なぜ中国はヒステリックになったのか | 日本のお姉さん

なぜ中国はヒステリックになったのか

なぜ中国はヒステリックになったのか
東洋経済オンライン 11月11日(火)16時35分配信

ほとんど無表情のまま、握手をする日中首脳(代表撮影/ロイター/アフロ)

■ 露骨になった中国

11月10日、北京で安倍晋三首相と、中国の習近平・国家主席が初めて本格的な会談を行った。曲がりなりにも、首脳会談と呼べる対話が行われたのは約3年ぶりだという。10日の首脳会談をめぐる細かなやりとりは、専門家に任せるとして、長年、中国と向き合ってきたビジネスマンとしての立場から、ひとこと言わせていただく。


今回のコラムでいいたいのは、結論から言えば、昔の中国は思慮深かったが、最近の中国は子供っぽいところが目立つ、ということだ。「何を言っているんだ、いろいろ原因をつくったのは日本ではないか」と反論する向きもあるかもしれない。だが、35年ほど中国とのビジネスを行っている身からすると、今の中国は、昔とはすっかり変わってしまった。

もともと中国の外交的な手法とは、相手が弱いと見るや、カサにかかって責め立てる。多少の論理の飛躍があろうがなかろうが、強弁や詭弁はいわば、お手の物だ。だが、昔はそうした手法は、露骨には見せなかったものだ。

私が初めて中国の土地を踏んだのは1979年の春である。その前年の1978年の10月、�眷小平氏が初めて日本を訪問した。日中平和友好条約の批准書を交換するための訪日だったが、その存在感が一気に日中の歴史問題を越えて和解の合意まで成功させてしまった。

尖閣諸島の話もあったが、事実上、領土の話は、「時間を掛けて解決しましょう」とアッサリ「棚上げ」にしたうえで最も重要な国交回復を優先させた。百戦錬磨の老獪さを余すところなく発揮した形で、大所高所に立った決断を行った。日本中が沸き返ったのは言を待たないが、私自身も中国が大好きになって、中国貿易に本格的にのめり込むようになったのは、この時である。


日中友好条約がサインされた1979年前後の日中貿易では、年に2回の広州交易会で商談が行われ、大半の取引はその場で決まった。当時の貿易窓口は対外貿易部傘下の組織が行ったので全国から集まった優秀なエリートが貿易担当者であった。

当時の日本の対中輸入額は4000億円程度。一方で対中輸出は6000億円程度で、その差額は中国にとっての実質的な貿易赤字になるので、年間2000億円程度の協調融資を日本が行うといった仕組みだった。それ以外にも、実質的な戦後賠償の一環として多額のODA(政府開発援助)予算が中国に割り当てられた。技術ODAと称して日本の先端技術を「気前よく」供与したのもこの時期の支援策であった。従って、お互いの立場を理解し合い、双方とも相手を立てながら合理的な妥協点を模索したものだ。

こうした理想的な経済関係のバランスが崩れてきたのは、やはり1989年の天安門事件以降である。

「社会主義市場経済政策」で中国の対外輸出が飛躍的に伸び、海外からの対中投資が加速するなか、中国は好調な経済を背景に外交姿勢も一層強気になっていったようにみえる。

商売の交渉でも、言い方が良くないが、今まで猫をかぶっていた「化けの皮」が剥がれ始めた。日中友好ムードから一転して相手の足元を見透かすような商売が増えていった。

■ レアアース騒動に見る、日本の「オウンゴール」

ただ、2010年に尖閣諸島での中国漁船衝突事件が発生した当初は、レアアース(希土類)の禁輸と領土問題を絡めるという発想はなかったのである。この時、日本政府の訪中団(民主党の岡田外務大臣)があまりにレアアースにこだわり「手の内」を明かしたものだから「この手は使えるかもしれない」と反応を見るために輸出検査を強化したあたりから、問題は拡大していった。

中国政府は外交カードとして、レアアースの輸出禁止をした。日本の産業界は急にレアアース原料が輸入できなくなったので本当に困ったが、輸出許可制になっているから中国には幾らでも在庫があるのに入ってこないのである。その状況が半年以上続いた。

当然、日本の産業界は原料在庫も尽きて生産に支障が出てきたからパニック状態でレアアースの相場は10倍以上に跳ね上がった。当初は1キロ当たり10ドルのものが、何と150ドルまで高騰した話は、このコラムでも何度かふれた通りだ。私自身、レアアースを30年以上も取り扱っているが、単なる機能性素材の一種であるレアアースがニュースになり大騒ぎになったことには、本当に驚いた。

