「心ないハッシュタグ」件数は多かったが「その程度」のアメリカ人まで女子サッカーを観たと
アメリカが南部の旗を使用しなくなったとニュースで読んだけど、それがアメリカ人にとってどういうことなのかは分からなかった。
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2015年7月11日発行
JMM [Japan Mail Media] No.853 Saturday Edition
http://ryumurakami.com/jmm/
■ 『from 911/USAレポート』第694回
「差別と人権、7月10日の2つの光景」
■ 冷泉彰彦:作家(米国ニュージャージー州在住)
(冷泉彰彦さんからのお知らせ)
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そんな中、引き続き内容の充実を図って参りますので、ご紹介を続けたいと思います。
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第070号(2015/06/30)「集団的自衛権と朝鮮半島有事を考える」「タイミングに疑問あり、闇サイト事件犯の死刑執行」「フラッシュバック70(第52回)」「ベルリン・フィル次期監督にキリル・ペトレンコ氏」
第071号(2015/07/07)「「マイナスの父性」と現代日本のジェンダー(「なでしこジャパン」と映画『海街 diary』をめぐって)」「ギリシャ国民投票を受けて、世界はバラバラになるのか?」「フラッシュバック70(第53回)」
■ 『from 911/USAレポート』 第694回
7月10日の金曜日、アメリカでは対照的な2つのセレモニーが行われ、全米で大きな関心を呼びました。まず、午前10時に、サウス・カロライナ州の州都コロンビアにある州政府の庁舎では、前庭の掲揚台に掲げられていた「南部連邦軍旗」が、厳粛な儀式とともに降ろされ、畳まれたのです。
儀式としては簡素なものでしたが、その政治的な意味合いは大きなものがあり、ケーブル・ニュースの各局は特番を組んで大きく扱っていました。問題の発端は、6月17日、サウス・カロライナ州のアフリカ系教会で発生した乱射事件です。9名が死亡するという惨事となったこの事件では、乱射犯のディロン・ルーフという21歳の若者が「星条旗を踏みつける」あるいは「星条旗を燃やす」といった写真に加えて「南部連邦軍旗」を掲げた写真をネット上に掲示していたことは、全国的な論議を呼んだのです。
前回この欄で詳しくお話したように、そのルーフという若者は徹底した黒人への憎悪を表現した「人種論」を発表するなど極端な右翼思想、白人至上主義の影響を受けていました。事件後に判明したことですが、大量殺人を計画して黒人教会を訪れた際に、「バイブルクラス」の講義と質疑応答をこの男は1時間余り聞いていたのだそうです。その際に「この人達があまりにいい人たちなので挫折しそうになった」のだそうですが、最後は「自分の信念に基づいて殺した」のだというのですから、何とも言いようがありません。余りにも幼稚な人格の中に、異常な思想が食い込んでしまっていたということなのでしょう。
いずれにしても、この事件を契機として、サウスカロライナ州の州庁舎に掲げられている「南軍の旗」を撤去しようという問題が持ち上がりました。とりあえず、他の州、アラバマなどでは旗の撤去が迅速に進みましたし、イーベイやアマゾンなどのネット販売でも「南軍旗」の販売は禁止されていきました。
ですが、このサウス・カロライナ州の州都コロンビアに掲げられていた「旗」に関しては、そう簡単には行かない事情があったのです。この「旗」ですが、南北戦争以来ずっと掲げられていたわけではありません。少なくとも南軍は完全に降伏して敗北したわけであり、戦争直後に消滅した連邦の軍旗を掲げるということは有り得なかったからです。
