中国の手の内さらした香港デモ-渡辺 利夫
中国の手の内さらした香港デモ
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渡辺 利夫
中国は戦略的国家だといわれ外交巧者だと評されるが、本当にそうか。
周辺諸国に圧力を加えて自己主張を押し通すただの強面(こわもて)に過ぎ
ないのではないか。
国力に対する自己評価があまりに過剰なのである。
周辺地域の自立化要求や民主化要求などは慎重な配慮に値しないといった傲慢さである。
ウイグルやチベットなど国内異民族への対応はもとより、西沙諸島をめぐるベトナムへの、南沙諸島をめぐるフィリピンへの軍事的威圧はほとんど恫喝(どうかつ)である。
≪自由と民主を制約した中国≫
香港で発生した今回のデモは、中国の過剰な自己評価に対する周辺の政治
的反発の図式を絵に描いたように示すものである。
近代史の屈辱を雪(すす)ぐに十分な力を掌中にしたのだから、栄光の過去(大清帝国)を再現するのに何の躊躇(ちゅうちょ)が必要かという情動なのだろう。
「中華民族の偉大なる復興」という習近平氏の繁(しげ)く用いるフレーズの中にその感覚が滲(にじ)み出ている。
長く険しい交渉を経て1997年に英国から中国に特別行政地域として返還されたものが香港である。
返還後、香港のありようは中英合意をもって成立した香港基本法の中に書き込まれた。
返還後の50年間、香港は「一国二制度」の原則の下で英国統治下と同様の資本主義制度を採用し、政治的にも香港住民による香港統治(「港人治港」)をもって自由と民主を守ることが約された。
しかし、中国は香港の自由と民主に制約をかけ続けた。
自由と民主が共産党独裁の中国に拡散し、その政治制度を揺るがせることを恐れたからである。
今回のデモの要因は明白である。
香港の行政長官は、中国の全国人民代表大会(全人代)や政治協商会議の香港代表、各種職能団体の代表からなる選挙委員により選出される制限選挙である。
香港基本法には返還後香港の行政長官は将来、普通選挙によって選ばれると規定されている。
共産党独裁に嫌悪感をもつ香港住民を懐柔して返還をスムーズに実現させようとした中英合意の所産である。
≪反発のきっかけは香港白書≫
この普通選挙がようやく2017年の選挙から実施される旨、今年8月31日、全人代常務委員会による決定として公表された。
一人一票の普通選挙の導入である。
香港民主化の前進と思われようが、内実は選挙委員の過半数の支持を受けるきわめて少数の者しか出馬できない制限選挙であり、民主党派人士が立候補者となる道は事実上閉ざされてしまった。
全人代や政治協商会議の香港代表委員が中国政府の代弁者であることは無論だが、職能団体と称される業界代表者も中国の意向に逆らうことは難しい。
金融や不動産はもとより、ほとんどの業界は中国との連携なしに存続は困難だからである。
香港民主党派や学生の反発は当然であった。
反発行動は香港金融街の占拠であり、事態がかくなることは香港ウオッチャーには十分に知られていた。
今回の香港住民の反発のきっかけは、6月10日に中国国務院(内閣)が「香港白書」を公表し、“香港の高度の政治的自治は香港に固有の権利ではなく、中央指導部の承認を経て初めて行使さるべきものだ”と明確に指摘したことにあった。
白書発表を機に民主党派はこれに対する抗議行動を起こす意志を固めていたのである。
≪しなやかな「有志連合」も≫
中国の香港政策の転換点は、国家安全条例の法制化を香港政府に迫った2003年4月2日の全人代常務委の決定にあった。
香港基本法は“反逆、分裂、反乱扇動、機密窃取、海外政治団体との連携”を禁じていたものの、香港住民の反発を招くこの条例の法制化は、やはり返還を順調に進めるために見送られていた。
当時、香港住民は法制化に激しく抵抗し、デモは返還後香港で最大の50万人規模となった。
この反対運動の高揚を前に香港議会は法制化を断念せざるをえなかった。
民主党派の次の照準は普通選挙制の導入に当てられたが、これが今回挫折に追いこまれたのである。
中国の対応は愚策である。一国二制度とはいうものの、内実はかくあると
いう手の内を内外に開示してしまったからである。習近平氏の台湾統一原
則は香港型の一国二制度である。
サービス貿易協定の締結が台湾の対中傾斜を後戻りできないものにするという危機感が台湾学生の「ひまわり運動」に火をつけた。
実は03年の香港での国家安全条例の法制化は台湾で民進党の陳水扁氏が総統となったことへの牽制(けんせい)だったのである。
周辺地域を力でねじ伏せれば自国の意志を容易に押し付けることができると踏んで事に臨む中国の意図は、その意図に反する抵抗ベクトルを各地で誘発している。
ウイグルやチベット、ベトナム、フィリピン、何より台湾が香港の事態を注意深く見守っている。
周辺地域が中国の強圧に耐えかねて静かに相互連携を開始し、中国の周辺部にしなやかな「有志連合」が形成される可能性がある。
香港の事態は安倍外交とも無縁ではあるまい。
(わたなべ としお)拓殖大学総長・産経【正論】2014.10.9