2011年の3月に東日本大震災が起こったのは、まさにそんな時である。だが、日本の国難という環境の中でも、中国は輸出政策を見直すどころか、さらに値上げをしてきた。
戦国時代の上杉謙信のように「敵に塩を送る」のはどうかとしても、残念ながら、中国ビジネスはこうした発想はほとんどないことがわかる。「政治的に有利に交渉できるはずだ」と考える人々が優勢なのである。

戦前・戦中を知っている高齢の日本人なら、従来から「儒教の教えは中国から来たものだから」と中国に対するシンパシーが多少なりともある。だが日本の若い世代になると、東日本大震災という未曽有の国難の時を利用して「レアアース戦争」を仕掛けてくる中国の「いやらしさ」に反応せざるを得ないのだ。

だが皮肉なことに、結局、日本は代替材料を開発して、リサイクルの研究もできたし、新しい供給ソースも開発して、中国のレアアースの戦略的重要性は、ほぼ無くなりつつある。今や、インド政府との間で安定的レアアース供給の合意ができたので、逆に中国は「頭を下げて」原料を出したいとまで言ってきている。いわば中国のおかけで、日本はレアアース供給の多様化と、資源確保に成功しつつある、と言える。

■ 「中国流」に惑わされるな

見方を変えれば、レアアースの一件でわかるように、日本のマスコミが考えるほど中国は戦略的な考え方を持っているわけではない
「石を池に投げて、その波紋を見て反応を測る」のが中国流なのだ。石を「ぽっちゃん」と池に落として、その波紋を見ながら決定する中国人の思考方法は、よく言えば柔軟性に富んでいるとも言える。だが短絡的で考えが浅いという見方もできる。

例えば、2014年8月の南沙諸島の海底油田を巡る問題について、中国はベトナムを舐めて、黙って探査船を送り込んだ。だが、その後中越艦船が衝突して一触即発の状況にまでなった。ベトナムの激しい反中デモとベトナム政府の外交力の前に、世界の世論がベトナム側についた風向きを見て、突如として事実上掘削作業を止めた。

この事件が典型的な中国流のやり口である。うまく行けば黙って実効支配をするし、調子が悪くなると、急きょ手を引くような手法が中国流なのだ。簡単に言えば、何事についても決めつけることはせず、融通無碍で、周りの影響を見ながら、「勝ち馬に乗る」思考方法である。

日本人と中国人は、同じ東洋人であり、歴史や伝統も共有している部分が多いので、よく思い違いをする。私が対中国を主体とするビジネスマンとして一番違和感を覚えるのは、平気で嘘をつく人が増えたことと、相手が困った時、自分の立場が弱ければ将来の見返りを期待して助けるが、自分の立場が強くなったと思えばカサにかかって叩いてくる発想である。

これは伝統的に競争社会の中で生き残る知恵であったから、仕方ないと思ってあげてほしい。彼らは地縁や血縁しか信じていない人も多く、相手の立場になって考える習慣が少ないのだ。

一方、日本人は「協調することが当たり前」だと思っているから、相手につけ込まれやすい。交渉になった時にも、まず日本側から妥協案が出てくることが多い。日本人は病的なほど揉めごとが嫌いで、交渉すること自体に慣れていない国民性がある。中国人はそれを知っているから、相手が下手(したて)に出ると、カサにかかってくるのだ。


外交やビジネスは「ギブアンドテーク」なのだから、何も「一歩も引くな」と言っているわけではない。だが、ビジネスの立場からも言わせてもらえば、ただ「下手に出ていればよい」、あるいは「もめたくはない」というスタンスで接していると、かえって結果は悪くなることのほうが多いということだ。


中国は日本の約26倍の国土に、13億人が暮らしている。一見大国に見えるが実際には沿海地域が開発されているだけで、内陸地方はまだまだ開発が進んでおらず、未成熟な国家である。日本人はついつい「中国の外交力は超一流」だと勘違いしている人が少なくないようだが、これは日本の大マスコミのミスリードである。


�眷小平の時代は、野心を隠しつつ、相手に近寄るという懐の深さがあった。逆にいえば、それだけ底知れぬ恐ろしさがあった。だが今の中国を見ていると、「国内の不平不満をそらすために、ヒステリックに相手に接しているとしか思えない」という外交のプロの意見は少なくない。

もちろん、底の深さ・浅さについては、日本も問われるところだ。だが、中国が真の世界のリーダーになるためには、足りないことだらけだ。こうした課題を克服して、中国は果たして�眷小平時代の懐の深さを取り戻すことができるのだろうか。
.中村 繁夫
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20141111-00053028-toyo-bus_all&p=1