「あっ、奇妙な服を着た人たちが入ってきました」
■「加瀬英明のコラム」2015年6月30日(2回目の掲載)
日本国憲法の精神さえあれば国を守ることができるのか
ゴールデン・ウィーク中に、大手テレビの番組を見ていた。
すると、東京から出掛けた女性レポーターが、広島県呉市のスーパーで、あっ、奇妙な服を着た人たちが入ってきました」というので、目を凝らしたところ、水兵服を着た海上自衛隊員の一団だったので、魂消(たまげ)た。
これが、日本海海戦から110年目の5月の、日本の現実だ。若い女性レポーターの親の顔を見たいものだと、思った。
家庭でも、学校でも、日清戦争はもちろん、日露戦争について子供たちに教えることが、まったくない。きっと、女性レポーターの親も、学校教師も、みな、腑抜けな顔をしているのだろう。腑抜けは、いくじのないこと、まぬけ、腰抜けを意味している。
国会では、自衛隊の集団的自衛権の行使をめぐる安保法制を取り上げて、不甲斐無(ふがいな)い論戦がたたかわれている。不甲斐ないは、いくじがない、気概、気力に欠けているという意味だ。
維新の党と民主党は、野党なのだからまだしも、連立与党であるはずの公明党までが、日本の防衛を強化しようという熱意を、まったく欠いて、国防に当たる自衛隊の活動に、「歯止めをかけなければならない」と、力み返っているのは、いったいどうしたことだろうか。
戦後70年にわたって、アメリカによる軍事保護を、天与のものだと錯覚して、思考能力が損われるようになったのだろう。
それに、3党とも思考能力とともに、国語能力が低下してしまっている。
「歯止めをかける」という時には、相手の行き過ぎた行動を、とどめようとする場合に用いられる。夫が酒や、女に溺れているのに対して、妻が夫の遊蕩に「歯止め」を掛けようとするのなら分かるが、夫が自分の行動に歯止めを掛けるとはいわない。
それよりも、国会では異常な軍備増強と領土の拡張に狂奔している中国に、どのようにしたら、「歯止め」をかけることができるか、論じるべきではないか。
中国は「5千年の偉大な中華文明の復興」を、叫んでいる。かつての中華大帝国の覇権の復興を、呼号しているのだ。安保法制の改正は、中国の冒険主義に歯止めを掛けようとするものだ。
国会周辺を通ったら、善男善女が「憲法第9條を守れ」「戦争ができる国にしてはならない」というプラカードを持っていた。
憲法第9條さえあれば、日本の平和が守られると信じているのだろう。
ほどなく、70年目の暑い8月が巡ってくることから、私は当時の文献を読み返している。そのなかに、『高松宮日記』がある。
高松宮殿下が戦争の最後の8月に、日記にこう記された。
「如何ニシテ戦ニ勝ツカ 精神力ヲ以テ物量ヲ圧倒スト云フ 無形ノ精神力デ例ヘバ敵ノ戦車ヲ破壊シ得ルカ 今ノ戦況ハ押シマクラレテヰルデハナイカ
今後如何ナル精神力ガ蔵サレテヰルカ 精神力ヲ物ノ如ク扱フ考ヘ方デハ納得出来ヌ 信念デ現実ノ力ニ対抗出来ルモノナラバ 兵器ハイラヌ筈デアラウ
ナラヌガソレデ勝タントスルナリ」
日本国憲法の精神さえあれば、国を守ることができるというのでは、大戦末期の軍部とまったく変わらないのではないか。
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■「加瀬英明のコラム」
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日米「希望の同盟」を未来へ
安倍首相が4月に、ワシントンにおけるアメリカ議会上下両院会議において、奇蹟を行った。
日米同盟関係が、久し振りにきわめて好ましい状態となった。首相の45分にわたった演説は、満場の議員による14回にわたるスタンディング・オベイション――拍手喝采によって、中断された。
私は日米関係に40年以上携ってきたが、戦後、日本の政治家がアメリカにおいてアメリカ人の心を、これほど強くとらえたことはなかった。
安倍首相の演説は周到に言葉を選び、聴衆を魅了する巧みな演出が、施されてきた。
まず、マンスフィールド上院議員をはじめとして戦後、駐日大使をつとめた議会人を称え、「傍聴席に、私の最愛の妻昭恵が座っています。彼女が日頃、私のことをどう言っているのか、あえて聞かないことにします」というと、いつも議員は政敵や、マスコミから批判にさらされているから、爆笑に包まれた。
