父の思い出 | 日本のお姉さん

父の思い出

父は、他の同年代の人に比べると

健康であったし、親戚の人々もだいたい長生きの傾向にあったので

父も92歳までは生きるだろうとなんとなく考えていた。

父が2か月前に急に元気がなくなった時も、

たいしたことがないと思っていた。

検査入院で病院に入院したら、一気に体調が悪くなって

専門の病院に移ることになった。

そこがわたしの家から近い場所であったので

教会に行く前に病室にお見舞いに行くと

そこには、父と同じ髪型をした痩せた老人がいて

あまりの変わりようにびっくりした。

短期間であっという間に弱ってしまったのだ。

医者は、結局、原因は分からず

病名は症状だけが書かれていた。

父はクリスチャンなので、自分の死期を悟った時、

弟を呼んで自分の前夜式と招天式の日にちを告げ

司会をするように頼んで医者に

延命処置をしないよう頼んだ。

もう、お腹や肺に水が溜まって、水を抜いても抜いても

新たに水が溜まるようになっていたし、

水を抜くとどっと体力が落ち、呼吸も楽にはならないのだった。

本当は、人口呼吸器をつけられ、モルヒネか何かを

打たれて意識不明のまま体が弱るのを家族が待つような

状態になるのだけれど、父は、そんなことを

するよりも、早く天国に行きたいとはっきり

家族と医者に告げた。日本では尊厳死はできるとか

できないとか、はっきりは分からないのだが

その病院の医者は父の意志を尊重してくれて

酸素マスクを外し、モルヒネのようなキツめの注射を

打ってくれた。もう、肝臓も膵臓も腎臓も心臓も

ダメになってきていて、内臓すべてが痛かったようだが

父はあまり騒がず最後まで聖書を読んだり

手紙を書いたり翻訳の仕事をしたりしていたらしい。

酸素マスクの酸素の量を最大にしても、息ができない状態だったので

酸素の量を減らすだけでも死ねたわけで、酸素マスクは

一応つけていたが酸素は切ったそうだ。

クリスチャンらしい最後だったと側にいた弟は言っていた。

わたしも、会社を休んで親戚や友人に

連絡をしたりして忙しくしていた。

天国に行けば、みんな結婚したり別れたりなどの関係は無く

みんな天使のような関係だと聖書に書いてある。

今頃、父はイエスさまに会った後で、母にも会っているんだなと

思うと、ちょっとだけ泣けてきた。

なんで泣けてきたのか分からない。

クリスチャンらしくなく、母と離婚して他の人と結婚した父だったが

聖書に従わない悪い父でも、ガリガリに痩せた姿を

病院で見た時は、そんなことはどうでもいいと感じた。

天国に行こうとしている父を見るとやっとすべてを

赦せるような気がした。

お見舞いに行く前日に親友がカナダ人の女性の宣教師を

大阪に連れてきていた。

親友が、何か質問があればいい機会だから聞いたら?と

言ってくれたので、「いや、実は、父親が病気で

入院しているんだけど、お見舞いに行こうかどうか

悩んでいるところ。何か皮肉や嫌味を言いそうで、、。」と言うと

宣教師は、何が怒りの原因なのか

教えてくださいと言った。

3つばかり、言うと「その怒りをイエスさまに預けて祈りましょ。」と言う。

宣教師は、「イエスさまの名前はインマヌエル。神様はそばにいますという意味です。あなたが怒っている時、泣いている時、イエスさまは、側にいたのです。」と言う。

わたしの持っている嫌な思い出の中に、イエスさまの姿を入れて

みてくださいと宣教師は言う。

わたしの間違いは、神様の計画を無視していることらしい。

どんな辛い時にも、イエスさまが常にそばにいてくださったことを

忘れているから、怒りが出てくるのだと宣教師は言う。

なぜ、神様がわたしに辛い思いをさせるのか、なぜ悪いことをしている人が

幸せで、大勢の人に好かれているのか。なぜ、悪いことをしている人の

言うことを人々が信じ、わたしの言うことは信じないのか

本当に不思議だった。人々は信じたくないことは

信じないのだ。そして、冤罪で逮捕されて罪に問われて

監獄に入れられた人のように、罪を犯していない者が

悪者だとされて人々から遠ざけられるのも、不思議だった。

でも、神様だけはすべてを知っておられる。

宣教師は、わたしの嫌な思い出を思い出させ、そこにも

イエスさまがいたことを認めなさいと言った。

とにかく、わたしは宣教師と一緒に

「この怒りを神様に預けます。アーメン」と祈り、

なんだか救われたような気持になった。

次の日に父に会えた時も、皮肉な言葉や責めるような言葉は

言わずに済んだ。会ったのは、ほんの5分か10分か

短い時間だったように思うが、握手をして少しだけしゃべって

帰った。父の手はもう亡くなった人のように冷たかった。

お互いに過去のことをしゃべらなくても

わたしが父を赦していたことを父は理解していたのだと思う。

わたしと父はさようならを言う代わりに

もう一度握手をして別れた。

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こんな個人的なことを書いてしまいましたが、

記録として残しておこうと思います。

ブログが書けなかったのは、会社を休んでいたからです。

目を保護するために家ではパソコンを見ないようにしています。

ここ数日は、教会でのお別れの式のために忙しくしていました。

以前、父親はすでに死んだとブログに書きましたが

自分の心の中では死んでいたのです。

今は、父は天国で生きています。

分からないことは、神様が天国で教えてくださるでしょう。