盛田正明テニス・ファンド
ソニーの元副社長、盛田正明氏(87)
「私財で、有能なテニス選手を育てたすごい人。
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ソニーの元副社長、盛田正明氏(87)が錦織圭(にしこり・けい)選手(24)につぎ込んだ先行投資がかつてないほど大きな実を結びつつある。
同選手がテニス四大大会の全米オープンで、日本人選手として96年ぶりに4強に進出したからだ。
錦織選手は米国でテニス教育を受けたが、これを支えたのが盛田氏が設立し、会長を務める基金「盛田正明テニス・ファンド」だった。盛田正明氏は日本テニス協会の名誉会長で、ソニー創業者の一人、盛田昭夫氏の実弟。
錦織選手は3日、ニューヨークで行われた準々決勝でスタン・ワウリンカ選手(スイス)をフルセットの激戦の末に破った。
「朝、早起きして試合を全部見た。勝利の瞬間、錦織選手は非常に平常心だった」と盛田氏は言う。「私もこれで喜んで終わりではないと思う。日本からテニスチャンピオンを出すというのが私の夢だったので、夢にだいぶ近づいたなと思った」と電話取材で述べた。
錦織選手は14歳のときに米フロリダ州のニック・ボラテリーテニスアカデミーに留学するため島根県から米国に渡った。それを支援したのが、若い日本人選手の育成を目的とした「盛田正明テニス・ファンド」だ。
錦織選手は日本人男子として、1918年の熊谷一弥以来の全米オープンでのベスト4入りを果たした。
錦織13歳での米留学支援のソニー元副社長・盛田氏「優勝して」
2014年9月8日6時0分 スポーツ報知
錦織の原点はソニー? テニス全米オープン男子シングルスで日本人初の決勝進出を決めた錦織圭(24)=日清食品=は、ソニー元副社長の盛田正明氏(87)=日本テニス協会名誉会長=が設立した「盛田正明テニスファンド」(MMTF)の支援を受け、13歳から米国などで経験を積んだ。猛特訓を受け、前人未到の舞台に立つことになった錦織。正明氏は“まな弟子”の活躍を喜ぶとともに、錦織に続く日本人選手の活躍を待ち望んでいる。
「テレビで(錦織)圭の試合を観戦していました。調子は良さそうですし、ここまで来たら、優勝してほしいですね」。13歳から錦織を支えてきた盛田正明氏はこうエールを送った。
「盛田正明テニスファンド(MMTF)」―。錦織は中学1年の時、このファンドの支援を受け、米フロリダ州のニック・ボロテリーテニスアカデミーに留学、世界レベルを10代前半で体感した。正明氏は、ソニーを故・井深大氏とともに創業した故・盛田昭夫氏の実弟。井深氏から「他人のやれないことをやれ」と言われてきたことがファンド設立のきっかけになった。「才能のあるジュニア選手を海外で養成したらどうなるか」。ソニー副社長などを歴任し、経営者から身を引いた後、2003年に私財を投じて設立したのがMMTFだ。
「世界レベルの日本人選手の育成」を目標にしたファンドの予算規模は年間1億円弱。厳しい選考を通過すると、渡航費、アカデミーの授業料、遠征費など1人に年間数百万円が支給される。しかし、毎年のように厳しい目標が課され、目標達成ができない場合は帰国することになる。
現在留学中の2人を除いて過去17人を送り出したが、18歳まで留学をしたのは、錦織と西岡良仁(18)=ヨネックス=の2人だけ。奨学金の返済義務はないが、世界ランク100位に入った場合は年間獲得賞金の1割を寄付するのが約束だ。錦織はその約束をしっかり果たしているという。
この日、MMTFの留学生・中川直樹(17)=福岡・柳川高=が、全米オープンジュニアのダブルスで日本勢初の優勝を決めた。06年の全仏ジュニアのダブルスで優勝した錦織以来の快挙となった。「世界で活躍するのが圭1人じゃダメ。圭に続く選手が出てこないと」。テニス界を支える正明氏だが、常に黒子に徹する。「選手に電話もしないですし、アドバイスを送ることもありません。世界で活躍できる選手を育てるのが目標ですから」
http://www.hochi.co.jp/topics/20140907-OHT1T50281.html
錦織圭は世界8位に浮上 9位との間にある大きな差とは?