安倍首相が就任して以来、日本外交の基調としてきた、世界を「法の支配」のもとに置くべきだという「国際協調主義に基く積極平和主義」の理念を熱っぽく訴えたことは、いうまでもない。
ロシアと中国を名指さなかったものの、アメリカ議会はロシアが無法にウクライナに乱入し、中国が周辺諸国に傍若無人に振る舞うことによって、国際秩序を脅かしているのに対して苛立っていたから、力強い味方をえて歓迎した。
安倍首相は今日、日米両国が強固な友好関係によって結ばれているといって、また演説の途中で傍聴席を指して、「あそこに70年前に、硫黄島で23歳の海兵隊大尉として戦ったスノーデン中将と、その隣席に硫黄島の守備隊司令官として戦死した栗林大将の孫の新藤義孝議員が座っています」と、述べた。2人が立って固い握手を交すと、議員が総立ちとなって、拍手した。
首相は演説が終わりに差し掛かると、「日本は、アメリカ、そして志を共にする民主主義諸国とともに、冷戦に勝利としました」と、訴えた。見事な発言だった。そういうことによって、日本は勝国のなかの一国となって、70年前の戦争がその前の過去のものとなった。
首相は「私たちの同盟を、『希望の同盟』と呼びましよう」と呼びかけることによって、演説を締め括った。
日本ではこの演説に対して、さまざまな論評が加えられてきた。
しかし、西洋では日本とまったく異なって、演説はきわめて重要であって、日本で想像できないほど、高い地位が与えられているという視点が、欠けていた。
シェイクスピア史劇のシーザー暗殺後のアントニオの演説、リンカーンのゲティスバーグの名演説、マッカーサーの「老兵は消えゆくのみ」、ジョン・ケネディの就任演説などをあげるまでもなく、演説は芸術にまで高められている。
西洋におけるオレイション――演説の歴史は古い。日本では福沢諭吉が「スピイチ」にあてて、「演説」という言葉をつくったが、まだ、三田にある慶應義塾にある演説館ほどの歴史しかない。当然といっても、歌舞伎にはそのような場面はないものだ。
演説(オレイション)には手振り、表情も含めて、デリバリー――話しかたなどの演技も、重要である。私は安倍演説に、百点満点の満点を贈りたい。
日本へ大陸から7世紀に仏教と儒教とともに論理が渡ってくると、神道と混淆したというより、神道の土台のうえに加えられた。仏教と儒教は人が文字を知ってから生まれたから、論理を用いるが、神道は文字以前の信仰であるために、私たちは今日でも心を尊んで、論争を嫌って、言挙げすることを慎む。
日本人は、寡黙だ。俳句は世界でもっとも短い詩であるが、饒舌を嫌うことから生まれたものだろう。
だが、西洋も中国も、論理によって争う社会である。日本では演説は挨拶に近いもので、壇上に立つ者はその場の空気を壊すことなく、人々のコンセンサスに合わせることが、期待されている。個人が群衆に語りかけること自体が、日本人の精神構造にとって不自然なものなのだろう。
和を重んじて言挙げしないことが、外交の枷(かせ)となっているが、海外に通用しない。
翌月、アメリカの有力新聞『クリスチャン・サイエンス・モニター』のピーター・フォード北京支局長が、インタビューしたいといって、たずねてきた。
戦後70周年に当たって、日本特集を行うための取材ということだった。同紙は東京支局を閉鎖している。
はじめに、「どうして中国と韓国が過去の歴史について、日本を強く非難し続けているのか」と質問された。私は「中国と韓国は日本と違って明るい未来がないから、過去にしがみつくほかない」と、答えた。
私は中国の現体制は経済と独裁体制が破綻しており、韓国は近代に入るまで、中国の属国だったが、このところ中国の興隆によって幻惑されて、先祖返りしていると述べた。
日本は日米の「希望の同盟」を、いま未来へ向けて強化することによって、平和の勝者となろう。
8月に安倍首相が戦後70周年談話を発表することに、注目が集まってきたが、4月の首相のアメリカ議会演説によって、決着がついたと思う。
首相はアメリカ議会演説で先の戦争について、「私は深い悔悟を胸に」していると述べたが、反省は相手があって行う謝罪と違って、個人として内省するものだから、国家として非を認めるようなものではない。
安倍さん、よくやってくれた!