書評:田中英道(東北大学名誉教授)ヘンリー・S・ストークス『英国人記者が見た連合国戦勝史観の虚実 | 日本のお姉さん

書評:田中英道(東北大学名誉教授)ヘンリー・S・ストークス『英国人記者が見た連合国戦勝史観の虚実

書評:田中英道(東北大学名誉教授)
ジョン・W・ダワー『忘却のしかた、記憶のしかた 日本・アメリカ・戦争』外岡秀俊訳、岩波書店、二〇一三年
ヘンリー・S・ストークス『英国人記者が見た連合国戦勝史観の虚実』祥伝社新書、二〇一三年、
この両書を同じ書評でとりあげることは、いささか学界雑誌にふさわしくない、といわれるかもしれない。

一方は、アメリカにおける日本近代史研究の一人であり、『敗北を抱きしめて』などの歴史学者の書で、他方は、滞日五十年のジャーナリストの書いた小著であるからだ。
しかし、日本の近代史、とくに第二次世界大戦における、日米だけでなく、日英、英米の関係を考察する上で、同じ史実を、学者とジャーナリストがいかに見るか、ということについて、好対照を示している、という意味で、両書を取り上げる意義は十分にある、と思われる。
同じ史実を、英米の知識人が、どのように見ているか、に焦点をあてると、書物の目的の違いを越えて、歴史認識が、どちらに正当性があるか、わかってくるのである。
ダワー氏はマルクス主義に立つ学者である、ということは、社会主義のイデオロギーで、歴史を見ていることを示している。
二十世紀が、ソ連、中国という社会主義の名がつく国家があったように、社会主義イデオロギーの時代であった。
一九三八年生れの氏が、例えアメリカ人であろうと(アメリカ人であることで、もっと柔軟であるはずだ、というのも間違っている)、そのイデオロギーに染まっていることを如実に示している。
これがイデオロギー的に誤謬であった、ことが明らかになった二十一世紀にまだそれを続けているのも滑稽なことだ。
こうした硬直したイデオロギーを、この本の中では露骨に出していないが、しかし、そのことは、『朝日新聞』に頼まれて書いた、政治的文章に、いみじくも表されている。
「アジア太平洋戦争について,帝国主義や植民地主義,世界大恐慌,アジア(とくに中国)でわき起こった反帝国主義ナショナリズムといった広い文脈で論議することは妥当だし,重要でもある。
戦死を遂げた何百万もの日本人を悼む感情も理解できる。
しかし,一九三〇年代および四〇年代前半には,日本も植民地帝国主義勢力として軍国主義に陥り,侵攻し,占領し,ひどい残虐行為をおこなった。
それを否定するのは歴史を根底から歪曲するものだ。戦後,日本が世界で獲得した尊敬と信頼を恐ろしく傷つける。
勝ち目のない戦争で,自国の兵士,さらには本土の市民に理不尽な犠牲を強いた日本の指導者は,近視眼的で無情だった」。(ジョン・ダワー「田母神論文『国を常に支持』が愛国か」『朝日新聞』二〇〇八年十二月二十二日朝刊)。
田母神俊雄氏の論文を批判する一文であるが、ここには、すでに日本が「悪者」として、「南京大虐殺」も「従軍慰安婦」も事実に違いないとする史観が、前提としてある。
つまり、学者としての氏は、基本的にマルクス主義の歴史観に立っているため、常に「帝国主義」国家が「侵略」を行い、人民はそれで抑圧され、宣伝工作の中で翻弄される、という図式を、研究や考察にちらつかせながら、そこに歴史を当てはめていっている。
それ以外の歴史観で、語るものを、「歴史修正主義」という言葉で、排外視する史観を展開しているに過ぎないのだ。
  これはこの本では、マルクス主義歴史家として戦後、マッカーシズムの反共批判の中で、エジプトで自殺をせざるをえなかったハーバート・ノーマンに共感をもって語っていることでも示される。
このようなマルクス主義的歴史観では、日本が到底、理解できないことを、日本史学者として理解していないことは致命傷である。
氏はこの本では、自分が主張するのではなく、「日本の自由主義者や左派の作家」たちが言ったこととして、「南京大虐殺(the rape of Nanking)をはじめとする中国における日本人の残虐行為」「アジアの女性を無理強いに徴募したこと(慰安婦)など、日本人の他の残虐行為が暴露され」、これら「中国での侵略や残酷な戦争行為について、日本の記憶を覆いかくすという異常の幕間のあと」の七十年代に、その「記憶の再構築された」と書いている。
