17歳で20カ国語を操る天才少年が語った、“コトバの本質”が奥深い
17歳で20カ国語を操る天才少年が語った、“コトバの本質”が奥深い
Tim Doner(ティム・ドナー)
2015.02.03
17歳で20カ国語以上の言語を習得したTim Doner(ティム・ドナー)氏。彼はスピーチの最後を「言語の表面上の習得は簡単だが、真意を理解するのは容易ではない」とこう締めくくります。彼が聴衆に向かって訴えかけた、言語を学ぶことの本当の価値とは?(TEDxTeen2014より)
【スピーカー】
多言語話者 Tim Doner(ティム・ドナー) 氏
【動画もぜひご覧ください!】
Breaking the language barrier | Tim Doner | TEDxTeen 2014
ティム・ドナー氏:2年くらい前の話です。私の記事がニューヨーク・タイムズに掲載されました。記事のタイトルは「10代の多言語話者の冒険」。記事は私の風変わりな趣味である外国語学習への情熱について書かれていました。
最初は、記事になったのは素晴らしいことだと思いました。外国語学習が注目を浴びるのは嬉しいし、孤独な趣味であるとも思われないでしょう。外国語学習をすることで、私は世界中の人とコミュニケーションを取れるようになったのですからね。
メディアの注目が集まりしばらくすると、私の外国語学習についての話の趣旨がちょっと変わってきたのです。私はいつも、学習する理由や方法について話したいのですが、メディアでは少しだけワイドショーのような扱いになっていたのです。
メディアなどは、センセーショナルな話を私に求めてきました。こんな感じです。
(テレビ番組の司会者の真似をして話す)
「皆さんこんにちは。今日は17歳のティム・ドナーさんがゲストです。20か国語を流暢に話せる少年です。あ、ごめんなさい。彼は25か国語で相手を侮辱する言葉を話すことができるんです。そして10か国語が流暢に話せます。ティム、観客のみなさんに、『おはようございます。見てくれてありがとう』と、ムスリム語で言ってみてくれるかな」
(会場笑)
「ムスリム語? アラビア語ですよね……」
(アラビア語で話す)
「ティム、すばらしい! 次はドイツ語で自己紹介をして
、私は23か国語が流暢に話せますと言ってみてくれる?」
「流暢に話せるってわけじゃないですよ……」
「私に向かってではなくて、観客に向かって話をして欲しい」
(ドイツ語で話す)
「次は中国語で早口言葉を話してくれるかな?」
(会場笑)
「早口言葉ではなくて、中国という国についても語ることが出来ますよ。最近はたくさんのアメリカ人が中国語を学習しているし、とても意義があることだと……」
「ティム、そんな話はしなくて大丈夫。中国語で早口言葉を言ってみてくれる?」
(会場笑)
(中国語で早口言葉を話す)
「ティム、他の早口言葉は中国語であるのかな?」
「あの、中国の文化についても話をしましょうか? その国の言語を学ぶというのは、そこから文化を学ぶことも……」
「おっと、ティム、残念! ここで時間切れになってしまったよ!」
(会場笑)
「さて、ティム、トルコ語でさようならって言ってみてくれるかな?」
「何も外国語の学習について本質的な話をしていないですよね?」
「トルコ語でさようならって言ってみて」
(トルコ語で話す)
「ティムにはガールフレンドができるんじゃないかと思うよ」
(会場笑)
「テレビの前の皆さん。チャンネルはこのままで。CMの後は水着姿のブルドックがスケートボートに乗って登場します」
(会場笑)
注目されることで生じた2つの問題
さらに良くないことですが、注目されたことで大きな問題が2つ起こりました。1つ目は個人的なことで、今は外国語の学習を義務のように感じてしまっていること。強いられているように感じてしまっていることです。
他人に強制的に管理されているような、感性的な気持ちを失ったような気分になりました。私は何か国語を話せますよ、と具体的に数字で表現しないといけないというか。
以前はいつも単純に楽しいからという理由で外国語を学んでいて、学ぶことで他人とコミュニケーションを取ったり、外国の文化を一緒に学んだりしていたんです。個人ではなく、もっと大きなレベルで起こった問題もあります。
言葉を話したり、言語について知ることが安っぽく思われてしまうということです。今日の
