涙の道
(6)涙の道
法の保護(shelter)を否定されたロスは、1960年代の非暴力的市民権示威行為者達の精神でもって、彼の人々に受動的抵抗運動を行う心構えをさせた。
1838年の春に退去するよう命じられたチェロキー族は、その代わり、あたかも収穫期までいるかのように、諸穀物を植えた。
政府は、この部族を追放し始めるために兵士達を送り込んだ。
敗北はしたが、ロスは一つの慰めがあった。
陸軍による、平和なインディアン達の狩り出しはこの悲劇を我々の国の記憶の中に固定した。
「君達は我々を武力で追放することができる・・・けれど、我々にそれを公正なことだと呼ばせることはできない」、とロスは1838年に記したのだ。
受動的抵抗運動は、若干の実際的な諸結果を生み出しもした。
人道的大災厄の展望に身の毛がよだったところの、連邦の役人達は、少なくとも、移住の諸条件を改善した。
ロスのチェロキー族政府は、恐らくはその真の価値のほんの一部だろうがそれでも相当な額であるところの、600万ドルを超える額を約束された。
その代わり、チェロキー族は、銃剣を突きつけられて行くのではなく、自分達自身で西部行を組織することに同意した。
ロスは、米国政府に、チェロキー族の<この>旅行について、可能な限りのあらゆる経費を請求した。」(G)
「<米国人なら>誰もが、何千人ものチェロキー族に押し付けられた試練であるところの、チェロキー族の涙の道(Trail of Tears)を間違いなく知っているし、知らなければならない。
チェロキー族は、東部の海沿いの地域(Eastern Seaboard)からの移住に反対するところの、最高裁の判断(judgement)を戦い、勝ち取った後、にもかかわらず、自分達の部族の諸土地を剥奪され、1830年代初頭にインディアン特別保護区(Indian Territory)に徒歩で赴いた。
この移住の規模は甚大なものだった。
チェロキー族だけでなく、マスケギー族、セミノール族、チカソー族、チョクトー族、クリーク族、及び、彼らのアフリカ系米国人たる奴隷達が、米国が犯したうちの、最も大規模にして暴虐的な諸行為の一つにおいて、移住させられたのだ。」(A)
(続く)
太田述正コラム#7698(2015.5.31)
<アンドリュー・ジャクソン大統領のおぞましさ(その7)>(2015.9.15公開)
[英植民地人は人種主義をどう正当化したか--豪州の例--]
「・・・初期の<地理的意味での>欧州人入植者達は、原住民を、惨めな生活をしているところの、劣等人種である、と見なした。
原住民は遊牧民であったので、自分達の土地の所有権を有さない、と見なされた。
その場合、英植民地法では、無主物・・法律用語ではテラ・ヌリウス(terra nullius)<(注13)>・・となり、しかるが故に、好都合なことに、欧州人達によって占拠(occupy)することができるのだ。
(注13)「1835年8月、豪州で、ニューサウスウェールズ植民地総督のバーク(Bourke)は、英国王によって配分される場合を除き、原住豪州人は土地の売却、割り当てができず、個人としても集団としても土地を獲得できない、と宣言することでテラ・フリウスの法理(doctrine)を施行した。・・・
テラ・ヌリウスは、それから53年も経った、1889年に、<ある裁判における決定で、ようやく、英本国の>枢密院の法務委員会のお墨付きを得た。」
http://en.wikipedia.org/wiki/Terra_nullius
場合によっては、原住民が、自分達の古来からの諸土地で、<欧州人の>草を食んでいる畜牛を殺すと、欧州人達は出かけて行って「射撃諸パーティ」を行って、動物達に対するように、原住民達を無差別に殺したりした。
欧州人達の若干は、これについて、原住民は、動物達同様、魂を有さない、という理屈でもって正当化した。
このような諸殺人は法では決して許されていなかったけれど、法が執行されるとは限らなかった。
1901年に、豪州連邦(Commonwealth of Australia)が別々の諸植民地から形成されるが、原住民は、投票することができず、国勢調査の対象にもならなかった。
<彼らへの>投票権は、爾後60年かけて徐々に付与された。
