アジアにおける国際間売買春旅行とエイズ
1996年の記事。今、2015年だから20年たっている。
でも、改善された様子もない。
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国際協力研究 通巻24号事例研究1(1996年10月)
アジアにおける国際間売買春旅行とエイズ
(3)売買春旅行とHIV感染
1. 売買春旅行によるHIV感染
先にも述べたように、エイズがある程度広まっている国では、国際間売買春旅行がHIV感染の危険因子として占める割合は決して大きいものではない。しかし、まだHIVが広まっていない国ではHIVをもたらすルートとして重要な意味を持つ。
多くの国で、HIV/AIDSの第1報告ケースは外国人と性的接触を持った者である。また、ほとんどの国のエイズ史において、その始まりの期間はやはり海外での性的接触がHIV感染例の大部分であり、その後、国内での性的接触が主な感染ルートとなった。たとえば、韓国では、1992年以前はほとんどのケースが海外で性的接触を持ち帰国した者であったが、92年以降は国内での性的接触で感染した者の数が顕著に圧倒的となった。表-3は、80年代のオーストラリアにおいて東南アジアでの性的接触が原因と思われる症例を示している。渡航先は主にタイとフィリピンである。93年3月現在では、17例のイギリス人の海外でのHIV感染が報告されており、その全員の渡航先はタイであり、期間は91年から92年である。
国際間売買春旅行によるHIV感染の広がりを見るとき、HIV感染者の割合が低い国から旅行者が来てHIV感染者の割合が高い国で買春を行う場合と、HIV感染者の割合が高い国の客がHIV感染者の割合の低い国で買春を行う場合とが考えられる。日本人がタイへ買春旅行に行くのは前者の例であろうし、タイ人がカンボディアに買春に行くのは後者の例であろう。もっとも、どちらの場合にも、逆方向の感染ルートは存在する。多くの外国からの旅行者を受け入れたことによって、すでにHIVがもたらされたとみられている国には、ハイティ、フィリピン、アルジェリア、モロッコ、テュニジアなどがある。
2. HIV感染のしやすさの危険(Vulnerability)に貢献する行動的要因
性的接触にはあらゆるタイプがあり、HIV感染リスクの高いものと比較的低いものがある。挿入(特にアナル)を伴う性行為、コンドーム不使用、不特定多数のパートナーなどは、HIV感染の危険性が高い。
コンドーム使用率が高いほどHIV感染の危険性は低くなることはかなり知られるようになったにもかかわらず、コンドーム使用の普及にはいろいろな障害がある。ドイツ人を対象とした調査の結果として、タイの売春婦を買春するときのコンドーム使用率はドイツ国内でドイツ人売春婦と接触するときのコンドーム使用率よりずっと低くなることが報告されている。これには2つの主な理由が考えられる。1つは、「経済力の差」である。その経済力の差によって生じる不対等な関係である。コンドームを使用しなければHIVに感染するかもしれないという知識を持っていても経済力のない途上国の売春婦にそれを主張するだけの交渉力は持ち得ない。また、教育のない彼女たちが言葉のあまり通じない外国人相手に交渉することはまして困難である。2つ目は「ロマンス関係」ということで説明できる。タイに買春旅行に行った場合、3分の2の旅行者は一夜限りの接触でなく数日間を共に過ごす。それは恋愛のような感情を伴い、相手の女性が自分としか接触していないと思い込みがちになり、その結果、STD/HIV感染予防を怠りがちになるのである。同様の結果が、日本人を対象にした調査からも報告されている。初めは、コンドームを使用していても、レギュラーになるにしたがって使用しなくなる。それがSTDまたHIV感染の危険なときであるとみられている。
国によっては、コンドームの入手自体が困難な所がある。そのものがないとか、あっても価格的に大変高く、貧しい売春婦の買えない値段、1回の仕事で得る収入と変わらない場合もある。これは、HIVテストにもいえる。検査を受けるより偽造HIV陰性証明書を買うほうが安い所もある。また、病気を持っていない売春婦の需要の高まりが売春婦の幼児化、移動、新採用を促し、STD/HIV予防に関する教育、情報が十分行き届いていないこともある。
