人間は意外と騙されやすい
THE STANDARD JOURNAL アメリカ通信
なぜプロパガンダ映画に騙されるのか|THE STANDARD JOURNAL
2015-02-27 17:03
奥山真司
おくやまです。
さて、先日の生放送
でご紹介したトピックについての元記事を要約しました。
「百聞は一見に如かず」という言葉がありますが、
むしろ人間はその情報を誰が発信していたのかというよりも、
とにかくそれを目や耳で体験したインパクトのほうに左右される、
ということですね。
たしかにこの記事にあるように、
誰にその情報を聞いたのかということよりも、
その情報のインパクト(泉にライオンが出て殺された)のほうが、
自分たちの命に関わるという意味では重要なわけで。
これって映画のプロパガンダだけでなく、
「歴史問題」などにもそのまま適用できる話ですね。
( おくやま )
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なぜ映画の「事実」が広まるのか ( nytimes.com/ )
by ジェフリー・ザックス
http://goo.gl/s1IGff
●今年のアカデミー賞候補作の中には4本の「実話を元にした」ものがあった。
1,クリス・カイルという射撃の名手の話を元にした「アメリカン・スナイパー」
2,英国の数学者アラン・チューリングの話を元にした「イミテーション・ゲーム/エニグマと天才数学者の秘密」
3,1965年までのアメリカの公民権運動の話を題材とした「セルマ」
4,物理学者ホーキンズ博士の話である「博士と彼女のセオリー」
である。
●この4本はすべて描いた事実に間違いがあると批判されている。
●たとえば「セルマ」では、リンドン・ジョンソン大統領が黒人の選挙権獲得を熱心に進めていたことを無視しているし、「イミテーション・ゲーム」や「博士と彼女のセオリー」はチューリングはホーキンズ博士の業績やの本質をねじ曲げているし、「アメリカン・スナイパー」は描き出そうとした軍の紛争を浄化しすぎていると批判されている。
●もちろん「そんなの関係ないだろう」と考える方も多いだろう。映画は現実の世界と切り離して考えるべきだからだ。
●ところが実際はそうはいかない。数ある実験から示されているのは、われわれが映画をみると、とくにそれが歴史的な出来事であった場合、われわれの信念が真実ではない「事実」によって形成される可能性があるということだ。
●2009年に心理科学ジャーナルで発表されたある研究によれば、研究グループが大学生をあつめて歴史に関する小論文を読ませ、その後にわざとその小論文とは違う事実の間違いを含んだ歴史映画を見せている。
●映画の前には事実の間違いが含まれている可能性を知らされながら、なんと3分の1の学生たちが、映画を見たあとに受けたテストで間違った事実を事実だと答えている。
●2012年に「応用認知心理学」という専門誌で発表された別の研究でも全く同じ実験が行われており、「誤情報効果」(misinformation effect)を排除するために、学生たちに「不正確な情報に気
をつけるように」とわざわざ知らされたほどだ。
●それでも学生たちには効果がなく、むしろ事実とは違う情報を「歴史的事実だ」と認識する割合が増えたほどだ。しかもより熱心に映画を見ようとしていた学生たちの記憶のほうが、間違った情報に染まっていたという事実も判明したのだ。
●ではわれわれはなぜここまで「映画の事実」と、現実の世界の「事実」をわけることができないのであろうか?
●一つの可能性としてあるのは、われわれの脳が見たり聞いたりしたことを覚えることには長けているのに、その記憶の情報ソースを覚えるのが苦手であるということだ。
●たとえば以下のような進化論的な説明を考えるとわかりやすい。
●われわれの祖先は事実を言葉によってコミュニケーションできるようになり、それを記憶にとどめておくことができるようになったおかげで自然界で生き残れるようになってきた。
●もし草原でハンターが泉に近づいたとして、そこではライオンに襲われた人がいるという記憶が共有されていれば、それで助かる命があるというものだ。
●ところがその記憶の発信源(それを教えてくれたのは自分の親戚か兄弟か)を知ることは、それほど重要なことではない。
●結果として、われわれの記憶の情報源についての脳のシステムはそれほど強固ではなく、間違いを犯しやすいのだ。
●もちろんこのような話は単なる推測的なものだが、それでも記憶の情報源についてわれわれが知っていることと一致している。
●認知科学的に、情報源についての記憶というのは人間の生育段階で比較的遅れて発展するものであり、神経学的に見ても前頭前皮質という脳の領域で発展するのが遅い場所に左右されるという。
●また、情報源についての記憶というのはもろいものであり、加齢や怪我、それに病気などに大きく影響を受けやすい。
●たとえば前頭前皮質にダメージのある患者は、情報源についての記憶に疾患があり、われわれが起こす日常的な間違いを拡大解釈することがある。
●ある研究では、前頭前皮質に傷を受けた人物が近所のあるビルが何か良からぬ不気味な目的なために使われていることを信じていたということが報告されている。のちに判明したのは、彼のビルに関する被害妄想的な解釈が、およそ40年前に見たスパイ映画によって作られたものであるということであった。
●1997年の研究では、同じような障害をもった患者たちがいくつかの言葉や文章を提示されており、それぞれ男性と女声のナレーターに読んでもらっている。
●彼らはその文章を聞いたことがあるかどうかという点については良い成績を残したのだが、男性と女性のどちらのナレーターによって読まれたものかという問題についてはほとんど正解できていない。
●ところがここで重要なのは、この任務は健常者にとっても難しかったということだ。われわれの誰もが、情報源についての記憶が曖昧なところがあるのだ。この情報源についての記憶の弱さによって、われわれは不正確な映画に影響を受けてしまう可能性をもっていることになる。
●ではこれに対処するための良い方法はないものだろうか?
●今回紹介した実験では、ひとつの手法によってこのような誤解の発生を防ぐことができることが示唆されている。
●それは、間違った情報が提示されたその瞬間に、それが間違いであること指摘するということである。これによって悪影響は大きく避けられるという。
●ところがこの戦略の実行はかなり難しい。映画の最中に事実の間違いを指摘するようなコメンタリーを挿入したり、常に歴史家を映画館に一緒に連れて行くことは無理だからだ。
http://ch.nicovideo.jp/strategy/blomaga/ar739549