テラ・ヌリウス法理が、豪州の高等裁判所で否定(overturn)されたのは、実に1992年においてであり、初めて、原住民の諸コミュニティは古来からの土地でまだ政府所有下にあったものへの諸権利を要求することが可能になった。・・・
諸規制が、タテマエ上は、アルコール飲料を購入する人物の人種を考慮しないことになっているにもかかわらず、多くの原住民が住んでいるところの、豪州のノーザン・テリトリー(Northern Territory)におけるアルコール飲料の販売に係る諸規制は、<原住民に対する、白人による>家父長制の証拠と見ることができる。
それはそれとして、多くの自治的な原住民の諸コミュニティは、自分達の人々に対してアルコール飲料が及ぼした荒廃を鋭く自覚するが故に、自分達の統制下にある諸地域内におけるその飲用を規制している、という事実を述べておく必要がある。
実際、若干の原住民指導者達は、自分達自身で、より家父長制的諸政策への回帰を推進してきたところだ。
・・・アメリカ原住民(Native American)、及び、アラスカ先住民(First Nations people in Alaska)・・・更にはカナダ<原住民>もまた、・・アルコール依存症という巨大な諸問題を抱えている。<(注14)>・・・」
http://opinionator.blogs.nytimes.com/2015/05/27/peter-singer-on-speciesism-and-racism/?ref=opinion
(5月28日アクセス)(前出)
(注14)「メキシコと、国境付近の一部の部族を除けば、インディアンには酒造の文化がな<かったこともあり、彼らは>、飲酒をコントロールすることができない。
・・・一壜あれば、一壜を一気に飲み干して泥酔してしまう。
かつて白人が、彼らと不平等な条約を結ぶ際、多量のウィスキーを持ち込んだことはよく知られた事実である。
こうした人々が保留地で自活の道を絶たれ、アルコール依存症となるのは、エスキモーやアボリジニなど他国の先住民にも見られる問題である。
完全禁酒を掲げる部族自治区も多い。
・・・「タイム」誌は、ある中西部の保留地の、4,600人の成人のうち、男性21%、女性44%が、3年間に少なくとも一回、酩酊の理由で逮捕されたとし、多くの保留地では、インディアン達が外の街で酔っ払って、家へ戻る途中に自動車事故で死なないようにと、保留地でバーや酒店を開けるようにしていると報告している。
「NIYC(全米インディアン若者会議)」副議長を務めたポンカ族のビル・ペンソニューが、1969年2月24日に、上院インディアン教育小委員会の前で述べた証言のなかの以下の一節は、・・・よく引き合いに出される一文である。
「我々はワインにひたすら没頭する。なぜなら、酔いつぶれているときだけが、唯一我々インディアンが自由な時だからだ。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%A2%E3%83%B3
-------------------------------------------------------------------------------
(続く)
太田述正コラム#7700(2015.6.1)
<アンドリュー・ジャクソン大統領のおぞましさ(その8)>(2015.9.15公開)
(7)ジャクソン弁明論(投稿より)
投稿の中には、以下のような、ジャクソン弁明論も散見されます。
「多分、マサチューセッツからの二人の紳士達<(注15)>を除いて、建国の父達のことごとくが「全ての人は平等に創られている」なる<米国の世界に喧伝されてきたところの、>遺産群に関して、若干の深刻な諸欠陥(warts)を有していた。
(注15)サミュエル・アダムスとジョン・アダムスのことを指している、と思われる。
前者(1722~1802年)は、ハーヴァード大卒、「イギリスに対する抗議行動、例えば1773年のボストン茶会事件を組織化し、大陸会議に出席し<、>・・・第二次大陸会議で独立宣言の採択を主導し」、その後、マサチューセッツ州知事を務める、
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%9F%E3%83%A5%E3%82%A8%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%80%E3%83%A0%E3%82%BA
