習王は改革せず、消えるのみか | 日本のお姉さん

習王は改革せず、消えるのみか

習王は改革せず、消えるのみか
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平井 修一

何清漣女史の論考5/18『王岐山-F・フクヤマ会見/「歴史の終焉」は書き直すべきでしょう』から。

<最近、王岐山(習近平の反腐敗・中央規律委の実際の指揮官/経済官僚、元北京市長)が「歴史の終焉」の著者、フランシス・フクヤマと会見しました。何のためにということは様々な意見がでています。じっくり読んでみましたが、ふたつの側面からそこに含まれる意味は注目に価すると思いました。

ひとつは王がはっきりと「中共政府は西側の予想するような民主主義の方向には進まない」と表明したことです。

2つ目は、フクヤマはひょっとするとこのプロ同士の対談から、自己の著書「歴史の終焉」にふたたび修正を重ねるかもしれないな、ということです。(平井:冷戦終結で対立の時代は終わったというお花畑論。現実は“文明の衝突”になった)

*王岐山はきっぱり何を伝えたのか?

1;中国的特色の「政治」の理念。王は「政治は中国の解釈では文字通り『大衆を管理すること』であるということを理解すべきだ。

2;一党独裁(専制)は変えることはできない。共産党は法の上にあるというのが大原則。

王は「我々の信念は実践のなかから得られたものでありこれからもそうだ」と答えました。フクヤマの出した中国が法治と司法独立についての問題には、王は「実行できない、不可能だ。司法は必ず党の指導の下でおこなわれねばならず、それが中国的特色である」と断言した。

3;「中国は西側から学ばない」とはっきり言いました。

*中国経済は“鉄の時代”に

1;前途が崩壊でなくても、中共は改革が危機を解消できるとは考えていない。王岐山はかつておおいにトックビルの「旧制度と大革命」を推奨していました。でもやがて判明したのは実は彼の惚れ込んだのは“トックビルの定理”の「悪い政権にとって最も危険なのは最も邪悪なときではなく、それを改革しようとするときだ」というところでした。

中共の現在の危機感だと、おそらく政治体制改革を行うことこそ危険そのものである、と認識しています。

もし改革を行わなくても選択肢はふたつで、ひとつは中共が反抗にであい自ら政権を“大政奉還”する道で、歴史上共産党が自分から政権を差し出し たのは2つの状況のもとでだけです。

それはひとつは、東ドイツ、ルーマニア、ソ連のような鎮圧未遂型。二つ目は自らすすんで協力したポーランド、チェコ、ハンガリー型です。

(それ以外には)革命を通じて政権を転覆させることですが、これには反対派が十分な力量を蓄積していなければなりません。

2;たとえ中共統治が継続しようとしまいと、(高度成長)経済がもたらした「良き日々」は終わりました。胡温時代の「黄金の10年」はすでに終わりを告げ数年間もがいた挙句、ついに「鉄の時代」に突入しました。

中共統治が続こうが、将来民主政府ができようが、どのみち経済を盛んにして、何億もの失業人口に仕事を与え、2、3億人もの老齢人口を養い、資源生態環境を改善しなければなりません。

それには莫大な金が必要ですが、中国国内の資産は流出(資本逃避)し、中共政治の時期には儲かれば流入、損とみれば逃避と流入出を繰り返しましたが、中共政権がもし終わりを告げても、中国はさらに政権交代期の不可避的な動揺によってさびれる時期を迎えますから、こうした資本が短期内に流入するようなことはありますまい。

3;中共が1949年に「人民を解放」し、1978年以後「生産力を解放し、先に豊かになった者があとのものを豊かにする」にしても、どちらも食うや食わずの貧困ライン以下の人口が6割以上を占めるという底辺人口の多すぎる膨大な階層構造を変えることはできませんでした。

ですから、毛時代から今も実質的には続いている中国における「人の頭をぶった切る」(敵とみなした人間に容赦ない弾圧を加える)ような強権政治の中で、(政府に救済を求めたが結局は射殺された)徐純合の事件によって引き起こされた運命共同感によってわきあがった世論の力というのはすでになかなか“見もの”でした。

もし幸いにして中国が民主化されるようなことになったならば、この膨大な階層が今度は「頭をぶった切る」のではなく、「頭数」による政治におけるエネルギーの中心をしめるでしょう。

(しかし)中国には一部の人々があこがれる米国型の民主主義はやってこないでしょう。米国型民主主義の粗悪品版であるベネズエラやブラジル型の民主主義が中国の未来の民主の姉妹編となることでしょう。

ですから、みなさん民主主義への期待値を修正したほうが、ひょっとすると比較的現実的かもしれません>(以上)

支那は有史以来、自由民主主義(多数決だが、反対派の意見にも配慮するという仕組み)の経験がゼロだ。

米国の自由民主主義は「血を流さない内乱」で、4年ごとの大統領選挙は「大乱」、2年ごとに議員選挙は「小乱」のようだ。大統領選挙は夏季五輪の年と重なり、次回は2016年秋に決着するが、すでにジャブの応酬が始まっており、延々2年におよぶ長丁場が戦われる。

2大政党と支持者が全力で2年間、意見を戦わせ、集金を競い、集会を開き、敵意と憎悪を丸出しにし、罵倒し、呪い、そして決着に至り、新大統領が決まる。

勝っても敗けても国民は疲れ果てるから、ガス抜きになる。敗けた方は「良き敗者」として勝者に拍手を送り、ノーサイドだ。62万人が戦没死した南北戦争の悲惨さが、この大統領選という(日本人から見れば)ややこしい「血を流さない内乱」を強固なものにしたのだろう。

国民の民度がそれなりに高く、ある程度の経験を積んでいないと自由民主主義は使いこなせない。高2レベル以上向きだ。日本は中2レベルが多いから使いこなせずに投票率は低い。

支那は今は小4レベルだ。先生の言うことをクチパクしているだけ。小4向きの自由民主主義モドキから始めるのが現実的なのだろう。
(2015/6/29)