パレスチナ人はイスラエルの少年3人を殺した。 | 日本のお姉さん

パレスチナ人はイスラエルの少年3人を殺した。

イスラエル3少年殺害、「リーダー役」のパレスチナ人を逮捕
2014年08月06日 17:54 発信地:エルサレム/イスラエル

×パレスチナ人武装集団に誘拐、殺害されたとみられるイスラエル人の若者3人。左からヤル・イフラフ(Eyal Ifrach)さん、ナフタリ・フレンケル(Naftali Frenkel)さん、ギラド
・シャエル(Gilad Shaer)さん(2014年6月18日提供)。(c)AFP/FAMILY HANDOUT

【8月6日 AFP】6月にイスラエルの10代少年3人が行方不明となった後に遺体で見つかった事件で、イスラエル警察は5日、少年らを誘拐し殺害した集団の指導者とみられるパレスチナ人の男を逮捕していたことを明らかにした。

警察発表によると、逮捕されたのはホッサム・カワスメ(Hossam Kawasmeh)容疑者。イスラエル人少年3人を誘拐、殺害したとされる武装集団を指揮していた疑いで、前月に東エルサレムのアラブ人地域、シュアファト(Shuafat)地区で治安部隊に身柄を拘束されたという。

事件はイスラエルの10代の若者、ギラド・シャエル(Gilad Shaer)さん、ナフタリ・フレンケル(Naftali Frenkel)さん、ヤル・イフラフ(Eyal Ifrach)さんの3人が6月12日、パ
レスチナ自治区ヨルダン川西岸地区(West Bank)南部のバス停でヒッチハイクをしているところを目撃されたのを最後に行方不明になったもので、3人は30日に他殺体で発見された。

犯行声明は出ていないが、イスラエル側はイスラム原理主義組織ハマス(Hamas)が3人を誘拐し殺害したと主張。ヨルダン川西岸でハマス関係者の一斉摘発を行い、これにハマスはガザ地区(Gaza Strip)からイスラエルに向け
たロケット弾発射で応酬した。

イスラエルメディアによると、カワスメ容疑者は取り調べに対し、ガザ地区のハマス工作員から資金援助を受けて誘拐グループのメンバーを募り武器を調達したと供述しているという。

イスラエル警察は、3少年殺害との関連でカワスメ容疑者の他にもパレスチナ人2人の行方を追っていることを明らかにした。(c)AFP
http://www.afpbb.com/articles/-/3022454

パレスチナ少年殺害でユダヤ人を逮捕 イスラエル
2014.07.07 Mon posted at 11:17 JST

未成年者の拉致や殺害事件を巡って緊張が高まるエルサレム

パレスチナ少年殺害でユダヤ人を逮捕

エルサレム(CNN) エルサレムでパレスチナ人の少年が誘拐、殺害された事件を捜査しているイスラエル警察は6日、ユダヤ人の容疑者数人を逮捕したと発表した。

警察の報道官はまた、イスラエル北部で先月、ユダヤ人の少女(19)が殺害された事件で、犯行を認めたアラブ人のタクシー運転手を逮捕したことも明らかにした。いずれも「民族主義的」な動機による犯行だったとの見方を示した。

パレスチナ人少年は今月2日、エルサレム近郊で行方不明になり、直後に遺体で発見された。イスラエルとパレスチナの当局者らはともに、先月末にイスラエル人の少年3人が殺害された事件に対する報復の可能性を指摘していた。

イスラエルのネタニヤフ首相は6日、パレスチナ人少年の
遺族に弔意を表し、犯行を強く非難した。

パレスチナ自治政府のアッバス議長は、国連のセリー中東和平プロセル担当特別調整官への書簡で、最近パレスチナ人を狙った犯罪が続発していることについての調査を要請した。
死亡したパレスチナ人少年のいとこに当たる米国人の少年(15)がイスラエル当局に拘束された問題を巡っては、エルサレムの裁判所で6日、少年が「いとこの死に対する抗議行動を見ていただけ」と主張した。

少年には滞在先の親族宅での軟禁が言い渡された。9日以内に起訴に至らない場合は帰国を認められるが、少年の母親は「絶対にイスラエル当局を訴える」と話した。少年は拘束時に治安要員から暴力を受けたとされる。

