「我々の子孫にそんな思いをさせては、いかんのですよ」との思いで、85歳の老碩学が「歴史戦争」を
渡部昇一『歴史の授業』から
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伊勢 雅臣
「我々の子孫にそんな思いをさせては、いかんのですよ」との思いで、85歳の老碩学が「歴史戦争」を戦っている。
■1.「我々の子孫にそんな思いをさせては、いかんのですよ」
現代日本の最高の碩学の一人、渡辺昇一・上智大学名誉教授は85歳の高齢にもかかわらず、「従軍慰安婦」捏造報道[a]に対して『朝日新聞を糾す国民会議』の議長に就任し、日本裁判史上最大の2万5700人もの原告団を代表して集団訴訟を率いている。
氏の講演集『歴史の授業』(CD全3巻)[1]では、冷静な話しぶりの陰に、我々の子孫のために言われなき日本の恥辱を晴らそうとする氏の真心が響いてくる。氏はこう語る。
(弊誌で講演内容を文章化しましたが、文意を損なわない範囲で繰り返しを省くなど簡略化しています。)
「朝日はついに謝罪みたいな事をしたけど、それは主として自分の読者に謝っているんですな。そんなものは痛くも痒(かゆ)くもない話でね。それで、どうしても日本の恥を雪いでもらわないと、いかんのですね。・・・
ある人の話によれば、アメリカの「従軍慰安婦」の像の建った学校では、先生も説明したので、日本人のお子さんは授業の間、顔を上げることができなかった、という報道がありました。我々の子孫にそんな思いをさせては、いかんのですよ」。[Disk3-2, 4:25]
「我々の子孫のために」、その無私の一念が85歳の老碩学を動かしている。
■2.朝日新聞の社長に世界で謝らせる
集団訴訟の狙いを氏はこう語っている。
「その趣旨は、日本人が蒙った恥をどうして雪ぐか、ということです。
僕等が考えているのは、まず朝日新聞の社長が、アメリカで慰安婦の像を立てている市の市長を訪ねて回る。
これはこの街に住んでいる韓国系の人たちがいろいろ言ってきたんでしょう。
それはすべて私の新聞のインチキ記事によるものでありました」と謝って貰う。
これは効くと思うんですよ。
・・・インチキ記事に基づいた慰安婦像なんか建てておくわけにはいかんじゃないですか。・・・
それから国連の人権委員会に行って貰わねばならない。
クマラスワミという女性が、日本軍は朝鮮の若い女性を20万人、拉致して、天皇の兵隊のセックス・スレーブ(性奴隷)にしたと批判している。
そして日本の政府が言っても、まだ取り消さない。
取り消させるには、やはり朝日新聞の社長に行って貰うより、しようがない。
「あなたが日本を批判されました。その根拠になったのは、すべて私の新聞のインチキ報道によるものです」と言って、深々と頭を下げて貰えば、クマラスワミだって「いや、それでも」などとは言えない。
それを朝日新聞社に言っても、聞かないですよ。
だから成功するかどうか、分かりませんけれども、裁判所に訴えます。
裁判所命令で謝ってもらうような指示を出して貰いたいと思っているんですね」。[Disk3-2,5:50]
慰安婦像を建てたアメリカの市長や、クマラスワミに、彼らの依拠している朝日新聞の記事は捏造であることを、朝日新聞の社長自身に謝らせる。
こういう相手の論拠を一言で打ち砕く論法を、渡部氏は「斬り返し」と呼んでいる。
■3.「毒ガスで良かったんじゃないですか」
歴史戦争に勝つためには、百の論より一つの「斬り返し」が有効だ。
その分かりやすい例として、渡部氏は以下のようなエピソードを紹介している。
ベルリンで国際学会があった時、お茶の席で、あるユダヤ人が「原爆は戦争を早く終わらせて、被害を少なくするために使われたそうですね」と言った。渡部氏はすぐに、こう斬り返した。
「戦争を終わらせるために、どんな手段を使ってもいいというなら、毒ガスで良かったんじゃないですか」と。そうしたら、そのユダヤ人はハーッとして、「それは考えなかった」。
言うまでもなく、毒ガスはナチスがユダヤ人大量虐殺に使った違法手段である。
原爆はその毒ガスと同じだと言われれば、ユダヤ人には返す言葉がない。
これこそ一言で相手の論をぶった切る痛烈な「斬り返し」である。
■4.「あなたは蒋介石さんよりも、よく当時の情勢を知っているんですか」
