噴火7分前、山体の膨張を観測 気象庁、予知は困難か | 日本のお姉さん

噴火7分前、山体の膨張を観測 気象庁、予知は困難か

予知できないこともあるんだ。山に登るときは外国に行くような気持ちで遺書を書いて家を出るしかない。

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噴火7分前、山体の膨張を観測 気象庁、予知は困難か
朝日新聞デジタル 9月29日(月)10時27分配信
御嶽山に設置された傾斜計の観測データ。上の線が南北方向、下の線が東西方向の傾きを示す。27日午前11時45分から山頂のある北西側が高くなりはじめ、噴火時刻の同52分から沈下に転じた(気象庁の資料から)
御嶽山の噴火が始まる約7分前に山体がわずかに膨らむ変化が観測されていたことが分かった。28日に開かれた気象庁の火山噴火予知連絡会(会長・藤井敏嗣東京大名誉教授)の拡大幹事会で報告された。噴火直前のごく小規模な変化だったため、予知につなげるのは難しかったとみられる。
気象庁によると、山体の変化を観測したのは、山頂の南東3キロに設置した、地面の傾きを精密に測ることができる傾斜計という装置。噴火前の27日午前11時45分から山体が膨らみ始め、7分後の52分には沈下に転じていた。膨らんだ状態が沈んだ状態に変わった52分に噴火が始まったとみている。
噴火直前にはこのほかに、11時41分から火山性微動が発生している。ただ、頂上付近の火山性地震は9月上旬にいったん増えた後減少し、マグマの上昇を示すような山体の大きな膨らみも観測されなかったため、北川貞之火山課長は「前兆をとらえ予知するのは難しかった」と説明している。予知連も今回の噴火を「突発的に起こることが多く、予知は非常に難しい」(藤井会長)とされる水蒸気噴火と認定している。(北林晃治)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140929-00000015-asahi-soci
「頑張れ、頑張れ」心臓マッサージ実らず 友人残し無念の下山…御嶽山噴火
スポーツ報知 9月29日(月)7時5分配信
長野県と岐阜県にまたがる御嶽山(おんたけさん、3067メートル)の27日の噴火で、長野県警は28日、登山者ら31人が山頂付近で心肺停止になっているのを確認し、うち麓に搬送した男性4人の死亡を確認した。噴火は、1991年に43人が犠牲になった長崎県の雲仙・普賢岳噴火以来の惨事となった。けが人は少なくとも40人。有毒ガスが発生し、午後2時ごろ救助活動は打ち切られた。被災した登山者は、山小屋で一夜を明かすなどして下山し、過酷な体験と噴煙の恐怖を振り返った。
御嶽山の噴火で下山してきた被災登山者は、過酷な体験を振り返った。
茨城県ひたちなか市の鈴木貴浩さん(35)は、心臓が止まった友人を、やむなく山に残してきた。噴火時、山頂付近で突然、空が真っ暗になったという。同行の友人のうち、大学時代の後輩女性(35)が倒れ、意識がなくなった。噴石が当たった脚が不自然に折れ曲がり、大量出血していた。
山小屋は見えていたが、運べなかった。止血し、心臓マッサージしながら「頑張れ」と必死に繰り返したが、鼓動が止まってしまったのが分かった。悲痛な思いで女性を残し、下山した。
鈴木さんは安否不明者の家族らが待機する長野県木曽町役場の部屋で「できることはしたが…。搬送されることを願っています。確かめるまで帰れない」と涙をこらえた。
千葉県松戸市の主婦(69)は、魔法瓶が頭を守ってくれたという。噴火時は山頂付近。灰をかぶり倒れてきた人の重みで身動きが取れない。頭上にかざしたザック越しに、降ってくる岩の衝撃が伝わった。「後で中を見ると魔法瓶が割れていた。命を守ってくれた」