という人物ですし、後者は何度も既出しています(コラム #91、503、504、518、
896、1630、2079、2890、2897、3327、3329、3423、3654、3706、3802、4049、
4303、4308、6263、6589、6597)。
何と言っても、彼らは奴隷達を所有していた。
そういうわけで、我々の過去の指導者達の諸貢献と諸問題点(failings)の双方を認識することなく、米国史について誠実に議論することはできない。
アンドリュー・ジャクソンについても、同じく、例外ではない。
私は、彼の反知性主義、マニフェスト・デスティニー、アメリカ原住民に対して行ったジェノサイド的作戦、彼の奴隷達に対する謀略性及び北部の奴隷廃止論者達に対する好戦性(belligerence)、その他、に対しては嫌悪感を抱きつつも、彼による(当時の特権的、そして庶民的な全ての白人男性達に対してだけではあったとはいえ、)選挙権の拡大は、それにもかかわらず、米国が爾来どうなったかへ通じる入口(gateway)となった。」(B)
⇒「庶民」出身のジャクソンとしては、自分自身の政治的基盤をより強固なものにすべく、「庶民」への選挙権の拡大を実施した、というだけのことであったと思われます。(太田)
「人類が、アフリカ以外へ進出してからというもの、技術的により進歩した人々が、次第に、相対的に大胆でなかったり文明的(sophisticated)でなかったりした人々よりも上位に立ってきた。
このパターンが何十万年も維持された。
その延長のおかげでアメリカ大陸は暗黒物語を紡ぎ出し続けることを免れたのだ。」(D)
(8)弁明論への反論(投稿より)
しかし、このような弁明論に反発する投稿者の方がはるかに多い、という点で、米国人達が若干なりとも進歩した、いや、相当程度、自信喪失するに至っていること、が分かります。
「当時<、米国>には野蛮人達がおり、ジャクソンはこういった輩達を率いていた。・・・
1800年代初頭までに、東部の諸部族のいくつかは、多くの「欧米の」諸習慣・・例えば、住宅、学校、等々・・を採用していた。
その時点では、彼らは、決して「石器時代」ではなかった。
<いや、それどころか、>若干の南西部及びメソアメリカ(Meso-American)<(コラム#7360)>の諸部族の農業的諸営為(practices)についても・・・認めるべきだ。
特に、チェロキー族についてだが、最高裁が彼らに有利な判示を行ったにもかかわらず、ジャクソン大統領が、要はこの判示を(現在の大統領が移民諸法を都合よく無視しているのと大いに似ているが、)無視し、とにかく、焼畑的<白人>入植者達に西のチェロキー族の土地に移住するのを認めたこと、を忘れてはならない。・・・
<いずれにせよ、>アメリカ原住民の農業<なかりせば、我々の食事は、>・・・トウモロコシ、トマト、じゃがいも、胡椒、カボチャ(squash)、なし、ということにあいな<っていたことだろう。>」(D)
「私に言わせれば、<インディアン5部族から>盗まれた土地の全てが、関連諸部族に返還されるべきだ。
彼らは、それを売ることも、持っておくことも、好きなようにすればよい。・・・
<また、インディアン達が移住した後、>何世代にもわたって、この土地の上で働いたアフリカ系の人々についてはどうか。
彼らの子孫達もまた、補償されるべきだ。・・・
チェロキー族は、最上の諸便益を受け取ったところ、それは、種々の諸部族を通じて語られたように、彼らが白人の諸法/諸やり方に適応したのに対し、他の諸部族は相対的にそうすることに「熱心で」なかったからだ。
米国政府が、原住諸部族の歴史、血、及び人種の一切合財を薄め/消し去るために、薬物/アルコール飲料/白人女性、を彼らに与えたこともまた事実なのだ。」(E)
⇒まことにご立派な言葉がつづられていますが、絶対そうはならないことを知っているからこそ、彼らは、抜け抜けとこんな風に書けるのでしょうね。(太田)
3 終わりに
もはや、多言を要さないでしょう。
フーヴァーとオバマ以外に、一体、まともな大統領が米国に何人いるのだろうか、ということです。
(完)
◎防衛省OB太田述正メルマガ
のバックナンバーはこちら
⇒ http://archives.mag2.com/0000101909/index.html
