将来のテロを防止するという点において,少なくとも役立つものである。
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01/25/2015
イスラム国(ISIS)に対するツイッター利用者の攻撃と海外からの評価
イスラム国により拘束された人質の殺害予告事件が行われ,連日メディアで報じられている中,一部のメディアでは取り上げられているが,まだあまり知られていないのが,日本人のツイッター利用者が,イスラム国の関係者と思われるツイッター利用者のアカウントに対して行った「ISISクソコラグランプリ」という『攻撃』である。
今日は,この現象について,海外,特に英字メディア等の評価を紹介する形で取り上げてみたい。
1.ツイッター上で行われている「ISISクソコラグランプリ」の概要
事の発端は,日本人拘束者の殺害予告動画をツイッター上で掲載していたイスラム国(ISIS)の関係者と思われるツイッター利用者のアカウントに対して,日本人のツイッター利用者が「#ISISクソコラグランプリ」と題したタグを付けて,殺害予告動画の一部の画像を加工して,送り付けたというものである。
この「クソコラ」というのは,糞みたいなコラージュ作品の略であり,クソというのは,「酷い」という意味で使われている。
具体的に言うと,日本人のツイッター利用者が,人質2人と「ジョン」というニックネームの黒づくめのテロリストの顔などを入れ替えたり,別の画像(例えば,アニメーションのキャラクターなど)と入れ替えたりするなどして加工し,イスラム国関係者の思われる利用者に送り付け,それが,「#ISISクソコラグランプリ」と題して,ツイッター上でイスラム国と思われるアカウントなどが炎上しているのである。
どのような画像であるかについては,以下のようなサイトに掲載されているし,ツイッター上で「#ISISクソコラグランプリ」というタグで検索をすれば,発見できるであろう。
本ブログでは著作権の侵害に当たるような画像であるため,かかる画像そのものは掲載しないが,次の2つのサイトから具体的な本件の流れは理解できるであろう。
○ ツイッターで #ISISクソコラグランプリ が流行 → イスラム国の人が洒落にならないほどキレてる
○ 【謎展開】イスラム国メンバーが #ISISクソコラグランプリ に参戦しだしたんだけど・・・
私は,この行為を発見した当初,「酷い。テロリストに馬鹿が挑発攻撃できてしまう時代。とてつもないことがツイッターで行われてしまっている。」と極めて否定的に受け止めていた。
また,日本のメディアで本件を報じているものも,「不謹慎である」,「人質の命にかかわるのですぐに辞めるべきだ」などと全面的に否定的に報じる風潮である。
また,他のツイッター利用者の反応を見ても,「酷い」とか,「日本でテロが起きたらどうする」とか,「フランスでテロが起きた原因を理解していない」などと極めて厳しい評価が多く見られた。
しかしながら,この日本人ツイッター利用者達の『攻撃』を,意外にも海外メディアは全否定せずに報じている。例えば,「テロにユーモアで対抗」とか「アメリカ政府すら成し得なかったことを日本のツイッター利用者が実現した」などとむしろ肯定的に報じているのである。
2.肯定的に報じる英字メディア
そこで,いくつかの英字メディア,ジャーナリストの反応を紹介する。
なお,和訳は私が簡易に仮訳を付したものであり,誤訳等があるかもしれないことを前提に読んでいただきたい。
「日本のツイッター利用者がイスラム国にコラージュ画像で対抗(Japanese Twitter
Users Stand Up to ISIS with...a Photoshop Meme)」と題した英字記事は,各コラージュ画像を紹介した上で,次のとおり指摘する。
いくつかのコラージュ画像をみると,ツイッター利用者が単にテロリストによる身代金要求という状況を軽視し,ふざけているだけなのかは判然としない。
他方で,日本人のツイッター利用者は,コラージュ画像で,イスラム国をからかっているように見える。
人質の命を軽んじ,呑気過ぎるのではないかという懸念があるのは明白である。
しかし,日本のツイッター利用者は,恐怖を通じて人々をコントロールしようというテロリストの手法に対し,ユーモアで対抗しているのではかなろうか。
(With some of the Photoshops, it's unclear if people are simply making
light of the situation. In others, it does appear that they are poking fun
at ISIS. The concern, obviously, is that people might seem too light-hearted
about the lives of these men. Or perhaps, they're using humor to resist
being controlled through fear?)