TEDxTeenで皆さんに伝えたいのですが、外国語を学ぶというのは、辞書には載っていないいくつもの言葉をも学べるのです。時間を教えたり、バスルームの場所がどこかを誰かに聞けるようになることよりも、多くを知れるわけです。
少し先走りすぎてしまいました。ところで、ここにいらっしゃる皆さんの中には私の話にピンと来ない人や、多言語話者という言葉自体に馴染みがない方もたくさんいらっしゃるはずです。とても変な言い方ですからね。
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まずはここから始まります。この小さな男の子が私です。2001年頃の写真。外国語学習の旅の始まりです。
外国語の学習を始める前ですが、実は私は子役をしていました。少しだけですけどアクセントの特徴をとらえるのに才能があったみたいです。ラジオやテレビのコマーシャルのオーディション
に行って、オースティン・パワーズの物まねをしていました。今、ここではしないですよ。
(会場笑)
ザ・シンプソンズのキャラクターのアプー・ナハサピーマペティロンの物まねもしていました。ただ、オーディションの部屋から出るように言われた時もありました。審査員たちは小さな子どものように舌足らずで話して欲しいと思っていたからです。
だけど、私はフランス語なまりでダース・ベイダーの物まねをしたかったんです。
(会場笑)
その時の経験は私に様々なことを教えました。崩して音を発音する方法や、外国語のアクセントの掴み方、外国語のスピーチのパターンなどです。本当に上手にこなせたんです。
外国語学習を趣味にするまでの道のり
そしてそれから少し時間が経ち、3年生になってフランス語の学習を始めました。しかし半年、1年と時間が経ち、2年が経過しても誰ともフランス語で会話ができなかったんです。フランス語は学校で外国語の授業としてあったし、知っている単語をあげることもできます。肘、ひざの骨、靴の紐とかですね。
それでも流暢に誰かとフランス語で会話をすることはできなかった。もうちょっと時間を進めましょう。7年生の時に、ラテン語の勉強をはじめました。ラテン語はご存知かと思いますが今は日常会話で使われない言語です。
だから、ラテン語を勉強することで消えていってしまう言語について深く知ることができます。言葉のシステムやルールについてもわかりますし、パズルのようなものに少し思えるかもしれません
。
しかし、そういう言葉は私にとってのものではないような気がしていました。ちょっとまた時間を進めましょう。13歳の時です。私はパレスチナ問題について学ぶことに関心を持つようになりました。私はヘブライ語を学び始めたのです。ただし、学ぶのに適した方法がありませんでした。
何をすれば正しいかも、わからなかったのです。たくさんのラップミュージックを聴いて歌詞を暗記して、口で繰り返してみました。1週間か1か月に1回ぐらい、ネイティブスピーカーと話をしました。徐々に話す機会を増やしていったのです。
たくさんのことを学び始めました。ネイティブスピーカーのようには聞き取れませんでしたし、正確に話をすることもできませんでした。文法もわからない状態。しかし、学校では1度もできなかったことをしたのです。それは外国語の学習の基礎をすべて自分で準備するといったことでした。
もう少しまた時間を進めます。14歳の時にアラビア語を始めました。9年生になる前の夏休みプログラム中のことでした。2010年の夏のことです。1か月後、問題なく読み書きができているということに気づいたのです。
言葉の基本的なことは理解できたし、有名な方言の1つを話せる状態になりました。このことで私は外国語の学習を趣味としてとらえる事が出来るようになりました。
YouTubeに上げた動画が世界を拡げてくれた
さて、2011年の3月24日のことです。私はその頃、ひどい不眠症になっていました。文法の本やテレビのショーを見たりして、外国語学習に力をいれていました。例えばアラビア語やヘブライ語が、時間を費やす対象の1つになっていたのです。
その夜もかなり遅い時間まで目が冴えてしまっていて、コンピュータスクリーンに向かってアラビア語で喋ったのを録音していました。そして字幕をつけて、You Tubeにアップロードしました。「ティムがアラ
ビア語を話す」ってタイトルをつけてね。
(アラビア語で話す)
