くらいで済んでも、日々共に暮らすパートナーにとっては、情緒的な問題以外でも深刻な問題を引き起こすことがある[32]。(服巻智子)[注釈 8]
受診
妻からの気づきから受診を促す場合は、かえってそれが夫婦の問題になったり、夫が仕事の意欲をなくすこともある。受診した医療機関が大人の発達障害に詳しくない場合など、診断に至らないことがある。社会的に適応していれば、妻からは特性が認められるのに、診断に至らない場合が少なくない。受診を促したこと自体を、パートナーが被害的に受けとることもある。しかし、パートナーの特性で悩んでいるなら、発達障害に詳しい専門機関に相談するのは重要なことである。妻からの情報で、パートナーにASの傾向があると認められ、それが妻の精神的身体的ダメージに繋がっているとしたら、それはカサンドラの状態であると考えられる[33]。(滝口のぞみ)[注釈 9]
カウンセリング
専門家がカップルに介入することは、気持ちが伝わらない苦しさの中にある「お互いの言葉と感情の意味」を整理し、翻訳することに似ている。夫と妻は、自分の理屈では何も間違っていないので、自分は正しいと確信があり、どちらが正しいのかで争うことになりがちだ。しかし、問題は気持ちの伝わらなさであり、正しいかどうかではない。 専門家が間に入り、何が「今ここで」起きているか、どんな「意味」がやりとりされているか、そのズレや誤解に気づくこと、そして新しい共通の意味を見いだしていくこと、それがカップルをセラピーすることの意義である[34]。(滝口のぞみ)
結婚を境に変化するAS
AS男性は結婚すると大きく2つに分かれる。ひとつは、関係性が変化することを受け入れられず、恋人同士のままのパターン。もう一つは、正式な夫婦になると、それまでとは全く違う態度をとるパターン。どちらも、パートナーをどのように捉えたかで決まる。 恋人同士のままの場合は、パートナーを恋人として認識したことが変化しないので、子どもができると問題が生じる。夫にとって妻は恋人であり、子どもの母親ではないのである。夫は恋人を子どもに取られたことにショックを受け、妻に裏切りを感じ、子どもをライバル視する。妻が子どもに愛情を向けることを制限したり、子育ての手伝いは全くしてくれず、妻は1人で子育てをしているような孤独な気持ちになる。 一方、夫婦となった途端に態度が変わる夫は、結婚後は妻を他者として認識しなくなるようだ。これまで妻にしてきたこと、言ってきたことを全くしなくなる。もはや妻の気持ちを配慮する必要はないのだ。そのため会話もなくなり、むしろ独りでいたがり、妻は孤独に陥る。妻からの否定は裏切りになる。 周囲からは「自分が選んだのだから」「そこが好きだったのでしょう」と言われがちだ。しかし、これほど気持ちがすれ違い、一緒にいるのに孤独になることなど誰にもわからなかったのだ[35]。(滝口のぞみ)
改善のために
ASの人は「一見ちょっと変わっているけどいい人」である。実際にパートナーに持たなければわからない理不尽さやストレスが、いつしかパートナーの精神に変調をきたしてしまう。それはやがて、数々の肉体的な症状にも発展していく。 改善するには対処療法的に、うつ状態や精神不安を解消する薬を服用する。あとは、ASのパートナーと離れるしかない。ASの人は自分のパートナーの重篤な精神状態を察することができないため、離れる必要も理解されにくいかもしれないが、カサンドラ症候群の症状が顕著であれば、離れることを考えるべきだと思われる[36]。(宮尾益知)[注釈 10] 一方が発達障害を抱えている夫婦では、共依存的な関係が習慣になってしまう危険性がある。それぞれの自立や責任を犠牲にしてまで、相手に関心を注いでいる状態だ。 例えば、発達障害の人は自分が起こした問題をすぐにパートナーのせいにしたり、状況のせいにしたりする。一方、パートナーはすべて自分の責任と思い込み、トラブルの後始末も一人で引き受けるのが習慣になっている。このような関係になっている場合は、単身赴任や一時的な別居で、物理的、心理的距離を置くと効果的だ。