誰も笹井氏を助けなかったから、こうなった。 | 日本のお姉さん

誰も笹井氏を助けなかったから、こうなった。

<笹井氏自殺>論文発表から半年…キーマンの悲劇
毎日新聞 8月6日(水)0時37分配信
STAP細胞発見の記者会見後、笑顔を見せる理化学研究所発生・再生科学総合研究センターの笹井芳樹・副センター長(中央)。左は小保方晴子氏、右は若山照彦・山梨大教授=神戸市中央区で2014年1月28日、川平愛撮影
STAP細胞論文の責任著者の一人だった理化学研究所発生・再生科学総合研究センター(CDB)の笹井芳樹副センター長の自殺は、STAP細胞の検証実験の結論が出ず、関係者の処分も決まらない中で起きた。世界を驚かせた論文の発表から半年、キーマンの悲劇は論文不正の全容解明に大きな影を落とし、日本が世界をリードする再生医療への影響も懸念される。
【小保方さんへの遺書で笹井氏が望んだこと】
「副センター長を辞めたい」。竹市雅俊・CDBセンター長は5日、笹井氏がSTAP細胞論文の疑惑の調査が進んでいた3月に、辞任を申し出ていたことを明らかにした。3月11日に毎日新聞記者と交わしたメールで笹井氏は、理研の対応の遅さに対し、「なぜ、こんな負の連鎖になるのか、悲しくなってくる」と心境をつづっていた。
理研は論文の不正認定が確定した5月上旬、笹井氏らの処分を6月上旬に出すとしていた。しかし、その後も論文の新たな疑惑が次々と浮上。理研は6月末、すべての疑義の予備調査を始め、懲戒手続きを中断した。外部識者の改革委員会が同月に提言したCDBの抜本的改革を含む組織見直しもまとまっていない。竹市センター長は、処分が決まらない状態にいた笹井氏について「彼は行き詰まっていた」と話した。
こうした経緯について、研究倫理に詳しい私立大教授は「問題を正面から受け止める関係者がいなかったことが、決着を長引かせた。主要な筆者はいずれも全面的な非を認めていない。理研がもっと主導権を握れば責任の所在もはっきりした」と分析する。笹井氏の知人は「(笹井氏は)辞めさせもしない生煮えの状態に置かれ続けた」と指摘した。
研究者の論文不正を巡る自殺は過去にも起きた。1926年にオーストリアで起きたカエルの遺伝実験を巡る捏造(ねつぞう)問題では、陰謀を主張した学者がピストルで自殺。日本でも2007年に鹿児島大で医学論文の捏造疑惑が発覚した助教が自ら命を絶った。「自殺で真相はあいまいになる。科学者であれば最後まで責任をもって語るべきだ」と訴える研究者も多い。
改革委の委員長を務めた岸輝雄・東京大名誉教授は「改革委の提言に沿って、理研が速やかに笹井副センター長を交代させ、研究に専念させていれば、不幸な結果にならなかったのではないか。優秀なリーダーだったからこそ理研も手放したくなかったのだろうが、提言への対応を遅らせたことは問題だ」と憤る。
5日に文部科学省で記者会見した理研の加賀屋悟広報室長によると、笹井氏の体調不良を把握し、健康管理や人事の担当者がフォローしていたという。「処分を先延ばししたため、こういう状況が生まれたという認識はあるか」との記者の問いに、加賀屋室長は無念そうに「そういう一面はあろうかと思う」と答えた。今後、自殺と職務の因果関係について調査するとしている。
◇真相解明の調査 難航避けられず
英科学誌ネイチャーに掲載された2本のSTAP細胞論文は、理研の調査委員会によって1本が不正と認定され、今年7月に2本同時に撤回された。理研は現在、他の疑義について予備調査を進める。本格的な調査が始まれば、STAP細胞研究でなぜ不正が起きたのか、全容が明らかになる可能性があった。しかし、論文の筆頭著者、小保方(おぼかた)晴子・理研研究ユニットリーダーの指導役だった笹井氏の死亡によって、真相解明に向けた調査が難航することは避けられない。
笹井氏は2本の論文のうち、「レター」と呼ばれる論文の責任著者を務めたほか、もう1本の論文の全面的な書き直しにも携わった。4月の記者会見で笹井氏は「実験の生データは見ていない」と述べていたが、論文掲載の詳細な経緯を知る立場だった。加賀屋室長は記者会見で、予備調査の中断や遅れの可能性を「影響はあろうと思うが、関係の専門家の意見も踏まえて決定していく」と述べた。