(会場笑)
次の日もヘブライ語で同じようにYou Tubeにアップロードしました。
(ヘブライ語で話す)
「ティムがヘブライ語を話す」ってタイトルをつけて。コメントが少しずつですが、ついたのが嬉しかったです。アメリカ人がアラビア語を話しているのなんて見たことがない、とかね。
(会場笑)
彼らがおかしいんですかね。他には、こういうコメントもありました。たぶんYou
Tubeで母音の発音を正しくすることができるよとか、この単語はこういう風に発音すればいいんだ、とかですね。
つまり突然、本やコンピュータスクリーンを使った孤独な作業が、世界へと広がっていったわけです。交流をはかれるコミュニティを持つことができたわけです。私が学びたい言語ならどれでも、先生や会話相手を見つけることができたんです。動画をお見せしましょう。
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アラビア語で話す)
(インドネシア語で話す)
(ヘブライ語で話す)
(オジブワ語で話す)
(スワヒリ語で話す)
パシュトー語で話す)
(会場拍手)
これが世界に対してアプローチする私の手段になりました。しかし外国語を学習していくにあたり、たくさんの困難にも直面しました。1番の問題は、自分自身に言葉を教えこんでいく方法がわからなかったんです。
会場の皆さんも、もし来月までにパシュトー語を学んできてと言われたとしても、何をすればいいのか、わからないでしょう。そこで私はあるアイデアを思いつきました。
キケロの「座の方法」とは何か
ラテン語のクラスでキケロという人の書いた「座の方法」という記憶術に関する文章を読んだときに、それを使おうと思ったのです。例えば皆さんがリストにある10個の単語を覚えたいとします。単語のそれぞれを選んで、ブロックごとに記憶します。記憶の空間に単語をおいていきます。こういうことです。
ニューヨークのユニオンスクエアです。私が毎日訪れる場所で、目を閉じてもはっきりと思い出すことができます。とても鮮やかに浮かんできます。ユニオンスクエアを歩いているのを想像します。
そして、ユニオンスクエアのそれぞれの場所が記憶を呼び起こすスポットになっています。単語1つ1つと場所が関連しているんです。どういう意味なのかをお見せしましょう。
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パークアベニューを私は歩いていきます。日本語で「歩く」は「Iku」といいます。もう少し進んで右に曲がり、階段の上に座ります。日本語だと「Suwaru」ですね。
少し北に向かうとジョージ・ワシントンの像があります。そこは噴水だと私は考えていました。飲むは日本語だと「Nomu」になりますね。
ちょうど右には木があります。木を切る。切るは日本語で「Kiru」になりますね。
北にある書店のバーンズ・アンド・ノーブルに行けば、本を読むことができます。日本語だと「Yomu」になりますね。
お腹がすいて、中東の料理であるファラフェルのレストランに行きたいとします。それなら、ここから西にワンブロック行けばいいです。そうすれば食べることが出来る。日本語だと「Taberu」ですね。
飛ばしてしまったのはありましたか? 10個中8個でした。悪くありません。こういう方法を使えば、外国語の学習が対話形式のものになりますし、もっと暗記しやすくもなるのです。
とてもこれは楽しいです。たぶん皆さんはそうじゃないかもしれませんが。他の方法を見てみましょう。色んな人に、同時に外国語を勉強していて混乱しないのかと言われます。どうやってたくさんの語彙を学べるのかとも聞かれます。
音の響きが似ている言語をまとめて記憶する
私はスペイン語の勉強中にテーブルという言葉を覚えて本という言葉を次に覚えたのですが、記憶から消えてしまいました。この経験を受けて次の方法を考えだしました。例えばですが、インドネシア語から3つの単語を使って説明します。
これは最初に覚えた50個の単語の中に入っているんですが、「Kepala」と「Kabar」と「Kantor」の3つです。言葉としては、お互いに関連がない3つです。「Kepala」は頭という意味。「Kabar」はニュース。「Kantor」はオフィスです。意味は違いますが、KとAという文字が入っていて、響きはよく似ていますよね?
