バグダッドから独ミュンヘンへ、難民一家の過酷な旅 同行取材 | 日本のお姉さん

バグダッドから独ミュンヘンへ、難民一家の過酷な旅 同行取材

彼らが夢見ていた、いつ爆弾が爆発するか分からない恐怖とは無縁の「素晴らしい生活」

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バグダッドから独ミュンヘンへ、難民一家の過酷な旅 同行取材
2015年09月15日 11:29 発信地:ミュンヘン/ヨーロッパ
セルビア北部ホルゴス近郊で線路に沿って歩くアハマドさん一家(2015年9月1日撮影)。


【9月15日 AFP】路線図が点灯し、列車がドイツに入ったことが知らされると、イラクの首都バグダッド(Baghdad)出身の難民、アハマドさん(27)と妻のアリアさん(26)に安堵(あんど)感と喜びがこみ上げてきた。

生後4か月の赤ん坊、アダムちゃんを抱えた夫妻は、バルカン半島を通過する地獄のような旅をようやく切り抜けた。そして、彼らが夢見ていた、いつ爆弾が爆発するか分からない恐怖とは無縁の「素晴らしい生活」についにたどり着いた──少なくとも、その瞬間はそう思えた。

アハマドさんとアリアさんはオーストリアの首都ウィーン(Vienna)から乗った列車の中で、ようやく緊張から解き放たれ、トルコ、ギリシャ、マケドニア、セルビア、ハンガリー、オーストリアを経由した1週間の長い旅を改めて振り返った。

AFPの取材班は今回、2500キロに及ぶ気の遠くなるような夫妻の旅に、ギリシャとマケドニアの国境から、多くの難民が約束の地と夢見て目指すドイツまで同行した。

アハマドさんは「ついにやった」と笑みを浮かべなからつぶやいた。彼は妻子を危険な場所から避難させるため、所有していた自宅と洋服店を売り払った。

この1週間、夫妻は国境警備にあたる当局の目をかいくぐりながら移動を続けてきた。ホテルが見つからずに野宿することもあったし、泥棒から身を守ったり、欲深い密航業者とやり合ったりもした。

夫妻は合法的にバルカン諸国に入ったが、必要な手続きのために、日中の照りつける太陽と夜の凍えるような寒さに耐えながら、長い時間にわたって待ち続けなければならなかった。各国政府や国際社会の援助体制は不十分で、アハマドさんの家族が今回の旅で援助を受けることはほとんどなかった。

夫妻は列車やバス、時には徒歩で北上した。ドイツ入国までに掛かった費用は9000ユーロ(約120万円)を超える。

妻のアリアさんは、学校での成績が優秀だったが、2003年に米国が行ったイラクへの侵攻後に勢力を拡大したイスラム過激派組織の影響によって学業をあきらめざるを得なかったのだという。「学校に通っていた頃、武装した男たちに襲撃された。ヒジャブを着けていないから殺すと脅迫された」と当時について語った。

それでもアリアさんは前を向き続けた。セルビアの首都ベオグラード(Belgrade)から、ハンガリーとの国境に近いカニジャ(Kanijiza)に向かうバスの中で彼女は「少なくとも、夢の幾つかは叶うと期待している」と取材班に述べた。

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■過度のストレス、授乳困難に

難民たちを利用・搾取しているのは、なにも密航業者だけではない。食料や日用品の販売業者らも、水やサンドイッチ、エナジー・ドリンクなどを行く先々で法外な値段で彼らに売りつける。セルビアのプレセボ(Presevo)キャンプでは、登録のために並ぶ列を回避できるとした偽の許可証までもが売られていた。これら搾取を取り巻く状況について難民たちは必死に訴えたが、警察官が彼らの声に耳を傾けることはなかった。

アハマドさんは、ベオグラードのカフェで、ハンガリーの首都ブダペスト(Budapest)まで車で連れていって欲しいと密航業者に頼み込んだ。アルジェリア出身の密航業者は「トラックから71人が遺体で見つかったのを知らないのか?子連れは乗せないよ」とアハマドさんに述べ、この依頼を拒否した。これは密航業者の良心が垣間見えた瞬間だったのかもしれない。

それでも、アハマドさんとアリアさんはようやくブダペストにたどり着き、別の密航業者によってオーストリア国境まで運ばれた。そして、そこからは徒歩で越境するよう伝えられた。一緒に移動していた仲間のうち6人は拘束されたが、アハマドさんとアリアさんはなんとか免れることができた。