旗が掲げられたのは1961年でした。南北戦争の「100周年」を記念して、同州の州議会が特別な議決を行い「ステートハウス」つまり州議会議事堂と州知事室を含む州政府の庁舎の屋根に、この「南部連邦軍旗」が掲揚されたのでした。この時点では、極めて政治的な意味合いがあり、ケネディ政権下で徐々に拡大していた公民権運動への反対の意思表示、とりわけ様々な「人種隔離政策(セグリゲーション)」を続行するという政治的な意思表示でもあったのです。
この時期には、リチャード・ニクソンなどが主導した「サザン・ストラテジー(南部における共和党の党勢拡大政策)」によって、南北戦争以来ずっと民主党支持であった人種隔離派などの「南部の白人保守派」が「共和党支持に移動する」という動きもある中で、南部ではこのような「南軍旗を州政府庁舎に掲げる」などという行動が起きていったのです。
その後、70年代の公民権運動の高揚、そして段階的な黒人人権の向上ということ
が進む中でも、この「旗」を撤去することはなかなか出来ませんでした。大きく時代の流れが変わったのは、90年代、ビル・クリントン政権の8年でした。アーカンソーの黒人コミュニティにある種の精神的なルーツを持つクリントンは、様々な形で黒人の人権向上に努力をしましたし、何よりも彼に代表される「戦後のベビーブーマー」が社会の主導権を得る中で時代の雰囲気も変わっていったのです。
そんな中、サウス・カロライナではこの「南軍旗」が問題になって行きました。そして、クリントン政権の最終年である2000年に、ようやく「撤去」ということになったのです。ですが、当時はまだ「完全撤去」は難しい、つまり「南軍旗は南部の誇り」だという世論がサウス・カロライナではまだ強かったので、「州政府庁舎の屋根」から「州政府の前庭」に作った「専用掲揚台」に移動するということになりました。
政治的妥協に他なりませんが、当時の世論調査では同州の黒人の80%が「州政府庁舎から専用掲揚台への移設」を妥当だとしていたのです。そのぐらいに、この移設は「大きな前進」だという受け止め方がされたのであり、同時に「完全撤去」はこの時点では難しかったのです。そして、この「旗」の問題はサウス・カロライナ州の政治情勢に「突き刺さったトゲ」のような存在になっていったと言えるでしょう。
今回、撤去へ向けて動いたニッキー・ヘイリー知事ですが、ティーパーティー系として共和党から公職へと出てきた彼女は、この6月の事件が起きる前までは、「南軍旗」論争には積極的ではありませんでした。つまり自分の支持層の何割かは「白人保守」であり、その何割かは「南軍旗掲揚」を支持していたという中で、この問題を政治課題にすることは避けてきたのです。
ですが、今回の彼女の行動は迅速かつ徹底していました。州選出の主要な政治家は、全て押さえた上で、州議会には十分な時間をかけての討議を求めたのです。教会での乱射事件から約1ヶ月という時間をかけて、今回の南軍旗撤去まで漕ぎ着けたのです。他州の動き、あるいは多国籍企業の対応から考えれば、「旗を撤去するのに1ヶ月かかった」というのは「遅い」というイメージがありますが、サウス・カロライナにおける長い論争の歴史から考えれば、ヘイリー知事は「極めて迅速に進めた」という評価も可能なのです。
その7月10日は、午前10時に「南軍旗」が降ろされるということで、例えばCNNはカリフォルニアの有名なアフリカ系環境運動家のヴァン・ジョーンズなどを登場させて「当然のことでしょう。リンカーンに反抗して国を割り、しかもその目的が奴隷制の維持だった、その象徴の旗が今日まで州政府の前で掲揚されていること、それ自体が異常なことなんですから」というような、南部以外としては常識的なコメントをさせていました。
一方で、そのCNNが中継映像に加えて紹介していたCBS系列のチャールストンの地元局は、白人と黒人の女性キャスターが並んで州政府庁舎前の「現場」から淡々とセレモニーの状況を説明するなど、全く異なった雰囲気の「絵」を見せていたのが印象的でした。
その州政府庁舎前には、数千人規模の群衆が集まっていました。目立ったのは「旗を降ろせ」というプラカードでしたが、中には南軍旗を振りかざしたり「南部の伝統を殺すな」というプラカードを掲げた人もいました。更には "South is underattack!" (「南部は今、攻撃を受けている」)という穏やかでないものも混じってい