法の保護(shelter)を否定されたロスは、1960年代の非暴力的市民権示威行為者達の精神でもって、彼の人々に受動的抵抗運動を行う心構えをさせた。
1838年の春に退去するよう命じられたチェロキー族は、その代わり、あたかも収穫期までいるかのように、諸穀物を植えた。
政府は、この部族を追放し始めるために兵士達を送り込んだ。
敗北はしたが、ロスは一つの慰めがあった。
陸軍による、平和なインディアン達の狩り出しはこの悲劇を我々の国の記憶の中に固定した。
「君達は我々を武力で追放することができる・・・けれど、我々にそれを公正なことだと呼ばせることはできない」、とロスは1838年に記したのだ。
受動的抵抗運動は、若干の実際的な諸結果を生み出しもした。
人道的大災厄の展望に身の毛がよだったところの、連邦の役人達は、少なくとも、移住の諸条件を改善した。
ロスのチェロキー族政府は、恐らくはその真の価値のほんの一部だろうがそれでも相当な額であるところの、600万ドルを超える額を約束された。
その代わり、チェロキー族は、銃剣を突きつけられて行くのではなく、自分達自身で西部行を組織することに同意した。
ロスは、米国政府に、チェロキー族の<この>旅行について、可能な限りのあらゆる経費を請求した。」(G)
「<米国人なら>誰もが、何千人ものチェロキー族に押し付けられた試練であるところの、チェロキー族の涙の道(Trail of Tears)を間違いなく知っているし、知らなければならない。
チェロキー族は、東部の海沿いの地域(Eastern Seaboard)からの移住に反対するところの、最高裁の判断(judgement)を戦い、勝ち取った後、にもかかわらず、自分達の部族の諸土地を剥奪され、1830年代初頭にインディアン特別保護区(Indian Territory)に徒歩で赴いた。
この移住の規模は甚大なものだった。
チェロキー族だけでなく、マスケギー族、セミノール族、チカソー族、チョクトー族、クリーク族、及び、彼らのアフリカ系米国人たる奴隷達が、米国が犯したうちの、最も大規模にして暴虐的な諸行為の一つにおいて、移住させられたのだ。」(A)
(続く)
太田述正コラム#7698(2015.5.31)
<アンドリュー・ジャクソン大統領のおぞましさ(その7)>(2015.9.15公開)
[英植民地人は人種主義をどう正当化したか--豪州の例--]
「・・・初期の<地理的意味での>欧州人入植者達は、原住民を、惨めな生活をしているところの、劣等人種である、と見なした。
原住民は遊牧民であったので、自分達の土地の所有権を有さない、と見なされた。
その場合、英植民地法では、無主物・・法律用語ではテラ・ヌリウス(terra nullius)<(注13)>・・となり、しかるが故に、好都合なことに、欧州人達によって占拠(occupy)することができるのだ。
(注13)「1835年8月、豪州で、ニューサウスウェールズ植民地総督のバーク(Bourke)は、英国王によって配分される場合を除き、原住豪州人は土地の売却、割り当てができず、個人としても集団としても土地を獲得できない、と宣言することでテラ・フリウスの法理(doctrine)を施行した。・・・
テラ・ヌリウスは、それから53年も経った、1889年に、<ある裁判における決定で、ようやく、英本国の>枢密院の法務委員会のお墨付きを得た。」
http://en.wikipedia.org/wiki/Terra_nullius
場合によっては、原住民が、自分達の古来からの諸土地で、<欧州人の>草を食んでいる畜牛を殺すと、欧州人達は出かけて行って「射撃諸パーティ」を行って、動物達に対するように、原住民達を無差別に殺したりした。
欧州人達の若干は、これについて、原住民は、動物達同様、魂を有さない、という理屈でもって正当化した。
このような諸殺人は法では決して許されていなかったけれど、法が執行されるとは限らなかった。
1901年に、豪州連邦(Commonwealth of Australia)が別々の諸植民地から形成されるが、原住民は、投票することができず、国勢調査の対象にもならなかった。
<彼らへの>投票権は、爾後60年かけて徐々に付与された。
