タレン トのにゃしんたさんの記事はひどいですね。
読 者 の 声
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1)「話 の 福 袋」 覧の羽衣国際大学教授・社会学者・タレントのにゃしんたさんの記事はひどいですね。
にゃしんたさんは日本の報道は外国人だけを悪者にして、良いことをしたのは皆日本人にしていると指摘し、多文化が共生する社会を日本で実現するためには、ニュースなどで犯人が外国人であることを隠すべきと主張されてます。
しかし、にゃしんたさんの指摘は誤りです。
日本の犯罪者もちゃんと報道されているではないですか。
犯人の国籍が日本人なら省略されているだけです。
犯人が日本人だった場合、外国籍と偽って報道してるのなら、悪いことはみんな外国人の仕業であるように報道しているといえるかもしれません。
しかしそうではありません。ま
た良いことをした外国人を全て日本人と偽って報道しているわけでもありません。
もし、不公平だというのなら、国籍問わず人が良いことをしたときも悪いことをしたときも、「○○系○○人男性(あるいは女性)」と書くよう、主張 なさればよいのでは?
にゃしんたさんのいう、『「良い日本人」に「悪い非日本人」という常識』自体が、にゃしんたさん個人による単なる思いこみなのです。
そんな「常識」など日本人の誰も持っていないし、そういったロジックも存在しません。
にゃしんたさんは「多文化共生」なる美名を盾に、一方的に架空の常識をでっち上げ、濡れ衣によって日本社会を告発しているのです。
元日本人であっても良いことをした人が日本に関わりがある場合、親しみを感じて当然でしょう。
にゃしんたさんはそういった機会を奪おうというのでしょうか。
にゃしんたさんは「違いを楽しみ、力にかえる、多文化共生"新"時代」という講演を日本のあちこちでしているそうですが、国籍や出自などの基本的な情報を隠蔽して、どうして多文化の違いを楽しめなどと主張できるのでしょうか。
文章の最初と最後で言ってることが矛盾しています。
それでよく大学で教えることができるものです。
また日本人でも日本人ではなくても日本に暮らす人々には知る権利があります。
真実を「不都合」というだけで報道を抑制するのは検閲です。
社会学が理想の社会を追い求めるのは良いでしょう。
しかし理想からの逸脱を告発の対象とするのは旧ソ連とその衛星国が行っていた全体主義です。
社会学という学問自体に、全体主義に陥りやすい弱点があるのです。
社会学者を名乗るなら、社会を批判して得意になる前に、このような自らの弱点を自覚すべきでしょう。
私も社会科学で博士号をとり、大学でも教えてきましたが、私の見るところ社会学者を名乗る人間のほとんどが、こういった基本ができていない
(学者としての基本ではなく人としての基本です)。
社会学者を肩書きにする人物が告発を帯びた主張をするときは、善意の影に自由を抑圧する幼
稚な尊大さがあるのです。
この点注意が必要です。(匿名希望)
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1)「話 の 福 袋」 覧の羽衣国際大学教授・社会学者・タレントのにゃしんたさんの記事はひどいですね。
にゃしんたさんは日本の報道は外国人だけを悪者にして、良いことをしたのは皆日本人にしていると指摘し、多文化が共生する社会を日本で実現するためには、ニュースなどで犯人が外国人であることを隠すべきと主張されてます。
しかし、にゃしんたさんの指摘は誤りです。
日本の犯罪者もちゃんと報道されているではないですか。
犯人の国籍が日本人なら省略されているだけです。
犯人が日本人だった場合、外国籍と偽って報道してるのなら、悪いことはみんな外国人の仕業であるように報道しているといえるかもしれません。
しかしそうではありません。ま
た良いことをした外国人を全て日本人と偽って報道しているわけでもありません。
もし、不公平だというのなら、国籍問わず人が良いことをしたときも悪いことをしたときも、「○○系○○人男性(あるいは女性)」と書くよう、主張 なさればよいのでは?
にゃしんたさんのいう、『「良い日本人」に「悪い非日本人」という常識』自体が、にゃしんたさん個人による単なる思いこみなのです。
そんな「常識」など日本人の誰も持っていないし、そういったロジックも存在しません。
にゃしんたさんは「多文化共生」なる美名を盾に、一方的に架空の常識をでっち上げ、濡れ衣によって日本社会を告発しているのです。
元日本人であっても良いことをした人が日本に関わりがある場合、親しみを感じて当然でしょう。
にゃしんたさんはそういった機会を奪おうというのでしょうか。
にゃしんたさんは「違いを楽しみ、力にかえる、多文化共生"新"時代」という講演を日本のあちこちでしているそうですが、国籍や出自などの基本的な情報を隠蔽して、どうして多文化の違いを楽しめなどと主張できるのでしょうか。
文章の最初と最後で言ってることが矛盾しています。
それでよく大学で教えることができるものです。
また日本人でも日本人ではなくても日本に暮らす人々には知る権利があります。
真実を「不都合」というだけで報道を抑制するのは検閲です。
社会学が理想の社会を追い求めるのは良いでしょう。
しかし理想からの逸脱を告発の対象とするのは旧ソ連とその衛星国が行っていた全体主義です。
社会学という学問自体に、全体主義に陥りやすい弱点があるのです。
社会学者を名乗るなら、社会を批判して得意になる前に、このような自らの弱点を自覚すべきでしょう。
私も社会科学で博士号をとり、大学でも教えてきましたが、私の見るところ社会学者を名乗る人間のほとんどが、こういった基本ができていない
(学者としての基本ではなく人としての基本です)。
社会学者を肩書きにする人物が告発を帯びた主張をするときは、善意の影に自由を抑圧する幼
稚な尊大さがあるのです。
この点注意が必要です。(匿名希望)