たのです。
ですが、現場からの中継によれば、そのように180度異なる立場の人が、この場では静かに共存していたのだといいます。そのような共存の思想は、殺された9人の家族が団結して「乱射犯のディロン・ルーフを赦す」と言い続けた精神が導いたもの、現場からはそのような説明がされていました。
やがて、午前10時を過ぎると、州兵の一団が厳かに行進して2000年に作られた「掲揚台」を囲むように整列しました。やがて、その中の2名の州兵が掲揚台のハンドルを操作して「南部連邦軍旗」がスルスルと降下をはじめると、集まった群衆からは最初は少しずつ、やがて盛大に拍手が起きました。すると、一部からは怒号が聞こえたのですが、今度はそれをかき消すかのように「USA、USA」というコールが湧き起こり、それが合唱になっていったのです。
そうした中、州兵たちは淡々と旗を降ろしていきました。旗を降ろして丁寧に畳んだのは白人の州兵でしたが、畳まれて小さくなった旗を紐で縛って掲げたのは黒人の州兵で、その州兵が旗を持って行って、「新しい安住先」となる州の歴史博物館の館長に渡すと、館長は特別なことではないかのように、その畳まれた旗を持ってその場から去って行きました。そうして、約10分ほどのセレモニーは特に混乱もなく、自然解散となったのです。歌もなければスピーチもない、簡素なセレモニーでした。
一連の事態を見事に取り仕切ったヘイリー知事は、NBCのインタビューに答えていましたが、「この間、身の危険を感じたことは?」という問いには「ノー」と答え、この間の合意形成については「改めてこのサウス・カロライナという州を誇りに思います」と述べていました。
実はこの間、陰湿な暴力というのは決して止まってはいませんでした。特に、6月の末から7月の月初に至る期間には、サウス・カロライナ州を中心とした南部の黒人教会では、不審火が10日間に8件も起こるという不気味な状況が続いていたのです。
そのような重苦しい状況の中で、丁寧に合意形成を進めていったヘイリー知事の評価は急速に高まっており、インド系の女性というマイノリティ政治家の属性もプラスの評価を受ける中「共和党の副大統領候補の短いリストの上位」に上ってきたという世評も出てきています。
その数時間後、ニューヨークのマンハッタンでは、先週の日曜日にカナダで行われた女子ワールドカップ世界大会の決勝戦で、日本の「なでしこジャパン」を5対2で破って優勝を決めた全米代表チームがパレードを行っていました。島の南端に近いバッテリーパークから、市庁舎前までという定番コースをオープンカーに乗ってパレードした23人の選手たちは国家的英雄という扱いを受けたこともあり、セレモニーは
大変な盛り上がりでした。
重苦しさに包まれたサウス・カロライナのセレモニーとは180度異なって、そこにはアッケラカンとした、いかにもアメリカのスポーツ文化を象徴するような派手な盛り上がりがありました。この「オールUSAの優勝」ですが、日本から見れば「なでしこジャパン」の二連覇への期待が打ち砕かれたわけで、アメリカとしては「日本に勝って、そこまで嬉しいのか」という印象になるのかもしれません。
では、この大変な盛り上がりというのは「日本に勝ったから嬉しい」のかというと、実は違うのです。そこには伏線になる事件がありました。今回のカナダ大会の序盤の段階で、著名なスポーツ雑誌である『スポーツ・イラストレイテッド』のアンディ・ベノイト記者が「女子サッカーもそうだが、一般的に女子のスポーツは見る価値なんかない」というツイートをして問題になっていたのです。
日本からは「ハットを決められた憎い」選手ということになる、カーリー・ロイド選手などは、このツイートに激しく反発しており、一般的に女子サッカー選手の報酬が低いことへの問題視という話も絡む中で、今回の「優勝パレード」というのは、女子アスリート全体のプライドを示す場として重要な意味を持ったのです。
事実、男子のスポーツチームということでは、ニューヨーク・ヤンキーズにしても、あるいはニックスやジャイアンツ、レンジャースなどが再三にわたって「マンハッタン島内の祝賀パレード」をやっています。また女子を交えたオリンピックの凱旋パレードというのも何度かありました。