幼児売春は強制されたものが多く、また、教育の程度も低くなりがちである。よって、交渉力はほとんどない。病気のない売春婦/夫の需要からその低年齢化が進む傾向にある。幼児買春をする者はコンドームを使いたくない客が多い。また、アナル挿入を望む者は少年買春をすることが多いなど、より危険な行為を強要される傾向にある。同性愛でなくても、お金のためにそうして働く少年たちがいる。
買春旅行のほかに、売春婦の移動もHIVを他の人口にもたらす役割を果たす。ドミニカの売春婦がカリブとヨーロッパを行き来したり、オランダの売春婦の大半が東欧人であることなどがある。東南アジアではミャンマーや中国の少女が国境を越えて、タイに働きに連れて来られることがそうである。タイではタイ人売春婦の新HIV感染数はもう増加ではなく横ばいで、その代わりタイ人でない売春婦のHIV感染数が増加しているという。そして、このグループは言葉の障害からエイズ対策プログラムから取り残されがちである。
売春婦と客のturn-over rateが高いほどHIV感染への危険性は高くなる。まだ感染していない者が感染の危険にさらされる率が増加するからである。
3. HIV感染のしやすさの危険(Vulnerability)に貢献する社会的、経済的要因
1)国家間の経済格差
二国間の経済力に格差がある場合、経済力を持つ国の人間が持たない国へと買春に出かける構図ができる。西欧人や日本人が東南アジアに出かけるのがそれに当たる。また、経済力を持たない人間が経済力を持つ国に売春に出かける構図ができ上がる。タイやフィリピンの女性が日本などに働きに出かけるのがこれに当たる。タイは両方のケースを持つ。タイの経済の急成長は近隣の国々から労働者を引きつけ、売春婦として働きに来る少女たちが不法入国する。
2)国内での経済格差
国内での経済発展の格差が激しいほど、買春旅行の渡航先として栄えやすい。ただ買春しやすいというだけでは、買春に行く者にとって理想的でないのである。開発も進んでいなければならない。たとえば、リゾート地として整備されたビーチや快適なホテルなどがそろっていなければならない。それでいて、法外な値段でなく、先進国の平均的な市民が手の届く値段でなければならない。それを支えるのが、貧困層出身の労働力である。そして彼らは都会や開発の進んだ所で高価な電気製品などを見、購買意欲をそそられて、さらに現金収入を求めて、都市へと流入する。したがって、先進国並みに快適な宿泊施設、交通手段、その他の娯楽施設などが開発されていて、かつ、経済発展のまだまだ遅れている地方を併せ持つということが、国際間売買春旅行の渡航先として栄える要因となる。タイ経済の都市部に集中した急成長が、そのような旅行先として知られるようになる受け皿をつくったといえよう。
経済の急成長が生み出した国内での収入格差は教育機会の格差も生み出した。貧困層はより底辺へと押しやられ、中でも女性が取り残されがちである。就学男女比は改善されているとはいえ、スリ・ランカという例外以外は女性の教育のほうが低い。たとえば、カンボディアの成人女性の非識字率は78%と高い。識字率が低いということはすなわち、この人口へのエイズ予防活動、性教育が難しいということであり、彼女たちが交渉力を持つことが難しいということでもあり、また、職業の選択肢も激少するということである。
貧困は売春に結びつく。エイズは貧富にかかわりなく感染する一方、アメリカの例を見ても、やはり顕著に貧困層をより激しく襲っている。それは、やはり貧困というものがHIV感染の危険性を上げるさまざまな要因を生み出すからである。
売春を行う者たちが弱い立場にあるということが、HIV感染のしやすさを増加させる。貧困から教育を受ける機会がない。そして、その彼女たちは自分だけでなく、村に残る家族を養わなければならない。仕事を選ばずどうしても働かなければならない。その上、初等教育も終えていない彼女たちには交渉力がない。自分に自信を持つこともできないということも、大きな要因となる。安宿で監禁状態で働かされている少女たちに交渉力はなく、客を選べないし、サービスの内容を選べないということである。コンドームを使いたくても客が拒否すれば使えない。料金が安ければ、それだけ多くの客をとらなければならない。連鎖的に多くの危険な要因を生み出している。