イスラエルの駐米大使は、米国人少年が単なる傍観者ではなく、火炎瓶などを投げた覆面グループと一緒にいたとの認識を示した。これに対して米国務省はイスラエル当局による「過剰な武力行使」の可能性を指摘し、事態を注意深く見守る構えを示している。

一方イスラエル軍は、パレスチナ自治区ガザを実効支配するイスラム組織ハマスへの空爆を強化している。6日には、ハマスがイスラエル側にロケット弾を撃ち込んでいたとみられる拠点を破壊し、武装勢力のメンバー少なくとも8人を殺害したと発表した。http://www.cnn.co.jp/world/35050447.html

以下は、先週の金曜日に大勢の日本人に読まれていた記事。↓
感情的な言葉でイスラエル人だけを上手にののしっているように感じた。
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画面には戦車に踏みにじられた子どもの死体が映っていた

ダイヤモンド・オンライン 10月23日(木)8時0分配信


● 今すぐ行けるならイスラエルに行きたい

世界のどこに行きたいですかと質問されたとき、まずは迷わずにマダガスカルと答える。世界最小のカメレオンやキツネザルを見たい。マダガスカルは鉱物も有名だ。植物相も他の地域とはずいぶん違う。足腰が丈夫なうちに、絶対に一度は行きたい。

次はどこだろう。実はバリ島はまだ行ったことがない。アイスランドにも行ってみたい。中央アジアにも惹かれる。

……などといろいろ考えるけれど、もしも今すぐ行けるのなら、さんざん悩んだ末に、イスラエルと答えると思う。

行きたい国というよりも、今のこの時期だからこそ見たい国だ。なぜこれほどに無慈悲なことができるのか。なぜこれほどに自己中心的に振る舞えるのか。なぜこれほどに残忍なのか。いったいどんな人たちが暮らす国なのか。

でも、もしも行ったとしたら、肩透かしのような感覚を持つことはわかっている。暮らしているのは普通の人たちだ。無慈悲でもなければ自己中心的でもなく、もちろん残忍でもない。何人かは友だちになるだろう。敬虔なユダヤ教徒たち。優しくて穏やかな人たちだ。他人への気遣いも当たり前。

そんな普通の人たちが暮らす国。でも国家は時として、とても無慈悲で自己中心的で残忍な行いをする。それはイスラエルに限ったことではないけれど、でも今のイスラエルは、その傾向があまりにも大きすぎる。あまりにも無慈悲で自己中心的で残忍だ。

イスラエル国防軍のガザ地区への今回の攻撃によって犠牲になったパレスチナ市民の数は、最終的に2000人を超えた。特に子どもたちが多い。明白な戦時国際法違反だ。ところが(アラブ世界を別にして)イスラエルを強く諌める国はほとんどない。

もちろん民間人を標的にするという点では、ハマスのロケット弾攻撃も同じように戦時国際法違反だ。ただしその犠牲はあまりにも不均等だ。イスラエル側の市民の被害はほとんどない。兵器のレベルがまったく違うのだ。
だからやっぱり、テレビのニュースを見ながらもう一度思う。なぜこれほどに無慈悲なことができるのか。なぜこれほどに自己中心的に振る舞えるのか。なぜこれほどに残忍なのか。いったいどんな人たちなのか。でも答えは同じ。実際に会えば普通の人たちだ。だから思考はくるくると回るだけ。

でも回転は時おりスピンオフを起こす。過去の記憶を唐突に再現する。このときに思い浮かべたイメージは、数年前に訪ねたアウシュヴィッツ・ビルケナウ博物館で見た数枚のイラストだ。

● 膨大な被虐の展示にひたすら圧倒された

アウシュヴィッツ・ビルケナウ強制収容所をそのままに残す広大な敷地内を歩きながら、眼にする膨大な被虐の展示に、僕はひたすら圧倒されていた。輸送されてきたユダヤ人たちが手にしていたスーツケースや靴や眼鏡。子どもたちの玩具や服。ガス室に送り込まれる前に切られた女たちの髪。彼らを殺害した毒ガス「チクロンB」が充填されていた空き缶の山。