つまり私は、音の響きが似ている固まりごとに記憶したんです。私が、「Kepala」というインドネシア語を聞いたら、自動的に「Kabar」と「Kantor」という言葉を思い出すことが出来るという仕組みです。アラビア語でも一緒ですね。
「Iktissad」と「Istiklal」と「Sokot」というふうに。これらの3つの言葉は意味としては関連性がないです。経済、独立、転落というふうにね。ただ、もしこれらの単語を聞いた場合……。
(会場笑)
単語を聞いた場合に、他の単語をも思い起こすことが出来る。ヘブライ語でも一緒ですね。
(ヘブライ語で話す)
今話したのは、戻る、思い出す、輝くという意味になります。
ペルシャ語では、関係性がある単語なのですが、ペダルという単語を聞いたら、父親という単語を思い出しますし、聞いたことで「Mada」と「Barodar」と「Dokhtar」という単語を思い起こします。それぞれが、母親、兄弟、娘という意味になります。
ニューヨークはたくさんの外国語が飛び交う街
さて、これは方法の1つですが、これで皆さんが外国語を流暢に話せるようになるとは言いません。あくまで私が壁を乗り越えるために試した方法です。多分みなさんはこう思うでしょうね。外国語をここまでして覚えるのに意味はあるの? とね。
パシュトー語や、オジブウェー語をニューヨークに住んでいるのにどうして学ぶ必要があるのかと重ねて思われるでしょう。大切なことは何なのか。実際に、私は生まれてからずっとニューヨークに住んでいます。そしてそこでは、たくさんの外国語に触れる機会がありますね。
1日でたくさんの外国語に出会います。道を歩いていて、中国語やスペイン語の広告を見ますし、ロシア語の本屋さんや、インドネシア料理のレストラン、トルコ人が経営するスパ施設なんかも目にします。
言語的に多様ではあるけども、アメリカの文化というのが中心になっているわけですし、明らかに英語を話す人に向けたものです。私の言っていることにピンと来ないのなら、コカ・コーラのスーパーボウル動画のコメント欄をYou Tubeで見て
みるといいでしょう
私が外国語学習で遊び始めてから、ニューヨークで外国語学習をしている人たちのコミュニティを作れていると気づきました。ニューヨーク市の外側に向かって拡大していっています。私自身もちょっと驚いていますね。
1日中、誰かと話そうと考えているし、彼らの考え方から学んでいます。身に着けた新しい外国語を使っているんです。
(ロシア語で話す)
ウルドゥー語で話す)
恐らくたくさん英語を使う必要は出てくるでしょうし、話す内容に興味が持てないかもしれませんが、大切なのは外に出て、実際に店へと足を運び、他人と触れ合うことです。私はウルドゥー語を上手に話せませんし、少しぎこちない会話になっていたと思います。
ただ、他人と話をしたことで、「Khod-Nawist」という新しい言葉を知ることができました。忘れることはないでしょう。
言語と文化は切っても切れない関係にある
さて、先に進みましょう。何でこんなにも外国語の勉強をするのか、と思われる方はまだいらっしゃるでしょう。
私は様々な方に自分の外国語学習についての動機を説明しようと考えていますが、ネルソン・マンデラの言葉を引用すると、わかりやすいです。
If you talk to a man in a language he understands,
that's goes to his head.