【中略】
はっきりしていることは,日本のツイッター利用者が日本政府に対し身代金を支払うように圧力をかけろというテロリストの要求に対して,それを拒否しているということである。
(What is clear, however, is that there are some Twitter users refusing to
bow down to demands that they pressure the Japanese government to pay up.
For now, that is.)
このように,全面否定することなく,客観的な視点から分析し,肯定的な面を指摘しているのである。
また,アメリカのNBC Newsの電子版も「日本のツイッター利用者がインターネット画像でイスラム国を嘲笑う(Japanese Twitter Users Mock ISIS With Internet Meme)」と題し,この現象
を紹介した上で,次のとおり指摘する。
日本のツイッター利用者は,日本人人質事件において,全国的なコラージュ風刺画像を用いた戦いで,イスラム国を嘲笑うことで反抗している。
(Japanese Twitter users are defying their country's hostage crisis by
mocking ISIS with a nationwide Photoshop battle of satirical images.)
【中略】
ソーシャルメディア分析会社のTospy社によると,「ISISクソコラグランプリ」という日本語のフレーズは,この1日,2日で,6万回以上もツイッター上で言及されているという。これらのつぶやきでは,イスラム国の様々な人質映像の一部を切り取り,面白おかしく日本のゲーム文化の画像などとともに,多くが加工されている。
(The phrase, which loosely translates to "ISIS Crappy Photoshop Grand
Prix," has been mentioned more than 60,000 times over the past few days,
according to social analytics company Topsy. These tweets include
screengrabs from various ISIS hostage videos photoshopped in comical ways,
and many of the images reference Japanese gaming culture.)
このとおり,アメリカの大手メディアも必ずしも否定的には報じていない。
さらに別の英字メディアは,「日本の馬鹿げたイスラム国のプロパガンダに対する対応は,アメリカ政府でさえ成し遂げられなかったことをやってのけた(Japan's silly response to ISIS propaganda did what
the U.S. government couldn't)」と題し,次のとおり指摘する。
今週,日本のインターネット利用者は,団結してイスラム国を嘲笑うためにコラージュ画像を用い,馬鹿馬鹿しく,軽蔑した画像をテロリストに送り付けるという戦いを展開した。
この努力は人質の救出には繋がらないであろうが,将来のテロを防止するという点において,少なくとも役立つものである。
(This week Japanese Internet users rallied together to mock the Islamic
State (a.k.a. ISIS or IS) with a Photoshop battle that shows the terrorists
in a series of absurd and contemptuous images. This effort won’t save the
hostages, but it could, in at least a small way, help prevent future
terrorism.)
【中略】
アメリカ政府は,イスラム国のネット上でのプロパガンダに対し,反論のためのプロパガンダ技術を駆使してきたが,これまでのところ,アメリカ政府の試みは失敗に終わっている。
アメリカ政府の手法は,ジャーナリストに反イスラム国のメッセージを送ったり,粗末に作られたビデオを作成したりするというものであって,時代遅れであり,いずれもパッとしないものであった。
アメリカ国務省の前顧問であるShahed Amanullah氏もガーディアン紙に対し,アメリカの戦略はイスラム国のグループを強くしてしまったに過ぎないと認め,「イスラム国は彼らの支持者に対し,『見てみろ?我々はすべてにおいて力がある。アメリカがそれを証明している。』と言わせてしまっている」と述べている。
(The U.S. government has tried counter-propaganda techniques by engaging
with IS online, but has failed thus far. Their methods, which include
sending anti-IS quotes to journalists and creating poorly produced videos,
are dated and lackluster. In a piece for the Guardian, former State
Department advisor Shahed Amanullah says that America’s tactics have only
made the group stronger: “They turn right around to their followers and
say, ‘See? We’re every bit as powerful as we say we are, the US government
is proof.’”)
