頂門の一針よりー中共封じ込め着々と(平井 修一) | 日本のお姉さん

頂門の一針よりー中共封じ込め着々と(平井 修一)

中共封じ込め着々と
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平井 修一
アジアにおける最大の危険因子は中共である。
これは世界中での共通認識だろう。
国基研企画委員・太田文雄氏は海自出身で、退官後は防衛大学校教授も務めた文武の方。
以下の氏の論考「中国海軍の弱点を突く自衛隊の役割」(9/22)はとても参考になった。
<9月19日、トシ・ヨシハラ米海軍大学教授の「アジアの海洋における日本の将来の役割」という講演を拝聴した。講演の骨子は
「中国海軍の海洋進出阻止のため、日本は南西諸島沿いに潜水艦の配備、機雷敷設、高速艇によるゲリラ攻撃、そして陸上自衛隊対艦ミサイルの配備を行うことにより、米軍が攻勢作戦をとるまで中国海軍の艦艇を第一列島線内に封じ込めることが中国を相手にした効果的な競争戦略」
とするものである。
中国海軍にとって、南西諸島から台湾、フィリピン、インドネシアに至る第一列島線内に封じ込められるのが最も嫌であることは、陸自対艦ミサイルを南西諸島沿いに配備する計画が報道された今年6月に、中国の外務省をはじめ国防関係シンクタンクがこぞって懸念を表明したことからもうかがえる。
競争戦略とは冷戦時代に考えられた「ソ連の弱点を西側の強点で突く戦略」であり、現在でも米国防総省ネットアセスメント室の対中戦略はこの考え方を踏襲している。
その基本は「孫子の兵法」虚実篇にある「兵の形は実を避けて虚を撃つ」、即ち敵の弱点を我が強点で攻撃する非対称戦である。
中国海軍の弱点は水面下の戦い、即ち対潜水艦戦及び対機雷戦であるのに対し、海上自衛隊は創設以来、両者をお家芸としてきた。
これに加えて海自のミサイル艇隊や陸自が開発した対艦ミサイルを南西諸島沿いに配備することで、相乗効果が期待できる。
ただし、第2次世界大戦中の1944年前後、帝国海軍の及川古志郎海上護衛
司令長官も、米海軍の東シナ海侵入を阻止するため同様の機雷敷設を構想
したが、帝国海軍ですら所望の機雷を確保することができなかったので、
沖縄本島・宮古島間のような幅広い海域は潜水艦で対処する等、有効な組み合わせが必要となってくるであろう>(以上)
読売の報道によると、日中間の偶発的な軍事衝突を避けるための防衛当局間のホットライン「海上連絡メカニズム」作りに向けた協議が、年内に再開される方向となった。「ただ、中国の本気度を疑問視する声も強く、実際の運用開始にはなお曲折が予想される」とある。
習近平は戦争をしたいのだから「海上連絡メカニズム」が機能するかどうかはすこぶる不明だ。力で抑えるしかない。
朝雲9/25は「アジア地域の安定は、軍事的な支援は米国、警察的な協力は日本という役割分担で」と以下のように紹介している。
<陸上自衛隊は今秋、歴代の陸上幕僚長として初めて岩田清文陸幕長がフィリピンを訪問したのに続き、現在は災害救援などを目的とした米比共同訓練にオブザーバーとして参加している。
地域の安定化を目的に、これまで日本は、ベトナムやインドネシアに対し、巡視船艇を供与するなど海洋警察力の能力向上に取り組んできた。
軍事的な支援は米国、警察的な協力は日本という役割分担でもある。
それらは、南シナ海における紛争予防が主な目的だったが、今回、陸自が人道支援や災害救援の分野で、本格的に能力構築支援(キャパシティー・ビルディング)に乗り出すことは、日本が担える協力の幅を広げる意味からも歓迎したい。
そうした取り組みの背景には、米国の相対的な衰退という現実がある。
今春、オバマ大統領のアジア歴訪直後に、南シナ海で中国がベトナムやフィリピンを挑発したことに象徴されるように、残念ながら米国だけで中国を抑止することなどできない。
日米、そしてアジア太平洋の国々が連携して、中国に好ましくない行動を自制させられるか――。
それが年末に控える「日米防衛協力のための指針」、いわゆるガイドラインを見直す最大の目的だ。
決して中国が喜ぶ“力の空白”をつくってはならない。
日本が南シナ海の安定にどれだけ貢献できるのか。
それが、東シナ海で中国の脅威と向き合う日本の安全に直結していることを、忘れてはならない>(以上)
ガイドラインの見直しでも中共べったりの公明党は足を引っ張るはずだ。
平和を唱えて危機に備えぬ獅子身中の虫を追放しないとろくなことにはならない。
公明党に仏罰を。これも国防上の課題である。(2014/10/2)

ISIL究極の戦争目的は何なのか?