3)女性の地位
女性の地位の低さもHIV感染の可能性を高める要因である。繰り返しになるが、女性の地位の低さはその教育を受ける機会を狭め、問題認識を持つ機会と対策を講じる機会を狭め、また、交渉力を小さくするからである。
4)社会的、文化的要因
貧しい北タイでは仏教の寺だけが立派であることが多い。少女たちが売春で稼いだお金を「来世は男に生まれますように」と願って、寄付する。売春は窃盗ではない。そのように2、3年都会へ出稼ぎに出かけて、その収入でお寺に供え、また、家族に村の農業収入では手の届かないテレビや冷蔵庫などの電気製品を購入すること、さらには家を建て、結婚し、普通の生活に戻ることを受け入れている村社会は少なくない。
雇用者や仕事の取引先に報酬として与える買春もHIV感染の危険を高めるものである。オーストラリアのサッカーチームが優勝の褒美にタイのパタヤビーチへの買春旅行を与えられたり、日本などのビジネスマンが取引先への接待の一部として用意するサービス、また、アメリカ海軍が寄港するやいなや繁華街へ繰り出すことである。幼児買春については、先進国から来る客は母国では罪になるために、途上国へとその機会を求める。それを斡旋する秘密組織がある。また、幼児虐待をする者には自身幼児期に性的虐待を受けた者が多く悪循環となっている。
5)戦争
戦争もHIV感染の危険を増す。ヴィエトナム戦争はタイやフィリピンでの性産業の繁栄を促したし、国連軍はカンボディアでの性産業の発展を起こした。兵隊が駐留している間はもちろんのこと、兵隊が去った後も産業は残るので危険は存続する。
戦争や政治不安定は観光業には打撃を与えるが、その代わり兵士を連れてくる。兵士たちは、故国から離れ、厳しい訓練と異常な緊張の続く戦場下、その反動もあり、明日の激戦の不安からの逃避を求める。普通の生活では買春をしない人も行動を変える機会となる。そして、異国で異文化の中に容貌の違う女性に魅力を感じることも少なくない。
戦争は未亡人を増やす。夫や息子を亡くすということは収入をなくすことでもあり、売春の道をとらなければならない女性を増やす。また、混乱の中、婦女暴行が起こり、HIV感染の機会を増やす。このことについては正確なデータを取ることは困難であるし、犠牲者の受入先確保を困難にする可能性を考慮して、UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)など難民を取り扱う機関はあえて積極的には取り上げないでいる。
スリ・ランカやフィリピンで政治不安定が深刻化し旅行者数が減少したときも、幼児買春を目的とした渡航者数は変わらなかったとみられている。これは、彼らが自国ではできないこと、犯罪になる行為を目的に訪れるからである。
4. 売買春によるHIVやその他のSTDの流行の予防を目的とする事業
1)売春に対しての対策
売春婦と買春者の両者に対して、コンドーム使用促進を含め、より安全なセックスの情報提供、教育がなされなければならない。性病の検査および治療への定期的アクセスが保証されなければならない。また、性病クリニックの待合室は情報提供、教育活動を行う場所の提供となる。加えて、人権問題への意識の向上を促すことも、危険な性行為を止める要因として働く。
この分野で働いてきたNGOはもっと援助を受け、売春婦へのアウトリーチとHIV感染予防の教育、また、ほかの職業を選択できるような技術習得の教育を促すようにその活動が奨励されなければならない。ラオスなどそのようなNGOのない国にはつくられなければならない。NGOと政府や国際機関との協力体制が強化されなければならない。
各国政府が積極的に取り組まなければならない。売春そのものを禁止すると地下に潜ってしまうので、それよりも、女性の地位の向上と、売春婦として働く条件と交渉力を高めなければならない。売春者ではなく、買春者を取り締まる法律を制定しなければならない。コンドームを使用することを拒否した客は罰せられなければならない。
北タイや東北タイなどでは小学校で積極的にエイズ教育を行うべきであろう。なぜなら、この地域の子供たちが都会に出稼ぎに売られて行くのは近い未来のことであるし、タイの中でもすでに一番エイズが流行している地域であるからである。