一方、理研が進めるSTAP細胞の有無を確かめる検証実験には、笹井氏は参加していない。理研によると、検証実験の経過も知らされていなかったという。竹市センター長は「影響は基本的にはないと考えている」と述べた。理研は今月中に中間報告を公表する方針だ。
笹井氏はヒトの胚性幹細胞(ES細胞)から網膜や神経細胞を作り出す研究で世界をリードし、多くの論文が一流誌に掲載された。これらの研究は、将来の再生医療への応用にもつながる重要な成果だった。
理研は、国が推進する「再生医療実現拠点ネットワークプログラム」で、iPS細胞(人工多能性幹細胞)を使った世界初の臨床研究など目の難病に対する再生医療の拠点に選ばれ、笹井氏は代表を務めていた。プログラムを進める科学技術振興機構(JST)の担当者は「今後のことは文科省や関係機関と相談しながら進めたい」と話す。
笹井氏が率いるCDBの研究室の存続について、加賀屋室長は「研究を続ける若い人が多くいる。どういう形になるか分からないが、理研としてしっかりサポートしたい」と述べた。
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<笹井氏自殺>2カ月前から研究室メンバーの就職先探し
毎日新聞 8月6日(水)6時15分配信
理化学研究所発生・再生科学総合研究センターの笹井芳樹副センター長=東京都千代田区で2014年4月16日、梅村直承撮影
 自らの研究室のある建物で自殺した理化学研究所発生・再生科学総合研究センター(CDB)の笹井芳樹副センター長(52)。理研関係者によると、自らの研究室の閉鎖を覚悟し、約2カ月前からメンバーの再就職先を探していた。若手の研究環境改善にかねて身を砕いてきた笹井氏だが、心身とも疲れ果てた様子で就職先探しも半ばに自ら命を絶った。
【小保方さんへの遺書で笹井氏が託した思い】
 笹井氏は「器官発生研究グループ」のリーダーも務め、研究員や大学院生ら若手約20人の研究を指導していた。脊椎(せきつい)動物の脳の発生過程などを研究テーマにし、レベルの高さで知られる。だが、笹井氏は今年4月、STAP論文の研究不正を調査した理研調査委に「責任は重大」と指摘され、懲戒処分を受ける見込みとなった。
 複数の関係者によると、笹井氏は約2カ月前から研究室メンバーの就職先を探し、「研究室を閉めるから行き先を探すように」とも指示した。実績があれば他の研究室に移りやすいため、それまでの研究を論文にまとめさせたり、学会発表の準備をさせたりしたという。
 また、再生医療に関する独立行政法人科学技術振興機構などの複数の大型プロジェクトの代表を務めていたが、その交代準備も進めていたという。
 CDBの30代の研究室リーダーは「笹井さんは『STAP細胞問題でCDBの若手育成の芽が絶やされるのでは』と心配していた」と話し、2000年のCDB設立に携わった理由として「若手が実力を発揮できる研究所を作りたかった」と語った笹井氏の姿を振り返った。
 CDB設立の前年、将来を期待された同世代の分子生物学者が、国立大教授に就任した直後に自殺した。40歳だった。自身も36歳で京大教授に就いた笹井氏は「日本の大学では嫉妬されたり雑用が多かったり、若い研究者が自分の研究室を持ちにくい。CDBは、若手が思いっきり活躍できる研究所にしたい」と理想を語ったという。
 この研究室リーダーは、笹井氏の自殺について「CDBに相当の思い入れがあり、問題が起きたことに責任を強く感じたのではないか」と話した。
 一方、5日に東京都内で記者会見した加賀屋悟・理研広報室長によると、最近の笹井氏は疲労困憊(こんぱい)し、心身ともに疲れている状況だったという。
「非常に責任感が強いのに、普段と違うと感じるやりとりがあった」と話し、心理的なストレスのため、今年3月ごろに約1カ月間、入院したことも明かした。【斎藤広子、須田桃子】
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140806-00000006-mai-soci