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「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」
平成26年(2014)9月30日(火曜日)
通巻第4350号
終着駅が見えないイスラム過激派とのテロ戦争
ISIL(イスラム国)の究極の戦争目的は何なのか?
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イラクの政治的統治はもはや絶望的になった。
オバマ大統領がペンタゴンの反対を押し切っての時期尚早の撤兵は、いずれ後世の歴史家から厳しく批判されることになるだろう。
6月に米国はマリキ前政権を見限った。
米国傀儡といわれたマリキ政権はむしろ、イランに接近し、シーア派を重視してスンニ派を弾圧したからだ。スンニ派は不満を高めていた。
6月にもケリー国務長官がバグダット入りし、同時期にイラク防衛のためにオバマは特殊部隊を送った。だがイラク政府軍の士気は滅法低く、敗色が濃くなって、あろうことか、北西部油田地帯から逃亡を始める。
ISIL(「イラクとレパントのイスラム圏」)は拠点のシリアから南下し、たちまちのうちにモスル、キルキーク、チクリット、ファルジャなどを軍事静圧した。
このときISILは、米軍から大量に支給されていたイラク軍の武器庫を急襲し、最新兵器多数を奪って武装を強化した。
同時に逼塞していた旧バース党員(サダムフセインの残党)が反政府勢力に加わった。
外国企業のイラク撤退が開始された。欧米石油エンジニアが油田から去った。
どこにでもいる中国企業とて比較的安全と云われたイラク南部の油田から石油エンジニアの引き上げを開始した。
間隙を縫ってISILは盗んで油田から石油生産を続行し、廉価で原油の密輸出を始めた。
イランは精鋭の「革命防衛隊」をイラクへ派遣すると言いだし、バグダット政権は志願兵をカネで集めた。
しかし志願兵はプロの軍人でもなく、訓練不足。そのうえ武器不足である。
ISIS(イラク・レパントのイスラム圏)はシリアに投入していた外人部隊をイラクへ転戦させ、大攻勢をかける構えを崩さなかった。
バグダット侵攻が目前だった。
クルドならびにヤジド族への血の弾圧、粛正が始まり、捕虜とした女性を性奴隷に、男達はつぎつぎと虐殺した。13万人ほどがトルコへ逃げた。
彼らは正統カリフ国家を僭称し、イスラム法を勝手に解釈して、敵と思われる勢力、宗派の抹殺を図る。キリスト教徒への迫害も凄まじい。
ついには米英のジャーナリストを処刑し、その残忍な場面をネットに流した。
このため欧米は激怒、オバマ政権は空爆を決める。
欧米の世論が一夜にして変わったのは、このジャーナリスト処刑である。
つまり、欧米キリスト教世界に、かれらは残忍さを見せつけ、喧嘩をうった。
どのような勝算があるのか、一説に欧米を巻き込んで中東を流血の巷と化かし、毛沢東の展開した持久戦にもちこむ戦略の行使とみることができる。
▼F22ラプター、シリアのISIS拠点攻撃に初登場
シリア領内にあるISILはこの頃から単にIS(「イスラム国」)と呼ばれるようになり、外国人傭兵多数が加わっていることが判明した。
CIAは多くみつもって3万人のメンバーと推測していることが分かった。
9月22日、イラクのみならずシリアへ米国主導の空爆が行われ、「テロリストの本部、軍事訓練場、武器庫、食糧倉庫、財務本部、宿舎などを空爆とミサイルで破壊した」(米中央軍発表)。
空爆はF22,B1、F16,F18のそれぞれ爆撃機が勢揃いした。また洋上から多数のトマホークミサイルが発射された。
オバマ大統領の決断は9月10日だった。
空爆の実現までに随分と時間が必要だったのは周辺国の同意、賛意、あるいはこの空爆への協力である。
国の発表に従えば、空爆にはサウジアラビア、ヨルダン、カタール、バー
レン、UAE(アラブ首長国連邦)が加わり、シリアのアサド政権には事前に通告したと一部メディアがつたえた。
アサドにとっては干天の慈雨のごとき、朗報である。
「中東の異端児」といわれるカタールが有志連合に加わったのは意外だった。
カタールはアルジャジーラの拠点でもあり、産油国で唯一リベラルは政策を掲げるため周辺国と対立してきたのである。
▼イランとトルコの反応
