これが日本人 | 日本のお姉さん

これが日本人

御嶽山噴火 娘亡くした父親がジャケット着せた男性に感謝
フジテレビ系(FNN) 10月22日(水)5時5分配信
御嶽山の噴火で亡くなった小学生・長山照利(あかり)ちゃん(11)の父・幸嗣さんが、21日夜、取材に応じ、亡くなる直前、照利ちゃんにジャケットを着せてくれた男性に感謝の気持ちを語った。
幸嗣さんは「あのような状況の中で、照利のために服、ジャンパーを着せていただいたということで、本当に感謝の言葉しかありません」と話した。
グループで登山に訪れて死亡した愛知・豊田市の小学5年生・長山照利ちゃんは、噴火から1週間後、自分のものではない緑色の登山用のジャケットを着て発見されていて、両親が持ち主を探していた。
その後、ジャケットは、噴火で死亡した神奈川・横浜市の会社員・近江屋 洋さん(26)のものであることがわかった。
また、父の幸嗣さんは、「人と人とが、山の上で助け合ったことに救われた思いだ」と語った。
最終更新:10月22日(水)10時26分
http://headlines.yahoo.co.jp/videonews/fnn?a=20141022-00000232-fnn-soci
極限の状態で自分の上着を幼い長山照利(あかり)ちゃん(11)に着せてあげた近江屋洋さん(26)の優しさに心を動かされた。
どちらも亡くなってしまったんですね、、、。残念で恐ろしい事実です。
~~~~~~~~
<御嶽山>女児救おうとしたジャケット 負傷男性も犠牲に
毎日新聞 10月18日(土)8時0分配信
御嶽山(おんたけさん)(長野・岐阜県境、3067メートル)の噴火で亡くなった小学5年の長山照利(あかり)さん(11)=愛知県豊田市=が発見された時に着ていた大人用の登山ジャケットは、同様に犠牲になった会社員、近江屋(おうみや)洋さん(26)=横浜市中区=が、避難のさなかに提供したものだったことが分かった。長野県警が2人と一緒にいた登山者の証言などから確認した。少女を救おうとした緑色のジャケットは、県警から近江屋さんの両親に渡される。
◇「寒い、寒い」「着せてあげて」
関係者によると、9月27日午前11時52分の噴火直後、近江屋さんと長山さん、別の登山者の3人が、噴石と噴煙から逃げるため、頂上付近の岩陰に避難、顔を合わせた。3人はそこで名前を教え合った。岩陰には他にも数人が入れ代わり立ち代わり避難してきたという。
噴煙に覆われて辺りは暗かった。長山さんは「寒い、寒い」と言っていた。近江屋さんは肩を負傷していたが、ザックから登山ジャケットを取り出し、「自分のジャケットを(長山さんに)着せてあげてください」と、もう1人の登山者に手渡した。その時、長山さんは足を負傷しており、近江屋さんが手当てもした。その後、3人は別々に避難を続けた。
「損保ジャパン日本興亜」に勤務する近江屋さんは同僚9人で御嶽山に登り、噴火に巻き込まれた。一ノ池付近で発見され、今月2日に死亡が確認された。
長山さんはグループ17人で登山。噴火前、亡くなった高校3年の伊藤琴美さん(18)=愛知県知立市=らと山頂付近でおにぎりを食べている姿が目撃されていた。山頂で撮影したとみられる長山さんと伊藤さんの2人の写真が残っていた。
長野県警や関係者によると、長山さんはグレーのパーカを着て登山していた。だが、今月4日に二ノ池付近で発見された時は、大人が着る緑色の登山用ジャケットを身につけていた。長山さんのものではなく、県警は所有者不明として保管し、持ち主を捜していた。
長山さんの父幸嗣(こうじ)さん(44)は17日夜、取材に「生きていらっしゃったら直接お礼を言いたかったのに」と残念がり、「誰もが自分を守ることに精いっぱいの状況で、本当にありがたいことです」と、何度も近江屋さんへの感謝の言葉を述べた。
近江屋さんの両親は「長野県警から説明を受けたが、心の整理がつきません」と話した。【水戸健一、巽賢司、中島幸男】
御嶽山噴火:頭部や首に噴石、即死20人…検視の医師
毎日新聞 2014年10月10日 07時31分(最終更新 10月15日 22時36分)
大型ヘリコプターで御嶽山山頂へ向かうも、天候不良のためふもとの松原スポーツ公園に設けられた臨時ヘリポートへ降りてきた自衛隊員=長野県王滝村で2014年10月9日、兵藤公治撮影
御嶽山(長野・岐阜県境、3067メートル)の噴火で犠牲になった55人のうち、20人が頭部や首に噴石が当たって死亡したことが9日、検視に関わった医療関係者への取材で分かった。いずれも即死だったという。
◇撮影し逃げ遅れも
この20人以外の死因は、34人が頭や胸など複数箇所に噴石が当たるなどした外傷性ショック死や多発外傷の疑いという。他の1人は気道熱傷だった。
複数の医師が毎日新聞の取材に応じた。
10人近くの検視を担当した医師によると、7?8割の人が後頭部や背中に致命傷を負っており、噴石から遠ざかろうと逃げたり、地面に伏せたりしていたことをうかがわせる。小石が頭蓋骨(ずがいこつ)を貫通し、頭部に1円玉大の傷が残っていたケースもあった。医師は「たとえヘルメットをかぶっていても助からなかったと思う」と話す。
この医師が検視した犠牲者のほぼ半数が噴火の写真を撮影していた。携帯電話を手に持ったまま亡くなっていた人もいた。噴火4分後の27日午前11時56分に撮影した記録が残るカメラもあった。噴火直後は自分たちが巻き込まれるとは思っていなかった可能性がある。医師は「写真を撮らず早く逃げていてくれれば」と残念がる。
数人を検視した開業医は、頭部に激しい傷を負ったケースが多く、大半が即死状態だったとみられるという。転倒が原因とみられる傷が残っている人も多く、足場の悪い山肌を必死で逃げようとしたと推測される。【春増翔太、松本光樹、深津誠、木村敦彦】