ですが、女子の全米代表チームが世界大会などで勝ったのを受けて「マンハッタン島内での祝賀パレードをする」というのは、過去に例がなかったのです。ベノイト記者の愚かなツイートが、彼女らの闘争心に火をつけ、その結果として、このパレードは「女性の権利、女性のプライド」を誇示するという社会的な意味を持っていったのです。
日本から見れば、このパレードの盛り上がりというのは「強いなでしこに勝った喜び」に見えるわけですが、実のところは、多少残念ながら、そうしたニュアンスは少ししかなかったのです。
いずれにしても、南ではサウス・カロライナ州の「南軍旗掲揚の廃止」という重苦しいセレモニーがあり、一方では北のニューヨークでは「女子サッカーUSAチーム」の華やかな優勝祝賀パレードがあり、そのいずれもが、アフリカ系や女性が差別を乗り越え、人権とプライドを確保していくという意味で、アメリカ社会に取っては象徴的な意味のある行事となりました。
一つ気になるのは、こうした動きに敏感なはずの民主党を代表するはずのヒラリー・クリントンという人の存在感が、この2つのセレモニーにおいては、いずれもほとんど感じられなかったということです。
サウス・カロライナの一連の推移では、共和党の若手知事ニッキー・ヘイリー氏の存在感が高まる中で、ヒラリー氏の出る幕は余りなかったですし、女子サッカーチームの方は、優勝後にオバマ大統領が電話をしたり、この日のセレモニーでもヒラリー氏より「もっとずっと左より」のNY市のデブラシオ市長がしっかり存在感を見せていたりと、ここでもヒラリー氏は上手く立ち回れていません。
夫のビル・クリントンと共にホワイトハウスを去ってから15年、オバマと熾烈な予備選を戦ってから既に7年と、時代はどんどん流れ、アメリカの社会には大きな変化が生じています。そうした環境の中で、ヒラリー氏がどのように「新しさ」を掲げて、若い有権者にアピールしていくのか、この7月10日の2つのセレモニーは、そのような課題を彼女に突きつけているように思えてなりません。
(付記1)その「なでしこジャパン」の決勝戦にあたっては、「パールハーバー」とか「ヒロシマ」といった「心ないハッシュタグ」を使って、日本への対抗心を煽るツイートが見られたという報道があります。私は確認したわけではないのですが、少なくとも件数は僅かで社会的には無視できるレベルだと思います。「その程度の連中」までが「女子サッカー」に関心を寄せたというのは、時代の流れを象徴しているという見方もできるかもしれません。
(付記2)その「ヒロシマ」についてですが、反対に「このように時代が進んできた」ことを考えると、合衆国大統領が広島・長崎で献花するということもアメリカの世論は受け入れるのではと思います。漠然とした見方ですが、安倍首相の「真珠湾献花」との「相互献花外交」であれば、まずアメリカの世論は納得するのではないでしょうか。その「相互献花外交」ですが、やはりバラク・オバマという人が合衆国大統領であるうちに実現したいものです。彼のキャラクター、そして「核廃絶を遠望している」というメッセージが重なりあうことで、自然な流れが可能になるからです。
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冷泉彰彦(れいぜい・あきひこ)
作家(米国ニュージャージー州在住)
1959年東京生まれ。東京大学文学部、コロンビア大学大学院(修士)卒。
著書に『911 セプテンバーイレブンス』『メジャーリーグの愛され方』『「関係の空気」「場の空気」』『アメリカは本当に「貧困大国」なのか?』『チェンジはどこへ消えたか~オーラをなくしたオバマの試練』。訳書に『チャター』がある。 最新作は『場違いな人~「空気」と「目線」に悩まないコミュニケーション』(大和書房)。
またNHKBS『クールジャパン』の準レギュラーを務める。
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●編集部より 引用する場合は出典の明記をお願いします。