一方でイランからの敵対的な声明もなく、シリア政府は沈黙を続けたままである。
トルコは首相が記者会見したものの、米国とアラブ諸国との協調にはノーコメント、まだトルコ政府そのものは態度を鮮明にしなかった。
トルコにはすでに百万人に及ぼうとするシリアからの難民と、国境にはイラクとの境界線も曖昧なゲリラ地区を抱えており、次の対策の方向性が見えていない。
オスマン・トルコ帝国の復活の夢は遠のいた。
ともかく空爆は、これからの永い対テロ戦争の「はじまり」でしかなく、近未来にかけてISILとの戦闘は長期化する畏れがある。
米国は地上部隊をいつ導入するかという議論になる可能性が高い。
オバマは国連で支持を広げ、国際社会の理解を得たい姿勢にある。
意外にロシアも中国も現在沈黙を守っている。
かわりに豪、フランス、ベルギー、北欧諸国が空爆への参加、すくなくとも武器供与を申し出た。
イラクの構造を複雑に図式化してみせたのはTIME(14年6月30日号)だった。
それによれば次のような複雑な背後関係がある。
第一に米国とイランは対立するのにイラク政府防衛では利害が一致している。
第二にシリアのアサドを支持しているのはイランとイラクとシーア派の武装組織であり、そのイランを封じ込めているのが米国と湾岸諸国という錯綜した構図がある。
第三にアサド政権を守ろうというのは湾岸諸国とスンニ派武装組織。
シリアに協調的なのがトルコとクルド族で、これら複雑にして輻輳した利害関
係が絡み合いながらもISISを駆逐するために共同戦線を張ろうとしているのが米国、イラン、イラク政府とクルドという「野合」の状況が生まれた。
アルカィーダから分派して結成されたのが、このISIL(イスラム国)だが、ほかにアルカィーダ直系とみなされる「ホラサン」が注目をあつめる。
ホラサンは特殊爆弾を使う個人テロが得意であり、残虐さにおいてイスラム国に引きを取らない。そして、このテロリスト集団は、世界各地に戦士を補充するリクルート作戦に乗り出したのである。
▼インドのハイテクシティ「ハイダラバード」からも「イスラム国」に
習近平(中国国家主席)がインドを訪問し、モディ首相と会談した。
総計2兆円にものぼる新規投資をぶち挙げ、「本当か?」と首をかしげた読者
も多いだろう。
これは表層のイベントであり、習近平がインドに持ちかけた主題は、じつのところ、SCO(上海協力機構)への正式メンバーの要請だった。
中国は「テロの戦い」を宣言した欧米の姿勢をむしろ評価し、「テロ対策に二重基準はあったはならない」(たとえば王毅外相の国連演説、9月27日)などとして、新彊ウィグル自治区での独立運動家弾圧を「テロリスト」対策と偽って正当化しようとしているのだ。
さて問題はインドのハイテクシティにおける異変である。
シリアとイラク北東に盤踞する過激派「イスラム国」(ISIS)は、いまや2万から3万のメンバーで、このうち6000名から7000名が外人部隊。
それも西欧の白人が戦闘員に混ざり、気勢を挙げている。
「イスラム国」は世界各国にリクルート部隊を派遣し、若者を洗脳し、兵隊要員として次々と雇用しているが、警備当局は警戒を強め、先頃もインドネシアで四名、豪で15名を拘束した。
インドにもイスラム国に魔手が延びていたのだ。
インドが衝撃を受けたのは、イスラム教の狂信者は措くにしても、ハイダラバードから、若者が十数名、イスラム国にリクルートされ、出国寸前だったことだ。
ハイダラバードは「インドのシリコンバレー」といわれるバンガロールと並び、IT,コンピュータ、ソフトなどを開発する先端技術が集約した工業都市、技術大学も林立するうえ、たとえばマイクロソフトのCEOにビルゲーツから指名されたのは、このハイダラバード出身のインド人だった。
インドが恐れるのは、こうした理工系の優秀な若者が、しかもヒンズーの強い町で、なぜかくも簡単に敵対宗教の過激派の武装要員にリクルートされてしまうのか、という恐るべき現実なのである。
かつて日本の某新興カルトに集まったのも理工系、化学などの専門知識をもった若者であり、その洗脳が深ければ深いほど狂信的ドグマから抜け出すのは容易ではない。
▼パキスタンにも異変
パキスタンのムスリムの精神的指導者アジス師が最近、「『イスラム国』を支持する」と発表した。これは衝撃的な事件である。
ISIL(イスラム国)は、イラクがかたづけば、次の攻撃目標は中国である、と聖戦の継続と拡大を宣言しており、この動きに神経をとがらせる北京はアジス師の動向監視をパキスタン政府に要請した。
