日清戦争について、現代の日本人は多くを知らない。 | 日本のお姉さん

日清戦争について、現代の日本人は多くを知らない。

大山格(おおやま・いたる)
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□ごあいさつ
日清戦争について、現代の日本人は多くを知らない。
いつか論じてみたいとは思いつつ、なかなか筆をとる
機会がなかった。その背景となるさまざまな事柄を
論じるのが、それだけで大仕事なのだ。
今回は、その日清戦争を論じるために必要となる
清国の時代背景を語ることとしよう。
●日清戦争の歴史的背景(帝国陸軍の光と影2)
▼阿片戦争
清朝が急激に衰える契機となったのは阿片(アヘン)戦争である。ところが、なぜ英国は阿片密輸などという阿漕(あこぎ)な真似をしたのかについても知る人は少ない。
西欧では18世紀から工業化が始まり、蒸気機関の
発明と改良によって大量生産の時代が訪れた。
そして、それらの製品を売る市場としてアジアが注目
されたのである。
しかし、東洋人は英国の毛織物や綿織物を欲しなかった。
なんといっても東洋には高級な絹織物があるからだ。
大航海時代以来、欧州各国は東洋に対する貿易赤字
を累積させてきた。なぜなら東洋の生糸や絹織物、
そして茶は欧州人にとって魅力的な産物だったのに対し、
欧州の産物は東洋人にとって魅力あるものではなかった
からだ。
貿易赤字の解決手段として、英国商人らは阿片を
密輸した。そして阿片は多くの清国人の健康を害し、
風紀を乱し、経済を混乱させた。清国政府では阿片
売買を公認したうえで関税収入を得て経済の立て
直しを図るか、断固として密売を取り締まって禍根
を断ち切るかの選択を迫られた。
そして、取締りを決め、阿片問題の欽差(きんさ)大臣
となった林則徐が、厳しく外国商船の荷を改め
一四〇〇トンにおよぶ阿片を没収、海水と消石灰を
用いて全量を処分した。そのうえで「阿片を持ち込ま
ない」とする誓約書の提出を要求、提出しない商船の
荷揚げを禁じたのである。
この処置に対し、英国は無条件での貿易再開を強硬
に申し入れた。それは阿片密輸の黙認を求めたに
等しい。清国がこれを拒絶すると、英国側は不当で
あるとして、貿易基地たる広東で在留艦隊による
武力行使を開始した。さらにインドを根拠地とする
東洋艦隊の派遣を決定、これが阿片戦争と呼ばれる
国際紛争の契機である。
この東洋艦隊派遣にかかる予算が英国議会に
計上された際、阿片密輸を国軍によって後援すること
の是非をめぐって紛糾したが、僅差で可決した。
英国にも一片の良心を持ち合わせた人々はいた
のだが、事実上、国家が阿片密売を公認した形に
なったのである。
開戦したのが北京から遠く隔たった広東で、当初は
小規模な武力衝突であったため、清国政府は事態を
楽観していた。だが、英東洋艦隊が北京に近い天津
に姿を現すと清国政府は動揺し、林則徐を解任して
態度を軟化させた。しかし、英国は香港割譲を要求
するなど強硬姿勢を示し、全面戦争に突入した。
制海権を完全に掌握した英軍は海上機動による
戦略的奇襲を繰り返して清国軍を翻弄した。
数では圧倒的な清国軍だったが、制海権は英国側
にあった。そのため英軍の上陸可能地点すべてに
守備兵力を分散させることとなり、各個撃破される
という事態に至った。
清国は屈辱的講和を余儀なくされ、香港の租借、
広東、厦門、福州、寧波、上海の開港に加え、
賠償金支払いと不平等条約の締結も強要された。
こののち日本にはペリー艦隊が来航する。そして
日米間で結ばれた修好通商条約は、治外法権の
付与、関税自主権の放棄など、敗戦国たる清に
押しつけられた不平等条約と同様のものであった。
日本は戦わずして屈したといえよう。
日本の場合、金銀交換率が国際相場と格段に
異なったため、外国商人は両替だけで莫大な利益を
得た。日本は大量の金を流出させられ、たちまち経済
は混乱したのだが、阿片を蔓延させられるよりは、
まだしもであった。
英国の目的であった清国における市場開放は
阿片戦争によって達成されたが、当然の反応として
反英運動が発生、英国商品は不人気となり、貿易拡大
には至らなかった。さらに貿易を阻害したのは、清国が
政情不安に陥ったことで生じた、太平天国の乱と
呼ばれる大規模な叛乱であった。
▼太平天国の乱とアロー戦争
太平天国とは、拝上帝会なる新興宗教が建設しよう
とした国家である。その首魁であったのは、科挙(かきょ)
に落第し続けていた洪秀全で、自らを神の子でありイエス
の弟であるとする「夢のお告げ」によって教団を創立し、
その教祖となった。そして、古来の儒教、道教、仏教
を激しく否定しながら現世利益を謳い、また、「滅満興漢」