では,なぜ今回の日本での出来事が貴重なのであろうか。それは,アメリカ政府が失敗してきた試みを効果的にやってのけたからである。
(So, why is Japan’s response so valuable? Because it was effective where
America's attempts have failed.)
プロパガンダに対する反論を展開する上で重要なのは,相手の効果を減殺することにある。イスラム国についていえば,武装グループは,自らが正義であり,かつ,獰猛であると見せたいのである。
しかし,イスラム国のプロパガンダを間抜けなアニメのキャラクターと合成することで,日本のインターネットユーザーは,イスラム国自身が馬鹿げた存在であるように見せることに成功したのである。
テロリストグループに参加しようとする人々を,テロリストを世界の指導者が強く警戒しているということを知り,テロリストが自らの正義のために闘っているということが,参加を促すものとなってしまっている。
しかし,日本のツイッター利用者は,テロリストを取るに足らないものとして描写し,弱体化させることで,テロリストが発するメッセージの重さを破壊したのである。
(The point of counter-propaganda is to undercut the other side's efforts.
In the case of IS, the militant group wants to look righteous and fierce. By
combining IS propaganda with goofy anime characters, Japanese Internet users
in turn made IS look silly. Those looking to join the terrorist group know
that it is admonished by almost every world leader, which is part of the
draw—standing up for what they see is right. But, emasculating these
terrorists and depicting them as anything but serious subverts the gravity
of their message.)
これは,小さな勝利かもしれない。しかし,テロリストが参加者を増やすことで力を増していることを考慮すれば,日本人がイスラム国に対する完璧な武器を用いて,世界に,そのメッセージを発したことが,新たな参加者を妨げる唯一の方法となるだろう。
(This may sound like a small victory, but considering that a terrorist group
is only as powerful as its number of recruits, and it can only draw new
fighters through the strength of its messaging, the Japanese may have just
provided the world with the perfect weapon against IS.)
このとおり,全面的にこの現象を肯定的に捉えているものもあるのである。
実際、この現象が続く中で,いかなる理由かは不明であるが,いくつかのイスラム国関係者と思われるツイッターのアカウントが凍結されている。
確かに,この現象極めて不謹慎であるようにも思うが,英字メディアの指摘は必ずしも的外れの指摘とは切り捨てられない説得力があることは否定できない。
3.日本の自己責任論の検証
多数の日本人の世論は,イラクでの人質事件の時と同様に,今回の人質事件についても,自己責任論が徹底して浸透していると思われる。
この自己責任論を批判する動きもあるようであるが,なぜ自己責任論が日本では根強く徹底して浸透しているのかについて,以下,少々検討してみたい。
まず,自己責任論は結局のところ日本人の規範意識の高さにある意味起因しているのではないだろうか。
