こんなカッコ悪いメインスタジアムなんか作ったら日本の恥だ!
ぶさいくな新国立競技場ーマンガHUNTER×HUNTERの
アリの王様のメルエムの頭の甲羅に見える。
なんじゃこりゃ。日本的ではない。カッコよくも可愛くも無い。無骨で醜悪でヘルメットチック。
近未来的でもないし、どうしようもないデザインだわ。
こんなの嫌やわ!!
ペキンの「鳥の巣」より変だよ。
あ~やだやだ!!建築家の磯崎新氏が意見を言ってくれなかったら
このままできあがってしまうんだろう。
こんなカッコ悪いメインスタジアムなんか作ったら日本の恥だ!
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新国立競技場は「粗大ゴミ」「亀」 建築家・磯崎新の発言に海外メディア注目
更新日:2014年11月7日
2020年に開催される東京五輪・パラリンピックのメイン会場となる予定の新国立競技場について、建築家の磯崎新氏は5日、報道関係者に対し、「将来の東京は巨大な『粗大ゴミ』を抱え込むことになる」との意見を表明した。
◆当初案
2年前に選ばれた新国立競技場のデザインは、イラク出身でロンドン在住の建築家ザハ・ハディド氏によるもので、安上がりだったと言われるロンドン五輪メイン会場の3倍の大きさがあった。
ガーディアン紙が「絡み合う白い腱」がトレードマークと表現するこのデザインはハディド氏が「日本の建築および都市を30年にわたって研究した成果」だという。
◆これまでの批判
「庭園に投げ出された巨大な白いヘルメット」と酷評されたこのデザインに関しては、当初から批判が多かった。
ガーディアン紙によれば、最初に建築家の槇文彦氏が「大きすぎるのではないか」と疑義を呈すると、伊東豊雄氏、隈研吾氏、藤本壮介氏らが同調、支持署名は3万2000人分に及んだという。
英BBCによると、槇氏が一番問題にしたのは、技術的に困難で高くつく巨大な引き込み式屋根だという。スポーツに屋根はいらない。
ではなぜ屋根があるのかというと、オリンピック後、コンサート会場に転用する案があるからだという。屋根無しではうるさいからだ。
◆修正案
批判を受けて日本スポーツ振興センター(JSC)は、ハディド氏にデザインの見直しを要請した。
ガーディアンによれば、建設費は当初1300億円が見込まれていたが、その後の試算により最大で約3,000億円にまで膨張することが明らかになったため、床面積を25%削減し、建設費を1785億円に削減することになったという。
それでも、ロンドン五輪メイン会場の2倍である。
◆磯崎氏の主張
ところが、今回の磯崎氏の主張は元のデザインに戻せというもので、修正案について「当初のダイナミズムがうせ、列島の水没を待つ亀のような鈍重な姿に失望した」と語っている。
磯崎氏は新しい条件下で改めてハディドさんにデザインを依頼すべきだという。「プロポーザル選びにこだわり建築家を選ばなかったため、道を迷うことになった」(オーストラリアの通信社AAP)
同氏は、異例の競技場外での開会式開催を提案しており、皇居の外側に、江戸城の城壁を使った専用の会場を作ればいいと述べている。「開会式はメイン競技場で行うという慣例を超えるチャンス。10億人がテレビで見るにはこのほうがふさわしい」(ガーディアン)
舛添東京都知事も最近、東京五輪の会場計画を見直したい意向を示しているだけに(AAP)、今後の成り行きが注目される。
新国立競技場、何が問題か: オリンピックの17日間と神宮の杜の100年 [amazon]
http://newsphere.jp/national/20141107-4/
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architecturephoto.net
磯崎新による、新国立競技場に関する意見の全文
architecture, feature
※磯崎新が2014年11月5日に報道各社に配信した新国立競技場に関する意見の全文です。様々なメディアに磯崎の断片的な言葉のみが取り上げられ報じられている事に対して、その全文の閲覧を希望する声が様々なところで見られました。アーキテクチャーフォトでは、磯崎新アトリエにその旨を連絡させていただき、全文をご提供いただきましたので、ここでご紹介いたします。
新国立競技場 ザハ・ハディド案の取り扱いについて 磯崎 新
一昨年、国際コンペによって選ばれたザハ・ハディド案は、21世紀の都市的施設として、運動競技のスピード感を呼び起こす、優れたイメージをあらわすデザインであると感じ、東京都民のひとりとして支持してまいりました。
ところが、先日から開催されている「ザハ・ハディド」展(東京オペラシティアートギャラリー)で詳細にわたり発表されている修正案を拝見し、当初のダイナミズムが失せ、まるで列島の水没を待つ亀のような鈍重な姿に、いたく失望いたしました。このままで実現したりすれば、将来の東京は巨大な「粗大ゴミ」を抱え込むこと間違いなく、暗澹たる気分になっております。
