池袋チャイナタウンは安全地帯ではなかった | 日本のお姉さん

池袋チャイナタウンは安全地帯ではなかった

池袋チャイナタウンは安全地帯ではなかった
「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」
平成26年(2014)7月8日(火曜日)
通巻第4288号

やくざ、暴力団顔負け、新宿、池袋を根城の帰国二世グループ「怒羅権」
やっぱり池袋チャイナタウンは安全地帯ではなかった
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7月7日は七夕。習近平は北京のはずれ、廬講橋に出向き「廬講橋事件」
77周年記念式典に出席して、かわりばえのしない反日演説を繰り返した。
「日本に反省を求める」って? いまや蘆講橋事件は中国共産党の仕掛け
た謀略であることは証明されているのにもかかわらず。
人民日報はこう書いた。
「七夕の日、日本の庶民は早く安倍首相に辞職して欲しいと願いを短冊
に書いて祈った」。
そして同日、北京で最大のトピックとは。地下鉄の炎上(13号線)だった。
前日7月6日午後10時40分だった。池袋にあるオープン・カフェ(桜ホテ
ル別館)で中国人男性が激しく口論となった挙げ句、相手の女性(中国
人)を拳銃で撃ち殺した。凶器はレボルバー。殺されたのは犯人の妻で別
居していたらしい。
池袋住民に悪夢が蘇った。
すでに池袋北口から数ブロックは「チャイナタウン」である。飲食店、ス
ナック、書店、食材店、バアなどがひしめき合い、中国語が闊歩し、中国
語新聞が配られ、日本人は小さくなって歩く。
小生は毎週、ここへ食事がてら中国語新聞をあつめに行くので、かなり詳
しいつもりだが、すくなくとも午後8時ごろまで治安は保たれている街で
ある。
『サウスチャイナ・モーニング・ポスト』(7月7日)は速報で書いた。
「池袋は中国人が多く、『赤線地帯』としても知られる歓楽街である」と。
▲池袋を根城とする中国人犯罪グループ
池袋を舞台にしての中国人犯罪は脱法ハープ密売、オレオレ詐欺の電話拠
点。ニセDVD販売。クレジットカードの詐欺など。
もともと池袋を拠点として中国系やくざは『東北幇』と呼ばれ、エアガ
ン、ナイフ、ぬんちゃく、青竜刀などで武装し、中国人経営のスナックな
どから「みかじめ料」を徴収し、薬物やら怪しげなマッサージなども経営
してきたと言われる。中国人経営の売春はマッサージ店が拠点だが、デリ
ヘルも盛業中とか。
この東北幇と連合を組むのが残留孤児(帰国子女)の二世、三世である。
日本人でありながら、日本語がたどたどしく、教室でも浮き上がり、次第
に暴走族化し、江東区、江戸川区、お台場などでパトカーや交番襲撃など
の狼藉をはたらくようになったのは1988年ごろからだ。
彼らは暴力団まがいだが、親分子分の関係にはなくアドホックに集団化す
るので実態がつかめない。まとめて「怒羅権」(ドラゴン)と呼ばれた。
次第に凶暴化し、向こう見ずにも住吉連合に喧嘩を売るなど暴力沙汰を繰
り返した。
『活躍』の舞台は池袋から新宿、さらに大阪、神戸、広島へ進出した。貴
金属店を襲って2億円相当の物品を盗み出したり、ホストを恐喝したり、
置き引き、窃盗などは序の口。構成員は数百名と推定されている。
6月30日に起きた池袋の脱法ハーブ男のクルマ暴走事故では中国人女性ひ
とりが犠牲となった。この脱法ハーブも池袋で入手したが、それは中国人
グループではなかったのか。
そして殺人事件に密輸拳銃が使われた。
拳銃が簡単に入手できるほど、地下の暴力組織、中国マフィアが台頭して
いることを物語っていないか。
池袋は歓楽街から「ギャングの巣窟」化したかのような近未来の不安を掻
きたてる事件となった。
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読者の声 どくしゃのこえ READERS‘ OPINIONS 読
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(読者の声1)貴誌前号、拙稿への投稿への感想です。
日韓併合は朝鮮王の希望と言う資料があるようですが、そこに到る因果関
係の理解には国際的な広い視野、日露戦争を政治から見る高い視点が必要
と思います。日本の朝鮮併合は対ロシア自衛なので正当であり欧米のアジ
アの植民地とはまったく違います。朝鮮人の併合被害者偽装は不当です。
「本国の生存を賭けて超大国と貧しい植民地を争う国はありません」
19世紀のロシア帝国は、不凍港をもとめて南下する巨大な暴力国家でした。
その前に立った日本は孤立無援の、開国したばかりの国防の弱い国でし
た。朝鮮半島は古来大陸から日本に突き出された短刀に例えられた戦略的
な要衝で13Cの元寇でも兵員兵站を含めて元の対日攻撃基地となりました。
1900年義和団事件の混乱に乗じてロシアは満洲に侵入し全土を制圧しまし
た。(これは石光真清の「荒野の花」が面白い)。
そして朝鮮半島に南下してきました。しかし朝鮮はロシアに抵抗せず朝鮮
王はロシア公使館に長期幽閉され傀儡になりました。ロシアは黄海側の竜
岩浦、さらに釜山近くに対日攻撃用の海軍基地の用地を手に入れ着々と日
本攻撃の準備を進めました。
戦争になれば朝鮮政府はロシア帝国に従うので、元寇同様ロシアの日本攻
撃の兵員を提供したと思われます。日露戦争でもロシア軍は多民族構成で
した。
そこで日本政府はロシア政府に満洲全土はロシア、朝鮮半島は日本という
勢力分割提案をしました。しかしロシアは拒否しました。あくまでも日本
を狙っていたのです。
こうして日露戦争となりました。このため日露戦後ウィッテなどロシアの
要人は、日本の勢力提案を受けておけば良かったと反省しています。
朝鮮は日本の対ロシア戦に参加しなかったので実質ロシア側についていた
ことになります。利敵行為です。
米国を含め世界はこうした経緯を知っていたので、日露戦後の日本の朝鮮
支配を当然と認めたのです。日本の併合手続きは、形式として朝鮮王の明
治天皇への併合請願になったのでしょう。
ロシアだったら請願もなく暴力で脅しつけ朝鮮を厳しく併合支配したこと
と思われます。
第2次大戦直前(1937)には、スターリンは沿海州の多くの朝鮮人を追い
立て、中央アジアに強制移住させています。(東海子)
(宮崎正弘のコメント)ウズベキスタン、カザフスタンに数十万の朝鮮族
がいます。たとえばサマルカンドのバザールで、キムチを売っています。
起亜自動車が、この地域に自動車工場をたてましたが、朝鮮族労働者をあ
てにしたらしい。
そして樺太でもそうであったようにロシアと国交回復後も韓国は「彼らは
棄民」として、帰国促進運動は一切ありませんでした。樺太に15年ほど前
に行ったとき、日本語を喋る朝鮮族が夥しかった。一種驚きでしたね。3
年前にウラジオストクへ行ったおり、雇ったガイドは朝鮮族で、日本語を
喋りましたよ。