東京裁判では、ナチスのユダヤ人虐殺と同様に、日本軍が南京で大規模な無差別虐殺をしたとされたが、これも歴史学的研究で勝負がついている。
弊誌でも紹介したように[b]、南京学会で緻密な研究が進められ、もはや南京で20万人も殺害されたと公の場で主張する学者は一人もいなくなった。
台湾で蒋介石の資料が出てきて、日本軍の「虐殺」を最初に報道した『マンチェスター・ガーディアン』のオーストラリア人記者は南京にはおらず、上海で記事を書いたこと、しかも蒋介石政府からお金を貰って書いて
いた事が判っている。
蒋介石は実際の武力戦では日本軍に全く歯が立たなかったので、せめて報道戦では勝とうとしたが、支那人が言ったのでは世界の誰も信用しないので、白人に金を渡して虐殺の記事を書かせたのである。
しかし、蒋介石自身は、嘘をつきたくなかったらしい。
南京から落ち延びて、2、3百回も外人記者と会話をして、その資料も台湾にあったが、蒋介石は一度も大虐殺を口にしていない。
「もし、大虐殺なんかを言う人がいたら、「あなたは、よく知ってますね。
一番よく知っているはずの蒋介石さんも、一度もそんな事を言わなかった。
あなたは蒋介石さんよりも、よく当時の情勢を知っているんですか」と聞いてやりたいですね。それは斬り返さないといかんのです」。
[Disk3-2,19:36]
■5.「支那事変を日本が始めたとは東京裁判でも認めなかった」
日本が中国を侵略した、というのも、中国の仕掛ける主要な歴史戦争の一手だが、これについても単純明快な斬り返しが可能だ。
あの日本を裁くための東京裁判ですらも、開戦責任が日本にあるとは言わなかったのです。
これは判りきった話で、昭和12年7月7日の盧溝橋事件でも向こうから撃ってきて、話がついて、話がついたら、また向こうから撃ってきて、というような事を何度か繰り返しまして、結局、日本軍に向こうの地方の軍の一番上の人が正式に謝っていますよ。
それから、8月13日にいきなり上海で戦争が起こりました。
これは中国には珍しく、当時の蒋介石の虎の子の飛行機が出てきて、爆弾を落としているのですよ。
日本の船に爆弾を落としたんですが、当たらなかった。
上海の百貨店やホテルに当たって、後に日本への大使となったライシャワーさんのお兄さんも、その時に死んでいるんですよ。
どこから見ても、100%、向こうの攻撃であることは皆、認めている。
ですから、「支那事変を日本が始めたなんてことは、東京裁判でも認めなかった」と断言すれば、よろしい」。[Disk3-2,14:05]
開戦責任が中国にあるならば、その後、中国大陸に広がった支那事変も日本の侵略とは言えない。
「戦争を起こしたら、戦争の論理で動くんです。
アメリカだって、日本を爆撃したのを非難されたら、「ハワイを攻撃したから戦争が始まった。
戦争の責任はお前だ」と言うに決まってますよ。
支那人にも同じ事を言ったらどうですか。
「支那事変は支那を戦場にしたけど、始めたのは手前たちだぞ。侵略なんかと言うな」と」。
[Disk2-1,16:24]
■6.マッカーサー証言「日本がこの前の戦争に入ったのは、主として自衛のためであった」
こうして東京裁判では、支那事変の開戦責任を日本に押しつけることはできず、逆に原爆投下の犯罪性を問われるなど、支離滅裂の結果となった。
「マッカーサーは東京裁判をずっと見ていて、これは無理だな、という事を悟ったんですよ。
特に朝鮮戦争が起こりますとね。
それで朝鮮戦争の途中に、ウェーキ島でトルーマン(大統領)と会いましてね、「東京裁判はやるべきではなかった」と。
これはちゃんと(記録に)残っていますし、産経の『正論』に出た事があります」。
この時、マッカーサーは朝鮮戦争に勝てないことに腹が立っていた、という。
日本軍を押しまくったアメリカ軍の力はすごかったが、それを考えると、なぜ朝鮮半島で、こんなにモタモタしているのか、当時、大学2年生だった渡部氏も不思議に思ったという。
これは後で判ったことだが、マッカーサーに勝たせないという策謀がワシントンで決められていた、という。
港の船を沈めたり、橋を爆撃すれば、北からの攻撃を止めるのは簡単だったが、それをマッカーサーは禁じられた。
マッカーサーは、それなら原爆を使わせてくれ、と言って、トルーマンに罷免された。
