「猿の惑星」には、別の意味で「日本人には泣ける」要素があるのだ。 | 日本のお姉さん

「猿の惑星」には、別の意味で「日本人には泣ける」要素があるのだ。

2011年10月10日月曜日

ほんとうにあった「猿の惑星」

テレビを見てたら、この映画の宣伝になでしこの澤さんが出ていて、「まさか『猿の惑星』を見て泣くとは思いませんでした」と言ってた。

用意されたコメントを言わされてるっぽい(笑)。

なぜなら、映画館に置いてあった「猿の惑星」のちらしは「泣ける映画」であることの宣伝文句のオンパレードだったからだ。

はっきり言って、ぜんぜん泣けません(キッパリ)。そこは保証します。

というか、泣くヒマなんてないのです、わくわくどきどきで映画に引き込まれて。

情緒にひたるひまもないほど、恐ろしい世界にのめり込んでしまう迫力がこの作品にはあるのに、「猿→動物→感動の涙」というワンパターンのイメージで売ろうとした日本側宣伝スタッフの戦略は大はずしだと思うけどなあ。

ただし、「猿の惑星」には、別の意味で「日本人には泣ける」要素があるのだ。

それは「猿の惑星」のほんとうの正体のことだ。

オリジナル版「猿の惑星」の原作は、フランス人作家ピエール・ブールの小説がもとになっている。そしてその小説は、もしも猿に地球を征服されたら、といった純SF的発想から執筆されたものではなかった。

1943年、ブールが31歳のとき、彼はフランス領インドシナで日本軍の捕虜になる。そのとき、彼はこう思った。こんな猿みたいなアジア人種に、白人のおれさまが捕まえられて捕虜の辱めを受けるなんて、天地が逆さまになったようなものじゃないか、と。

その屈辱的体験を経て、1963年に書いたのが「猿の惑星(La Planète des singes)」なのだ。

いちおう、表向きにはきれいごとの執筆動機も用意されていて、動物園に行ってゴリラの表情を見てヒントを思いついた、なんてことも言われているが、実際のところは、猿みたいな日本人の捕虜になった屈辱が、彼にこの小説を書かせたというのが、広く伝わっている定説である。

ニホンジン、猿で悪かったな(泣)。

そうなのだ。「猿の惑星」という名作は、我ら日本人のおかげで誕生したのだ(じまん!)。

1980年代後半、ライジング・サンの勢いで世界中をバブリーなジャパン・マネーがじゃぶじゃぶと席巻していたころ、やっぱりピエール・ブールと同様の屈辱感を味わった白人も大勢いたことだろう。

ホテルや一般企業を日本資本に乗っ取られ、人間のことば(すなわち英語)をしゃべれない類人猿からエラソーに命令されるのをぐっとこらえ、「この日の丸掲げた『猿の惑星』野郎ども、いまにみてろ」と歯ぎしりした白人も大勢いたはずだ。

実際、1990年にはじまったバブル崩壊は、必ずしも日本政府の経済戦略の失敗だけに帰するものではない。本気でアメリカが日本経済をつぶしにかかったとみても、間違いではないだろう。

当時のホワイトハウスに『猿の惑星』のペーパーバックが配られ、ニホンザル撲滅の大統領極秘指令が出されたという説も(陰謀好きの吉村達也だけが言ってるのだが)、あながち妄想ではないかもしれないぞ。

しかし、どんなに蔑まれても、バカにされても、憎まれてもいい。日本人が欧米を猿の惑星化していたころが懐かしいではないか。

いまはニホンザルなんて、世界から無視されたさびしい存在だもんね……。

時刻: 月曜日, 10月 10, 2011
http://www.yoshimura-tatsuya.com/2011/10/blog-post_11.html

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「猿の惑星」ピエール・ブール原作 デビッド・リーン監督 と日本
2012年08月31日(金)
テーマ:SFな日々
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1945年の終戦を迎えるまで、イギリス人やフランス人アメリカ人にとって、

日本人という奇妙な生き物は、はたして人間と思われていたのだろうか。

というと、戦後生まれの今の若者は違和感反感を覚えるに違いない。

「戦争を知らない子供たち」という歌が流行った頃、

チャールストン・ヘストン主演の映画「猿の惑星」を見た、

今の60代以上の御方々にとっても、

やはり、違和感を持つだろう。

高度経済成長とか、GDP世界第2位のとか、アメリカに次ぐ経済国とか

それらは皆たぶん洗脳の為の言葉なのだけれども

マスコミ(テレビ、新聞等)がずっと言い続けてきたからそう思い込まされてきた。

しかし、1860年代の明治維新前夜から鹿鳴館時代と言われる明治時代を過ぎ、

昭和の20年に終戦となるまで、 西洋人白人と言われる人々が、

日本人を黄色い猿と呼んでいた事は確かだ。

フランス人のビゴ―の風刺画は、わずかしか日本人は知らないが

今は多くの作品が公開されている。

だから、2回に渡る原爆投下において、

彼らは何の罪の意識も持たなかったと言われる。

それにしても、日本ですでに原子力発電所が爆発をしてしまい

放射能汚染されてしまった現実の中で

この作品を思い出して見れば

作者ピエール・ブールははっきりと日本の原発の爆発と

禁じられた場所を意識していたかに思われる。

(ありえない事ではあるが)