お互いに干渉しすぎず、自立する方向へ促す[37]。(星野仁彦) パートナーがコミュニケーション方法を変えるだけでも、関係は変えることができる。ASDの人に対して「どうしてやってくれないの?何回も言ったでしょ」とプライドを傷つけるような責め方をしたり、「なんであなたはそうなの?」と曖昧な表現をするのは逆効果になる[38]。 カサンドラ症候群は、疾患ではなく「現象」だ。その結果、身体症状が出たり、本当に病気になってしまうこともあるが、カサンドラ症候群自体は薬では治せない。 カサンドラ症候群を超えていくには、いい意味での「開き直り」と「距離感」が必要になる。線引きをして、自分の中で折り合いをつけていくことが大切だ。妻でも母でもなく、「私」としての考えを持って、何を選ぶか自分で選択していくことを求められる。「相手がこう言ったから」とか「子どものために」ではなく、自ら選択し、「これは自分のためにやっている」と思えたとき、カサンドラ症候群を乗り越えているのだ[39]。(服巻智子)
ASと非ASのカップルに問題が生じる理由
以下はASの人の結婚でよく見られる例であるが、ASの人は行動が独特なので、必ずしも他の人の例が当てはまるとは限らない[40]。
女性にASの知識がない(なかった)
精神科医療の中でASが表面化したのは1981年で[41]、日本でASが注目を浴びるようになったのは2006年頃からである[42]。子供のASは研究も進み、専門書も多く発行されている。しかし、大人のASについて研究されるようになったのは、つい最近のことである[42]。パートナーがASだと気づくチャンスもなく、「ちょっと変わっている人」「正直でまじめすぎる人」「自己中心的で困った人」[42]というように、性格だと思い込んでいることが多い。
何十年も悩み続け、還暦を過ぎて初めて診察に訪れる妻もいる[43]。カトリン・ベントリーの場合も、夫がASだと初めて気づいたのは結婚17年後だった[44]。
ASパートナーの行動を「普通の辞書」で解釈しようとしてもうまくいかない。幸せな結婚生活を送るためには、何がパートナーを幸せにするか学び、できるだけうまく相手の要求に応えるよう努める必要がある[45]。しかし、通常は夫婦二人の間に、先生と生徒、親と子供というような立場の違いはない。相手は指導する、育てるという任務の対象でもない。対等な大人同士の関係のはずである[46]。ASについて知らないまま結婚した女性には、なぜコミュニケーションがうまくいかないのかわからない。
カトリン・ベントリーは著書『一緒にいてもひとり』の中で、「何年間も自分たちの結婚はうまくいっていないと感じていたが、その理由を説明できなかった」、「困っていることは誰にも話さなかった」「もし一言話せばこんな言葉が返ってきただろう。『男だから』『うちの夫も同じよ』『自立しなさい』…」「相談できる人も、わかってくれる人もいなかった」「すべて自分一人で抱え込み、万事うまくいっているふりをした」と述べている[47]。
外界から自分を閉ざしたASパートナーと一緒にいると、姿は見えるのに存在が感じられず、一緒にいても一人ぼっちのように感じられる。しかし、外から見ると全て普通である[48]。むしろ他の人には、ASパートナーの行動に悩む妻は、あれこれ指図するえらそうな妻に見える[49]。
夫婦という立場からAS当事者をとらえた本『旦那(アキラ)さんはアスペルガー』の著者である野波ツナは、ASパートナーとの関係を「言葉では表しにくい正体不明の違和感」と表現している[50]。
ASかもしれないということに本人より家族が気づく場合も多く[51]、アスペルガー症候群の専門外来への相談が急増している[43]。
ただし、ASは統合失調症や社会不安障害など様々な病気と重なる特性が多々あるため[52]、大半は別の病気であったり、あるいは夫婦間にコミュニケーションがないだけだったりするという[43]。昭和大学付属烏山病院(東京都)院長加藤進昌によると、2008年に成人のASの専門外来を開いた同病院の場合、ASの人は初診全体の約2割にとどまるという[43]。