当時、米国の上層部ではソ連のシンパが暗躍していたのである。
「だから、私は、マッカーサーが呼び戻されて、上院の軍事外交委員会でアジアの情勢を語る時は、国に腹を立てていたと思うのです。
だから、こんな事を言ったのですね。
「我々は日本を犯罪国家として決めつけた。戦争中、日本を悪魔のように思って戦った。
本当はそうではない。
自分は日本を統治して、よく知っている。」
だから、東條さんが(東京裁判で)言ったようなことを引用し
て、"Their purpose in going to war was", 「彼らの戦争に入った目的
は」、"largely dictated by security", 「主として自衛のためであっ
た」と言っているのですよ」。[Disk3-2, 29:10]
このマッカーサー証言は「日本が侵略戦争をした」という史観に対して、
最大の斬り返しになる事実である。
■7.「ああ、日本のマスコミもひどいなあ」
「これを日本は使ったことがないのですよ。日本の外務省もマスコミも」
と渡部氏は批判する。秘密文書でもなんでもない、「ニューヨーク・タイ
ムズ」に出た記事なのに。
「外務省もマスコミも、これを手に入れなかったはずはない。
朝日新聞の縮刷版を見ますと、マッカーサーの証言はみな載っています。
ただ、私が
今、引用した所は抜けているのですよ」。[Disk3-2, 31:00]
この証言の翌年4月には占領が終わっているので、マッカーサー証言を自由に報道することはできたのに、それをしなかった。
「昭和27(1952)年に、朝日新聞がそれを出してくれていたら、、、「この国のかくも卑しくなりたれば捧げし人のただに惜しまる」という、愛する夫を「お国のために」と捧げた未亡人がいた。それが「日本の方が悪かった」と言われて、「ただに惜しまる」と。
それはある未亡人ですけれども、自分の息子を失った母親も、自分の兄弟
を失った弟、妹、そういう人たちも、みな「ただに惜しまる」と。
昭和27年なら、だいたいの人は生きていましたよ。
それを考えると、「ああ、日本のマスコミもひどいなあ」と思うんです」。[Disk3-2, 31:50]
この先人の無念を思いやる心は、「我々の子孫にそんな思いをさせては、いかんのですよ」という氏の一念に通じている。
■8.「我々は論ずれば必ず勝てるんです」
このマッカーサー証言を斬り返しに使って、アメリカ人に歴史の真実を説き続けていくべき、と氏は説く。
「アメリカから変えないと歴史戦争は勝てない。
幸いに、この頃はアメリカの方でルーズベルトが戦争を仕組んだということが元大統領の言葉と
か、一流の歴史家からポツポツ出始めました。
もう少し時間が経てば、アメリカの知識階級から「この前の戦争は、日本だけが悪い、と言ってはいかんな」という話になると思うのです。
それが、日本の歴史戦争に勝つ一番の確実な道ですからね。
習近平がなんと言おうと、朴槿恵がなんと言おうと、我々は論ずれば必ず勝てるんです。・・・
マッカーサー証言は、その転換の一番の基本になるものです。
日本を侵略国と決めた東京裁判を行ったマッカーサー自身が公の場でそれを否定したということ。
「日本の戦争は自衛戦だった」ということは、日本人すべての人が暗記して、もしも日本の悪口を言う奴がいたら、それを引用できるような状況にしておくべきじゃないか、と考えている次第です」。
[Disk3-2, 33:50]
「我々の子孫にそんな思いをさせては、いかんのですよ」という老碩学の真心を一人でも多くの日本国民が共有して、歴史戦争を一緒に戦っていくべきだろう。
■リンク■
a. JOG(890) 朝日新聞の「従軍慰安婦」報道小史
「私たちはこれからも変わらない姿勢でこの問題を報じ続けていきます」
という朝日新聞の「姿勢」とは?
http://blog.jog-net.jp/201503/article_3.html
b. JOG(455) 「南京大虐殺」の創作者たち
中国の中央宣伝部に協力した欧米人記者たち
http://www2s.biglobe.ne.jp/nippon/jogdb_h18/jog455.html
c. JOG(441) 中国をスターリンに献上した男
なぜ米国は、やすやすと中国を共産党の手に渡 してしまったのか?