旅の途中、アリアさんはアダムちゃんに授乳することができなくなった。逃亡者のような生活を強いられたことによるストレスで、母乳が出なくなってしまったためだ。アハマドさんは「アリアはずっと食べていなかったから、アダムにおっぱいをあげることができなくなった。息子が泣くのを見ていられない」と心苦しい様子で語った。

アハマドさんによると、最初は米国で難民認定の申請をしようとしたが実現せず、今回、止むを得ず欧州への違法なルートを選んだのだという。
■収容施設での現実

ウイーンに到着したアハマドさんとアリアさんには、迫害を受けているような感覚はもうなかった。それまでは、ずっと急ぎ足で、どこへ行くべきかをゆっくり考える余裕などなかったが、ここでは今後の計画を練ることができた。

2人はだいぶ迷った末、アハマドさんの姉妹が住んでいるドイツのケルン(Cologne)へ向かうことに決めた。そのままケルンにとどまるか、それとも2人の家族がいるオランダへ行くかは、後で決めることにした。

ところが、ドイツ南部ミュンヘン(Munich)で別の列車に乗り換えようとしたところ、アハマドさんとアリアさんはドイツの警察に拘束され、旅はほろ苦い結末を迎えた。歓迎してくれる人たちは見当たらず、辺りは静けさに包まれていた。3人は手続きのために仮設の施設へと連れて行かれた後、粗末な一時収容施設に入れられた。

収容施設からAFPの電話取材に応じたアハマドさんは、初めて落ち込んだ様子をみせた。アハマドさんによると、アリアさんが施設の環境を改善してほしいと交渉を試みたところ「ここはホテルではない」と施設関係者に一蹴されてしまったのだという。

ドイツには現在、大量の難民や移民が流入している。そのため、アハマドさんたちが「家」と呼べる場所にたどりつけるまでには、さらに長い時間がかかる可能性も否めない。アハマドさんは「ようやく落ち着くことができると思っていたけれど、まだしばらくかかりそうだ。だけど、少なくとも、何とかここまで来ることはできたよ」と話した。(c)AFP/Serene ASSIR
http://www.afpbb.com/articles/-/3060215?pid=0
肥満で航空機に乗れず、NY在住の女性がハンガリーで死亡
2012年11月28日 13:18 発信地:ニューヨーク/米国
×KLMオランダ航空(KLM)の航空機。オランダのアムステルダム・スキポール空港(Amsterdam
Schiphol Airport)で(2012年11月17日撮影、資料写真)。(c)AFP/ALEXANDER
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【11月28日 AFP】母国ハンガリーを訪れていた米ニューヨーク(New York)在住の女性が、肥満のために航空機に乗ることができず、代替の帰国便を探す中、死亡した。遺族は航空会社を相手取り損害賠償を求める訴訟を起こした。

ニューヨーク・ブロンクス(Bronx)区在住のヤノス・ソルテス(Janos Soltesz)さんと病気の妻ビルマ(Vilma)さんは10月、デルタ航空(Delta Air Lines)とKLMオランダ航空(KLM)に、体重180キロの
ビルマさんが座ることのできる座席がないと言われ、ハンガリーから帰国することができなくなった。

ソルテス夫妻は当初、ハンガリーの首都ブダペスト(Budapest)からKLMで帰国しようとしたが、KLM側からはチェコのプラハ(Prague)に行って提携先のデルタ航空(Delta Air Lines)が運航する大型の航空機に乗るよ
う告げられた。だが夫妻はデルタ航空にも搭乗を拒否され、さらにルフトハンザ・ドイツ航空(Lufthansa)の航空便に乗ろうとしたが、そこでも断られた。

米CBSによると、ビルマさんが乗れる便が見つかったのは、当初予定の航空便から9日後だった。ビルマさんはすでに死亡していた。

夫のヤノスさんは航空会社を相手取り、600万ドル(約5億円)の賠償を求める訴訟を起こした。ヤノスさんの代理人を務めるピーター・ロナイ(Peter Ronai)弁護士は米CBSに、「航空会社は責任をもって
彼女をハンガリーに連れて行った。ハンガリーから彼女を帰すのも彼らの責任だ。彼女がハンガリーに行けたのに帰ってこられないというのはどういうことなのか、私にはさっぱり理解できない」と述べた。

デルタ航空の広報担当者は、AFPの取材に対し、ソルテス夫人を航空便に乗せることは「物理的に不可能だった」と述べ、「デルタとKLMは、家族を支援するためにできる限りのことをした。プラハではデルタ航空のスタッフが1時間近くにわたって、航空機に搭乗させようと努力したが、不可能だった」と語った。(c)AFP
http://www.afpbb.com/articles/-/2913512