これらの物量が半端ではない。たとえば女たちの髪は、大きなガラスの向こう側のスペースに堆く積まれている。何千(もしかしたら何万かも)人分のボリュームだ。どこまでも続く鉄条網。毎日のように生体実験がくりかえされた手術室。最後に押し込められたコンクリートのガス室。そして厖大な数の遺体を焼いた焼却炉。

広大な施設内を、歩いたり立ち止まったり見つめたり肩で息をついたりしながら、少しずつ息苦しくなってくる。気がつけば吐息ばかりをついている。ここにあるのは圧倒的な無慈悲さであり、あり得ないほどの不条理だ。

多くのユダヤ人が銃で処刑された「死の壁」では、当時の処刑の様子が、壁に掲示されたイラストで再現されている。収容されていたユダヤ人が監視の目を盗んで描いたスケッチだとの説明が、横に英語で添えられている。たった今銃殺されたユダヤ人の遺体を囲むSSの将校たち。幹部クラスは葉巻を咥えたり笑ったりしている。ガス室送りを意味する指のサインを出している将校のスケッチもあった。その雰囲気がほんとうに憎々しい。まるで悪魔の化身のごとく描かれている。
僕はイラストを凝視し続ける。施設内を歩きながらずっと燻っていた違和感が、ようやく形になりかけていた。これは違う。殺される側のユダヤ人には、SSの将校は悪魔のように見えて当然だ。でもそれは普遍化できない。当時のナチスの軍人たちが皆、血に飢えた残虐な男たちだったわけではない。その多くは家に帰れば、良き夫であり良き息子だったはずだ。アウシュビッツ強制収容所の所長を務めていたルドルフ・ヘスは、子煩悩で妻思いの男だった。本国ドイツから家族を呼び寄せて、収容所内の家で仲睦まじく暮らしていた。でもそこから徒歩で数分の場所にはガス室があって、多くのユダヤ人が毎日悶えながら死んでいた。

ハンナ・アレントが「凡庸な悪」と表現したアドルフ・アイヒマンも含めて、彼らのほとんどは、少なくとも凶暴ではない。残忍でもない。でも彼らによって、多くのユダヤ人が無慈悲に殺されたことも確かだ。

事実と事実が相反する。軋み合う。その狭間で僕は動けない。立ち止まって呻くばかりだ。

● イスラエルへの恨みはアメリカへの憎悪と重複する

第2次世界大戦終了後、明らかになったホロコーストの実態にヨーロッパは震撼し、そして萎縮した。なぜなら(ホロコーストほど大規模で組織的ではないにせよ)ユダヤ人を差別して迫害して殺害してきた歴史は、ヨーロッパ全土(正確にはキリスト教文化圏)も共有しているからだ。

同時にこのとき、世界中に散らばっていたユダヤ人たちは、シオンの丘を目指し始めていた。イスラエルの地(パレスチナ)に自分たちの故郷を再建しようとの運動だ。彼らの多くはホロコーストの被害者遺族だ。家族や友人や知人の誰かが殺されている。だからこそ自衛の意識が強い。自分たちの安全を最優先する。アラブとの共存はできない。そう考えたユダヤ人たちは、イスラエルの地に長く暮らしていたパレスチナの民の土地を、無慈悲な圧力と暴力で奪おうとした。

国連が仲介に入る。でも主要メンバーであるヨーロッパ各国は委縮している。特にイギリスは自らの三枚舌外交によってこの混乱を招いたからこそ、イスラエルの強引な国土建設計画に対して、強い異議を唱えることができない。
こうして4度にわたる中東戦争が起きる。でもアメリカから武器や資金の援助を受けるイスラエルの軍事力は圧倒的だ。戦うたびにアラブは蹴散らされる。イスラエルへの恨みはアメリカへの憎悪と重複する。

故郷を奪われたパレスチナの民は、ヨルダン川西岸とガザ地区に押し込められ、あるいは国外に追い出され、まさしく(かつてのユダヤの民と同じように)流浪の民となった。最も多くのパレスチナ人が流入したのは、イスラエルと国境を接するヨルダンだ。現在では国民の半数以上がパレスチナ人で占められている。