http://www2s.biglobe.ne.jp/nippon/jogdb_h18/jog441.html
■参考■(お勧め度、★★★★:必読~★:専門家向け)
→アドレスをクリックすると、本の紹介画面に飛びます。
1. 渡部昇一『歴史の授業』CD全3巻
http://online.chichi.co.jp/category/CDDVD/8116.html
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伊勢 雅臣
「我々の子孫にそんな思いをさせては、いかんのですよ」との思いで、85歳の老碩学が「歴史戦争」を戦っている。
■1.「我々の子孫にそんな思いをさせては、いかんのですよ」
現代日本の最高の碩学の一人、渡辺昇一・上智大学名誉教授は85歳の高齢にもかかわらず、「従軍慰安婦」捏造報道[a]に対して『朝日新聞を糾す国民会議』の議長に就任し、日本裁判史上最大の2万5700人もの原告団を代表して集団訴訟を率いている。
氏の講演集『歴史の授業』(CD全3巻)[1]では、冷静な話しぶりの陰に、我々の子孫のために言われなき日本の恥辱を晴らそうとする氏の真心が響いてくる。氏はこう語る。
(弊誌で講演内容を文章化しましたが、文意を損なわない範囲で繰り返しを省くなど簡略化しています。)
「朝日はついに謝罪みたいな事をしたけど、それは主として自分の読者に謝っているんですな。そんなものは痛くも痒(かゆ)くもない話でね。それで、どうしても日本の恥を雪いでもらわないと、いかんのですね。・・・
ある人の話によれば、アメリカの「従軍慰安婦」の像の建った学校では、先生も説明したので、日本人のお子さんは授業の間、顔を上げることができなかった、という報道がありました。我々の子孫にそんな思いをさせては、いかんのですよ」。[Disk3-2, 4:25]
「我々の子孫のために」、その無私の一念が85歳の老碩学を動かしている。
■2.朝日新聞の社長に世界で謝らせる
集団訴訟の狙いを氏はこう語っている。
「その趣旨は、日本人が蒙った恥をどうして雪ぐか、ということです。
僕等が考えているのは、まず朝日新聞の社長が、アメリカで慰安婦の像を立てている市の市長を訪ねて回る。
これはこの街に住んでいる韓国系の人たちがいろいろ言ってきたんでしょう。
それはすべて私の新聞のインチキ記事によるものでありました」と謝って貰う。
これは効くと思うんですよ。
・・・インチキ記事に基づいた慰安婦像なんか建てておくわけにはいかんじゃないですか。・・・
それから国連の人権委員会に行って貰わねばならない。
クマラスワミという女性が、日本軍は朝鮮の若い女性を20万人、拉致して、天皇の兵隊のセックス・スレーブ(性奴隷)にしたと批判している。
そして日本の政府が言っても、まだ取り消さない。
取り消させるには、やはり朝日新聞の社長に行って貰うより、しようがない。
「あなたが日本を批判されました。その根拠になったのは、すべて私の新聞のインチキ報道によるものです」と言って、深々と頭を下げて貰えば、クマラスワミだって「いや、それでも」などとは言えない。
それを朝日新聞社に言っても、聞かないですよ。
だから成功するかどうか、分かりませんけれども、裁判所に訴えます。
裁判所命令で謝ってもらうような指示を出して貰いたいと思っているんですね」。[Disk3-2,5:50]
慰安婦像を建てたアメリカの市長や、クマラスワミに、彼らの依拠している朝日新聞の記事は捏造であることを、朝日新聞の社長自身に謝らせる。
こういう相手の論拠を一言で打ち砕く論法を、渡部氏は「斬り返し」と呼んでいる。
■3.「毒ガスで良かったんじゃないですか」
歴史戦争に勝つためには、百の論より一つの「斬り返し」が有効だ。
その分かりやすい例として、渡部氏は以下のようなエピソードを紹介している。
ベルリンで国際学会があった時、お茶の席で、あるユダヤ人が「原爆は戦争を早く終わらせて、被害を少なくするために使われたそうですね」と言った。渡部氏はすぐに、こう斬り返した。
「戦争を終わらせるために、どんな手段を使ってもいいというなら、毒ガスで良かったんじゃないですか」と。そうしたら、そのユダヤ人はハーッとして、「それは考えなかった」。
言うまでもなく、毒ガスはナチスがユダヤ人大量虐殺に使った違法手段である。
原爆はその毒ガスと同じだと言われれば、ユダヤ人には返す言葉がない。
これこそ一言で相手の論をぶった切る痛烈な「斬り返し」である。
■4.「あなたは蒋介石さんよりも、よく当時の情勢を知っているんですか」