つまり,我が国は,規範意識が諸外国に比べて高く,政府などが「危険などで行くべきではない」とか,「危険なので行うべきではない」という明確な忠告があり,その忠告を十分認知できる状況であったにもかかわらず,その忠告を破って,当該行動を行い,それに伴う危険が現実化したとしても,そのような人を助けることの必要性は極めて低いという思考につながっているのであろう。
これはコース外滑走の遭難者への非難という現象についても同じことがいえる。
これは,刑法における故意論にも似ていると思われる。
故意犯を強く批判する本質は,規範に直面して反対動機の形成が可能であったにもかかわらず,あえて当該犯行を行った点にあると説明される。
つまり,「反対動機形成可能であった」というのは,「犯行を踏みとどまることができたにもかかわらず」ということである。
これと似た思考が自己責任論の根底にあるのであろう。
この当否は別途議論されるべきであろうが,自己責任論そのものは,我が国の国民の規範意識の高さを示すものであり,人質に対して冷たいかもしれないが,テロリストには屈しないという姿勢を示すものとしては,否定されるべきものではないと考える。
また,上記の英字メディアの指摘を踏まえ,改めて考えてみると,テロの恐怖に屈し,畏怖した姿勢を示してしまうことがテロリストの目的であるプロパガンダ効果に利することになるのであって,我が国及び国民がいかなることがあっても,不当な犯罪者の要求を受け付けないという姿勢を示すことが,更なる被害を防ぐことになるだろう。なぜならば,日本人を拉致し,殺しても,一切響かないとテロリストに思わせることができるからである。
いずれにしても,テロリストも日本国民の多数が自己責任論を再び強く唱え,さらに,「ISISクソコラグランプリ」などという現象を展開し,テロリストの要求を呑むように働きかける動きがほとんど起きていなかったことは予想していなかったのではなかろうか。
※ コラ画像をテロリストと思われるアカウントに送付する行為が刑法の外患に関する罪に当たるとかいうわけのわからない主張があったので,言及しておくが,単に送付する行為は外患に関する罪には当たりえない。当たると言っている人はいかに無知な主張をしているか刑法81条以下の各条文を読んでみることをお勧めする。他方で,コラ画像は著作権を侵害し違法なものもある。
http://esquire.air-nifty.com/blog/2015/01/isis-189c.html
パイロット生存確認が最優先=後藤さん解放交渉―ヨルダン
時事通信 1月30日(金)14時38分配信
【アンマン時事】過激組織「イスラム国」が拘束する後藤健二さん(47)の解放交渉で、犯行組織の人質となっているヨルダンの空軍パイロットの生存確認が焦点となっている。犯行組織は後藤さん解放の条件として、ヨルダンで収監中のイラク人女死刑囚の釈放を求めているが、ヨルダン政府はパイロットの安否確認が先だとして応じていない。
死刑囚釈放の期限は日本時間29日夜とされたが、30日午前の時点で犯行組織から新たな声明は出ていない。交渉はこう着状態が続いている。
犯行組織は後藤さんと交換する形で、ヨルダンで収監中のサジダ・リシャウィ死刑囚の釈放を求め、死刑囚をトルコとの国境で引き渡すよう要求。応じなければパイロットを殺害すると主張した。
これに対し、ヨルダン政府はパイロットの生存確認を優先する立場を崩していない。モマニ・メディア担当相は29日夜(日本時間30日未明)、「死刑囚はヨルダンの刑務所にいる」と述べた。
日本政府は後藤さんの解放に向け、ヨルダン政府に協力を要請しており、モマニ担当相は後藤さんの解放交渉について、「日本と常に協力している」と語った。また、ジュデ外相は米CNNに対し、パイロットと後藤さんの2人の解放を犯行組織に求めていることを明らかにしている。
ただ、ヨルダン国内ではパイロットの救出を求める世論が高まっている。現時点では後藤さんだけの解放を目的に死刑囚の釈放に応じることは困難な状況だ。
ジュデ外相もパイロットの解放を最優先にする考えを明確にしている。日本とヨルダン両国政府は後藤さんとパイロットの同時解放を目指すが、見通しは不透明だ。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150130-00000078-jij-m_est
イスラム国人質事件を、日本がヨルダンを「巻き込んでしまった」という視点で見てみると・・・