日刊ゲンダイ 9月10日(水)13時55分配信
8位以上をどれだけキープできるか/(C)AP
全米オープンの決勝進出で、錦織圭(24)の世界ランクは11位から8位へ浮上、9位に入った今年5月以来となる、自身2度目のトップ10入りを果たした。
これは、今後の錦織にとって大きな意味がある。テニスジャーナリストの塚越亘氏が、「トップ10に入る選手は、優先的に出場試合を選べるようになるのが大きい」とこう続ける。
「世界中で行われるテニスの大会は、出場義務のある試合を除き、ランキング上位者が出場したい試合を選び、その希望に沿って出場選手が割り振られるのが一般的です。ランキング上位であればあるほど、自分の思い通りに日程が組みやすくなりますし、対戦したくない相手を避けることも可能になるのです」
さらに、同じトップテンでも、8位と9位では大きな差がある。8位になれば上位8シードに組み込まれるため、準々決勝までは格上選手との対戦がない。第9シードでは大きな大会で4回戦から上位選手との戦いを強いられるから、これも大きなメリット。出場選手が多い4大大会でも“優遇”されるのだ。
ランキングは毎週月曜日に変更される。8位以上をキープすることが、4大大会制覇を実現するひとつのカギになる。
日刊ゲンダイ
試合前から錦織には異変が…全米オープン決勝完敗の“舞台裏”
2014年9月10日
前夜も寝つけなかったと明かした錦織圭/(C)AP
全米オープンでアジア人初となる決勝に進出したものの、クロアチアのマリン・チリッチ(25)に敗れた錦織圭(24)。過去の対戦成績で5勝2敗とリードしている上、世界ランクも錦織(8位)が相手(12位)より上。多くのマスコミは「錦織有利」と予想していたが、まさかの完敗。
新聞・テレビは試合後、「サーブが予想以上に強烈だった」とチリッチの状態の良さを敗因に挙げていたが、現地で取材をしたテニスジャーナリストの塚越亘氏によれば、「試合直前の練習の様子から嫌な雰囲気はありました」とこう続ける。
「試合当日の直前練習は、まず午後3時30分ごろからチリッチが始めました。この時点で彼は、錦織との対戦で劣勢を意識していたのか、吹っ切れたように明るく、練習も軽めでした。約45分間ある練習時間も10分前には切り上げ、残り時間を使ってコートで家族と記念撮影していたほどです。一方、その10分後にチリッチに代わってコートに現れた錦織は終始表情が硬く緊張気味。勝てる可能性が高い相手との決勝を前に、これまでのように『当たって砕けろ』という気持ちではなく、『絶対に勝たないと』という重圧で、体がガチガチになっているように見えました。この差が本番のプレーに影響を及ぼしてしまったように思います」
塚越氏は決勝直前に、錦織、チリッチの2人を指導した経験を持つボブ・ブレッドコーチにも取材していた。同コーチに勝敗予想を聞いたところ、圧倒的に錦織有利といわれる中でも、「グランドスラムは何が起こるかわからない」と最後まで錦織の勝利を口にしなかったという。ブレッド氏も2人の練習の様子を熱心に見ていた。あるいは、錦織の「異変」を感じ取っていたのかもしれない。
「チリッチは何度も戦っている相手なので。勝てるというのが見えたのも、(試合に)集中できなかった理由のひとつ。ここまで硬くなったのは久しぶりだった」とは試合後の錦織。
次の4大大会となる来年1月の全豪オープンでは、「グランドスラムの魔物」もはね返さなければいけない。
錦織は“渡米で成長” 快挙喜べない日本テニス界の育成事情
2014年9月10日
あと一歩だった/(C)AP
全米オープンテニスの錦織圭(24=世界ランク8位)は9日6時(現地8日17時)、日本人として初めてテニスの4大大会シングルス決勝に臨んだが、クロアチアのマリン・チリッチ(25=同12位)の前に屈した。
テレビとスポーツ紙を中心にメディアは、錦織の快挙にヒートアップ。ジュニア時代に錦織を指導した経験のある松岡修造氏などは、「圭は日本人。日本人の誇り。テニスを通して日本人の誇りを(世界に)示している」と言っていたが、彼がアスリートとして育ってきた環境を冷静に見れば、手放しで「日本の誇り」とは言いにくい面がある。