これらが七十年代以降に、持ち出されたことを、後の捏造ではないかとも疑わず、あたかもそれが事実だということを前提としてあれこれ議論しているのだ。
氏の代表作の『敗北を抱きしめて』は、日米双方の、人種的プロパガンダを調査しながら、相手を「侵略」する、人種差別の問題を描いていた。
が、それも基本的には、日本の帝国主義国家のプロパガンダという図式があるのである。
つまりマルクス主義者には、すでに結論があり、あとはそこに説明を付すだけのことなのだ。
歴史の多様性を見抜くことは出来ない。
ましてや、それにあてはまらぬ日本の歴史など理解するなど覚束無い。
一方のジャーナリストのストークス氏の見方はどうであろう。
ストークス氏も最初は、ダワー氏と同じように、日本人が残酷な戦争行為をした、という日本「悪玉論」に染まっていた、という。
しかし、イギリス人として正直に、そこに人種問題があったことを述べている。
「日本軍は、大英帝国を崩壊させた。イギリス国民の誰一人として、そのようなことが現実に起ころうなどとは、夢にも思っていなかった。
それが現実であると知った時の衝撃と、屈辱は察して余りある。
ヒトラーがヨーロッパ諸国を席巻して、大ゲルマン民族の国家を打ち立てようとしたことも、衝撃的であったが、それでも、ヒトラーは白人のキリスト教徒であった。
われわれは自分たちと、比較できた。
しかし、唯一の文明世界であるはずの白人世界で、最大の栄華を極めていた大英帝国が、有色人種に滅ぼされるなど思考の範囲を越えている。
理性によって理解することのできない出来事であった。
「猿の惑星」という映画があったが、まさにそれが現実となったような衝撃だった。
誰一人として『猿の惑星』が現実となるとは、思っていまい。映画の世界のことで、想像上の出来事だと思っている。
人間――西洋人 ――の真似をしていた猿が、人間の上に立つ。
それが現実となったら、どのくらいの衝撃か、想像できよう。
日本軍はそれほどの衝撃を、イギリス国民に与えた。
いや、、イギリスだけではない。西洋文明そのものが衝撃を受けた」。
つまりここにあるのは、日本人の「残虐な戦争行為」という認識が、もともと白人の人種差別の問題にあったことを示唆しているのである。
「猿」=「残虐さ」と思っている白人たちが、意外な抵抗に驚き、やはりそれは同じ「帝国主義」日本だった、ということになった。
ストークス氏はそれを素直に認め、さらに日本人の戦争行為に対する探求に向うのである。
すると、そこに突きつけられた事実は、西洋人たちが、考えて「帝国主義」観でもない、ということを理解するのである。
ダワー氏には、その探求心が欠けている。
氏は、同じ「帝国主義国家」の、「侵略」のあり方にとどまっているのだ。
ストークス氏はイデオロギーで見るのではなく、ジャーナリストの柔軟な調査で、南京大虐殺を否定している。
《それまでは、日本軍が南京で大虐殺を行なったという、アメリカや、ヨーロッパにおける通説を信じ込んでいた》が、まずそれが中国のプロパガンダから発していることを、北村稔氏の見解から知り、彼自身、研究をはじめた結果、《明らかに言えることは、「南京大虐殺」というものが、情報戦争における謀略宣伝だということだ》という結論に至る。
この「南京大虐殺」を最初に世界に報道したのは、南京にいた外国特派員『ニューヨーク・タイムズ』のテイルマン・ダーでインと『シカゴ・デイリー・ニュース』のアーチボールト・ステイールの二人で、南京陥落のニュースであったが、ここで「大規模な略奪、婦女暴行、非戦闘員の殺害」を伝えていた。
しかしそれはベイツという国民党政府の顧問や、フィッチという国民党の近い筋の、「声明」をもとにしていた。
この二人は東京裁判に出廷したが、これを事実として主張することはなかった、という。
