最後は玉砕でした。 | 日本のお姉さん

最後は玉砕でした。

(読者の声1)宮崎氏のメルマガを拝読して早や10年になります。宮崎正弘様の卓越した国際感覚の叡智と当代随一の分析力、特に、中国通の氏の早耳情報に頼り切りの今日この頃でありますが、ご健康と末永いご活躍にご期待をしながら、ますます難しくなりつつある日中関係の行く末が不安でなりません。
日本人一人一人が日中関係の重要さ、真実の中国を知る重要さを自覚しなければならない時だと痛感します。
戦前、母方の親戚が4家族、台湾、満州、上海に一旗揚げる目的で渡航し、永住覚悟の移住をしていました。
皆、一応に成功していたのですが、戦後は一転地獄の死の引き上げ旅、着の身着のままで無事に帰国できたものの、引き揚げ途上の4家族は口に出来ないほどの苦難を強いられた様で、心は皆一応に荒みきり、その影響が日常的な言動にも表れ、当時の我が家は4家族に占領されたに等しい状態であった。
人間は須らく環境に左右されるものであり、引き揚げ途上に出会っただけの夫婦者まで連れ込んだ一家族は、我が家の貴重な食料を毎日掠め取る有様、止む無く追い出したこともありました。
当時の日本軍部は、戦略も知略もないままにやみくもの手柄争いで、各戸撃破の突撃精神で突き進み、中国本土や南洋の島々に精鋭部隊を送り込み、肝心の本土には留守部隊を残すのみで、なんと、空き巣泥棒的に本土空襲の絨毯爆撃で焦土と化し、二発の原爆で息の根を止められた。
斯くの如き戦前の日本のリーダー(特に軍部)たちは、やることなすことが矛盾だらけ、“やってみなきゃ分らん”と日本を破滅に導いた東条不出来、三国同盟を結びながら帰国の途上に思いついたようにソ連に立ち寄り、スターリンと「日ソ不可侵条約」を締結した外務大臣・松岡洋介の間抜け、旧・日本軍の場当たり的戦術、武器弾薬はおろか、食料の補給さえも怠り、精神力だけの戦略なき無謀な作戦を敗戦直前まで延々と続けた。
海軍は、無謀且つ無能な作戦で戦艦や空母を撃沈され、戦争末期の陸海軍航空隊は戦略なき作戦で貴重な熟練兵を愛機と共に特攻に駆り立て、大本営は虚偽の戦果を発表して国民を欺き続け、40歳過ぎて赤紙一枚で召集された新兵は、息子の様な古参兵にしごかれケツ・バットや両ビンタでへとへと、食料も満足に与えられず戦地をさまよい、ある者は玉砕死、ある者は餓死、またある者は捕虜となってシベリア送りとなった。
生死とは無縁の内地で無責任な作戦を展開させた上級将校たちは、学徒出陣の新兵をソ満国境に送り込み、現地に入植した開拓民は置き去りのまま、古参兵は転進と称して南方に移動、学徒出陣の航空兵たちは、生きて虜囚の辱めを受けずで特攻出撃し帰らぬ人に、斯くして、要領を本文とする上級将校たちはノウノウト生き延び、戦後は軍人恩給の恩恵を受け続けた。
この構図は平成の現在まで続いていたと思わざるを得ない。
翻って、約80年前の昭和10年、当時のマスゴミに煽り立てられた日本政府は、国賊,或いは、売国奴と酷評しながら大本教団を不敬罪で弾圧した。それは、奇しくも6年後の真珠湾奇襲攻撃と同じ日の12月8日未明の出来事であった。
教団施設は大量のダイナマイトで一木一草も残さぬ状態に悉く破壊し尽くされ、その費用さえも大本教団に負担させ、教団敷地は時価相場の10分の1(?)で自治体に強制売却し、教団幹部、幹部級信者はほぼ全員逮捕され、連日連夜の拷問を受け続け、ある信者は死亡、またある信者は精神に異常をきたしながら大多数の信者は全員罪状否認のまま法廷闘争で最高裁まで争い続け、日本の無条件降伏によって終戦を迎えた後に、ようやく未決のまま釈放された。
大本教団の弁護団の中には、東京裁判でも戦犯の無罪を立証すべく奮闘された清瀬一郎弁護士も含まれていた。
未決まま釈放された大本教団の最高責任者の出口王仁三郎氏は、弁護団が協議していた“国家賠償の損害賠償訴訟”を、“この非常時に国民を相手にするも同然の裁判などできるものか”と一蹴し、“そんなことより、先生方には大事な役割が待っている。早く東京へお帰り”と、追い立てるように東京へ帰るように諭したとの事である。大事な役割とは、連合国による「東京裁判」で「戦犯に問われる人たちの弁護活動」の事であった。「出口王仁三郎」氏こそ、赤心洗うが如き真の宗教人であったと言えるだろう。
