英語を間違った意味で使うTV解説者
「シャツをズボンにインするファッション」など
日本語なのか英語なのか?
ちょっと日本語の割合が少なすぎ。
アメリカに住む日系二世か三世が使うような変な日本語が増えています。
ルー大島みたいな日本語は、日本語じゃないと思う。
インドネシアもTVを見ていると、急に司会者が英語でしゃべったりして
違和感を感じるけど、日本もそうなるのか?
「コンパクト」など、以前から日本人が使っている言葉を別の意味で使うのは混乱を招く。
しかも、バットの振り幅の意味で使うのは間違った使い方だと前田さんが書いている。
~~~~
1)カタカナ語の濫用を戒める:前田 正晶
カタカナ語の濫用は徒に聞き手というか視聴者を混乱させているだけでは ないのか。先日も野球の解説者という名の単なる説明者に過ぎない連中が 「コンパクト」という意味不明の言葉を使うのは
具体的に何を表したいの かが読み切れずに混乱させているだけではだと指摘して、主宰者に支持し て頂けたのは大いに幸せだった、兎に角野球のみならずテレビに登場する 解説者風の者どもはいい気になって皆一様に意味不明なカタカナ語を使っ て説明する傾向がある。困った事ではないか。
「コンパクト」をバットのスゥイングの振幅を狭める意味で使っているよ うだと最近になってやっと解ってきた。だが、”compact”という単語は物 を表す時に使うもので、バットの振幅のような抽象 的な観念をいう時には 使わないものだ。
その昔、ご婦人が「コンパクト」と言わた白粉やパフを入れた鏡つきの化 粧品を入れる容器があったのを覚えている人どれだけいるか。このように 元は大きかったものを原寸よりも縮小する事を言 うのがコンパクトだ。
そ れをバットの振り幅に当てはめて使うのはるのは明らかな誤りである。何 でもカタカナ語を使うと近代的に聞こえると思うのは早計であり、無知で
ある。
野球の解説者は未だ未だおかしな言葉を使って視聴者を騙している。その 例の一つが「巧みなバットコントロール」がある。先ず文法的に厳格に誤 りを指摘すれば、これは「ヒーロー・インタ
ビュー」と同じ性質なのである。
理屈を言い続けると目的語であるはずの「バット」が「コントロール」の 前に出てきていたのでは意味を為さない。これは所謂「単語を並べたら何 とか通じた」と同じ誤りなのだ。これでは「誰 がバットをコントロールするのか」という主語が出てきていない。
だが、ここでは日本語の語順で並べてあるから、視聴者には「巧みにバッ トの振り方を修正かまたは調整して、難しい投球に合わせて打ってしまう イチロー君のような優れた技術を言い表したいの だろうと想像はつく。
だが、それは飽くまで想像を逞しゅうしているだけであり、解説者の意図が 正しく理解された訳ではあるまい。
兎に角彼らは日本語の語彙の貧弱さ補うなうために何かといえばカタカナ 語を使って逃げるのである。
この他にも屡々使われる例に「シンプル」 (=simple)がある。これは「簡単に」とか「単純 に」と言いたい時に出 てくるのだが、既に何度も指摘した通りで、この単語にはそういう意味は 一義的には出てこない。Oxfordには”not complicated; easy to understand or do”と出てくる。
「簡単で解りやすい」という意味なの に、勝手に自分の都合で熟語を当て嵌めて使ってはならないと知るべきだ。
要するに、カタカナ語を使うと何となく近代的で格好が良いとの錯覚から 抜け出せないない不勉強な解説者がカタカナ語を濫用し、日本語を乱して いるのが実態ではないのか。
私は不勉強な解説者 を使っているテレビ局に も猛反省を要求したいのだ。
日本語なのか英語なのか?
ちょっと日本語の割合が少なすぎ。
アメリカに住む日系二世か三世が使うような変な日本語が増えています。
ルー大島みたいな日本語は、日本語じゃないと思う。
インドネシアもTVを見ていると、急に司会者が英語でしゃべったりして
違和感を感じるけど、日本もそうなるのか?
「コンパクト」など、以前から日本人が使っている言葉を別の意味で使うのは混乱を招く。
しかも、バットの振り幅の意味で使うのは間違った使い方だと前田さんが書いている。
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1)カタカナ語の濫用を戒める:前田 正晶
カタカナ語の濫用は徒に聞き手というか視聴者を混乱させているだけでは ないのか。先日も野球の解説者という名の単なる説明者に過ぎない連中が 「コンパクト」という意味不明の言葉を使うのは
具体的に何を表したいの かが読み切れずに混乱させているだけではだと指摘して、主宰者に支持し て頂けたのは大いに幸せだった、兎に角野球のみならずテレビに登場する 解説者風の者どもはいい気になって皆一様に意味不明なカタカナ語を使っ て説明する傾向がある。困った事ではないか。
「コンパクト」をバットのスゥイングの振幅を狭める意味で使っているよ うだと最近になってやっと解ってきた。だが、”compact”という単語は物 を表す時に使うもので、バットの振幅のような抽象 的な観念をいう時には 使わないものだ。
その昔、ご婦人が「コンパクト」と言わた白粉やパフを入れた鏡つきの化 粧品を入れる容器があったのを覚えている人どれだけいるか。このように 元は大きかったものを原寸よりも縮小する事を言 うのがコンパクトだ。
そ れをバットの振り幅に当てはめて使うのはるのは明らかな誤りである。何 でもカタカナ語を使うと近代的に聞こえると思うのは早計であり、無知で
ある。
野球の解説者は未だ未だおかしな言葉を使って視聴者を騙している。その 例の一つが「巧みなバットコントロール」がある。先ず文法的に厳格に誤 りを指摘すれば、これは「ヒーロー・インタ
ビュー」と同じ性質なのである。
理屈を言い続けると目的語であるはずの「バット」が「コントロール」の 前に出てきていたのでは意味を為さない。これは所謂「単語を並べたら何 とか通じた」と同じ誤りなのだ。これでは「誰 がバットをコントロールするのか」という主語が出てきていない。
だが、ここでは日本語の語順で並べてあるから、視聴者には「巧みにバッ トの振り方を修正かまたは調整して、難しい投球に合わせて打ってしまう イチロー君のような優れた技術を言い表したいの だろうと想像はつく。
だが、それは飽くまで想像を逞しゅうしているだけであり、解説者の意図が 正しく理解された訳ではあるまい。
兎に角彼らは日本語の語彙の貧弱さ補うなうために何かといえばカタカナ 語を使って逃げるのである。
この他にも屡々使われる例に「シンプル」 (=simple)がある。これは「簡単に」とか「単純 に」と言いたい時に出 てくるのだが、既に何度も指摘した通りで、この単語にはそういう意味は 一義的には出てこない。Oxfordには”not complicated; easy to understand or do”と出てくる。
「簡単で解りやすい」という意味なの に、勝手に自分の都合で熟語を当て嵌めて使ってはならないと知るべきだ。
要するに、カタカナ語を使うと何となく近代的で格好が良いとの錯覚から 抜け出せないない不勉強な解説者がカタカナ語を濫用し、日本語を乱して いるのが実態ではないのか。
私は不勉強な解説者 を使っているテレビ局に も猛反省を要求したいのだ。