信じられるのは●●だけ…戦国武将にはなぜ?
信じられるのは●●だけ…戦国武将にはなぜオトコの恋人がいたのか?
2015/07/08 21:30 by 森咲 杏子 | 恋愛
2015年6月26日、アメリカ連邦最高裁判所は、同性婚を合憲とする判決をだしました。
さて、日本はいつになるのでしょうか? 「まだまだ難しそう」と思っている人も多いかもしれませんね。
しかし、武光誠監修の『日本男色物語 奈良時代の貴族から明治の文豪まで』によると、明治以前の日本では同性愛、とりわけ男性同士の恋愛は“当たり前”のことだったようです。
また、戦国時代には、男性同士の恋愛が“ステータス”になりました。実は、戦国武将のアノ人にも同性の恋人がいたのだとか。ヒントは“仙台”。もうお分かりですよね?
■1:伊達政宗が家臣のほっぺにチュー!?
“独眼竜”で知られる仙台藩初代当主・伊達政宗。『老翁聞書』という文献には、家臣である片倉小十郎重綱とのエピソードが綴られています。
大阪出陣の際、重綱は「それがしに先鋒をお任せくださいっ!」と政宗にお願いしたようです。すると、政宗は重綱を抱き寄せて頬にキスをしたのです!
よほど親しい間柄でないと、頬にキスなんてしませんよね。
■2:同性愛を自慢していた!
政宗は重綱以外の男性とも関係を持っていたようで、小姓にラブレターを書いたり、寵愛する少年と関係を持つ度に、自分の体に傷をつけて「これはアイツとの愛の証だ!」と自慢したりしたようです。
女性が戦に行くことがなかったので「俺のことを分かってくれるのは同性だけ」と思っていたのでしょうか。しかし、兄弟や家臣に裏切られるのは当たり前の時代。同性のことも容易に信じられません。
本当に信じられるのは“本気で愛し合った同性”ということなのかもしれませんね。
いかがでしたか?
時代と環境が変わっても、“同性に惹かれる”という男性は必ずいます。
あなたの周りに、同性愛者の男性がいるかもしれませんよ。
みだりにカミングアウトしないでほしい。自分の性癖を人に語る人は下品だ。
心の中にしまっておいてほしい。男と女が結婚しないと子供はできない自然の法則があるでしょう。自然に逆らうのは神様の意思に逆らうことでしょう。
自然の災害に対処するのとは、意味が違います。
ゲイがはびこると、国が潰れます。昔の戦国大名のお稚児さんとか少年武将たちは、命がけで主君と国を守って戦う必要があったので、自然と同性愛的になってしまったのだと「思う」。思うだけだけど。ゲイは戦士でもない。自分の性癖を追及しているだけ。軍隊の中でゲイが増えてしまうのは、身近に女性がいないからで、仕方が無い部分もある。アメリカで女性兵士が増えたが、ほとんどの女性兵士は、レイプされているらしい。自分の死を予感する兵士は、ストレスと自分の遺伝子を残そうとしてか、以上に欲情するらしい。昔、結核で隔離されている人たちも身体が死を予感して刹那的になったからか、早く子孫を残そうとしてか異常に性欲が高まっていたらしい。今でこそ、結核は治る病気だが、昔は結核になると、死ぬ人が多かったのです。
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ゲイは本能寺にありッ!織田信長が「ガチで愛した」オトコの秘密
Menjoy! 2015/7/10 06:30
2015年6月26日、アメリカ連邦最高裁判所は、同性婚を合憲とする判決をだしました。そこで今回は、戦国時代の“男性同士の恋愛”についてお話していきます。主役は、織田信長です!
■1:前田利家と添い寝した!?
14歳から信長に仕え、15歳に小姓となった人物がいます。加賀藩初代当主の前田利家です。
ある日、安土城の酒の席で、信長は「利家と添い寝した」と大胆発言をしたそうです。このエピソードは、加賀藩の史料『利家公御夜話』に収められています。
男同士で添い寝。信長は利家に、一体何をしたのでしょうか? 自分の武勇伝を聞かせたのでしょうか。それとも、真面目に兵法の話でもしたのでしょうか。いや、もしかしたら……色々と想像してしまいますよね。
■2:森蘭丸と本能寺で最期を共にする!
信長に愛された家臣といえば、豊臣秀吉が有名ですよね。また、先ほどお話したように、前田利家も信長の寵愛を受けていました。
その二人以上に愛されたのが、森蘭丸。13歳のときから、信長の小姓を務めた人物です。信長は蘭丸のことを周りに自慢し、いつも傍に置いていたそうです。
しかし、明智光秀が起こした“本能寺の変”により、蘭丸は18歳の若さでこの世を去ります。
“信長と蘭丸が恋愛関係にあった”という決定的証拠は残っていません。ひょっとすると、敵に囲まれた本能寺で、信長が「蘭丸と死ねるなら本望!」と叫んでいたかもしれませんね。
いかがでしたか?
