日本人は戦後、繁栄と平和を享受する一方、安全問題は米国に“おんぶにだっこ"といった環境圏で生きて | 日本のお姉さん

日本人は戦後、繁栄と平和を享受する一方、安全問題は米国に“おんぶにだっこ"といった環境圏で生きて

イスラム国殺害脅迫 「イスラム国、過去にない対応」展開に戸惑いも?
産経新聞 1月29日(木)11時35分配信

イスラム教スンニ派過激組織「イスラム国」とみられるグループが後藤健二さん(47)を名乗る音声付き静止画像を公開したことについて、国際テロリズムに詳しい公共政策調査会の板橋功氏は「事実なら過去にない展開。要求を繰り返すのは人質を躊躇(ちゅうちょ)なく殺害するイスラム国として異例の対応だ」と指摘する。

画像では、後藤さんを名乗る人物がサジダ・リシャウィ死刑囚の釈放を改めて要求。応じなければ後藤さんとヨルダン人パイロットを殺害するとしている。公開の意図について板橋氏は「ヨルダンに交渉の『ボール』があると強調した。引き続き、日本など友好国との関係に楔を打ち込みたいのだろう」と分析する。

殺害脅迫から短期間で人質を処刑するイスラム国が手法を変え、要求を追加して何度も声明を公開する点については、冷静な態度を変えない日本政府や世論の対応が予想外で、圧力をかける意図もあるとみる。

板橋氏は、イスラム国が日本を徹底分析していると指摘。「動向を注視し最大のアピール効果を狙っている。期限の明示も、日本のメディアを意識したものではないか。今後も冷静な対応が不可欠だ」と話した。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150129-00000525-san-m_est

中国から「日本人は平和ボケ」の声 --- 長谷川 良
アゴラ 1月23日(金)15時48分配信

普段は中国共産党政権の腐敗や人権蹂躙問題を厳しく追及している海外反体制派メディア「大紀元」は1月22日、日本人2人がイスラム過激組織「イスラム国」(ISIS)に人質となり、身代金を要求されているが、日本のネットユーザーは日本人2人の殺害予告映像をアニメやイラストに加え、滑稽な加工画像を作成して公開していることについて、「日本人は平和ボケだ」といった軽蔑まじりの嘲笑が飛び出していると報じた。

「過激派組織イスラム国は、日本人2人の殺害予告映像をインターネット上に公開した。緊迫した状況であるにもかかわらず、この映像を日本のインターネット利用者はアニメやイラストを加え、滑稽な加工画像(コラージュ画像)を作り次々と公開した。あまりにも不謹慎な行為に中国のインターネット利用者は日本の『平和ボケ』を指摘。またISISに関係するとみられる者からは怒りを買い、一部から報復攻撃を示唆するメッセージが発せられ、深刻化を招きかねない事態となっている」

大紀元は日本ネットユーザーに対して、「平和ボケ」、「不謹慎」、「冷静で無関心」といった中国側のユーザーから批判の声を紹介している。

中国側のネットユーザーは過去、日本に対して厳しい批判や罵声を浴びせてきた。けっして優等生のユーザーではないが、その彼らが2人の日本人人質に対する日本ネットユーザーの反応を「不謹慎」と感じているわけだ。もちろん、人質事件は生命にかかわる深刻な出来事だ。普段は冗談半分で無責任な批判を繰り返してきた中国ネットユーザーも好ましくない批判のトーンを抑えるなど、それなりの自制を働かしているのかもしれない。

日本人は戦後、繁栄と平和を享受する一方、安全問題は米国に“おんぶにだっこ"といった環境圏で生きてきた。そして米国即製の平和憲法を自国のアイデンティティと受け取り、生きてきた。そのような中、日本の平和ボケを指摘する声が保守派論客から聞かれだして久しいが、日本と対立している中国のネットユーザーの目にも「日本人は平和ボケだ」と映っているのだ。日本人として真剣に考えなければならない時だ。

それでは、どうしたら「平和ボケ」から解放され、自国の安全問題に責任をもって対応できる国家となれるだろうか。憲法改正は中心的な課題だが、自主憲法を作成しただけで即、国民が「平和ボケ」から目を覚ますとは思わない。憲法改正作業以上に国民の意識改革のほうが難題だろう。

安倍晋三首相は16~21日までエジプト、ヨルダン、イスラエル、パレスチナ自治区の4カ国・地域を訪問した。その途上、2人の日本人の人質ニュースが飛び込んできたわけだ。首相は中東の現状を一層、身近に感じられただろう。