コミュニケーションが取れない
コミュニケーションのほとんどは非言語コミュニケーションで、言語コミュニケーションはごく一部にすぎない言われている。自閉的特性の濃厚な人は、非言語コミュニケーションに属する「暗黙の了解」が不十分であると考えられる。そのため、コミュニケーション全体が不十分で、スムーズではなくなる[53]。
逃げる
AS男性は間違ったことを言って人と衝突することを恐れるため、パートナーとコミュニケーションを取らない、あるいは意見を言わない。AS男性は、パートナーとの衝突を避けるためなら、問題があることすら否定したり、二人の違いを無視したりする。パートナーの考えを理解できない人もいる。愛されず、受け止めてくれないことに女性が傷つき、それが苛立ちや怒りの原因になっていることがわからない。 女性も、ASの人が感情を読み取ることが難しい、ということがわからない場合もある[54]。
このような状態では、話し合いはうまくいかない。女性の感情的な要求が高まるほど、AS男性は距離を置くようになる。衝突を回避し、問題を未解決のままにする。その「先送りすること」こそ問題の原因であり、問題をさらに深刻なものにしていく[54]。
衝突する
ASの人は自分の視点からしか考えられないので、自分とは違う意見を受け入れることができず、自分が悪いと認めない。言い争いは、健康的な生活を送るために必要な自信と強さを失わせ、女性は感情的に消耗する[55]。感情について話し合えず、関係は表面的なレベルにとどまり、二人の間には距離が生じる[56]。
ASの人の行動は一見薄情に見えるが、心の理論(Theory of Mind)[57])[注釈 11][10]がないだけである。言い換えれば、他の人の考えや気持ちがわからない。自分の視点からしか状況を判断できない。悪意があるわけではなく、相手が傷つくことがわからない[58]。
ASの人にとって感情の世界は入り組んでいるので、他の人の気分の変化に対処するためには、論理的に感情を扱わなくてはならない。直感の助けがないので、他の人とのやりとりがとても難しいものになる[59]。
第三者が理解しにくい理由
カサンドラ症候群の女性は、悩みを他者に理解してもらうことが難しい。第三者は以下のような疑問を抱くためである。
なぜカサンドラの状態になるまで気づかないのか
AS男性との関係は必ずしも初めから悪いわけではなく、コミュニケーションが困難であることの積み重ねによって悪化していく[60]。
マクシーン・アストンの調査によると、初めは女性がAS男性を助ける役割を担うことが多い[61]。AS男性の子供のような無邪気さと、穏やかで受動的な性質に惹かれた女性は、やがてAS男性がいつまでたっても感情を表さないことに気づく。原因は子供時代にあるのではないかと考え、感情表現と愛情を注いで彼を助けよう、気持ちの表し方を教えてあげようとする。これは無意識のうちに行われる。
しかし、時間の経過とともに、簡単に変えられる性質ではないことがわかってくる。気づくまでに何年もかかることもある。女性がどんなに努力しても、彼は気持ちを表さないので、「私のことを好きではない」と思い、苛立ちと憤りがつのっていく。そうなると、彼が何をしてもしなくても彼女の気に障り、怒りっぽくなる。一方、彼はいったい何が起きているのかわからない。
カトリン・ベントリーは、結婚生活の維持を車のメンテナンスに例えて説明している[60]。
初めは運転しやすいが、時には部品が壊れることもある。でも、走れないわけではないし、順調なふりもできる。しかし、良い状態に保つためには壊れた部品を交換しなければならない。問題を未解決のままにすれば、修理では済まないほど事態は悪化し、いつかだめになる。
夫婦の場合、結婚や子供の誕生など環境の変化をきっかけに問題が顕在化することがある[43]。(「#結婚を境に変化するAS」参照)
普通の夫婦とどこが違うのか
どこの夫婦も、多かれ少なかれコミュニケーションが取れないものではないのか?