現代ビジネス 1月30日(金)6時2分配信
イスラム過激派組織「イスラム国」の邦人人質事件に関する大報道が連日、続いている。人質である後藤健二さんの運命に焦点が当たるのは当然なのだが、もう1つ大事な視点が失われているのではないか。それは「日本はヨルダンに大変な迷惑をかけている」という問題である。
ヨルダンへの配慮が足りないのではないか
ヨルダンは、もともと拘束された自国パイロットの救出を目指していた。ジュデ外相は1月28日、CNNテレビのインタビューで「『イスラム国』側と仲介者を通じて数週間にわたって交渉していた」とあきらかにした。
後藤さん解放をめぐる交渉に先立って、ヨルダンはパイロットの解放交渉をしていたのだ。そこに、イスラム国側が後藤さんの解放をヨルダンが拘束している女性死刑囚の釈放と引き換えにする条件を出してきたために、パイロットの扱いが2の次、サイドストーリーになってしまった。
それどころか、29日未明に公表された後藤さんとみられる男性の音声によれば「私と交換するために死刑囚がトルコ国境に用意されなければ、パイロットは直ちに殺されるだろう」と通告された。つまり、パイロットの命は解放どころか、後藤さんと死刑囚の取引促進材料に使われた形である。
私たち日本人と日本のマスコミは後藤さんの運命ばかりに焦点を当てて事態を眺めている。それは理解できる。だがヨルダンにしてみれば、日本人の命を救うために、自分たちが犠牲を払って拘束した死刑囚を釈放しなければならないどころか、もっとも肝心なパイロットの運命がはっきりしないのは、とても受け入れがたいだろう。
ずばり言おう。私たちは後藤さんの運命を心配するあまり、ヨルダンの置かれた立場への配慮が不足していないか。そんな姿勢が行き過ぎると、どうなるか。「日本人の安全さえ守られれば、他国の人はどうなってもいい」という身勝手な主張と紙一重になるのだ。
なぜ、そう書くかといえば、今回の事件が起きる前から、世論の一部に「日本が戦争に巻き込まれるのはごめんだ」という主張があったからだ。今回はイスラム過激派による誘拐事件であり、戦争ではない。だが、本質的には似ている。
日本は過激派に銃火を交える戦いを仕掛けたわけではないが、テロリストたちは日本人を誘拐した。日本は「巻き込まれたくない」と思っていても、事実として巻き込まれてしまった。日本が自ら戦争を仕掛けなくても、相手から攻撃を受ける可能性があるのと同じである。
「巻き込まれたくない論」の本質
本当の問題はこの次だ。もしも日本が「オレたちは巻き込まれてしまった」などと思っているとしたら、大間違いである。日本は「巻き込まれた」どころか、ヨルダンを「巻き込んでしまった」のだ。当初は日本とイスラム国の事件だったが、イスラム国の巧妙な作戦によって、ヨルダンが当事者になってしまった。その点に、私たちはどれほど思いが及んでいるか。
ヨルダンはもちろんパイロットを最優先で助けたい。だが、イスラム国が後藤健二さんと死刑囚の釈放を交換条件にしたために、話は複雑になり、パイロットのことばかり言ってはいられない状況に追い込まれた。日本はヨルダンに迷惑をかけているのだ。
こういう事態は初めての経験である。だが、実は集団的自衛権をめぐっても同じような議論があった。日本を助けにきた米国が攻撃されたとき「日本は指をくわえて黙って見ているのか」という例の仮説である。
集団的自衛権の行使に反対して「日本は何もできない」というなら「自分たちが安全なら米国はどうなってもいい」という話になる。今回のヨルダンに対する配慮のなさ、後藤さんの運命に比べて低い注目度を目の当たりにすると、どうも日本はあまりに身勝手なのではないか。そう感じる。
「巻き込まれたくない論」の本質は、実はこの身勝手さにある。「私たちは平和憲法を守って平和を愛している。テロリストの誘拐はひどい。私たちは巻き込まれた被害者だ」というばかりで、自分たちがヨルダンを被害者に巻き込んでいる事態に気が付かないのだ。
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日本が国際社会で尊敬される国になるために
集団的自衛権問題で言えば、自分たちが米国に守られていながら、いざ米国が攻撃されても「憲法の制約があるから守らない」というのは身勝手そのものだ。「巻き込まれたくない」の一点張りで、けっして助けにはいかないが、自分がやられそうなときは「ぜひ巻き込まれて、助けにきてください」というのである。