テラ・ヌリウス法理が、豪州の高等裁判所で否定(overturn)されたのは、実に1992年においてであり、初めて、原住民の諸コミュニティは古来からの土地でまだ政府所有下にあったものへの諸権利を要求することが可能になった。・・・
諸規制が、タテマエ上は、アルコール飲料を購入する人物の人種を考慮しないことになっているにもかかわらず、多くの原住民が住んでいるところの、豪州のノーザン・テリトリー(Northern Territory)におけるアルコール飲料の販売に係る諸規制は、<原住民に対する、白人による>家父長制の証拠と見ることができる。
それはそれとして、多くの自治的な原住民の諸コミュニティは、自分達の人々に対してアルコール飲料が及ぼした荒廃を鋭く自覚するが故に、自分達の統制下にある諸地域内におけるその飲用を規制している、という事実を述べておく必要がある。
実際、若干の原住民指導者達は、自分達自身で、より家父長制的諸政策への回帰を推進してきたところだ。
・・・アメリカ原住民(Native American)、及び、アラスカ先住民(First Nations people in Alaska)・・・更にはカナダ<原住民>もまた、・・アルコール依存症という巨大な諸問題を抱えている。<(注14)>・・・」
http://opinionator.blogs.nytimes.com/2015/05/27/peter-singer-on-speciesism-and-racism/?ref=opinion
(5月28日アクセス)(前出)
(注14)「メキシコと、国境付近の一部の部族を除けば、インディアンには酒造の文化がな<かったこともあり、彼らは>、飲酒をコントロールすることができない。
・・・一壜あれば、一壜を一気に飲み干して泥酔してしまう。
かつて白人が、彼らと不平等な条約を結ぶ際、多量のウィスキーを持ち込んだことはよく知られた事実である。
こうした人々が保留地で自活の道を絶たれ、アルコール依存症となるのは、エスキモーやアボリジニなど他国の先住民にも見られる問題である。
完全禁酒を掲げる部族自治区も多い。
・・・「タイム」誌は、ある中西部の保留地の、4,600人の成人のうち、男性21%、女性44%が、3年間に少なくとも一回、酩酊の理由で逮捕されたとし、多くの保留地では、インディアン達が外の街で酔っ払って、家へ戻る途中に自動車事故で死なないようにと、保留地でバーや酒店を開けるようにしていると報告している。
「NIYC(全米インディアン若者会議)」副議長を務めたポンカ族のビル・ペンソニューが、1969年2月24日に、上院インディアン教育小委員会の前で述べた証言のなかの以下の一節は、・・・よく引き合いに出される一文である。
「我々はワインにひたすら没頭する。なぜなら、酔いつぶれているときだけが、唯一我々インディアンが自由な時だからだ。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%A2%E3%83%B3
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(続く)
太田述正コラム#7700(2015.6.1)
<アンドリュー・ジャクソン大統領のおぞましさ(その8)>(2015.9.15公開)
(7)ジャクソン弁明論(投稿より)
投稿の中には、以下のような、ジャクソン弁明論も散見されます。
「多分、マサチューセッツからの二人の紳士達<(注15)>を除いて、建国の父達のことごとくが「全ての人は平等に創られている」なる<米国の世界に喧伝されてきたところの、>遺産群に関して、若干の深刻な諸欠陥(warts)を有していた。
(注15)サミュエル・アダムスとジョン・アダムスのことを指している、と思われる。
前者(1722~1802年)は、ハーヴァード大卒、「イギリスに対する抗議行動、例えば1773年のボストン茶会事件を組織化し、大陸会議に出席し<、>・・・第二次大陸会議で独立宣言の採択を主導し」、その後、マサチューセッツ州知事を務める、
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%9F%E3%83%A5%E3%82%A8%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%80%E3%83%A0%E3%82%BA