JMM [Japan Mail Media] No.853 Saturday Edition
【発行】村上龍事務所
【編集】村上龍
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2015年7月11日発行
JMM [Japan Mail Media] No.853 Saturday Edition
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■ 冷泉彰彦:作家(米国ニュージャージー州在住)
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そんな中、引き続き内容の充実を図って参りますので、ご紹介を続けたいと思います。
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第070号(2015/06/30)「集団的自衛権と朝鮮半島有事を考える」「タイミングに疑問あり、闇サイト事件犯の死刑執行」「フラッシュバック70(第52回)」「ベルリン・フィル次期監督にキリル・ペトレンコ氏」
第071号(2015/07/07)「「マイナスの父性」と現代日本のジェンダー(「なでしこジャパン」と映画『海街 diary』をめぐって)」「ギリシャ国民投票を受けて、世界はバラバラになるのか?」「フラッシュバック70(第53回)」
■ 『from 911/USAレポート』 第694回
7月10日の金曜日、アメリカでは対照的な2つのセレモニーが行われ、全米で大きな関心を呼びました。まず、午前10時に、サウス・カロライナ州の州都コロンビアにある州政府の庁舎では、前庭の掲揚台に掲げられていた「南部連邦軍旗」が、厳粛な儀式とともに降ろされ、畳まれたのです。
儀式としては簡素なものでしたが、その政治的な意味合いは大きなものがあり、ケーブル・ニュースの各局は特番を組んで大きく扱っていました。問題の発端は、6月17日、サウス・カロライナ州のアフリカ系教会で発生した乱射事件です。9名が死亡するという惨事となったこの事件では、乱射犯のディロン・ルーフという21歳の若者が「星条旗を踏みつける」あるいは「星条旗を燃やす」といった写真に加えて「南部連邦軍旗」を掲げた写真をネット上に掲示していたことは、全国的な論議を呼んだのです。
前回この欄で詳しくお話したように、そのルーフという若者は徹底した黒人への憎悪を表現した「人種論」を発表するなど極端な右翼思想、白人至上主義の影響を受けていました。事件後に判明したことですが、大量殺人を計画して黒人教会を訪れた際に、「バイブルクラス」の講義と質疑応答をこの男は1時間余り聞いていたのだそうです。その際に「この人達があまりにいい人たちなので挫折しそうになった」のだそうですが、最後は「自分の信念に基づいて殺した」のだというのですから、何とも言いようがありません。余りにも幼稚な人格の中に、異常な思想が食い込んでしまっていたということなのでしょう。
いずれにしても、この事件を契機として、サウスカロライナ州の州庁舎に掲げられている「南軍の旗」を撤去しようという問題が持ち上がりました。とりあえず、他の州、アラバマなどでは旗の撤去が迅速に進みましたし、イーベイやアマゾンなどのネット販売でも「南軍旗」の販売は禁止されていきました。
ですが、このサウス・カロライナ州の州都コロンビアに掲げられていた「旗」に関しては、そう簡単には行かない事情があったのです。この「旗」ですが、南北戦争以来ずっと掲げられていたわけではありません。少なくとも南軍は完全に降伏して敗北したわけであり、戦争直後に消滅した連邦の軍旗を掲げるということは有り得なかったからです。
旗が掲げられたのは1961年でした。南北戦争の「100周年」を記念して、同州の州議会が特別な議決を行い「ステートハウス」つまり州議会議事堂と州知事室を含む州政府の庁舎の屋根に、この「南部連邦軍旗」が掲揚されたのでした。この時点では、極めて政治的な意味合いがあり、ケネディ政権下で徐々に拡大していた公民権運動への反対の意思表示、とりわけ様々な「人種隔離政策(セグリゲーション)」を続行するという政治的な意思表示でもあったのです。