今回の事件と報道ぶりをみていると、日本はこれほどまでに内向きで、自分たちの事情でしか物事を考えられない国になってしまったのか、とがっかりする。
どういう結末を迎えるにせよ、いずれ事件は決着するだろう。そのとき、後藤さんさえ助かればハッピーエンドと言えるか。とても言えない。まずは迷惑をかけたヨルダンのパイロットがどうなるか。私たちはそこを一番、心配すべきではないか。
今回の事件が起きていなかったら、ヨルダンは自力でパイロットの解放交渉を続けていたに違いない。はっきり言って、ヨルダンにとって今回の事件は降ってわいた余計なお荷物である。
相手の立場を考えられないようでは、日本はとても国際社会で尊敬されるような国にはなりえない。今回の事件は、日本と日本人が苦しいときにどれだけ周囲を考え、毅然としてふるまえるか、品性が問われる分水嶺である。
長谷川 幸洋
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20150130-00041928-gendaibiz-int&p=1
欧米人は「斬首」で日本人は「殺害」---「イスラム国」人質殺害映像の新聞報道について
現代ビジネス 1月30日(金)6時2分配信
1月25日付朝刊の朝毎読3紙
湯川さんはどうのように殺害されたのか
過激派組織「イスラム国」はアメリカ軍による空爆を受け始めた2014年8月以降、英米人の人質を次々と殺害してインターネット上に映像を公開してきた。日本の主要紙は殺害シーンを具体的に伝え、イスラム国の残忍性を浮き彫りにした。
最初に殺害されたのはアメリカ人ジャーナリストのジェームズ・フォーリー氏。映像が同年8月19日に公開されると、翌20日付夕刊で朝日は「黒ずくめの男がナイフで首を切った」、毎日は「黒服・覆面の男が(中略)ナイフで男性の首を切った」と説明している。
同年9月2日には別のアメリカ人ジャーナリストのスティーブン・ソトロフ氏が殺害された映像が公開された。これについて、翌3日付夕刊で読売は「ナイフで首を切断する手口」、産経は「斬首して殺害」と報じている。
日本人の人質についてはどう伝えているのだろうか。
1月24日夜になり、イスラム国によって湯川遥菜(はるな)さんが殺害されたとみられる映像が公開され、日本中にショックが広がった。主要各紙は翌25日付朝刊の1面トップニュースとして「殺害か」などと伝えるなか、湯川さんとみられる男性について次のように描写している。
〈 映像の中で男性は、横たわる湯川遥菜(はるな)さん(42)とされる男性の写真を手にし、「私は後藤健二です」などと英語で話す男性の声が流れた。 〉(読売)
〈 オレンジ色の服を着た後藤さんと見られる男性が、湯川さんとみられる人物がひざまずいている写真と、地面に体が横たわっている写真を持っている。 〉(朝日)
〈 映像では、後藤さんが、湯川さんのひざまずく姿などを写したとみられる2枚の画像を手にしているように見えるが、合成された可能性もある。 〉(毎日)
湯川さんとみられる男性がどのように殺害された可能性があるのか、これを読んだだけでは分からない。イスラム国の残忍性はよく知られており、どのような映像だったのか知りたい読者は多いと考えられる。そんな状況下で、朝毎読の3紙はあえてあいまいな表現を使ったわけだ。
なぜ映像の内容について説明しないのか
斬首に特別な意味合いがあるとすればニュース価値は高い。イスラム政治思想の専門家で東京大学準教授の池内恵氏は、斬首による処刑場面を全世界に公開する手法について、1月20日発売の自著『イスラーム国の衝撃』(文春新書)の中でこう書いている。
〈 「狂信者が残酷な行為を行っている」と捉えるだけでは説明できない。背後の綿密な計算と演出に注目すべきである。 〉
残酷な映像をそのまま見せるわけにはいかないのは当然だ。ただ、どんな内容の映像なのか記事中でもまったく説明していないとなると、読者にしてみればいくつか疑問が湧いてくることだろう。
家族へ配慮してあいまいにしたのか。政府からの指示に従ったのか。それとも大したニュース価値はないと判断したのか。その場合、フォーリー氏やソトロフ氏についてはなぜ具体的に説明したのか。日本人と外国人で紙面上の扱いを区別しているのか。