ホラサンは、中国ばかりか世界を相手にテロ戦争をつづけると言っている。
2014年8月23日、中国は昨秋の北京天安門炎上テロ事件の関係者、8人をテロリストとして処刑した。全員がウィグル人だった。
同日、湖南省南部にあるカルト集団「全能神」本部を手入れし、信者1000人を「カルトの狂信者」だとして、拘束したことも発表した
ISILはすでに中国に触手を伸ばしておりウィグル人のイスラム教徒過激派多数が軍事訓練に参加している。
ISILにはウィグル人多数が加盟しているとされる。
北京にとってはやっかいな問題が再浮上した。
ISILは当初「イラクとレパントのイスラム圏」と訳されていたが、最近のマスコミは、このテロ組織を「イスラム過激派」とか「イスラム国」という訳語を当てている。
7月に記者会見したISIL指導者は15分にわたる演説で「ISILは北アフリカからスペイン、東は中央アジア、パキスタン、アフガニスタン、インド。そして最終最大の目標は中国である」と述べた。
こうなるとレパント(地中海沿岸)の範囲を超える。
華字紙の「多維新聞網」(8月16日)は、このイスラム過激派の膨張目的を「危険の弧」と命名した。
事実、アフガニスタンのアルカィーダ秘密基地で軍事訓練を受けていたウィグル人は、1000人とされ、米軍の攻撃でグアンタナム基地に数十人が拘束され、うち何人かはアルカィーダと無関係とわかってアルバニア、ポリネシア諸国が身柄を引き取った。
中国は執拗に身柄の引き渡しを要求している。
▼そしてクルド族の独立が射程に入った
周辺国にあって大国はトルコである。
「オスマン・トルコ帝国」の復活を目指すかのようなエルドアンは「(自らの大統領選の)勝敗の決め手はクルド族との和解にあり、クルドの支持を得られるだろう」とした。
エルドアン・トルコ大統領は「クルド族が『独立』の住民投票を行うことに反対しない」と従来の政策を転換した。
こうした動きを背景にしてクルド自治区のマスード・バルザニ(自治政府議長)が記者会見し、「数ヶ月以内に住民投票を実施して独立を問う」と豪語した。
かくて中東は大混乱、
空爆を奇貨とするのはクルド族にみならず、イスラエルとシリアのアサド政権が欧米のシリア空爆に裨益したように、クルド独立には、こんなチャンスは2度とないだろう。
バルザニは、「もちろん選挙管理委員会を組織化することから着手するので実際の投票実施までに数ヶ月の時間を要するが」と日程を明示することは避けた。

もっとややこしいのは、クルド独立をイスラエルが賛成していることだ。
クルドの独立を脅威視してきたイラクは「独立をめぐる住民投票は地域の不安定化につながるうえ、トルコ国内も不安定となる要素が大きく、究極的にはイスラエルを利するだけだ」と強く非難するが、国際世論もクルド独立に同調的である。
クルド族は推定人口1500万人。イラク、トルコ、イランの山岳地帯に住んでいるが、ながらくこれら三国が反対してきたため、独立は叶わなかった。
アラブ人と人種が完全に異なるゆえに自治区を形成してきたが、突如、ISISの跳梁跋扈でイラクが無政府状態となるや、クルドは電光石火の作戦でバイハッサンとキルクークの二つの油田を制圧した。

両方で日量40万バーレルの石油が生産され、独立した場合の歳入が確保される。
ところで「中東の暴れん坊」だったイランとて、西側の政策が長引いて、宗教革命とかいう全体主義の体制は、第2世代に移行した。
まさに中国の太子党に酷似する。
だから中国の奥の院で「共青団」vs「太子党」の権力闘争があるようにイランでもいま、おなじ対立が先鋭化している。
しかし、近代化を急いだパーレビを打倒したイスラム革命の背後には欧米の工作があり、フランスはホメイニ師を匿っていた。
イスラム革命が成功すると、旧権力者と軍幹部を根こそぎ処刑し、宗教警察という秘密警察を敷いて国民を監視し、身動きのできない全体主義国家に陥れ、あげくに彼らは暴走して米国大使館を占拠した。
のちに大統領となるアハマドネジャットは、当時、その暴走組の一人だったという。
イランが暴れては困るし、過激派の跳梁跋扈はおっかない。
だからサウジなど王政の産油国は恐怖のあまり、米国の兵器にたよる。
大きく歴史の展望を広げて植民地時代の原理原則を振り返れば、アジア各地で英国が何をしたか?