その後、大本教団に不敬罪、国賊、逆賊、反逆者のレッテルを張り続けた朝日新聞社は、後追い講釈の責任逃れで、大本教団に入れ知恵の「国家賠償訴訟」を持ちかけたと言う。
32年前、従軍慰安婦の強制連行があったかの如く、虚偽ねつ造のでっち上げ記事を垂れ流し続けた朝日新聞社は、“その一部が事実と証明できなかった”と責任逃れの口ぬぐいで訂正記事を発表し、後は野となれ山となれの沈黙を通しているが、80年前の大本事件と同じ構図の姿勢を貫こうとしている。
更には、福島原発事故に関わる裁判で、死人に口なしの吉田所長(当時)の証言録を取り上げ、当時の作業員が命令違反で逃げ出していたかの如くに事実を曲解した記事を世界に向けて垂れ流している。朝日新聞社の本質は日本政府を貶め、日本人を貶める虚偽ねつ造の記事を垂れ流す確信犯常習犯である。
この一連の問題から想起されることは、日本政府、外交関係者、良識派の有識者も含む国民の多くが、その時々に虚言に振り回され、或いは、惑わされて、知らず知らずに大きな過ちを犯してきたと謂わざるを得ない。
日本国民は、戦前は展望なき無謀な戦争に駆り立てられ、完膚なきまでに叩きのめされ、国土を廃墟同然に破壊された。戦後は一億総懺悔の瀬戸際に追い込まれながら、ゼロ以下のマイナスから這い上がり、“20世紀の奇跡”と言わしめる復興を成し遂げ、世界中を驚嘆させた。
然しながら、政府も国民も“喉元過ぎれば熱さを忘れる”の喩えのままに舞い上がり、思い上がり、“奢れる平家久しからず”の諺通りに“自民党単独政権”のぬるま湯にどっぷりと浸かり切り、後戻りできないままに政権の座から追い落とされ、政権への返り咲きを焦る余りに、こともあろうに水と油の永遠のライバル社会党と呉越同舟の水銀茶を飲み下して「村山談話」の後遺症を患い、脱藩出戻りの河野洋平を総裁に担ぎだし、宮沢内閣で「河野談話」を発信して、エイズの如き「後天性免疫不全症候群」に汚染され、回復の見込み薄い難病を抱え込んでしまった。
ここに至るまでの顛末は、自民党が自ら招き寄せた結果であり、自民党自身にも大きな責任の一端があると謂わねばならない。
斯くなる上は、「村山談話」も「河野談話」もそのまま継承し、“信じる者は信じ、信じない者は信じない”で「ガラパゴス化」するまで棚上げし放置する以外に善後策はない。
そして新たに「安倍談話」を発表し、広く世界に発信し続け、周知徹底させることが肝要である。少なくとも、「村山談話」、「河野談話」が無形化するまで「安倍談話」を継続的に発信し続けることである。
先ごろ、国連人権委員会の女性委員が、“売春婦が金を受け取ったか否かは問題ではない”と明確に発言したことを咀嚼すれば、男性がいて女性がいる限り、「性奴隷」は永遠に存在することになる。例え結婚した夫婦と謂えども、「女性である妻は性奴隷」ということを、女性委員が自ら認めたと言うに他ならない。
男性の集団があり限り、女性の「慰安婦=売春婦」は吸い寄せられてくる。近年でも、ソマリアやコソボで国連の人権委員が現地女性をレイプした事例が報じられていたが、この問題は人類永遠の課題であろう。
一老人の世迷いごとかもしれないが、一考を要する問題ではないだろうか。勇識者のご意見をお聞かせ願えれば幸いであります。
(高齢読者拝)
(宮崎正弘のコメント)朝日新聞批判、おおいに賛同します。これから朝日弾劾の国民運動が始まります。
さて満州引き上げの日本軍人に関しては情報不足により誤解があるようですが、参謀本部ははやい段階で通化に移動させていました。満州蒙古、ならびに満州ソ連国境には九つの要塞を築き、虎頭要塞やハイラル要塞など、小生も見学したことがありますが、最後までソ連兵と戦った。居留民が一歩でも遠くへとその逃避行をソ連兵の進軍を遅らせることで、間接支援し、最後は玉砕でした。