江沢民が日本をののしって回った様子を覚えています。 | 日本のお姉さん

江沢民が日本をののしって回った様子を覚えています。

江沢民がお客様として日本に来ているくせに、醜い表情で
日本をののしって回った様子を覚えています。
それまで、わたしは「日中友好いいんじゃない派」でしたが、
「あれっ?チュウゴク政府は何を考えているのか?こんなにチュウゴクにやさしい日本に対してこの態度は何なのだ!?
チュウゴクは、話が通じない邪悪な連中の国であって、
日本が付きあうべき国ではないな。日中友好は危ないな。」と思った。
チュウゴクが反日に変わったのは、たぶん江沢民の時代からです。
天安門事件から変わったのです。
チュウゴクは自国の国民の頭の中と心に
日本に対する劣等感と憎しみと復讐心を埋め込み始めた。
(日本人は、そのことに気が付かなかった。)

チュウゴク人民が人権に目覚めないように、
日本にだけ目を向けるようにしたのだと思います。
天安門事件の10年後、東京で会った不法滞在中の在日チュウゴク人は
天安門事件のことは何も知らないと言っていた。
チュウゴクの愚民政策は徹底しているなと思いました。
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◎【天安門事件】 - ◆媚支メディアの報道不作為◆ - 【FC2】(抜粋)
百聞は一見に如かず。
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天安門事件とNHK・日本政府が天皇陛下を政治利用・北京大虐殺(89動
乱、64事件)から25年
http://deliciousicecoffee.blog28.fc2.com/blog-entry-5469.html
なお、1989年の「天安門事件」の後、国際社会は、学生ら市民を大虐殺し
た支那に対して、投資を激減させるなどの制裁措置をとった。支那は、そ
の後何年間も、国際社会による制裁措置にあえいだ。
この支那の窮地に、いち早く手を差し伸べたのは、日本だった。
まず、1991年8月、竹下登元首相の強い働きかけもあり、海部俊樹首相が
支那を訪問し、対支制裁を全面解除した。しかし、日本が支那への制裁を
解除しても、日本を除く世界は、支那への制裁を続行した!
次に、翌1992年、海部の後任となった宮沢喜一は、国際社会による支那へ
の制裁も、何とかして解除させようとした!! そこで、日本政府(宮沢
内閣)は、日本国民の強い反対論を押し切って、天皇陛下の支那ご訪問を
閣議決定し、世界による対支制裁措置解除の突破口にしようとした。
明らかな、日本政府(宮沢内閣)による天皇陛下の政治利用だった!
現実問題として、前年日本が真っ先に支那への経済制裁解除をしたもの
の、他の西側諸国はまだまだ支那に厳しい態度で臨んでいたが、天皇陛下
の支那ご訪問は、そのような西側の制裁を解除させる決定打となった。実
際に支那の銭其シン元外相は、回想録で、天皇陛下の支那ご訪問について
「中国が西側の制裁を打ち破る最も適切な突破口となった」と書いている。
支那と、その手下である宮沢喜一や加藤紘一らは、天皇陛下を支那の広告
塔として利用したのだ。
天皇陛下ご訪支の翌年1993年3月に、江沢民が国家主席に就任した。
ちなみにNHKは、このタイミング(1993年6月)で、『クローズアップ現
代』において「天安門広場では虐殺はなかった!広場では一人も死んでい
ない」と放送した。ところが、その翌年1994年に、江沢民は「愛国主義教
育実施要綱」を伝達し、反日教育を強力に推進することにした! 1998年
11月、江沢民は、日本に来た際、各地の講演などで、延々と日本軍国主義
批判を繰り返し、反日行脚を続けた。
なかでも、天皇陛下の晩餐会での、江沢民の振る舞いは目に余るものが
あった。
【FC2】 - 抜粋、以上 -
〔情報収録 - 坂元 誠〕