中東地域から数千キロ離れた日本人にとって、中東の現状を身近に感じることは難しいが、日本を取り巻く周辺を振り返れば、日本の安全が危機状況下にあることは理解できるだろう。尖閣諸島問題などで反日攻勢をかける中国、核兵器を有する北朝鮮など、日本の安全を脅かす問題が山積している。中国のネットユーザーから「平和ボケ」と馬鹿にされないためにも、「国の安全」は国民一人一人の死活問題だ、と自覚したいものだ。

編集部より:このブログは「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2015年1月23日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』(http://blog.livedoor.jp/wien2006/)をご覧ください。
長谷川 良

2回目の掲載となります。↓

[古森義久]【日本外交がテロの原因と断じる愚】~テロに屈すればテロは広がる~
Japan In-depth 1月25日(日)19時0分配信

イスラム過激派の国際テロ組織「イスラム国」が日本人2人を人質に取り、殺害すると脅迫したうえで1人を殺したとされる事件が日本を揺さぶっている。

だが日本国内の反応をみると、一部にはこの事件の残虐な犯罪性を直視せずに、逆に結果としてテロ組織の要求に沿うことを求める声が出てきた。この思考こそまさにテロリスト側の目指す目的であり、さらなるテロを助長することを銘記すべきだろう。

イスラム国が日本人の湯川遥菜、後藤健二両氏を人質とし、日本政府に2億ドルの身代金を要求した事件では、もちろん人命への配慮が重視されるべきである。まして湯川氏が殺害されたとすれば、同情のきわみであると同時に、イスラム国の卑劣な残虐性への怒りを改めて感じさせられる。

しかしながら、このテロ組織の残忍で冷酷な犯罪行為への糾弾は日本国内ではそれほどは目立たない。湯川、後藤両氏の自己責任を追及する声も大手メディアではほとんど表明されない。危険とわかっている地域に日本政府の警告を無視する形で勝手に入った個人のために、なぜ日本の国民や国家の全体が犠牲を払わされるのか、という問いがないのだ。

その一方、日本政府に身代金を払えという声も日本国内ではまず聞かれない。このへんは国民の多数がテロには屈するべきではない、という基本を受け入れているのだろう。

しかし気になるのは、今回のテロが起きたこと自体に日本側の非があるとするような主張である。たとえば維新の党の江田憲司代表は「野放図に自衛隊を出して米軍や他国軍と協力すると、日本人も日常的にテロに直面することになる」と述べた。日本の外交や安保の政策がテロを招いたとする示唆である。

他にも中東歴訪中の安倍晋三首相が「テロと戦う中東諸国での難民救済などのために2億ドルを供与する」と言明したことがイスラム国を刺激して、今回のテロ事件を起こしたのだとして安倍首相を批判する向きもある。テロ組織のテロ行為よりも日本側の政策に悪い原因があるとする断定である。

しかしこの種の日本側に非を帰する自虐的な思考はテロの本質を理解せず、テロをかえって助長する主張だといえる。国際テロとは「特定国家の政策を無法な暴力行為による威嚇や脅迫により不当に変えようとする行動で、民間人一般への殺害や破壊で恐怖を与え、政府を動かそうとする活動」である。

そもそも現代の法治国家群にとっては許し難い犯罪行為なのだ。その犯罪行為の目的をこちらから進んで満たし、テロ組織の主張に服従することは、こちら側の法治の枠組みを犯すこととなる。テロの効用を認めることにも通じる。

「テロ組織とはとにかく戦わない」「テロ組織の主張に従う」「テロ組織が反対することはしない」――もしこうなれば、もうテロ組織への屈服である。江田氏の言明などはテロ組織のいやがることは一切せず、テロ組織と戦う側にもつくな、というのだから、テロへ組織への同調、あるいは服従となってしまう。

江田氏のような姿勢はテロ組織の命令に従えば、テロがなくなる、とも総括しているようだ。だがテロ組織はテロによる自分たちの目的が一部でも達成されたとなると、まずまずその活動を高め、ますますその目的達成に力を入れることになる。テロの効用を発揮したことになるからだ。テロとは一切、戦わないと言明する現在の日本国も実はテロリスト側からみてのテロの効用を証明し、助長していることになってしまうのだ。

テロ組織はテロには屈しないことが確実な相手は決して標的にはしない、という基本の現実を再度、認識しておこう。
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古森義久(ジャーナリスト/国際教養大学 客員教授)
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20150125-00010002-jindepth-int