コンペの選考発表以後、さまざまな立場からの意見が発表され、さらに実現のためのアセスメント、プログラムや予算の見直しなどがなされたあげくに、この修正案が作成されたと伝え聞いております。環境への配慮、過重なプログラムの再編、適切な予算への整合など、重要な施設がつくりだされる過程でいかなる場合でもたどらねばならない道筋です。とりわけプロフェッショナルな建築家であれば当然の仕事です。にもかかわらず、修正案は当初案への賛否いずれの側の人達もが満足できない結果になりつつある。すべての関係者がオリンピックの歴史に誇れるようなデザインを求めてきたことを私は疑っていません。ところが間違ってしまった。
捻れが起こってしまったのです。
私は建築家としてこれまで多くの国際コンペに審査員や応募者として関わってきました。1992年第25回夏季オリンピック(バルセロナ)の「パラウ・サン・ジョルディ」、2006年第20回冬季オリンピック(トリノ)の「パラスポーツ・オリンピコ(パライソザキ)」などの主要競技施設の設計者に国際コンペを通じて選ばれ、その建設過程を経験した建築家として、現在の新国立競技場デザインの取り扱われ方を憂慮しているひとりです。
巷には、さまざまな意見が流れております。
一、国際コンペの正統な手続きによってザハ・ハディド案が選ばれたことをあくまで尊重して下さい。
二、その当初案が神宮外苑の環境に適合しないという有識者、建築家、市民の批判を正当な見解として承認して下さい。
三、国際コンペの与件としてのプログラムが過重であったためにさまざまな期待がふくれあがり、適切な予算をはるかに超えるデザインになった事態を冷静に反省して下さい。
四、新国立競技場をオリンピック誘致の「目玉」に位置づけたキャンペーンがなされましたが、このイメージに国際コンペの手続きとともにメディア上では国際公約の役割をさせていた事実を消し去らないで下さい。
ここに述べた事態は私見ではなく、メディアに流れている見解を整理したに過ぎません。相互に矛盾しています。だが現在のまま進行してしまうと、この議論において指導的な役割をしている人々全員が後世に恥をさらすことになります。国際的に類似の事例を経験してきた建築家のひとりとして、次のように考えます。
A、サスティナブルな競技場として現在地で更新するが、一過性のイヴェントであるオリンピック開会式にはつかわない。オリンピック競技場の基準にそったフィールドに整備すると同時にポスト・オリンピックに運用されると思われる諸施設を組み込む。群衆の流れなど周辺環境に配慮し、景観形成に細心の注意をはらう。
B、主競技用のフィールドで開会式を打ちあげた、かつてヒットラーの演出したベルリン大会以来のフォーマットを超えるメディアの時代のライブ性(10万人程度でなく、同時に10億人がテレビやインターネットを見る)をいかす舞台として、二重橋前広場で2020年の東京オリンピック開会式を挙行する。
江戸城の堀、石垣、櫓を背景にして、競技場フィールドより広い舞台を前に立体的な桟敷を設ける。約12万人収容可能。50に分解できる。終了後、全国各県にオリンピック記念公園(競技場)をつくり分散移設。空中を飛翔するカメラをはじめ、あらゆる角度からの映像を全世界に流す。
C、国際コンペの審査結果を尊重する。この段階の決定には一般的に二つの解釈がある。①、「案」を選ぶ。そのままの姿で実施する。(建築家は無名で、案の物理的な姿を評価する)②、その案を作成した「建築家」を選ぶ。プログラムに変更があるとき、その建築家が条件に適合する新しい案の作成者になる。(建築家の潜在的能力が評価される)
新国立競技場案が迷走している理由は、①、「案」をえらぶ、ことに固執してしまって、自縄自縛に陥ったためだと思われます。諸条件が②であるべきなのは当然の流れなのに、何故かザハ・ハディドという署名入りの案を選んだと関係者が思い込んでしまった。国際コンペの通念に無知、無理解、無責任な判定が、すべての流れを捻らせたのです。
私のかかわったオリンピック施設の場合は常に②のケースでした。私は新しい条件に対応して、更に新しいアイディアを加えて、実施設計から管理までつき合うことができました。プロフェッショナルな建築家であれば、状況の変化に柔軟に対応できねばなりません。今回の当選者ザハ・ハディドは、30年前に私はその才能を発見して、その後いくつかの共同の仕事をやった建築家で、彼女のプロフェッショナルな能力は抜きんでており、どんな困難な時でも自ら主体的に参画していれば、自らの署名をそのデザインに残しうる人です。修正案にはその片鱗もみえない。歴史的な誤謬がおかされた、と言わざるを得ません。
今からでも遅くない。当選決定(国際公約です)の時点に立ち戻り、二年間の賛否両論はプログラムの検討スタディだったと考え、ザハ・ハディドにその条件を受けてあらためてデザインを依頼する。彼女はそのような対応のできる建築家です。
そのうえで、最終選考の際、対抗案として比較されたと伝えられる、SANAA案の作成者妹島和世にプログラムに含意されていたオリンピック開会式場のデザインを依頼する。今後の開会式場の扱いは、2020年東京大会をプロモーションしてきた方々の責任です。
アリーナ型の昔ながらのサイズに閉じ込めるのではなく、東京を超えて日本の中心である光景を背景に世界に向けてイヴェントを発信する、21世紀型オリンピックの新しいフォーマットを、ここ東京でつくりあげることになります。
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