周りで数人が灰に埋もれていた。死の恐怖がよぎった。血を流す人を近くの社務所に運んだ。しばらく「痛い、痛い」とうめいていたが、やがて動かなくなった。噴煙が収まると、辺り一面に積もった灰の中からザックやストックの一部がのぞいていた。一緒にいた栃木県日光市の主婦(65)は「人が埋まっているんだろうけど、逃げるように離れてしまった」とつぶやいた。
木曽町の三岳交流促進センターでは40人が27日夜、大広場で雑魚寝した。山頂付近で被災した愛知県豊川市の男性会社員(52)は「ほとんど寝ていない。周囲に火山灰に埋まった人がたくさんいたのに助けられなかったので…」と目を伏せた。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140929-00000072-sph-soci
爆音、噴煙、人が埋もれた 下山者、ザックに命救われる
朝日新聞デジタル 9月28日(日)16時22分配信
御嶽山の山頂付近に集まった救助隊=28日午後1時50分、朝日新聞社ヘリから、堀英治撮影
「うつぶせのまま噴煙をかぶって埋もれていく人が3人はいた」
噴火当時、御嶽山の山頂付近にいて28日午前に岐阜県下呂市に下山した女性3人が報道陣の取材に応じ、噴火当時の様子を生々しく語った。
千葉県松戸市の69歳と73歳と、栃木県日光市の65歳で、いずれも主婦。3人で登っていた。
山頂の剣ケ峰。御嶽神社の社務所の裏で、昼食を食べようとザックを下ろした時だった。「すごい爆音が聞こえて、見たら噴煙が上がっていた」
うち2人は、社務所のひさしの下に頭を入れて逃げ込み、「命拾いした」。岩が落ちてくる。「肩や頭をけがした人たちがいた。うつぶせのままちぢこまり、灰に埋もれていく人が数えただけで3人はいた」
辺りは一時、噴煙で真っ暗になった。足元に灰が積もり、「これで熱くなったら、死んじゃうんだろうな」と思った。しばらくすると明るくなり、順に抜け出したが、体が埋まってリュックやストックだけしか見えず、動かない人もいたという。
残る1人(69)はひさしの下に入れず、並んだ仏像の横に座った。ザックで頭を覆い、落ちてくる石を防いだ。「後で見ると、中に入っていた金属製の水筒がぺちゃんこになっていた。このザックが私の命を守ってくれた」
ひざから下が火山灰に埋まった。その足元に、絶命したようにみえる人が2人いた。「その人たちの重みで私の足は上がらなかった。一緒の2人が私の足をかき出してくれて抜け出せた」
男性が社務所のガラスを割り、「中に入れ、入れ」と言ってくれた。社務所の中には、背中を打って横たわっていた人がいたという。「最初は『痛い、痛い』と言っていたが、30分ぐらいしたら動かなくなってしまった」
山小屋の人から、下山を勧められ、「けがしている人たちを見捨ててくるようで……」と後ろ髪をひかれながら「火山灰の中を雪山を滑り降りるように下山を続けた」という。27日は「五の池小屋」で一夜を明かした。まきストーブもあり、食事もけがの手当てもしていたという。「布団で寝られた。ほっとした」と振り返った。
「幸運にも社務所の横にいて最初に逃げ込めたから助かった。目の前で亡くなった方がたくさんいた。早く家族の元に帰れることを祈っています」と話した。(豊平森、斉藤太郎)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140928-00000025-asahi-soci
御嶽山噴火 「ドカン」巨石の雨 軽トラ大…「もうダメだ」
産経新聞 9月28日(日)7時55分配信
頂上付近から命からがら下山したという小川さゆりさん。ザックやジャケットなどは灰まみれに=27日午後、長野県木曽町 (早坂洋祐撮影)(写真:産経新聞)