サイモン・バロン=コーエン(Simon Baron-Cohen)は、自閉症スペクトラムの男性の脳は究極の「男性脳」であると述べている[62]。
一般的に、他者との相互作用やコミュニケーションにおいて、男性は論理的で率直になりやすい一方、女性は感情的かつ記述的な言葉を多用する傾向がある[62]。
そのため、カサンドラ症候群の女性が悩みを口にしても、他の人たちは非AS夫婦間の愚痴との違いがわからず、「どこの夫婦も同じ」「うちもそうよ」などと答えがちである。実際、ASとの生活のエピソードの一つ一つを見れば「誰にでもあるようなこと」と言える。しかし、それがあらゆる形で一人の人に日々起こり続けるのがASである[63]。カサンドラ症候群の女性は悩みを理解してもらえず、孤独感に陥る。
パートナーとの関係がいまくいかない時期はどんなカップルにもあるが、一方がASのカップルは、両者ともASではないカップルのような対処ができない[64]。
「論理脳」を持つASは、感情的な話になると、非論理的・無秩序・無構造な情報を解読処理しようとして、脳が負荷過剰(オーバーロード;メルトダウン)になってしまう。他の情報を処理する余裕がなくなり、記憶や解釈の違いがコミュニケーションに支障をきたす[65]。
オーバーロード状態になると、AS男性は会話を正確に思い出せないことがある。
女性は、AS男性の脳の情報処理の仕方の違いや、複数の回路を同時に使えないことを受け入れ、覚えておいてほしいことは紙に書き、大切なことはタイミングをよく見計らって伝えなければならない[62]。AS男性との共通理解を得るためには、女性は考えや感情を説明する方法を身につけなければならない[66]。
オーバーロード状態では、AS男性は話し合いを避け、二人の間のコミュニケーションは途絶えてしまう。処理しきれない情報を脳が整理する時間が必要なため、AS男性には引きこもることが必要になる[67]。
自分たちがどう感じているかを伝えるのはASの結婚にとって大事である。「違う」ということは、パートナーの気持ちを理解できるとは限らないということなので、誤解を避けるために話し合い、何が必要か説明しなければならない[68]。
仕事ができるなら女性のわがままではないか
人によってASの症状はさまざまである。穏やかな人もいれば、感情が激しやすい人もいる。一生懸命やっても仕事がうまくいかない人もいれば[69]、有名大学卒や大企業に勤務する人もいる[43]。
ASの人は極めて論理的な思考の持ち主なので、構造化された環境で適職に就いた場合は、その力を発揮できる可能性がある[70]。
あるいは、ASの人はむしろ知的には高いことも多いので、周囲が障害に気づかず、「ちょっと変わった人だな」と思われるだけで済んでいることもある[71]。
一方で、決まりきった日常と予想可能性が必要な[72]AS男性にとって、予想不可能な事柄が多い家庭生活では困難なことが多い。生活上で困ったことが起きると、神経系への過剰な負担となって、AS男性は頑固になりストレスが高じてくる。オーバーロード状態になり、女性はパートナーに支えてもらえない。さらに、AS男性の存在自体が問題をさらに難しくする。ストレスで冷静さを失ったAS男性は、問題に立ち向かうのを拒否する[73]からである。
どんぐり発達クリニック(東京都世田谷区)の宮尾益知院長は「アスペルガーの人は会社など外では問題がない場合もあり、パートナーの苦しみが周囲に理解されづらい。実際に一緒に暮らしてみないと分からない問題がある」と指摘する。外で気を張っている分、家庭内で緊張感がなくなり、より特徴が強く出てしまうことがあるという[3]。
家族支援の取り組み
同じ苦しみを抱えている家族同士の交流は、考えや気持ちを共有できるので有意義である[74]。 例えば、大人のASの専門外来を開いた昭和大学付属烏山病院(東京都)では、定期的に家族会を開いている[43]。 とはいえ、ASが広く知られるようになってまだ歴史が浅いため、AS当事者の支援も発展途上であり、家族支援まで十分に行き届いていないのが現状である。