東京裁判では、ナチスのユダヤ人虐殺と同様に、日本軍が南京で大規模な無差別虐殺をしたとされたが、これも歴史学的研究で勝負がついている。
弊誌でも紹介したように[b]、南京学会で緻密な研究が進められ、もはや南京で20万人も殺害されたと公の場で主張する学者は一人もいなくなった。
台湾で蒋介石の資料が出てきて、日本軍の「虐殺」を最初に報道した『マンチェスター・ガーディアン』のオーストラリア人記者は南京にはおらず、上海で記事を書いたこと、しかも蒋介石政府からお金を貰って書いて
いた事が判っている。
蒋介石は実際の武力戦では日本軍に全く歯が立たなかったので、せめて報道戦では勝とうとしたが、支那人が言ったのでは世界の誰も信用しないので、白人に金を渡して虐殺の記事を書かせたのである。
しかし、蒋介石自身は、嘘をつきたくなかったらしい。
南京から落ち延びて、2、3百回も外人記者と会話をして、その資料も台湾にあったが、蒋介石は一度も大虐殺を口にしていない。
「もし、大虐殺なんかを言う人がいたら、「あなたは、よく知ってますね。
一番よく知っているはずの蒋介石さんも、一度もそんな事を言わなかった。
あなたは蒋介石さんよりも、よく当時の情勢を知っているんですか」と聞いてやりたいですね。それは斬り返さないといかんのです」。
[Disk3-2,19:36]
■5.「支那事変を日本が始めたとは東京裁判でも認めなかった」
日本が中国を侵略した、というのも、中国の仕掛ける主要な歴史戦争の一手だが、これについても単純明快な斬り返しが可能だ。
あの日本を裁くための東京裁判ですらも、開戦責任が日本にあるとは言わなかったのです。
これは判りきった話で、昭和12年7月7日の盧溝橋事件でも向こうから撃ってきて、話がついて、話がついたら、また向こうから撃ってきて、というような事を何度か繰り返しまして、結局、日本軍に向こうの地方の軍の一番上の人が正式に謝っていますよ。
それから、8月13日にいきなり上海で戦争が起こりました。
これは中国には珍しく、当時の蒋介石の虎の子の飛行機が出てきて、爆弾を落としているのですよ。
日本の船に爆弾を落としたんですが、当たらなかった。
上海の百貨店やホテルに当たって、後に日本への大使となったライシャワーさんのお兄さんも、その時に死んでいるんですよ。
どこから見ても、100%、向こうの攻撃であることは皆、認めている。
ですから、「支那事変を日本が始めたなんてことは、東京裁判でも認めなかった」と断言すれば、よろしい」。[Disk3-2,14:05]
開戦責任が中国にあるならば、その後、中国大陸に広がった支那事変も日本の侵略とは言えない。
「戦争を起こしたら、戦争の論理で動くんです。
アメリカだって、日本を爆撃したのを非難されたら、「ハワイを攻撃したから戦争が始まった。
戦争の責任はお前だ」と言うに決まってますよ。
支那人にも同じ事を言ったらどうですか。
「支那事変は支那を戦場にしたけど、始めたのは手前たちだぞ。侵略なんかと言うな」と」。
[Disk2-1,16:24]
■6.マッカーサー証言「日本がこの前の戦争に入ったのは、主として自衛のためであった」
こうして東京裁判では、支那事変の開戦責任を日本に押しつけることはできず、逆に原爆投下の犯罪性を問われるなど、支離滅裂の結果となった。
「マッカーサーは東京裁判をずっと見ていて、これは無理だな、という事を悟ったんですよ。
特に朝鮮戦争が起こりますとね。
それで朝鮮戦争の途中に、ウェーキ島でトルーマン(大統領)と会いましてね、「東京裁判はやるべきではなかった」と。
これはちゃんと(記録に)残っていますし、産経の『正論』に出た事があります」。
この時、マッカーサーは朝鮮戦争に勝てないことに腹が立っていた、という。
日本軍を押しまくったアメリカ軍の力はすごかったが、それを考えると、なぜ朝鮮半島で、こんなにモタモタしているのか、当時、大学2年生だった渡部氏も不思議に思ったという。
これは後で判ったことだが、マッカーサーに勝たせないという策謀がワシントンで決められていた、という。
港の船を沈めたり、橋を爆撃すれば、北からの攻撃を止めるのは簡単だったが、それをマッカーサーは禁じられた。
マッカーサーは、それなら原爆を使わせてくれ、と言って、トルーマンに罷免された。
当時、米国の上層部ではソ連のシンパが暗躍していたのである。
「だから、私は、マッカーサーが呼び戻されて、上院の軍事外交委員会でアジアの情勢を語る時は、国に腹を立てていたと思うのです。
だから、こんな事を言ったのですね。