2万人近いパレスチナ避難民たちが暮らすスーフ難民キャンプは、アンマンから車で一時間ほどの距離にあった。設営は第3次中東戦争の翌年である1968年。それから半世紀近くが経った今では、テント暮らしをしている人など一人もいない。ぎっしりと軒を連ねるのは、日干しレンガなどで作られた普通の家だ。

● 「米軍も一人ひとりはいい奴なんだよ」

玄関の扉を開ければ、男たちがぞろぞろと笑顔で中から出てくる。アルヘンリー家の五人兄弟だ。母親と長男のムーサの嫁は出てこない。これはアラブ式。2人は家の奥で料理を作っている。

居間のカーペットの上でお茶を飲みながら、次男のマッハムートの仕事を聞いた。ヨルダンの港町であるアカバからイラクのバグダッドまで、石油をトラックで運んでいるという。運び先は米軍施設だ。これまでにトラックで地雷を2回踏んだ。いずれもトラックは大破したけれど、ラッキーなことに2回ともタンクを空にした帰り道だったので俺は今もここにいる。そう言いながらマッハムートは微笑むが、兄弟たちは笑わない。三男のファラースが、「仕事はなかなか見つからない。だから仕方がないとは思うけれど、マッハムートが米軍のために働くことに、俺たち兄弟は賛成していない」と片言の英語で言った。

「……でもな、米軍も一人ひとりはいい奴なんだよ」
少しだけ間をおいてから、マッハムートがぼそぼそと小声で言う。
「それはわかっている。でもそれとこれは話が別だ」
四男のモアターズがすかさず言い返して、全員が下を向きながら押し黙った。一人ひとりはいい奴。でもそれとこれとは話が別。僕も下を向く。アウシュヴィッツ・ビルケナウ博物館で見た数枚のイラストを思いだしながら。

● アラブの男たちは、客をとことん歓待する

この日の夜は、兄弟たちとキャンプ内の商店街に行った。電気屋に雑貨屋。卵屋に八百屋。家具屋にパン屋。照明はどの店も蛍光灯ではなく白熱灯だ。だから商店街全体がうっすらと赤い。でも路地の奥は暗い。明暗がとてもはっきりしている。何となく夏祭りの縁日のようだ。

カフェではアラブ式コーヒーを飲みながら、カード遊びに興じた。勧められるままに水パイプも吸った。カフェの客はすべて兄弟の顔見知りだ。みな初めて見る日本人に興味津々だ。ババ抜きを教えたら、すっかり夢中になっていた。

カフェを出てから隣の露店で、ほかほかと湯気の立つ揚げたてのソラマメとヒヨコマメのコロッケ(ファラフェル)を、全員で買い食いする。思わず声が出るほど美味い。ビールが飲みたい。空気はカラカラに乾燥しているから、もしも今飲んだら、これまでの生涯で最も美味しいビールになるかもしれない。でもここでは諦めるしかない。

カフェなどの勘定は、すべて長兄のムーサが払っている。コロッケくらいはお礼に奢ろうと思って財布をポケットから取り出そうとしたら、とても強い調子で兄弟たちに押しとどめられた。客に対してアラブの男たちは、とことん歓待する。その客がどんなに豊かな国から来ていても関係ない。

家に戻れば食事の用意ができていた。全員で床に座って食べる。鶏肉のケバブ。パセリやトマトをたっぷり使ったタボーレ。ナスをペースト状にしてスパイスを利かせたモウタベル。他にもたくさん皿が並べられている。

がつがつ食べているそのあいだも、居間の扉は何度も開き、ひっきりなしに兄弟の友人が訪ねてくる。たぶん日本人を見に来たのだろう。そのたびに床から立ち上がって握手をくりかえす。
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● 画面に映る凄惨な光景にモザイクはなかった

食事後に末弟のオマルが、パソコンのハードディスクに保存していた映像を見せてくれた。アルジャジーラで放送された番組らしい。イスラエルの戦車隊で破壊されるガザ地区の街並み。銃撃される子どもたち。地面に転がる家族の焼死体。そんな凄惨な光景が、すべてモザイクなしで放送されていた。

