自然災害が多く、周りに嫌な国々が多い日本だけれども、
わたしのおばさんは、足が悪いわけでもないのにほぼ寝たきりである。
ずっと寝ているので筋肉が落ちてますます起きているのが苦痛になり、
今では自分の力で起き上がることもできない。
2年前、無理して自力で起きた時、背骨を圧迫骨折してしまった。
それからは、つかまり立ちして自分で歩くこともしなくなった。
移動するときは、車いすを使っている。
同年代でしっかり歩いている人をみるとおばさんと比較してしまう。
でも、おばさんは頭はしっかりしていて全然ボケていない。
お世話になっている老人福祉施設では、ボケていないのは
おばさんを含めて3人ぐらいしかいない。
20年前、阪神大震災で被災した時、おばさんはまだ若かった。
寝ていた場所のすぐ隣に、タンスが倒れてきたのだそうだ。
もし、頭を直撃していたら死んでいただろうと言っていた。
おばさんの家に、カートでペットボトルに入ったミネラルウォーターや
調理用のガスボンベと水を溜める大きなバケツを持っていったことを
思い出した。西ノ宮は地震のダメージが酷過ぎて電車が動いていなかったので
JRの宝塚駅から、カートを引いて歩いておばさんの家に行った。
みんなが背中にリュックを背負って無言で歩いていた。
人通りが多い街の中を血だらけの犬が急ぎ足で歩いていた。
地震で傷ついて飼い主とはぐれたのだろうか。
おちこちの家が倒れたり、ヒビが入ったり傾いたりしている中、
比較的新しい2×4(ツーバイフォー)の家が何の傷も無く建っているのが印象的だった。
壊れた木造の家の前でガリガリに痩せた猫がポツンと誰かを待っているかのように座っていた。
おばさんのマンションは傾いてしまって、横の道路に車が通るだけで
かなり振動していて、後で人が住んではいけないマンションだと認定されてしまった。
おばさんの家の中は、わたしが行った日には、ほとんどかたずいていたけれども、
「水屋(食器棚)が倒れて中の食器が全部割れた」とおばさんが言っていた。
ガラスが無い食器棚には、新たに買ったという食器が数枚入れてあった。
水道が止まったので、最初の3日間は苦労したらしいが、
その後、おばさんのマンションには、車洗浄用の水のタンクというものが別にあって
そこにはたっぷり飲んでも大丈夫なきれいな水があったので、近所にも分けてあげることができたそうだ。
あれから20年、おばさんはもう自力で歩けないほど年をとってしまったし、
わたしも、去年から白髪がどっと増えてしまった。(白髪が出てきたらもう、おばさんだ。)
いろんなことが起こったけど、なんだか、何をして年をとったのかほとんど覚えていない気分。
20年を振り返ると何をしていたんでしょう?(会社で仕事はしていたよね。)
あの地震で日本人は何かを学んだのでしょうか?
毎日が大切な一日なのだと、側に愛する人がいることが実は特別なことなのだと、
そしてあっと言う間に失われる命もあるのだという事実。
阪神大震災で8歳の時に母親を亡くした28歳の学校の先生が
阪神大震災の語り部になって、子供たちに講演している様子を
元お好み焼き屋さんの家のテレビで観た。
「あなたの側に大切な人がいることは、特別なことなのです。
毎日、感謝の気持ちや大好きだという気持ちを伝えてあげてください。」と言っていた。
8歳の子供には、母親はまだまだ側にいてほしい大切な存在だったのに
地震で崩壊した家の下敷きになってしまって助からなかったとその人は言っていた。
「ぼくと弟と父は家の側の公園で永遠に泣いていました。」という言葉に
8歳の子供の悲しみを感じた。
一日を一生のように、大切に生きていたいと思った。
なんでもない普通の一日が本当は、大切な一日なのだ。
自分を大切に、自分の側にいる人を大切に、一日を大切に生きていたいと思った。
でも、20年間、何をしていたのかと聞かれると、ぱっと出てくる言葉は無い。
ただ、20年前よりは、今は幸せだなと思う。
おばさんは、寝たきりで足もむくんでいて、いつ天国に行っても仕方がないような
年齢だけど、会いにいけば喜んでくれるし、仕事もできるだけやっているし
結婚は誰ともできなかったけれど、まあ、ロマンスがいくつかあって、
旅行もできたし、友人たちには、可愛い子供ができたり、夢がかなって
バリバリやっている人もいて、わたしの可愛がっていた猫は亡くなって
新しい猫を飼っているし、やっぱり、20年は長い年月なんだろうなと思う。
自分の外見は確実に衰えているもんね。
でも、この衰えた体に入っている中身の「わたし」は、今日まで神様を信じて生きてきて
神様に日々助けていただいてきた歴史があるから
ますます信じる心は強くなっている。
日本にいる数少ない正統派のクリスチャンとして、やるべきことをして
日本のためになる「お姉さん」でいたいと思う。最後まで。
自然災害が多く、周りに嫌な国々が多い日本だけれども、この国に生まれて
この国で生きていて幸せです。この国は人も自然も特別いい国だからです。