怒りがすべてのモチベーションだった。怒りがなければ何も成し遂げられなかった
ノーベル賞、勝因は「怒り」=日本企業に苦言も―中村さん
時事通信 10月8日(水)8時45分配信
【サンタバーバラ(米カリフォルニア州)時事】青色発光ダイオード(LED)の開発でノーベル物理学賞の受賞が決まった米カリフォルニア大サンタバーバラ校教授の中村修二さん(60)は7日、同校で記者会見し、「怒りがすべてのモチベーションだった。怒りがなければ何も成し遂げられなかった」と研究生活を振り返った。
会見には各国メディアや大学関係者ら約200人が出席。「研究当初は受賞を予想していたか」との質問に対し、中村さんは「(日亜化学工業の社員時代に)フロリダ大に留学した時は、青色LEDの開発ではなく、博士号を取るのが夢だった」と笑いを誘った。
中村さんが1993年に青色LEDの量産技術を開発したことをきっかけに、各方面でLED実用化に向けた動きが加速。「多くの研究者が加わり、スーパーでもLEDランプが買える時代になった」と誇らしげに語る。LED分野の当面の研究課題として、5割にとどまっている電力から光への変換効率を、6割に向上させることに意欲を見せた。
社員時代は青色LEDの開発に孤軍奮闘。退職後は発明の対価をめぐって日亜化学と裁判で闘った中村さんは、鋭い言葉で日本の研究環境や企業を批判してきた。会見では米国を研究拠点に選んだ理由について「研究者に多くの自由が与えられ、一生懸命やれば、みんなにチャンスがある」と語り、「日本では性別や年齢などの差別により、全員にチャンスがあるわけではない」と残念がった。
さらに「日本では発明は多いが、企業がグローバリゼーション(世界的な拡大)が苦手。携帯電話など最初は良い製品を作っても敗北している」と指摘。「誰もが起業できるよう規制やシステムを見直すべきだ」と日本政府に注文した。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20141008-00000022-jij-soci
赤崎氏が基礎、中村氏実用化=窒化ガリウムの青色LED-ノーベル賞
記者会見で花束を受け取る名城大の赤崎勇教授(右から2人目)=7日夜、名古屋市天白区の同大
発光ダイオード(LED)は、電子が多いn型半導体と電子が抜けた穴が多いp型半導体を接合させて作り、電子が接合部で穴に落ちる際、エネルギーを光として放出する。米イリノイ大のニック・ホロニアック名誉教授が1962年に米ゼネラル・エレクトリック社で赤色のLEDを開発し、続いて黄緑色や黄色もできた。
赤崎、天野、中村氏にノーベル賞=青色LED開発-物理学、日本人6年ぶり
光の波長が短い青色を実現するには、接合部の「落差」が大きく、高いエネルギーを放出させる半導体が必要となる。最初に炭化ケイ素系で青色LEDが開発されたが、暗過ぎたため、セレン化亜鉛系と窒化ガリウム系が候補とされた。
薄膜の単結晶を作るには、結晶構造が似た物質を基板とし、その上に原料ガスを吹き付けて成長させる。窒化ガリウムは良い基板がなく、p型の作製も困難だったため、70年代後半にはセレン化亜鉛の研究開発が主流となった。
しかし、赤崎勇氏は窒化ガリウムの方が放出エネルギーが高く、結晶が安定していて優れていると考え、松下電器産業(現パナソニック)に勤務していた73年、開発に着手した。81年からは名古屋大で大学院生の天野浩氏(現同大教授)らと取り組み、85年にサファイア基板上に緩衝層を低温で作ってから窒化ガリウムの結晶を成長させる方法を開発。89年にはこの結晶にマグネシウムを加え、電子線を照射する方法でp型を作り、n型と接合して青色LEDを実現した。
一方、中村修二氏も88年、日亜化学工業で青色LEDの開発を決意。米フロリダ州立大に1年間留学して「有機金属化学気相成長法(MOCVD)」を習得した。ガスを基板の上と横から吹き付ける「ツーフローMOCVD」装置を開発し、窒化ガリウムの高品質結晶を作製。マグネシウム添加結晶を熱処理してp型も作った。さらに、窒化ガリウムにインジウムを加えた薄膜を発光層とする多重構造の結晶で高輝度の青色LEDを開発し、同社が93年に世界初の製品化を発表した。(2014/10/07-20:11)
http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2014100700892