ブールは日本軍捕虜としてアジアで労役に就いた経験から

「猿の惑星」や「戦場にかける橋」を書いたという。

その作品はアメリカ映画となり、有名な映画音楽とともに知られることになった。

猿が言葉を話す。 猿が高度な文明を持っている。

それは、イギリスフランスアメリカの白人社会からは驚き以外の何物でもない。

今の日本人の若者も、高齢者も、許しがたい感情を持つに違いない。

しかし、この地球上の反対側に住む人にとって

半世紀以上前には、無理からぬことでもあった。

1900年のパリ万博では、寺社建築と芸者が展示品の一つであったほどだから。・・・

核爆弾の製造合戦や宇宙開発合戦、冷戦構造が終わり

戦争の方法も進化を遂げている。

為替の値段から 燃料 穀物 その他価格を予想しては投機がおこる

気象操作も人工地震も 新型ウィルスでパンデミックも操作できる

遺伝子組み換え作物の影響は未知だ

 向精神薬SSRIなどは 人の脳中枢に作用して

感情を左右し 凶暴な攻撃的人間を作る事が出来る

逆に 抑うつに落ち込み生活力を失くす事も 

自殺させることも可能だ

ICチップの埋め込みまで 今は現実である

爆弾や核兵器が無くとも ひそかに 敵は日本人を攻撃している


隠蔽される現実 洗脳するマスメディア 大国の言いなりになる政府

奴隷の国で なるべく奴隷が傷つきにくくするには

言いなりになって 尻尾を振っている方が 奴隷の平和であろう

はむかえば、血が流れるばかりだから・・・という隠れ文化人もいる

いくら 陰謀論を唱えても この日本国土で

血が流されるのは kaoriもイヤデス

といって 黙って 奴隷に甘んじているわけには 絶対いかない

時空を超えて 2200年の世界からこの世にやってくれば

猿の高度な文明も

放射能に汚染された島

放射性廃棄物の処理場と化した

衝撃の島が出現するだろう

それは 今のkaoriたちが住む国の事であろう

$kaoriのブログ-チェレンコフ光?

「さるでもわかる」という言葉は

日本人の事 

だれがつかいはじめたのだろう

日本の中で 日本に住む人たちが 互いに出自を言い合って

争う事があれば

そこは 「漁夫の利」

巧妙に 白人が 領土なり 奴隷なり

白人が 奪っていく事だろう

日本人同士 アジア人同士が 争う事が

白人の究極の目的だ

踊らされてはならない

by kaori-roselove

ピエール・ブール(Pierre-François-Marie-Louis Boulle, 1912年2月21日 - 1994年1月30日)は、フランスの小説家。
猿の惑星 1968年 DVD デヴィッド・リーン監督 主演 チャールストン・ヘストン

戦場にかける橋監督:デヴィッド・リーン
原作:ピエール・ブール『クワイ河の橋』

ピエール・ブール『猿の惑星』大久保輝臣訳、創元SF文庫632-01、1968年。
ピエール・ブール『猿の惑星』小倉多加志訳、ハヤカワ・ノヴェルズ、1971年。
ピエール・ブール『猿の惑星』高橋啓訳、ハヤカワ文庫SF1300、2000年。

by kaori-roselove

おまけ

『猿の惑星』(さるのわくせい、La Planète des singes、

アメリカ:Planet of the Apes、イギリス:Monkey Planet)は、

フランスの小説家ピエール・ブールによるSF小説。同名の映画版とともに知られる。

それまでに類をみないストーリー展開と人間社会への

辛辣な風刺をこめた作風は今なお高く評価されている。

ブールが仏領インドシナにて現地の有色人種を使役していたところ、

同じ有色人種である日本人の率いる軍の捕虜となった

「立場の逆転」の経験を基に描かれたという説もある。

しかし、実際にはブールを捕虜にしたのはヴィシー政権下のフランス軍である。

またその結末は、ロッド・サーリングによって書かれた

映画版におけるハリウッド的で視覚に訴えるものと異なり、

さらにもうひと捻りしたものになっている『猿の惑星』(さるのわくせい、La Planète des singes、
アメリカ:Planet of the Apes、イギリス:Monkey Planet)は、

フランスの小説家ピエール・ブールによるSF小説。同名の映画版とともに知られる。

以上 wikipediaより・・・・・・
http://ameblo.jp/kaori-roselove/entry-11342921930.html

Kaoriさん、いろいろ知っていますね。

白人にとっては、チュウゴク人も日本人も同じ「猿」なんだと思う。
日本人にしたら、チュウゴク人と一緒くたにされるのは、とんでもないことだと思うのだが、白人にしたら顔が同じだから、違いが分からんのでしょう。
DNAレベルでも違うのに!
ちなみに沖縄の人のDNAは、チュウゴク人とは全然違うらしい。沖縄の人は日本人のDNAを持つ日本人なんです。そして沖縄の方言は、平安時代の日本語の変形だそうです。