If you talk to him in his language ,
that's goes to his heart.
Nelson Mandela
「相手の理解できる言葉で話せば相手は頭で言葉をわかってくれるだろうが、相手自身の言葉をもって話せば、相手は心で言葉を理解することができるだろう」
私は文化と言語、もしくは文化と思想というのには大いなる関係性があると思います。もし誰かがペルシャ語を学びたいと考えたとします。
辞書をひいて、「ありがとう」のペルシャ語の言い方がわかった、「これの値段はいくらですか」の言い方がわかった、「さようなら」もペルシャ語で言える。これでペルシャ語が話せるようになった。本当にそうでしょうか?
ペルシャ人の方の本屋さんに行って何かを買いたいとして、これはいくらですか? と尋ねるとします。多分、店員さんはこう返すでしょう。「Ghabeli nadaareh」と。
Ghabeli nadaareh
It's worthless.
これは、この商品に価値はないよって意味になります。
(会場笑)
どうしてこういう答え方をするかと言えば、これは「Taaraf」という文化的な習慣によるものです。2人で会話をしていた場合に、相手に対して互いに謙遜するという文化があるのです。つまり私が本を買おうとして、店員さんが、これは5ドルだよというのは無礼な行為になるということです。
この商品に価値はないです、というのが正しいマナーになる。店員さんとしては、お客さんの見た目を褒めて、とても頭がよさそうだなと話をして、ただで商品を持っていってもいいよ、と言うわけです。
(会場笑)
私なんかが値段は言えません。無料で持っていって下さいと店員さんは仰います。
(会場笑)
ペルシャ語の「ありがとう」が持つ意味
他にはこんなフレーズもあります。もし誰かに対して感謝を伝えたい場合や、会えて嬉しいと言いたい場合ですが、ペルシャ語でありがとうと言うことができるから、ペルシャ語を私は話せますよと思ってしまう。本当にそうでしょうか。
実際にイランの人と話す場合に、このフレーズをよく耳にします。「Ghorbanet
beram」というフレーズです。
Ghorbanet beram
May sacrifice my life for you?
これを文字通り訳すと、私の人生をあなたに捧げてもいいですか、という意味になります。
(会場笑)
これは詩的な表現で、メロドラマのようだと思われるでしょうね。ただ、文化を理解することで本当の意味を知ることができます。これを文字通り捉えたくはありません。
英語を私たちは毎日使っていますが、誰かに元気ですか? と聞いた場合、どういう回答が返ってくるでしょう。通常、元気です、でしょうね。もし他の回答があっても、別に聞きたくはありませんよね。
(会場笑)
他には私たちは、誰かがくしゃみをした時に、「神のご加護を」と言いますが、今では何か宗教的な含みがあるということではありませんよね。言語学において、思想に言葉は影響を受けていないという考え方があるのは興味深いですね。
確かに、言葉が誰かを数学の天才にするのはありえませんし、論理問題を理解できなくするという言語は存在しません。でも、言葉と文化にはしっかりとした繋がりがあります。
多くの言語が、言葉を話す人たちの考え方について明らかにするというのは確かです。
世界では2週間に1つの言語が消えている
ところで、現在この地球上で2週間おきに1つの言語が消えていっています。誰もその言語を話さなくなってしまうのです。
理由はさまざまですが、戦争や飢饉、しばしば起こる同化政策によってです。村に昔から伝わる言葉を話さないようになり、アラビア語を話すようになるというのは、本当にありふれた出来事です。
私が、仮にアマゾンの森林地帯の出身であって自分の土地が他人の手によって荒らされたとします。その場合、ポルトガル語を話すことが重要になるでしょう。これで私自身の言語を失ってしまうわけです。