「日本人はパレスチナ問題に関心を持っているのか」
デザートのアイスクリームを手にしながら、マッハムートが訊ねてくる。
「……正直に言えば、関心を持つ人はあまり多くないと思う。もちろん、イスラエルのやり方に違和感を持つ人もいるけれど」
「日本政府は? 」
「複雑だよ。簡単には言えない」
「みんなそう言う」
そう言ってファラースは、しょんぼりと俯いた。
「メディアが何よりも重要だ。でも西側のメディアは、なかなか事実を伝えてくれない」


画面にはイスラエルの戦車に踏みにじられたパレスチナの子どもの死体。立ち尽くす男たち。泣き叫ぶ母親たち。

「……味方をしてくれと言うつもりはない。でも現実を知ってほしい」

オマルが言った。全員が黙り込んだ。僕も何を言えばいいのかわからない。壁の時計を見れば、時刻はそろそろ午前2時。眠る前にシャワーくらいは浴びたいと言えば、任せろとばかりに大きくうなずきながらファラースは小走りに部屋から出て行って、20分後に汗まみれになって戻ってきた。なぜかにこにこと嬉しそうだ。案内されたバスルームは、コンクリート打ちっぱなしの小さな個室だった。バスタブはない。シャワーだけ。湯は出ない。まあそれは当たり前。東南アジアやアラブの住居では、バスタブがあるほうが珍しい。ところがアルヘンリー家のバスルームの床には、10個ほどのプラスティックのバケツが並べられていて、中には熱いお湯がたっぷりと入っていた。

素裸のままでプラスティックのバケツを見下ろしながら、しばらく考えた。バスルームに隣接する台所には、大きな鍋が置かれていた。おそらく日本人は入浴の際にお湯を欲しがると聞いていたファラースが、鍋で沸かした湯を、せっせとバケツに入れてくれたのだろう。

隅に置かれていた石鹸の欠片で頭と体をこすり、バケツ3つ分のお湯で洗い流した。石鹸とファラースの優しさが目にしみる。

● 被虐の意識は連鎖する。報復は続く

翌日は金曜日。イスラムの休日だ。8時ごろに兄弟たちはもぞもぞと起きだした。パイプ椅子を持って路上に出て、往来を眺めながらコーヒーを飲む。通りすがりの男たちが声をかけてくる。夜も朝も、イスラムの男たちはとにかくおしゃべりだ。

コーヒーのお代わりを注いでもらいながら、昨夜、どうしても言いだせなかったことを口にする。

「イスラエル・パレスチナ問題についてだけど、イスラエルを強く支持するアメリカと日本が現状の関係である以上、日本政府はよほどのことがないかぎり、イスラエルを非難しないと思う」

ムーサは静かにうなずいた。その横では椅子に座ったオマルが、じっと路上の一点に視線を落としている。

「仕方がない。日本だけじゃない。多くの国がアメリカを恐れている。でも政府がそうだからといって、国民がそうだとは限らない」

そう言ってからムーサは、そうだろうというように僕の肩を軽く叩く。顔を上げて空に目をやってから、今日も暑くなるなとファラースが言った。
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あれからもう三年が過ぎる。別れ際に兄弟からもらった木彫りの置物(PEACEと彫られている)は、今も玄関の靴箱の上に置いてある。出かけるたびに目にする。そして思いだす。兄弟のことを。そして想像する。ガザ地区の今を。父親や母親を殺されたパレスチナの少年の憎悪を。かつてのアウシュヴィッツ強制収容所で惨殺されたユダヤ人たちの哀しみを。今のイスラエルの人々の恐怖を。差別され、迫害され、殺戮された人たちのことを。

被虐の意識は連鎖する。自衛の意識が高揚する。そして殺し合う。報復は続く。今までも。そしてこれからも。人は愚かだ。善良なままに人を殺す。その連鎖からどうしても逃れられない。
そう思いながら、木彫りの置物を手にする。
PEACE。
これを彫ったのはオマルだった。そのとき思いだした。別れ際にムーサが口にした一言を。

国はバカだ。でもおれたちは国じゃない。おれたちは一人ひとりだ。だからいつかは殺し合いをやめる。平和な世界は夢じゃない。
森 達也