中央宣伝部の曽虚白が、イギリスの日刊紙『マンチェスター・ガーデイアン』中国特派員H・J・テインバリーに依頼して、『戦争とは何か』という本を出させた。
マイナー・ベイツ南京大学教授と、南京に宣教師として来ていたジョージ・フイッチ牧師が、国民党の国際委員会のメンバーが、この事件を執筆した。
そこには国民党中央宣伝部が関与し、左翼知識人団体とイギリス共産党やコミンテルンが背後にいた、ことをつきとめる。
そして南京に当時いた、アメリカのスマイスにも宣伝刊行物『日軍暴行紀実』や『南京戦禍写真』などを書いてもらい、中国人自身は顔を出さずに「我が抗戦の真相と政策を理解する国際友人に我々の代言人になってもらう」ことによって、嘘をまことしやかに宣伝したのである。
そうした欧米ジャーナリストの不正を、自身がジャーナリストであるだけに、理解することが出来たのであろう。
しかし中国の国際宣伝部が、事件の起きた一九三七年十二月から十一ヶ月で三百回も記者会見を開いたが、そこで一度としてこの「虐殺」について触れていなかった。
日本側の新聞記者も百数十人も当時、南京にいたのだが、何も伝えていなかった。
一九三九年夏にまとめられた英文の『南京安全地帯の記録』では、十二月十三日、殺人0件、強姦1件、略奪二件、十四日殺人1件、強姦四件、略奪三件、十五日殺人四件、強姦五件、略奪五件、と書かれている。
これでは「大虐殺」どころではない。
戦争のどさくさがあったにしても、何もなかったと同じことだ。
ストークス氏は、「これは日本側による報告ではない。
国際委員会が受理した南京市民の被害届けで、日本大使館に提出されたものである
。・・殺人事件は、南京陥落後三日間でゼロであった」のだ、と述べている。
ベイツやフィッチが、いかにデマを飛ばしたかがわかるのである。
三十万人どころか、一部日本の研究者がいう四万人も全く嘘であったのである。
南京攻略軍の司令官であった松井石根大将の、綱紀粛正は、徹底していたのだ、と判断せざるをえない。
こうしたことを、ダワー氏だけでなく、エズラ・フォーゲル氏、アンドルー・ゴードン氏など名だたるアメリカの研究者たちはどう思うのであろうか。
彼らハーヴァート大学系の研究者が、この「南京大虐殺」を固く信じているために、中国人も、韓国人も、政治家たちも、皆信じているのである。
韓国の「従軍慰安婦」問題も同様である。
ストークス氏は、米国側の資料をあげて、これも強制でも「性奴隷」でもなかったことを指摘している。
「米国戦争情報室の心理戦争チームの報告によると、一九四四年八月、ビルマ奥地のミッチーナで朝鮮人、当時は日本国籍」慰安婦(コンフォートガール)を聞き取り調査し、彼女らが「売春婦(プロスチチュート)」にすぎない」商売目的の「キャンプ・フォロアー」としている、という。
この「売春婦」たちは、上等兵が月一〇円に対し、その三十倍の三百円を稼いでいた。
「これは高級娼婦だ」とストークス氏は述べている。
そして忠告する。
「河野洋平内閣官房長官は遺憾の意を表明したが、事態は収束していない。
日本人どうしは、「すみません」と謝ることで、帳消しにしてもらえるという文化がある。
しかし国際社会では、謝罪することは罪を認めることを意味し、認めた罪は償いをしなければならない。
・・中国や、韓国は、日本が反駁しないことをいいことに、謀略宣伝に利用している」。
事実を発信すべきだ、というのである。
学者は、ダワー氏のように、硬直したイデオロギーから、日本の「帝国主義者」も、西洋の「帝国主義者」と同様に残虐なことを平気でしてきた(はずだ)と信じ込んで書いている。
しかしジャーナリストのストークス氏は、事実を調べて、それは嘘であった、と述べているのだ。
日本批判の最先鋒である『ニューヨーク・タイムズ』の支局長であったストークス氏だから、彼らと同じ立場だと思いきや、在日五十年で、体験的にも、日本兵がそのようなことをするはずがない、と思ったのかもしれない。
いずれにせよ、学問的に書かれたような書物でも、マルクス主義の強固なイデオロギーをまだもっている歴史家は、もはや歴史を見ることが出来ないことを、このジャーナリストの本との比較でも明確になるのである。(H)