ミャンマー国王夫妻をインドへ強制移住させ、王女はインド兵にあたえ、王子たちは処刑した。
旧ビルマから王制は消えた。
そのうえでムスリム(イスラム教徒)を60万人、ミャンマーへ移住させて、仏教の国と対立するイスラムを入れ、北部のマンダレーには大量の華僑をいれ、少数民族を山からおろしてキリスト教徒に回収させ、要するに民族対立を常態化させて植民地支配を円滑化したのだ。
ベトナムでフランスが同じ事をやり、インドネシアでオランダがそれを真似、インドにも英国は民族の永続的対立の種をまいた。
つまり言語と宗教の対立をさらに根深いものとして意図的に残し、あるいは強化し、インド支配を永続化させようと狙った。
インドの紙幣には十五もの言語の表現があり、統一のインド語のかわりに英語が共通語となった。
アルカイィーダというテロリストのお化けはなぜ生まれ、その亜流がもっと過激なテロ活動を続けているのか?
冷戦時代のソ連のアフガニスタン侵攻で、ムジャヒデンという武装ゲリラの武器援助を続けたのは欧米、とくに米国だった。
パキスタンを経由してステンガー・ミサイルなどの高度な武器が供与され、結果、ソ連の武装ヘリは追撃された。
やがてソ連軍は去り、かわってアフガニスタンを支配していたタリバンは、アルカィーダの秘密軍事基地を提供し、テロリストが世界に輸出された。
タンザニアなどの米大使館がかれらに攻撃を受け、クリントン時代の米国はアフガニスタンのタリバン基地に50発のトマホークミサイルをお見舞いした。
かれらはしかし生き残り2001年9月11日、NY貿易センタービルを破壊した。
この結果、ブッシュ・ジュニア時代に『対テロ戦争』が開始され、イラクへ、アフガニスタンへ大量の兵士と武器が送られた。
政権がオバマになるや、イラクから撤退し、アフガニスタンからも逃げる準備ができた。
こうした状況に過激派アルカイィーダは世界の主要拠点を築いて外国人戦闘員も養成し、そのアルカィーダ残党から分派してできたのが『イスラム国』(もとはISIL<イラクとレパントノイスラム圏>と名乗った)である。
彼らは混乱するシリアに拠点を構築し、銀行強盗、誘拐身代金強奪など残虐さと荒っぽさでたちまちにして肥大化した。
フランケンシュタインのようなイスラム過激派のお化けを産んだのは、結局のところ、英国などの植民地支配の残滓、米国の無邪気ともいえる介入と無惨な敗退ではないか。
しかし、もっと大局的な文明観にたてば、欧米はキリスト教文明圏であり、イスラム文明圏が結束して対抗する勢力となることを警戒するのだ。
したがってシリアなども、イラクがそうであったように欧米が軍事介入すればするほどに紛争が悪質化するのだが、イスラム全体がまとまらず、恒常的に内訌と紛争を繰り返せば、それは欧米に裨益するからではないのか。
だからこそNATOの一員ではあってもEUからはじかれるイスラム世俗国家のトルコは産油国が加わっての「有志連合」の空爆には関与せず、シーア派のイランは形式的に空爆を非難した。
チェチェンなどイスラム過激派との内戦に痛い目にあっているロシアは当初静観し、中国も知らぬが仏という態度だったが、裏面では紛争地域にも鵺的に武器供与を続けて死の商人ぶりを発揮している。
「イスラム国」にとって米国はサターンだが、チェチェンを弾圧したロシアも敵であり、またイスラム同胞を弾圧し続ける中国の新彊ウィグル自治区のムスリムには深い同情を抱いており、いずれ彼らは攻撃目標に中国を加えるであろう。
かくして世界的規模の戦争がおこる蓋然性は高まった。
石油価格は高騰しつづけ、産油国もまた欧米側に付かざるを得なくなった。
樋泉克夫のコラム
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【知道中国 1132回】