以前、「信じられるのは●●だけ…戦国武将にはなぜオトコの恋人がいたのか?」でもご紹介した伊達政宗、今回ご紹介した織田信長だけでなく、武田信玄や徳川家康にも“男性を愛した”というエピソードが残っているようです。
今年10月末にも、東京渋谷区で、同性パートナーシップ証明書が発行される予定。日本で同性婚が合法化するのも、遠い未来ではないかもしれません。
天国にいる、乱世を駆け抜けた武将たちも、“同性婚ができる世の中”の訪れを待ち望んでいることでしょう。
http://news.merumo.ne.jp/article/pickup/3107826
武将たちは地獄にいるし、彼らの時代はお稚児さんがいて当たり前の時代だったから待ち望んでいるわけない。
武将たちは、自分と深い関係のある者しか信用しなかった。信用できる者は近くに置いてかわいがった。それも当時では当たり前のことです。
秀吉は高山右近に破教を勧めたが高山右近は、信仰を捨てることはできないが、即刻明石の領土を捨てると答えた。
秀吉は前田利家の元にキリシタンの高山右近が逃げても、前田利家にモンクを言わないでそのままにしておいた。
高山右近をフィリピンのマニラに追放したのは、信長でも秀吉でもなく、徳川家康の息子である徳川秀忠。
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追放時の高山右近の様子から始めたい。右近は二回の追放と死の危機を経験している。最初のバテレン追放令「伴天連追放令(キリシタン禁教令)」は年に秀吉によって博多でだされた。神国1587である日本ではキリスト教を布教することは相応しくないとして、領民を集団で信徒にすることの“禁止、神社仏閣等の打ち壊しの禁止や宣教師の日以内の国外退去等が命じられた。しか20”し、吉利支丹の布教に関係しない外国人商人の渡来、南蛮貿易に関しては何らの規制も設けなった。
秀吉はキリシタンに対する右近の大きな影響を知っていたので、使いを出して右近に棄教を説得している。これに対して、右近は「棄教するのは出来ないので、明石の領地を即刻返上する」と答えている。この返事は秀吉には意外だったようで千利休による再度の説得を試みている。右近の再度の拒否を聞いた秀吉は彼に罪状を送り追放処分にした。しかし、大した咎めもなく1588年から1614年まで前田家の客将として金沢に滞在し小田原攻めや関ヶ原の戦いにも参加している。また、宣教師らと教会を建築したり、宣教に励んだりもしている*。
*金沢の名物「ドジョウ蒲焼き」は宣教師らが資金集めに始めたものと云われている。
一方、バテレン追放令の一原因ともなった秀吉の九州征伐時でのコエリヨ神父の政治介入(秀吉の島津攻めへの反対)やサン・フェリペ号事件(フランシスコ会士の直訴と航海士の不用意な脅し)の報告を受けた秀吉は激怒し、京都にいるフランシスコ会士とその信者の逮捕を命じた。これが長崎で処刑された26聖人の発端である。その後の秀吉による弾圧は散発的・気まぐれな感じもするが、この命令はキリシタン嫌いの大名に口実を与え各藩での信者への弾圧が行われた。
二回目の「伴天連追放令」は、将軍徳川秀忠によって年(慶長年)月にだされ、「排吉16131812利支丹文」なる文章が日本国中に発表された
。「かの伴天連の徒党、みな件(くだん)の政令に反し、神道を嫌擬し、正法を誹謗し、義を残(そこ)なひ、善を損なふ。----」として、教会堂に閉鎖・破壊、宣教師全員の長崎集合・追放等が行われた。
また、各領主に対しては伴天連追放令が伝達された。この様に今回の弾圧は徹底的なものであった。
右近も今度こそ死を覚悟したようだが、この時も追放処分となった。
その理由として、右近を極刑にすることで国内にいる万とも云われるキリシタンやキリシタン大名の反発を恐れたからだろうとも云われている。30
追放令が金沢のユスト高山右近とジョアン内藤忠俊に届いたのは1614年2月15日で余裕は一日しかなかったという。高山一家8名、内藤一家9名、数人の家臣とその家族を含み百数十名の一行は1914年月日か日に長崎からマニラに逃げることになった。困難を極めた航海の後、一ヶ月後にマニ117,8ラに着いた。一行は第十代スペイン総督ファン・デ・シルバをはじめ政府の代表者、教会及び各修道会の聖職者や多くのマニラ市民から大歓迎を受け、祝砲がならされたと云う。右近は国賓扱いで、イントロムロス内(Intramuros,スペイン人だけが居住できた城壁に囲まれた地域)に居住を許されている。他の人達は城外に住むことになった。その場所などについては後で述べることにする。
追放に伴う疲労、長旅に疲れなどから激しい熱病に冒された右近は、マニラに着いてから僅か日後40の年月日に歳でこの世の人生を終えている16152363(注:死去の日につては3日、4日、5日と諸説があるようだが、チースリク神父は3日が正しいと断定している)。葬儀には総督を初め大勢の人々が参列してサンタ・アンナ聖堂で行われ、9日間ミサが行われたとの記録が残されている。
http://www.hi-ho.ne.jp/luke852/ukon/manila_by_Suzuki.pdf#search='%E9%AB%98%E5%B1%B1%E5%8F%B3%E8%BF%91%E3%82%92%E3%83%9E%E3%83%8B%E3%83%A9%E3%81%AB%E8%BF%BD%E6%94%BE%E3%81%97%E3%81%9F%E3%81%AE%E3%81%AF%E5%BE%B3%E5%B7%9D'
信長の美少年武将、森蘭丸のエピソード↓
森蘭丸は空気が読める愛(う)いヤツだったようだ。