この時期には、リチャード・ニクソンなどが主導した「サザン・ストラテジー(南部における共和党の党勢拡大政策)」によって、南北戦争以来ずっと民主党支持であった人種隔離派などの「南部の白人保守派」が「共和党支持に移動する」という動きもある中で、南部ではこのような「南軍旗を州政府庁舎に掲げる」などという行動が起きていったのです。
その後、70年代の公民権運動の高揚、そして段階的な黒人人権の向上ということ
が進む中でも、この「旗」を撤去することはなかなか出来ませんでした。大きく時代の流れが変わったのは、90年代、ビル・クリントン政権の8年でした。アーカンソーの黒人コミュニティにある種の精神的なルーツを持つクリントンは、様々な形で黒人の人権向上に努力をしましたし、何よりも彼に代表される「戦後のベビーブーマー」が社会の主導権を得る中で時代の雰囲気も変わっていったのです。
そんな中、サウス・カロライナではこの「南軍旗」が問題になって行きました。そして、クリントン政権の最終年である2000年に、ようやく「撤去」ということになったのです。ですが、当時はまだ「完全撤去」は難しい、つまり「南軍旗は南部の誇り」だという世論がサウス・カロライナではまだ強かったので、「州政府庁舎の屋根」から「州政府の前庭」に作った「専用掲揚台」に移動するということになりました。
政治的妥協に他なりませんが、当時の世論調査では同州の黒人の80%が「州政府庁舎から専用掲揚台への移設」を妥当だとしていたのです。そのぐらいに、この移設は「大きな前進」だという受け止め方がされたのであり、同時に「完全撤去」はこの時点では難しかったのです。そして、この「旗」の問題はサウス・カロライナ州の政治情勢に「突き刺さったトゲ」のような存在になっていったと言えるでしょう。
今回、撤去へ向けて動いたニッキー・ヘイリー知事ですが、ティーパーティー系として共和党から公職へと出てきた彼女は、この6月の事件が起きる前までは、「南軍旗」論争には積極的ではありませんでした。つまり自分の支持層の何割かは「白人保守」であり、その何割かは「南軍旗掲揚」を支持していたという中で、この問題を政治課題にすることは避けてきたのです。
ですが、今回の彼女の行動は迅速かつ徹底していました。州選出の主要な政治家は、全て押さえた上で、州議会には十分な時間をかけての討議を求めたのです。教会での乱射事件から約1ヶ月という時間をかけて、今回の南軍旗撤去まで漕ぎ着けたのです。他州の動き、あるいは多国籍企業の対応から考えれば、「旗を撤去するのに1ヶ月かかった」というのは「遅い」というイメージがありますが、サウス・カロライナにおける長い論争の歴史から考えれば、ヘイリー知事は「極めて迅速に進めた」という評価も可能なのです。
その7月10日は、午前10時に「南軍旗」が降ろされるということで、例えばCNNはカリフォルニアの有名なアフリカ系環境運動家のヴァン・ジョーンズなどを登場させて「当然のことでしょう。リンカーンに反抗して国を割り、しかもその目的が奴隷制の維持だった、その象徴の旗が今日まで州政府の前で掲揚されていること、それ自体が異常なことなんですから」というような、南部以外としては常識的なコメントをさせていました。
一方で、そのCNNが中継映像に加えて紹介していたCBS系列のチャールストンの地元局は、白人と黒人の女性キャスターが並んで州政府庁舎前の「現場」から淡々とセレモニーの状況を説明するなど、全く異なった雰囲気の「絵」を見せていたのが印象的でした。
その州政府庁舎前には、数千人規模の群衆が集まっていました。目立ったのは「旗を降ろせ」というプラカードでしたが、中には南軍旗を振りかざしたり「南部の伝統を殺すな」というプラカードを掲げた人もいました。更には "South is underattack!" (「南部は今、攻撃を受けている」)という穏やかでないものも混じってい
たのです。
