関東大震災の時に、アメリカが援助金をくれたことなんか知らなかったよ。 | 日本のお姉さん

関東大震災の時に、アメリカが援助金をくれたことなんか知らなかったよ。

関東大震災の時に、アメリカが援助金をくれたことなんか知らなかったよ。
でも、真珠湾攻撃を事前に知っていながら黙っていたことや、日系アメリカ人の財産を奪って、収容所にぶち込んだり、アメリカの国籍を取り上げたりしたことは知っている。日本人がアメリカに移住できないようにしたり、日本がアメリカから石油を買えないようにしたり、フライングタイガーというアメリカ人の空軍の精鋭のパイロットがチュウゴクの蒋介石の見方をして、日本兵を大勢殺したのは知っている。アメリカは、敵にすると恐い国。味方にしておくしかない。チュウゴクやロシアは、凶暴過ぎて話にならないので、アメリカの方がまだマシ。それにアメリカは、民主主義の国だ。アメリカが日本の天皇を生かしておいてくれたのは、その方が日本を支配しやすいと分かったからだろうが話が分かる国だったからだと思う。もし、日本がロシアやチュウゴクに負けていたら、天皇はどうなっていたことか、、、。

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【関東大震災直後の鮮明映像も!】大戦中の日本がアメリカに丸裸にされていた
2015年 1月14日 22:45 服部淳
どうも、服部です。前回の記事「我々の敵、日本人」戦時中のアメリカ軍用【反日映像】が興味深すぎるの続きとなります。前回記事を読んでいない方のために簡単に説明しますと、第二次大戦中の1943年(昭和18年)にアメリカ海軍兵士に向けて作成された、日本人とはどういう思想を持ったどういう人間なのかを解説する「Our Enemy the Japanese(我々の敵、日本人)」というタイトルの映像を紹介してきました。
※動画はページ下部にあります。
では早速見ていきましょう。前回記事では東京を中心に映し出されていましたが、農村部へ移動です。
※以後の文中「 」でくくっている部分は、著者がナレーションを翻訳したものです。
「日本の兵隊の主な供給源は、重労働と奉仕の精神で生きてきた田舎の農家の人たちです」
「彼らは夜が明ける前から、日が暮れてもしばらくは働き、重労働に耐え、禁慾主義で生活をしています。簡素な茅葺き屋根に土壁の家に住み、物を粗末にすることなく、生活用品のほとんどは彼らの手作りです。彼らが育てた穀物やコメは国が管理し、彼らが生活できるギリギリの金額で買い叩いていきます」。小作農の農家の生活は、本当に厳しいものだったんですね。
場面は町の住宅地へと移ります。「昔からの習わしで、日本には家庭サイズの工場がたくさんあり、これが日本の工業の強みでもあります」
壁には銃を持った兵隊のポスターのようなものが貼ってあります。「国家的な呼び掛けにより、人々は自国の兵隊たちに狂信的な関心を持ち、そしてその一方でアメリカを憎んでいます。日本人は、アメリカへの感謝と好意の気持ちを忘れてはいけないはず…なのにです」
「1923年(大正12年)に起きた関東大震災の時、いち早く、そして最も惜しげなく援助をしたのはアメリカだったではないですか」、と関東大震災直後と思われる映像が始まります。これだけ鮮明な映像は非常に貴重です。
「荒廃し、苦しんでいる東京へ何百万ドルというお金と、救援物資を送ったアメリカのお陰があって、日本は復興できたのではなかったのですか」。なかなかの恨み節です。
アパートなのか、立派な建物が映し出されています。「そして、現在ではこんなにも復興しています」
工場の建物から荷馬車が出てきました。
「工場で働いているのは、ひっきりなしに農家から働き手としてやって来る女性たちです。戦時体制のためこうした工場で1、2年働き、結婚して陸軍だか海軍の兵士になるだろう男の子を授かるのです」
「ローマ時代の奴隷よりも長く1日に14時間ほど働き、工場でご飯と魚とお茶の質素な食事を取り、毎日を過ごしていくのです」。農村にいても、町の工場に働きに出ても、厳しい生活は変わらなかったのですね。
続いては自動車工場のようです。「真珠湾攻撃の10年ほど前(1931年ごろ)から、日本の重工業は軍事目的に集中してきました」
現在もおなじみ、ヨコハマタイヤの作業帽をかぶった従業員がいます。
クラシックカーマニアにはたまらない映像も。
前回の記事に引き続き、昭和天皇のお姿が映し出されます。
そして、仏教のお坊さんたちが鐘をつきます。
大日本国防婦人会というたすきを掛けた女性たちが昭和天皇にお辞儀をしています。「日本の国教は神道です。神道は日本は神の国であるという教義の宗教です。神道の神は岩や木々、川にも宿り、そればかりか天皇陛下のために命を捧げた人の魂にまで宿るとされています」。う~ん、なぜお坊さんが鐘をつくシーンを挟んじゃったんでしょうか。
神社の鳥居が映し出されます。鳥居の上部中央には3つの神社の名前が記されています。右から白崎八幡宮、金刀比羅神社、大瀧神社です。1つの鳥居に3つの神社名?と3つの名前を一緒に検索してみると、検索結果の1番上に出てきたのはWikipediaのハワイ金刀比羅神社・ハワイ太宰府天満宮でした。
記事を見てみると『大正9年(1920年)ハワイ在留邦人漁師を中心に布哇金刀比羅神社を鎮祭』、『昭和5年(1930年)8月、白崎八幡宮を、10月には大瀧神社を相殿に勧請する』と書いてあります。だから3つも名前が書かれていたのですね。
"Kotohira - Dazaifu 01" by Bittercup - Own work. Licensed under CC BY-SA 3.0 via Wikimedia Commons.
現在の同神社の鳥居と形を比べてみると…ほぼ間違えないようです。
となると、こちらの神主さんは、時代的に真珠湾攻撃が始まるとすぐに抑留されたとWikiに記載されている第3代宮司磯部節でしょうか。
以後、この動画は子供の軍事教育についてや、戦争の悲惨なシーン、軍隊の訓練シーンなど、軍事色が強くなっていき締めくくられます。興味のある方は是非ご覧ください。
※動画の14分10秒から14分40秒あたりにかけて衝撃的な場面(焼死体など)が出てきますので閲覧にご注意ください。
【動画】「Our Enemy the Japanese(我々の敵、日本人)」
(服部淳@編集ライター、脚本家)
http://ima.goo.ne.jp/column/article/2393.html