取材拒む「南京記念館」 過去には日本人記者が参観者から殴る蹴るの暴行被害も | 日本のお姉さん

取材拒む「南京記念館」 過去には日本人記者が参観者から殴る蹴るの暴行被害も

2015.4.20 07:00更新
【歴史戦 第10部・終わらぬプロパガンダ(3)】
日本兵証言掲載に「反動!」 取材拒む「南京記念館」 過去には日本人記者が参観者から殴る蹴るの暴行被害も
江蘇省南京市内の南京大虐殺記念館
「右翼媒体からの取材は受け付けません」
江蘇省南京市にある「南京大虐殺記念館」に取材を何度も申し込んだところ、担当者は最後に電話口でこう言って拒絶した。
それもそのはずだ。インターネットで記念館の公式サイトを開くと、「南京各界は日本の右翼メディアが大虐殺を否定したことに抗議」との2月28日配信の国営新華社通信の記事が掲載され、「産経新聞」が名指しされているのだ。
本紙が2月に掲載した「歴史戦第9部・兵士たちの証言」を指した内容だ。新華社電は記念館の館長・朱成山のコメントで締めくくっている。
「反ファシズム戦勝利70周年に際し、もしも日本の老兵が良心をごまかして自ら南京で犯した罪を隠し、日本で一定の影響力のある『産経新聞』がかような言論を重ね、歴史に対する反動を再び暴露するなら、全世界の平和を愛する人は警戒せねばならぬ」
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3月のある寒い日、一般参観者として南京市内にある記念館を訪れた。記念館を含む南京での取材にあたって、日本の外務省関係者から細心の注意を払うよう求められた。平成24(2012)年には記念館で日本人記者が参観者らに囲まれて殴る蹴るの暴行を受けた事件もあったからだ。
1冊10元(約200円)で購入した日本語版の紹介パンフレットによると、昭和60(1985)年8月15日に開館した記念館の敷地面積は約7万4千平方メートル、建物の総面積は2万5千平方メートル。「全国愛国主義教育模範基地」に指定されている。
12(1937)年に旧日本軍が引き起こしたとされる「南京事件」をめぐって、中国は「30万人が犠牲になった」と主張する。記念館には「300000」との数字が壁面など随所に掲げられている。
当時の写真や新聞記事をすべて共産党政権側の解釈で説明し、残虐な虐殺現場のシーンをジオラマで表現している。旧日本兵から接収した銃や装備品なども展示してある。
「愛国主義教育模範基地」として、南京市内はもとより江蘇省内など周辺地域の小中学校や高校の児童・生徒、地方政府や国有企業などの団体参観客が引きも切らず訪れる。
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意外だったのは毎年12月13日に行われている追悼式典が、江蘇省や南京市の主催から昨年初めて「国家級」に格上げされ、国家主席、習近平が初演説を行ったにもかかわらず、それに関する展示はほとんど見あたらなかったことだ。
唯一、関係するものは、習が式典で除幕した「国家公祭鼎」(台座を除く高さ約1・65メートル)のみ。それも習が訪問したことを示すだけの“記念碑”という。「反ファシズム戦勝利70周年」を意識した展示も見かけなかった。
これについて、南京問題に詳しい日中関係筋は「権力集中を進める習が中心となって70周年の行事を行っているので、南京が反日で突出しないよう北京に気兼ねしているのではないか」と述べ、中国国内の政治事情が影響していると解説する。
「南京大虐殺記念館」には看過できない展示も少なくない。中国が「南京大虐殺」の証拠として掲げる数々の展示のうち、例えば、「日本兵」とされる人物が、ひざまずいて後ろ手に縛られた中国人とみられる男の首を刀で斬ろうと構えている「斬首前」の写真。
この写真では、人物によって影の方向が一致しなかったり、後ろにいる兵士の靴の向きが不自然だったりして、専門家の間で「証拠写真」として信頼性に疑問符がついている。
高さ2メートル近い大型写真パネルに中国語で「殺中国人取楽」とあり、横に日本語で「楽しみとして中国人を殺す」と書かれている。
全館を通じ、案内板は中国語、英語のほか、あえて日本語を加え、日本人の訪問者も意識した演出がなされている。
向井敏明と野田毅の両少尉が競ったという「百人斬り」の新聞記事も大型パネルに引き伸ばされて展示されている。
さらに「南京の老人が空襲で被害を受けた子供を抱えている」と説明された2メートルほどの高さの写真。これは昭和13(1938)年に米ライフ誌に掲載された横長の写真から左右の人物を排除して、中央の老人と子供だけを大きく引き伸ばしたパネルだ。元の写真では老人のすぐ右側を中国人の男と少女が普通に歩いており、左側には中国兵とみられる男があわてる様子もなく、腕組みをしながら老人をみている。
あえてトリミングし、センセーショナルに見える部分だけを利用して、意図的な説明を加えてパネルにした可能性もある。
そうしてみれば、中国側が「日本軍による非道な中国人虐殺行為の鉄証(動かぬ証拠)だ」と主張する写真の展示も、どこまでが日本と関係があり、どこからが無関係なのか、容易には証明できそうもない。「さらし首や「暴行され乱暴された中国人女性」「幼児の死体」など記念館の展示内容は凄惨(せいさん)を極める。
また、「日本軍は残虐な暴行を隠すために死体にガソリンをかけて焼き払ったり、船で揚子江の真ん中まで運び、川の中に放り込んだりして、10万体あまりの死体を処分した」などとの説明で、川岸に打ち寄せられた多数の死体の写真なども大きく展示している。
日中関係筋は、「中国側は正しく検証されていなくとも、いずれの展示写真も疑う余地がない、覆せないとする“観念先行”の状態に陥っている」と話す
こうした残忍な写真の連続で参観者の感情に訴えた後、昭和12(1937)年当時、南京に在住していた欧米人らが急(きゅう)遽(きょ)設置した「南京安全区国際委員会」を紹介する大きなスペースが広がる。
難民収容所で9千人あまりの中国人女性や子供を保護したという米国人女性宣教師ボートリンが、日本軍に立ち向かっている姿の銅像には「母親の鳥が小鳥やヒヨコを守ろうと羽を広げた」と説明がつけられている。米国人牧師や独大手企業シーメンス駐在員らの銅像も並ぶ。
欧米人が一致団結して日本軍から「安全区」で救った中国人の数は20万人にものぼったとしている。あえてドイツも加えることで、非難の矛先を日本にのみ向けているのかもしれない。
「南京大虐殺記念館」とは別に、南京市内には「南京抗日航空烈士記念館」もある。そこには慰霊碑があり、「抗日戦時に蘇(ソ連)、美(米国)、韓(韓国)などの国の多数のパイロットや高射砲兵らが、中国空軍とともに空からも侵略した日本と戦って犠牲になった」と説明してある。当時、存在しなかった「韓国」を加えるなど、中韓連携をアピールするねらいも透けて見える。
「南京大虐殺記念館」の展示に戻るが、安全区の先に、日本で聞き取り調査を行ったという「南京加害者の元日本軍兵士の告白」コーナーがあり、さらに「史学研究」を行った功労者として、サングラスをかけた元朝日新聞記者、本多勝一の写真も登場する。
「日本人自らがすべてを認めた南京事件」との強い印象を参観者に与え、中国側の主張にわずかでも異論を唱える相手はみな「右翼」と決めつける構図に仕立て上げている。(敬称略)
http://www.sankei.com/premium/news/150420/prm1504200008-n1.html