全国紙の中で産経は違う対応を見せた。日本人と外国人で区別せず一貫している。1月25日付朝刊でこう書いている。
〈 画像は日本時間の24日午後11時すぎに投稿。後藤さんとみられる男性は、首を切断されたように見える別の男性の写真を掲げ、英語で「仲間のハルナ・ユカワがイスラム国の土地で殺された写真」と説明。 〉
ニュースサイト「J-CAST」も1月25日公開の記事で指摘しているように、単に「殺害」と表現することが多い日本メディアと違い、欧米メディアは「斬首」「首切断」などと踏み込んで報道している。
しかも記事中ではなく、見出しで言及するケースが目立つ(上記の産経記事は見出しでは言及なし)。湯川さんが殺害されたとみられる映像が公開された直後の主要紙から、いくつか見出しを選んでみた。
〈 イスラム国の日本人人質、首を切り落とされた遺体を示す映像 〉(米ニューヨーク・タイムズ紙)
〈 イスラム国は日本人人質の斬首を主張、残りの人質解放へ新たな要求 〉(米ワシントン・ポスト紙)
〈 イスラム国による斬首は明らかで、日本の指導者は言葉失う 〉(米ロサンゼルス・タイムズ紙)
〈 首切断で日本に怒り広がる、イスラム国は残る人質の殺害も予告 〉(英タイムズ紙)
イスラム国の残忍性を示す証拠として、欧米メディアは明らかに映像の内容にニュース価値を見いだしている。人質が母国人であろうと外国人であろうと、報道に際しては同じように対応している。
その意味で、朝毎読の3紙は二つの説明責任を負っている。第1に、なぜ映像の内容について説明しないのか。第2に、なぜ日本人と外国人を区別しているのか。英米人人質がどのように殺害されたのか以前の報道によって覚えている読者にしてみれば、素朴な疑問であるはずだ。
私が直接問い合わせてみたところ、毎日は広報部経由で「記事中で『ナイフで首を切り・・・』などと表記したこともあります。しかし、続報では、残酷な表現は避けています」「記事中の表現は、記事ごとに判断しています」と回答した。
朝日も広報部経由で「湯川さんの画像については解明されていない部分が非常に多く、現時点ではさまざまなことを断定的に書くことはできないと判断しています」「動画が出回ったフォーリー氏の件と今回の湯川さんの画像の件を比較して論じることはできないと思います」と説明した。
映像の内容はニュースの中核部分である
説明責任を怠ったという点では、1月16日公開の当コラムで取り上げた「シャルリー・エブド襲撃事件」報道も同じだ。
1月7日、連続テロ事件で仏週刊新聞「シャルリー・エブド」のパリ本社が襲撃され、風刺漫画家らが殺害された。きっかけは、過去に同紙が表紙に使ったイスラム教の預言者ムハンマドの風刺画とみられている。
ここで報道機関は難しい対応を迫られた。表現の自由を優先して風刺画を転載するのか、それともイスラム社会へ配慮して転載を見送るのか、高度な編集判断を下さなければならなくなったのだ。風刺画はニュース価値が高いだけに、転載見送りの場合は読者に対する説明責任が発生する。
しかし日本の全国紙は、事件から1週間近くにわたって風刺画転載を見送り続けるなか、読者に対してそろって何の説明もしないままだった。朝毎読の3紙が転載見送り理由を説明したのは、シャルリー・エブドが特別号を発行し、再びムハンマドの風刺画を表紙に使った1月14日以降になってからだ。
ムハンマド風刺画の場合、転載したメディアは「実物を見せて読者に判断材料を提供」と言い、転載を見送ったメディアは「記事中で内容について説明」と言った。人質殺害映像の場合、内容が残酷であるため、メディアには「実物を見せて読者に判断材料を提供」という選択肢はない。
となると必然的に「記事中で内容について説明」になる。それもやらないというのであれば、新たな説明責任が出てくるのではないか。以前は「記事中で内容について説明」を実行していたのに今回は不実行となれば、なおさらだ。
「映像の内容まで具体的に説明するのはやり過ぎ」という見方もあるだろう。しかし、映像の内容はニュースの中核部分である。ここをあいまいにするのであれば、報道機関としては突っ込んだ議論を社内で行い、議論の中身も読者に見せてはどうか。
著者:牧野 洋
『メディアのあり方を変えた 米ハフィントン・ポストの衝撃』
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牧野 洋