「実に多くの点において物を糊塗することの巧みなる・・・」(宇野17)
『支那文明記』(宇野哲人 大正7年 大同館書店)
「幾度か床蟲に夢を破られ」る一方、時に「雨で道路は泥濘車輪の半ばを没」し、「馬の行きなやむこと甚し」というから、さぞや悪戦苦闘の旅だったに違いない。
やがて孟津。殷の紂王を征した武王以来、幾多の英雄が勝利の戦に向かい、時に敗残の兵を率いて壊走しつつ、通り過ぎて行った黄河の渡しである。
宇野の目は、渡し場に張り出された黄河の渡河料金表に注がれた。荷馬車、家畜、轎など細かく示されているが、一番安いのが通行人で1人は「二十文」、一番高いのが「霊柩一千文」。その差は500倍。なぜ、「霊柩」が河を渡るのか。
かつて出稼ぎ先で死んだ場合、亡骸は棺に納められ、故郷に送り届けられていた。異郷の土にはなりたくない。故郷の母なる土に還ってこそ人生は全うされると考えられていたのだ。
「入土為安(故郷の土に還ってこそ心安らかなれ)」である。そこで運柩とも運棺とも呼ばれる専門ビジネス、今風に表現するなら棺の宅急便業者のネットワークが張り巡らされていた。つまり運柩が日常化していたからこその「霊柩一千文」である。
死者は生者の500倍という料金設定が高いか安いかは別に、時に棺の渡河料金を払えない事態も発生し、かくて棺を置いたまま遁走する業者もあったらしい。
引き取り手もないままに、2年、3年と渡し場で風雨に晒されたら、如何に頑丈な棺でも壊れる。壊れたらどうなるか。おそらく宇野も、旅のどこかで、壊れた棺と変わり果てた死骸――凄惨としか形容しようのない情景を目にしたことだろう。
無事に黄河を渡った先に洛陽の街はあった。
宿に入る。宇野を案内した下級兵士が寺社の案内料金として1500文を渡してくれと求める。だが、寺社の入場料金は650文ということだから、この兵士は、案内を機に850文(=1500-650)を懐に入れようとした。
事情を知った後、宇野は「支那人氣質はこの一端にも現はれ面白し。(河南一帯の人々の)人氣は外人を欺負すること甚しく、北京に比して更に狡詐なることを覺ゆ」と。
洛陽では朱子などを祀った祠堂を訪ねるが、「祠前は或は耕されて畑となり、或は草茫々たり、甚しきは祠堂内に藁を貯へ、其傍は尿女溺の惡臭紛々たり」。
時には篤志家が祠堂の修復を試みただろうが、この惨状を前に「無學無恥の徒、神靈を犯し、靈域を汚すこと如斯、眞に度し難きものと云わねばならぬ」と怒気を強める。宇野と旅を共にする桑原も、「(祠堂の所領は)民人に占侵せられ、塵埃堆積、門扇傾覆、春秋の祭典は、全く没精神・無意味にして」と記している。
往昔の大賢人を祀る祠堂も、この始末。全くもって処置ナシ。情けなさを通り越して、呆れ果てるばかりのバチ当たり達であることだけは確かだ。
確かに中国本土のみならず、台湾、香港、マカオ、はては東南アジア各地のチャイナタウンを訪ねて驚くことは、寺社廟の呆れ返るくらいの汚らしさ。あの汚さに平然としている彼らに、果たして信仰心はあるのか。大いに首を傾げざるを得ない・・・あるわけないとは、思いますが。
やがて洛陽を発し、さらに西に進む。「途上2人の西洋人に逢ふ。これは此地方に居る宣教師である」。問題は、この西洋人だ。なんでも「數日前一の西洋人あり片言隻語の中國語に通ぜず、何故ありてか其の僕を撲殺し」てしまった。
その西洋人が宣教師であったかどうかは別に、宇野は西洋人を指して、「彼等が眼中人なく、亂暴を極むること最も憎むべし。支那人が洋鬼と稱し慊惡するも尤もである」と。
さらに西へ。臭蟲の襲来はことのほか激しく、前夜は「殆ど一睡も成し難かつたから疲勞甚しく馬上に眠」る始末。それにしても西洋人といい臭蟲といい・・・迷惑千万。《QED》