緊急の課題として、幼児売春をなくすことである。先進国では、その子供の国籍を問わず、また、その子供の国で幼児売春が禁止されているかどうかにかかわらず、買春をした者を取り締まる法律がつくられるべきである。マスメディアの力も大いに動員されるべきで、海外で隠れるように幼児買春を行っても、自国での社会的生命を失うべくその顔写真や名前などが公表されなければならない。幼児買春旅行を斡旋している旅行会社は摘発されなければならない。国境を越えて取り組むことができるように、各国政府間の協力が必要である。
2)売買春旅行に対しての対策
観光旅行産業そのものは阻止されるべきものではない。歴史的遺跡、宗教の重要な地、美しい景色、自然を訪れ、異文化の歓待を受けることはすばらしいことである。また、経済発展の手段としても、効果の期待できる産業である。しかし同時に、観光旅行産業に伴って買春旅行が促されていないか厳しく監視して、規制し、取り締まられなければならない。広大な中国において、エイズ対策がなされなければならないのは、麻薬の産地である黄金の三角地帯の中国側をなす雲南省と報告症例のほとんどが20代の若者である北京であることは周知のことであるが、世銀が中国における保健開発プロジェクトのエイズ・コンポーネントとして、ターゲットを当てようと目をつけているのはハイナン(海南)島である。なぜなら、中国のリゾート地として、ホテルの乱立、地方からの労働力流入など観光業が急成長しており、HIVがもたらされ、流行する可能性があるからである。ここでも各国間および中国国内経済格差、現在進む自由化による人口移動の可能化、都市の急成長などにより、観光業の発展に伴って、性産業が発達する危険がある。そこでの売買春の奨励を控え、貧困地域からの労働力が性産業に従事しなくてもいいような収入源を開拓できる開発事業を行うべきである。
3)経済開発対策
長期的には国家間、地方間の経済格差を縮めることが必要である。また、地方間、男女間の教育格差を縮めることが必要である。開発途上国においては特に地方から都会への人口移動を抑える政策、地方における初等教育の徹底、女性の社会経済的地位の向上を促す政策、地方における雇用機会の創出が、ひいては買春旅行を阻止することにつながる。
国家の産業の多様性の推進も、エイズ流行の予防の要因を含む。観光業しか主な産業のない国では、政府がそれによって収入を減らすかもしれないような政策を積極的に進めたり、活動に理解を示し協力を期待することは難しい。しかし、雇用機会の選択肢が少ないことも売春を促すことであり、他の産業が発展すれば選択肢は広がることになり、性産業の繁栄を抑えることができる。
1994年大阪でWorld Tourism Forumが開催された。「観光開発をすすめるインセンティブとして外貨獲得、雇用創出、地域開発が挙げられる。同時に、それが大規模になると、土壌侵食、漁業に弊害の出る水質問題など自然破壊、犯罪増加などマイナスなインパクトを与えてきた」と、いうことが話し合われた。公衆衛生の視点からつけ加えると、性産業の繁栄とそれに伴う性病やエイズの流布、そして、売春夫/婦供給の組織とその人権侵害なども重要な社会問題として対策を講じるべきものである。
表-3 東南アジアでの性接触によりHIVに感染したオーストラリア男性
診断州名 診断年 診断時年齢 性接触年 国名
1 NSW 1987 30 1983~85 フィリピン
2 NSW 1990 28 1984~87 マレイシア・フィリピン・タイ
3 NSW 1991 54 1990 フィリピン
4 QLD 1989 24 1989 タイ
5 QLD 1989 29 1989 フィリピン
6 SA 1990 63 1982~89 フィリピン
7 WA 1990 32 1990 タイ
NSW:ニューサウスウェールズ州
QLD:クイーンズランド州
SA:南オーストラリア州
WA:西オーストラリア州
参考文献24)より引用((出典)Australian HIV Surveillance Report, Apr., 1991)
http://jica-ri.jica.go.jp/IFIC_and_JBICI-Studies/jica-ri/publication/archives/jica/kenkyu/96_24/03_05.html