少し考えてみてください。今日から1か月後の4月1日ですが、ここにいる皆さんにとっては、多分ストレスの多い日でしょうね。書類の締切や家賃の支払いなどがあるでしょう。ところで、皆さんが過ごした、その1か月の間に2つの民族や文化が彼ら自身の言語を失っているのです。
個々の民族に伝わってきた挿話や歴史、そして伝承がパタッと途絶えてしまうのです。彼らの世界を理解することは出来なくなります。もう一度言います。皆さんがスペイン語を勉強する、日本語の学校に通う。これは死に絶えていく言語を救うことにはなりません。
そうではなくて、言語は文化的な世界観をも、本質的に表しているという考え方に心を向けて欲しいのです。もし今日何かこのTEDxTeenの舞台で皆さんに伝えられるメッセージがあるとすれば、こういうことです。
「言葉の表面上の意味を訳すのは簡単だが、真意を理解するのは容易なことではない」
ありがとうございました。
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インドネシア語とアラブ語とスペイン語を勉強していたころ、良く似た言葉がいっぱい出てきて面白かったことを思い出した。スペインのセビリアを流れる川の名前で「グアダルケビル」というのは、全部アラブ語で、「大きな川」という意味。
インドネシア語でクルシは椅子。スパトゥは靴。アラブ語でもそう。
スペイン語にもアラブ語が結構、混じっている。
インドネシア語は、当時、マレーシアの商人がマレーで使っていた言葉で、インドネシアにもマレー商人はたくさん来ていた。日本軍はマレー語をインドネシアの公用語にした。インドネシアは島々でできていて、みんなその島の言葉を使っていた。当時、330年間もインドネシアを植民地にしていたオランダは、インドネシアの人々に公用語を教えず、華僑に汚れ仕事をさせて自分たちは涼しい山の避暑地で過ごしていたので、インドネシア人にとっては、オランダ人は目に見えない支配者という神様のような存在だった。日本軍が東南アジアに来てアジア人の独立を目指した時、(一応日本政府の意向としては、白人によるアジア人の植民地支配からの独立というのがあった)一番抵抗したのは華僑だった。白人の下で、現地人を使って経済的な利益を得ていたので、日本軍は邪魔者でしかなかった。だから、日本兵を殺して日本の敵としてゲリラ活動をしたため、ゲリラ兵として殺された華僑もいる。シンガポールやマレーシアでは華僑が結構多いので、戦争の記念日には、いっせいに日本が悪かったという報道をするので、その日は、日本人は肩身が狭いらしい。
言葉を勉強していると、歴史の勉強にもつながるし、その国の人の考え方までなんとなくわかる。チュウゴク語は、すごく大まかな言葉だと思う。
英語に似ている。あいまいな感じがしない。
日本語はいくらでも、あいまいな表現ができる。
「検討します」は、「聞くだけ聞いておきますが何もしません」という意味だし、
大阪弁の「考えておきまっさ」は、「断る」という意味だ。
「今後の動静から目が離せません」「今後の検討事項です」は、意味の無い〆の文句。そのあいまいな表現で外国に出るとどんどん誤解される。
海外用のコメントでは、はっきり言うことも必要。日本は難民を助けるためにお金を出すのに、テロに対応すると受け止める連中もいるので、言葉は誤解されないよう、ちゃんとした通訳に頼んで伝えることがとても大事なことだと感じる。
英語を勉強することも、外国人に対して正確に日本の気持ちを伝えるために必要だし、英語以外の言葉を勉強する人もたくさんいていいと思う。
日本語がどんどん英語化するのは、日本がアメリカの属国だから。
ハグという言葉やディスるという言葉が、すんなりと日本語に入ってくる。
そんな風にどんどん言葉から影響されていると、性格まで変わるってことになるかもしれない。それはそれで、仕方が無いことだが、日本という国を存続させるために属国でいることが安心だった時代はもう終わっていると思う。
武器もなく兵器もなく軍隊もない国がいまだかって生き残ったためしがない。
人間の本質が変わらない限り、この世に警察も軍隊も必要だとわたしは思っている。