立ち上った噴煙は、大勢の登山客らをのみ込み、麓に至る山肌を真っ白な灰で染めた。27日昼前に突然噴火した長野、岐阜両県にまたがる御嶽山(おんたけさん)。紅葉狩りを楽しむ山頂付近の登山客らの頭上に巨大な石が降り注ぎ、楽しいはずの行程はパニックに変わった。「生きて帰れないと思った」。生還者は恐怖の一部始終を語った。山小屋には多くの登山客が避難し、一様に不安そうな表情を浮かべた。
「本当に生きた心地がしなかった」。御嶽山が噴火した際に山頂付近にいた長野県飯島町の山岳ガイド、小川さゆりさん(43)は、興奮した様子で当時を振り返った。
午前11時40分ごろ山頂に到達し、火口を回る「おはち巡り」をしていたところ、突然「ドカン」と大きな音がした。驚いて音がした方向を見ると、石を空中に飛ばしながら、一気に煙が噴き出していた。まもなく強い硫黄臭が漂い、嘔吐(おうと)する登山客もいた。
火山灰とともに、周囲に直径1メートルぐらいの大きさの石が飛んできたため、急いで岩陰に隠れた。まもなく、もう一度「ドカン」という音が鳴り、今度は軽トラック大の石が飛んでくるようになった。巨大な石は地面にぶつかって割れ、破片が四方八方に飛び散った。黒い雨が降り始め、雷のような音も鳴ったという。灰はひざ上まで積もった。「もうダメだ」。そう思った。
噴火当時、山頂には50人ぐらいの登山客がおり、女性4人組のグループの1人は、飛んできた石が左足に当たり、骨折してパニックになっていた。「救助してあげたかったが、どうにもできなかった」
噴火の勢いが一時的に弱まったすきに、普段通らないルートをまっすぐ突っ切り、一目散に走って9合目にある石室山荘まで下りて助けを求めた。「もう、生きて帰れないと思ったけど、なんとか生還することができた」
横浜市から来た会社員の男性(61)は妻(58)と9・5合目付近で昼食を終え、山頂を目指そうとした矢先に噴火が起きた。「ドーンという音がして入道雲のような煙が上がった。1分もたたないうちに周りが真っ暗になり、何も見えなくなった」
噴煙で辺りが真っ暗になり軽石のようなものが降ってきた。初めは熱くなかったが、次第に熱く感じるようになった。山肌が破裂するような「パン、パン」という音も聞こえたという。
「体を伏せろ」「口をふさげ」。そんな声が聞こえ、岩のそばに頭を抱え込むようにして身をかがめ、タオルを口にあてた。
周辺にいた人が「焦らないでゆっくり下りて」と言ったのを機に、妻を先に下山させ、後から下りようと思ったが視界はわずか30センチほどしかない。小さなライトは持っていたが役に立たなかった。山道の道幅を示すロープを頼りに足場を確認しながらゆっくりと下り、たどり着いた9・5合目の山小屋で妻と再会できた。真っ暗な中を30分以上1人でさまよい「このままもう会えないかもしれないと覚悟した」と話した。
■「灰色の壁」 視界奪われ
滋賀県長浜市から単独登山していた竹内裕一さん(30)は噴火時、山頂まで400メートルほどの地点にいた。登山道には登山者の列が連なっていたという。
「パーン!」。突然、風船が割れたような乾いた音が響いた。山頂を見上げると、白煙が立ち上っていた。続けざまに、何度も爆音がとどろいた。「噴火だ!」。竹内さんがそう理解したときには急勾配を噴煙が猛烈な勢いで迫ってきた。「灰色の壁だった」。竹内さんは、無我夢中で斜面を駆け下りた。「巻き込まれたらどうなる」「倒れて骨折してもいい。命だけは…」。灰の壁はどんどん迫り、煙の壁にのみ込まれた。視界を奪われつつも山小屋に駆け込んだ。
兆候はあったという。竹内さんは山小屋で、前日から宿泊している登山客に「急に硫黄の臭いが強くなった」という話を聞いていた。竹内さんは月2度は山に登っている。「こういう事態もあると覚悟はしていた。だがあのとき、恐怖しかなかった。しばらく登山は控えるつもりだ」と疲れ切った様子で話していた。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140928-00000071-san-soci