■父親が13歳の息子を単身渡米させた理由
5歳からテニスを始めた錦織は、小学6年で全日本ジュニア選手権や全国選抜ジュニアなどに優勝。日本テニス協会の盛田正明会長が運営するテニス基金によって、13歳で米フロリダ州のIMGニックボロテリー・アカデミーに留学した。そこは、アンドレ・アガシ(44)やマリア・シャラポワ(27)、ウィリアムズ姉妹などを輩出した、いわゆるプロ養成所。90カ国を超える同世代の選手が同じ屋根の下で寝食を共にする、いわば“テニス虎の穴”だ。
父の清志さん(58)は息子を強くするために、いろいろなことを研究し、留学を決めた。テニスジャーナリストの塚越亘氏は「錦織がここまで来たのは、両親が13歳で留学させる決断をしたからです」と言ってこう続ける。
「13歳の子供を単身渡米させるということはなかなかできるものではありませんが、留学経験によって錦織選手のプレーや考え方が世界基準になったことは間違いないでしょう。例えば、アカデミーの寄宿舎ではこんなことがあったそうです。冷蔵庫に自分の名前を書いた飲み物を入れておいたら、誰かに飲まれてしまった。日本ではまずそんなことはない。錦織選手はショックを受けたと同時に、日本の常識や考え方が通用しないことを知ったのです。イジメではないものの、最初のころは英語が話せないのでからかわれたりもした。ホームシックになりながらもライバルとは競争もしなければならない。こういうことも強いメンタルのベースになっているのです」
清志さんは、「日本人選手が世界で活躍できないのは個性が弱いため」と言う。息子を迷わず海外留学させたのは、「日本の中学、高校の部活動では、個性を大事にして育てたり、伸ばしてくれるとは思わなかった」とも語っている。
全豪女子シングルスでベスト8(77年)、同ダブルスで準優勝(78年)の経験がある佐藤直子日本プロテニス協会理事長は「若いうちから海外でプレーすることは多くのメリットがある」と言う。
「トップクラスの選手は当然、高いレベルの練習をするため、練習相手にはそれなりのレベルを求めるものです。錦織君はジュニア時代から国際試合に出場しており、実力を認められトップ選手と練習する機会は多かった。実戦でトッププレーヤーと互角の勝負や接戦を演じれば、他の選手から練習相手として指名される機会は増えます。実力が認められれば『次の練習には圭を呼ぼう』と声がかかるようになり、若いうちからトップ選手とのゲームを体感し、場数を踏むことで格上の選手にも臆することなく自分のテニスができるようになるのです。日本で練習を積んでいたら、恐らくですが、今の活躍はなかったのではないでしょうか」
■指導者の考え方、スケールにも差
ニューヨーク・タイムズ紙は、13歳で渡米した錦織の「日本人離れした特質」が快挙につながったと報じているが、スポーツライターの工藤健策氏は「米国の広大な練習環境や強力なライバルとの切磋琢磨もさることながら、指導者の違いが大きい」と言う。
「日本の指導者は、選手の個性を見ずに自分の型にはめようとする。プロ野球の日本ハムに所属する二刀流の大谷選手がいい例です。プロ入り前は、皆が二刀流なんて無理だと口を揃えていた。これはスポーツの世界に限ったことではありませんが、過去に例がないこと、自分が知らないこと、経験したことがないことは、あれはダメこれもダメと、最初から否定してしまう。だから、その人の指導枠から飛び出る凄い選手は、日本からはなかなか出てこないのです」
先月には、高校野球の強豪・済美高(愛媛)野球部の1年生が2年生からカメムシを食べさせられたり、灯油を飲まされそうになったことが判明した。学校の部活動には、指導者の暴力だけでなく、上級生の陰湿なイジメや厳しい上下関係も存在するなど、子どもがスポーツに後ろ向きになる話題が目立つ。
錦織圭は日本人初のグランドスラム準優勝で、確かに日本テニス界の歴史を変えた。だが、指導者が変わらなければ、日本テニス界の強化、底上げにはならない。清志さんの言葉は重い。