という人物ですし、後者は何度も既出しています(コラム #91、503、504、518、
896、1630、2079、2890、2897、3327、3329、3423、3654、3706、3802、4049、
4303、4308、6263、6589、6597)。
何と言っても、彼らは奴隷達を所有していた。
そういうわけで、我々の過去の指導者達の諸貢献と諸問題点(failings)の双方を認識することなく、米国史について誠実に議論することはできない。
アンドリュー・ジャクソンについても、同じく、例外ではない。
私は、彼の反知性主義、マニフェスト・デスティニー、アメリカ原住民に対して行ったジェノサイド的作戦、彼の奴隷達に対する謀略性及び北部の奴隷廃止論者達に対する好戦性(belligerence)、その他、に対しては嫌悪感を抱きつつも、彼による(当時の特権的、そして庶民的な全ての白人男性達に対してだけではあったとはいえ、)選挙権の拡大は、それにもかかわらず、米国が爾来どうなったかへ通じる入口(gateway)となった。」(B)
⇒「庶民」出身のジャクソンとしては、自分自身の政治的基盤をより強固なものにすべく、「庶民」への選挙権の拡大を実施した、というだけのことであったと思われます。(太田)
「人類が、アフリカ以外へ進出してからというもの、技術的により進歩した人々が、次第に、相対的に大胆でなかったり文明的(sophisticated)でなかったりした人々よりも上位に立ってきた。
このパターンが何十万年も維持された。
その延長のおかげでアメリカ大陸は暗黒物語を紡ぎ出し続けることを免れたのだ。」(D)
(8)弁明論への反論(投稿より)
しかし、このような弁明論に反発する投稿者の方がはるかに多い、という点で、米国人達が若干なりとも進歩した、いや、相当程度、自信喪失するに至っていること、が分かります。
「当時<、米国>には野蛮人達がおり、ジャクソンはこういった輩達を率いていた。・・・
1800年代初頭までに、東部の諸部族のいくつかは、多くの「欧米の」諸習慣・・例えば、住宅、学校、等々・・を採用していた。
その時点では、彼らは、決して「石器時代」ではなかった。
<いや、それどころか、>若干の南西部及びメソアメリカ(Meso-American)<(コラム#7360)>の諸部族の農業的諸営為(practices)についても・・・認めるべきだ。
特に、チェロキー族についてだが、最高裁が彼らに有利な判示を行ったにもかかわらず、ジャクソン大統領が、要はこの判示を(現在の大統領が移民諸法を都合よく無視しているのと大いに似ているが、)無視し、とにかく、焼畑的<白人>入植者達に西のチェロキー族の土地に移住するのを認めたこと、を忘れてはならない。・・・
<いずれにせよ、>アメリカ原住民の農業<なかりせば、我々の食事は、>・・・トウモロコシ、トマト、じゃがいも、胡椒、カボチャ(squash)、なし、ということにあいな<っていたことだろう。>」(D)
「私に言わせれば、<インディアン5部族から>盗まれた土地の全てが、関連諸部族に返還されるべきだ。
彼らは、それを売ることも、持っておくことも、好きなようにすればよい。・・・
<また、インディアン達が移住した後、>何世代にもわたって、この土地の上で働いたアフリカ系の人々についてはどうか。
彼らの子孫達もまた、補償されるべきだ。・・・
チェロキー族は、最上の諸便益を受け取ったところ、それは、種々の諸部族を通じて語られたように、彼らが白人の諸法/諸やり方に適応したのに対し、他の諸部族は相対的にそうすることに「熱心で」なかったからだ。
米国政府が、原住諸部族の歴史、血、及び人種の一切合財を薄め/消し去るために、薬物/アルコール飲料/白人女性、を彼らに与えたこともまた事実なのだ。」(E)
⇒まことにご立派な言葉がつづられていますが、絶対そうはならないことを知っているからこそ、彼らは、抜け抜けとこんな風に書けるのでしょうね。(太田)
3 終わりに
もはや、多言を要さないでしょう。
フーヴァーとオバマ以外に、一体、まともな大統領が米国に何人いるのだろうか、ということです。
(完)
◎防衛省OB太田述正メルマガ
のバックナンバーはこちら
⇒ http://archives.mag2.com/0000101909/index.html