ですが、現場からの中継によれば、そのように180度異なる立場の人が、この場では静かに共存していたのだといいます。そのような共存の思想は、殺された9人の家族が団結して「乱射犯のディロン・ルーフを赦す」と言い続けた精神が導いたもの、現場からはそのような説明がされていました。
やがて、午前10時を過ぎると、州兵の一団が厳かに行進して2000年に作られた「掲揚台」を囲むように整列しました。やがて、その中の2名の州兵が掲揚台のハンドルを操作して「南部連邦軍旗」がスルスルと降下をはじめると、集まった群衆からは最初は少しずつ、やがて盛大に拍手が起きました。すると、一部からは怒号が聞こえたのですが、今度はそれをかき消すかのように「USA、USA」というコールが湧き起こり、それが合唱になっていったのです。
そうした中、州兵たちは淡々と旗を降ろしていきました。旗を降ろして丁寧に畳んだのは白人の州兵でしたが、畳まれて小さくなった旗を紐で縛って掲げたのは黒人の州兵で、その州兵が旗を持って行って、「新しい安住先」となる州の歴史博物館の館長に渡すと、館長は特別なことではないかのように、その畳まれた旗を持ってその場から去って行きました。そうして、約10分ほどのセレモニーは特に混乱もなく、自然解散となったのです。歌もなければスピーチもない、簡素なセレモニーでした。
一連の事態を見事に取り仕切ったヘイリー知事は、NBCのインタビューに答えていましたが、「この間、身の危険を感じたことは?」という問いには「ノー」と答え、この間の合意形成については「改めてこのサウス・カロライナという州を誇りに思います」と述べていました。
実はこの間、陰湿な暴力というのは決して止まってはいませんでした。特に、6月の末から7月の月初に至る期間には、サウス・カロライナ州を中心とした南部の黒人教会では、不審火が10日間に8件も起こるという不気味な状況が続いていたのです。
そのような重苦しい状況の中で、丁寧に合意形成を進めていったヘイリー知事の評価は急速に高まっており、インド系の女性というマイノリティ政治家の属性もプラスの評価を受ける中「共和党の副大統領候補の短いリストの上位」に上ってきたという世評も出てきています。
その数時間後、ニューヨークのマンハッタンでは、先週の日曜日にカナダで行われた女子ワールドカップ世界大会の決勝戦で、日本の「なでしこジャパン」を5対2で破って優勝を決めた全米代表チームがパレードを行っていました。島の南端に近いバッテリーパークから、市庁舎前までという定番コースをオープンカーに乗ってパレードした23人の選手たちは国家的英雄という扱いを受けたこともあり、セレモニーは
大変な盛り上がりでした。
重苦しさに包まれたサウス・カロライナのセレモニーとは180度異なって、そこにはアッケラカンとした、いかにもアメリカのスポーツ文化を象徴するような派手な盛り上がりがありました。この「オールUSAの優勝」ですが、日本から見れば「なでしこジャパン」の二連覇への期待が打ち砕かれたわけで、アメリカとしては「日本に勝って、そこまで嬉しいのか」という印象になるのかもしれません。
では、この大変な盛り上がりというのは「日本に勝ったから嬉しい」のかというと、実は違うのです。そこには伏線になる事件がありました。今回のカナダ大会の序盤の段階で、著名なスポーツ雑誌である『スポーツ・イラストレイテッド』のアンディ・ベノイト記者が「女子サッカーもそうだが、一般的に女子のスポーツは見る価値なんかない」というツイートをして問題になっていたのです。
日本からは「ハットを決められた憎い」選手ということになる、カーリー・ロイド選手などは、このツイートに激しく反発しており、一般的に女子サッカー選手の報酬が低いことへの問題視という話も絡む中で、今回の「優勝パレード」というのは、女子アスリート全体のプライドを示す場として重要な意味を持ったのです。
事実、男子のスポーツチームということでは、ニューヨーク・ヤンキーズにしても、あるいはニックスやジャイアンツ、レンジャースなどが再三にわたって「マンハッタン島内の祝賀パレード」をやっています。また女子を交えたオリンピックの凱旋パレードというのも何度かありました。