「我々は日本を犯罪国家として決めつけた。戦争中、日本を悪魔のように思って戦った。
本当はそうではない。
自分は日本を統治して、よく知っている。」
だから、東條さんが(東京裁判で)言ったようなことを引用し
て、"Their purpose in going to war was", 「彼らの戦争に入った目的
は」、"largely dictated by security", 「主として自衛のためであっ
た」と言っているのですよ」。[Disk3-2, 29:10]
このマッカーサー証言は「日本が侵略戦争をした」という史観に対して、
最大の斬り返しになる事実である。
■7.「ああ、日本のマスコミもひどいなあ」
「これを日本は使ったことがないのですよ。日本の外務省もマスコミも」
と渡部氏は批判する。秘密文書でもなんでもない、「ニューヨーク・タイ
ムズ」に出た記事なのに。
「外務省もマスコミも、これを手に入れなかったはずはない。
朝日新聞の縮刷版を見ますと、マッカーサーの証言はみな載っています。
ただ、私が
今、引用した所は抜けているのですよ」。[Disk3-2, 31:00]
この証言の翌年4月には占領が終わっているので、マッカーサー証言を自由に報道することはできたのに、それをしなかった。
「昭和27(1952)年に、朝日新聞がそれを出してくれていたら、、、「この国のかくも卑しくなりたれば捧げし人のただに惜しまる」という、愛する夫を「お国のために」と捧げた未亡人がいた。それが「日本の方が悪かった」と言われて、「ただに惜しまる」と。
それはある未亡人ですけれども、自分の息子を失った母親も、自分の兄弟
を失った弟、妹、そういう人たちも、みな「ただに惜しまる」と。
昭和27年なら、だいたいの人は生きていましたよ。
それを考えると、「ああ、日本のマスコミもひどいなあ」と思うんです」。[Disk3-2, 31:50]
この先人の無念を思いやる心は、「我々の子孫にそんな思いをさせては、いかんのですよ」という氏の一念に通じている。
■8.「我々は論ずれば必ず勝てるんです」
このマッカーサー証言を斬り返しに使って、アメリカ人に歴史の真実を説き続けていくべき、と氏は説く。
「アメリカから変えないと歴史戦争は勝てない。
幸いに、この頃はアメリカの方でルーズベルトが戦争を仕組んだということが元大統領の言葉と
か、一流の歴史家からポツポツ出始めました。
もう少し時間が経てば、アメリカの知識階級から「この前の戦争は、日本だけが悪い、と言ってはいかんな」という話になると思うのです。
それが、日本の歴史戦争に勝つ一番の確実な道ですからね。
習近平がなんと言おうと、朴槿恵がなんと言おうと、我々は論ずれば必ず勝てるんです。・・・
マッカーサー証言は、その転換の一番の基本になるものです。
日本を侵略国と決めた東京裁判を行ったマッカーサー自身が公の場でそれを否定したということ。
「日本の戦争は自衛戦だった」ということは、日本人すべての人が暗記して、もしも日本の悪口を言う奴がいたら、それを引用できるような状況にしておくべきじゃないか、と考えている次第です」。
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「我々の子孫にそんな思いをさせては、いかんのですよ」という老碩学の真心を一人でも多くの日本国民が共有して、歴史戦争を一緒に戦っていくべきだろう。
■リンク■
a. JOG(890) 朝日新聞の「従軍慰安婦」報道小史
「私たちはこれからも変わらない姿勢でこの問題を報じ続けていきます」
という朝日新聞の「姿勢」とは?
http://blog.jog-net.jp/201503/article_3.html
b. JOG(455) 「南京大虐殺」の創作者たち
中国の中央宣伝部に協力した欧米人記者たち
http://www2s.biglobe.ne.jp/nippon/jogdb_h18/jog455.html
c. JOG(441) 中国をスターリンに献上した男
なぜ米国は、やすやすと中国を共産党の手に渡 してしまったのか?
http://www2s.biglobe.ne.jp/nippon/jogdb_h18/jog441.html
■参考■(お勧め度、★★★★:必読~★:専門家向け)
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1. 渡部昇一『歴史の授業』CD全3巻
http://online.chichi.co.jp/category/CDDVD/8116.html