加齢黄斑変性の患者さんに朗報 | 日本のお姉さん

加齢黄斑変性の患者さんに朗報

<iPS移植手術>「早く実用化を」難病患者ら期待
毎日新聞 9月12日(金)22時0分配信
右目が「加齢黄斑変性」の吉川優子さん。日差しの強さに合わせて、使い分けているというメガネ=東京都葛飾区で2014年9月12日、小関勉撮影
iPS細胞(人工多能性幹細胞)から作った細胞が12日、世界で初めて患者に移植された。2006年に京都大iPS細胞研究所長の山中伸弥教授がマウスでの開発成功を発表してから8年。今回の臨床研究対象の加齢黄斑変性(かれいおうはんへんせい)の患者だけでなく、パーキンソン病など難病の患者からも歓迎や期待の声が上がった。
「画期的な治療法が実現し、私のような人が一人でも少なくなれば」。滲出(しんしゅつ)型の加齢黄斑変性を患う東京都葛飾区柴又、自営業、吉川(よしかわ)優子さん(64)は、iPS細胞による臨床研究の成功に期待する。右目の視界が暗く、物がゆがんで見える--。長年、症状に悩まされているためだ。
19年前、異変に気付いた。台所でジャガイモの皮をむいていると、急に手元が暗く、見えにくくなった。「もう年だし、老眼かな」。軽い気持ちで病院を受診したが、検査の結果、2カ所目の病院で右目の加齢黄斑変性と診断された。
夫が経営する会社で経理を担当していたが、症状が進み、パソコンで給与明細表が見られなくなった。「画面を見つめても、ゆがんでぐちゃぐちゃに見えてしまって」。今は症状に慣れ、日常生活に大きな支障はない。だが、危険を避けるため夜の外出や自転車の運転は控えている。
出血があるため、月1回の診察は欠かせない。悪化すると、網膜に異常な血管ができるのを抑える治療薬を投与する。眼球に直接注射するため、いつも抵抗を感じている。
今一番不安なのが、もう一方の左目も黄斑変性になることだ。両目とも黄斑変性になった知人がいるからだ。「両目が見えなくなることを考えると怖い。なるべく早く、新しい治療法を実用化してほしい」。吉川さんは切実に願っている。
別の難病の患者からも期待の声が上がる。
脳の神経細胞が減って手足の震えや筋肉のこわ張りなどの症状が出るパーキンソン病を患い、全国パーキンソン病友の会事務局長を務めるの桜井時男さん(78)は「今回の臨床研究が成功すれば、パーキンソン病の臨床研究にも弾みがつく。早期に治療法を確立させ、苦しんでいる人たちの症状が和らぐよう、全国に広めてほしい」と期待を込めた。
また、脊髄(せきずい)損傷の治療の臨床研究も準備が進む。全国脊髄損傷者連合会の妻屋明(つまやあきら)代表理事(73)は「iPS細胞を使った初めての治療は、手術が終わった後どうなるかは分からず、がん化のリスクなど心配もある」としながらも、「うれしいニュース。脊髄損傷の臨床研究も期待したい」と話した。
筋肉が骨に変形する難病、進行性骨化性線維異形成症の患者で、研究のため山中教授に体細胞を提供した兵庫県明石市立明石商業高校2年、山本育海(いくみ)さん(16)は「臨床に入ったのはすごいことだと思う。ただ、病気の中には体にメスを入れられない患者もおり、iPS細胞を使った新薬研究も頑張ってほしい」と期待を込めた。【畠山哲郎、駒崎秀樹
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140912-00000148-mai-sctch
iPS移植手術:確信の8年 高橋プロジェクトリーダー
毎日新聞 2014年09月12日 22時16分(最終更新 09月12日 22時49分)
iPS細胞を利用した世界初の移植手術を終え、記者会見で笑顔を見せる理研発生・再生科学総合研究センターの高橋政代・プロジェクトリーダー=神戸市中央区で2014年9月12日午後8時19分、梅田麻衣子撮影
iPS細胞(人工多能性幹細胞)の登場から8年、iPS細胞から作った細胞が12日、世界で初めて患者に移植された。高橋政代・プロジェクトリーダーは大阪府豊中市出身。京都大学医学部を卒業し、京大医学部助手などを経て、2006年から理研発生・再生科学総合研究センター(CDB)へ。兼任する先端医療センターなどで眼科医として毎週診察する一方、ES細胞(胚性幹細胞)などを使い、傷んだ網膜を細胞移植で再生させる研究を続けてきた。昨年末、英科学誌ネイチャーが発表した「2014年に注目すべき5人」の1人に選ばれている。
高橋リーダーによると、06年に京都大iPS細胞研究所長の山中伸弥教授がマウスの細胞でiPS細胞を作製したことを聞き、「自分の研究に使える」と直感。細胞をもらうために連絡をとるようになった。「5年でヒトに利用できるようにします」。翌年、高橋リーダーは山中教授に言い切った。
山中教授は「すごいことを言うなと思った」と振り返る。高橋リーダーは当時について「ES細胞は他人の細胞を使うことになるため拒絶反応への不安もあった。患者本人の細胞を使うiPS細胞なら5年で可能という確信があった」と語った。【斎藤広子】