中共の赤色テロは、共産党の上層部で冷血に計画された
(読者の声2)昨年、軽井沢で野上弥生子の田舎家風の別荘を見ました。裕福な家に生まれ恵まれた一生を送った人です。しかし左翼的で中共に利用されたのはいただけません。金に困っていないのだから、中共に行かなければ良かったのですが。
以下、当時の中共の恐怖政治の実態です。シュザンヌラバン著「蟻塚」から抜粋。これは香港亡命した共産党地方幹部の話です。
「・・・中共の赤色テロは、共産党の上層部で冷血に計画されたものです。何の抵抗もないのに情け容赦なく実行されました。一部の悪魔的な人間によって民衆の上に加えられた蛮行だったのです。中央委員会は住民を以下の7種類に分けて処刑しました。
元国民党の関係者
自分の意見を持つ者
秘密結社(互助会)の会員
戦争中日本軍と関係のあった者(小商人まで)
外国敵分子(キリスト教関係者)
実業家と商人
共産党の味方ではないと見られる者
これらの数は3年間で住民の5%、一千五百万人以上に上ると見られます。私は強制収容所を訪ねる度にあまりに悲惨な状況を見て、このようなことが、果たして今まで何処の世界にあったろうかと疑いました。
・・・湖北のある地方で夕方集団処刑が行われ係員は死体を残して引き揚げました。私が死体を見に行くと一人の女性が生き残っており、訴えるような目で私を見守っていました。そこで私は金を与えて逃がしました。それが私の地位を棒に振ることになりました。・・・
7年後、私は統制委員会から呼ばれたので事務室に入ると担当者は不在でした。机の上に秘密書類が開かれていたので何気なく見ると血が凍りそうになりました。それは逮捕された女性が、私に救われたことを供述した記録だったのです。
私は共産党に捕まれば逃げる道がない事を知っていたので、即座に友人の漁師の家に向かいました。その人は兄が共産主義者で延安で事故死していましたが、私が本当は毛沢東に粛清された事を話してあげたので、信頼し、いざという時には大陸から脱出する約束をしていたので、そこで事情を話し、直ちに漁船を出しました。
運良く警備艇に発見されず、3日後、香港湾に入りました。私たちは地獄から生命の土地への脱出に成功し、互いに抱き合って喜びに泣きました。
(東海子)