ですが、女子の全米代表チームが世界大会などで勝ったのを受けて「マンハッタン島内での祝賀パレードをする」というのは、過去に例がなかったのです。ベノイト記者の愚かなツイートが、彼女らの闘争心に火をつけ、その結果として、このパレードは「女性の権利、女性のプライド」を誇示するという社会的な意味を持っていったのです。
日本から見れば、このパレードの盛り上がりというのは「強いなでしこに勝った喜び」に見えるわけですが、実のところは、多少残念ながら、そうしたニュアンスは少ししかなかったのです。
いずれにしても、南ではサウス・カロライナ州の「南軍旗掲揚の廃止」という重苦しいセレモニーがあり、一方では北のニューヨークでは「女子サッカーUSAチーム」の華やかな優勝祝賀パレードがあり、そのいずれもが、アフリカ系や女性が差別を乗り越え、人権とプライドを確保していくという意味で、アメリカ社会に取っては象徴的な意味のある行事となりました。
一つ気になるのは、こうした動きに敏感なはずの民主党を代表するはずのヒラリー・クリントンという人の存在感が、この2つのセレモニーにおいては、いずれもほとんど感じられなかったということです。
サウス・カロライナの一連の推移では、共和党の若手知事ニッキー・ヘイリー氏の存在感が高まる中で、ヒラリー氏の出る幕は余りなかったですし、女子サッカーチームの方は、優勝後にオバマ大統領が電話をしたり、この日のセレモニーでもヒラリー氏より「もっとずっと左より」のNY市のデブラシオ市長がしっかり存在感を見せていたりと、ここでもヒラリー氏は上手く立ち回れていません。
夫のビル・クリントンと共にホワイトハウスを去ってから15年、オバマと熾烈な予備選を戦ってから既に7年と、時代はどんどん流れ、アメリカの社会には大きな変化が生じています。そうした環境の中で、ヒラリー氏がどのように「新しさ」を掲げて、若い有権者にアピールしていくのか、この7月10日の2つのセレモニーは、そのような課題を彼女に突きつけているように思えてなりません。
(付記1)その「なでしこジャパン」の決勝戦にあたっては、「パールハーバー」とか「ヒロシマ」といった「心ないハッシュタグ」を使って、日本への対抗心を煽るツイートが見られたという報道があります。私は確認したわけではないのですが、少なくとも件数は僅かで社会的には無視できるレベルだと思います。「その程度の連中」までが「女子サッカー」に関心を寄せたというのは、時代の流れを象徴しているという見方もできるかもしれません。
(付記2)その「ヒロシマ」についてですが、反対に「このように時代が進んできた」ことを考えると、合衆国大統領が広島・長崎で献花するということもアメリカの世論は受け入れるのではと思います。漠然とした見方ですが、安倍首相の「真珠湾献花」との「相互献花外交」であれば、まずアメリカの世論は納得するのではないでしょうか。その「相互献花外交」ですが、やはりバラク・オバマという人が合衆国大統領であるうちに実現したいものです。彼のキャラクター、そして「核廃絶を遠望している」というメッセージが重なりあうことで、自然な流れが可能になるからです。
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冷泉彰彦(れいぜい・あきひこ)
作家(米国ニュージャージー州在住)
1959年東京生まれ。東京大学文学部、コロンビア大学大学院(修士)卒。
著書に『911 セプテンバーイレブンス』『メジャーリーグの愛され方』『「関係の空気」「場の空気」』『アメリカは本当に「貧困大国」なのか?』『チェンジはどこへ消えたか~オーラをなくしたオバマの試練』。訳書に『チャター』がある。 最新作は『場違いな人~「空気」と「目線」に悩まないコミュニケーション』(大和書房)。
またNHKBS『クールジャパン』の準レギュラーを務める。
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JMM [Japan Mail Media] No.853 Saturday Edition
【発行】村上龍事務所
【編集】村上龍