をスローガンに掲げ、支配階級を占めた満洲族に対する
漢民族の反感を煽った。おりしも阿片戦争の敗北で
閉塞感が漂うなか、既存の秩序や価値観を否定した
布教活動は下層民に受け入れられ、強固な連帯意識
のもとで武力革命を目指すようになる。
やがて洪秀全は広西省桂平県で新国家の樹立を
目指して清朝に反旗を翻した。阿片戦争での消耗を
回復しきれずにいた清朝の国軍は、のちのアロー戦争
まで英国との緊張状態が持続していたこともあって、
鎮圧は困難であった。国軍を撃退して勢力を増した
拝上帝会は太平天国という国号を掲げ、南京を首都と
する政権を築いた。欧米列強はキリスト教国を称した
太平天国に対して好意的静観の態度を示し、国軍との
戦いに介入することはなかった。
勢力圏を広げた太平天国は、地主層の権益を否定し、
農地を均等に割り当てる政策を打ち出した。これに
反発した地主層は自衛手段として郷勇と呼ばれる
義勇兵を組織し、それらを編合した湘軍が形成されると、
太平天国にとって国軍以上の難敵となった。また、湘軍
をモデルとする淮軍がのちに編成されている。
この難敵登場に前後して太平天国に内紛が発生、
勢力拡大に歯止めがかかった。また、教祖たる洪秀全
が洗礼を受けたかどうかさえ定かでないことがわかると
欧米列強は大いに失望し、太平天国が阿片売買を禁ずる
方針を示したこと、さらには列強を朝貢国とみなす態度
に対し、不信感を募らせた。
この混乱のさなか、英国は元英国船籍の商船アロー号
が臨検を受けたことを条約違反であると言いがかりをつけ、
再び武力行使を開始、今度はフランス軍と協同で北京を
占領した。
このアロー戦争では英国議会が軍事費の臨時予算案を
否決し、解散総選挙を経てようやく可決したほどで、英国人
にも自らの行為が悪辣だという自覚はあった。だが、結局
は清国人の渡航自由化を認めさせ、多くの苦力(クーリー)
を低賃金労働者として海外に送るという結果に至っている。
アロー戦争で権益を拡大させた列強は、貿易振興のため
秩序回復を望んだ。そして常勝軍と呼ばれる欧米人を幹部
とした傭兵部隊を組織し、太平天国の鎮圧に手を貸している。
湘軍を率いた曽国藩や、淮軍を率いた李鴻章らが常勝軍
の装備した近代兵器の威力に着目したことは、積極的に
西洋文明を導入しようとする洋務運動に発展していった。
これら湘軍、淮軍の活躍により太平天国は南京に孤立、
神の子たる洪秀全が栄養失調で死亡するまでに追い
詰められたすえ、跡形もなく滅んでしまった。
中国史上、宗教叛乱は多くの例がみられるが、太平天国
の乱はキリスト教を標榜した点に特色がある。一神教ゆえに
古来の儒教、道教、仏教を否定し、あらゆる偶像を破壊した。
それは不満を抱えた下層民に対し、秩序を破壊して変革を
もたらすことを強烈に印象づけ、勢力を拡大する要因となった。
太平天国の強さは、厳正な規律にあった。匪賊(ひぞく)を
糾合しながらも掠奪や暴行を厳禁したため、民衆は狼藉を
働きがちな国軍よりも叛乱軍を支持したのである。蜂起した
当初に掲げていた「滅満興漢」のスローガンは支配層で
ある満洲族に対する漢民族の反感を煽ったが、前述の
とおり地主などの中間層を占める人々の権益をも否定した
ため、国軍ばかりでなく義勇兵による湘軍、淮軍を敵と
しなければならなかった。ゆえに一時は北京に迫る勢いを
見せながら、衰退期に入ってからは鉄の規律も乱れ果てた。
暴徒と化した彼らは次第に民衆の支持を失い、孤立の
すえに滅亡したのである。
▼東アジア秩序の崩壊と日本の台頭
ようやくにして太平天国の乱は終息したが、清朝を
中心とする東アジアの華夷(かい)秩序は崩壊し、周辺国
は次第に欧米列強の勢力下に置かれるようになり、清国
本土でさえ蚕食(さんしょく)された。この状況の打破を
目指して洋務運動がおこり、西洋文明の受容は日本の
明治維新より早くから着手されていたが、政権の腐敗が
近代化の推進を阻碍した。
一方で、明治維新を迎えた日本は急速に近代化を進め、
列強の脅威から逃れようとしていた。そして征韓論争以来、
朝鮮半島を安全保障上の要地と位置づけていた。
新興国の日本としては、清国や朝鮮と連携して列強に
対抗することが理想的であったが、清国は華夷秩序の
回復を望んでいた。つまり清国を中華の国とし、周辺国
を属邦とみなして君臨することである。したがって、琉球
王国を日本領とすることも、日本が朝鮮と提携することにも
賛同しなかった。
日清両国は互いに朝鮮に影響力を及ぼそうとした結果、
朝鮮では親日的な独立党と清国よりの事大党が対立し、
クーデター未遂事件(甲申事変)に発展した。そこで日清
両国は天津条約を締結し、相互に朝鮮半島からの撤兵を
約したが、農民反乱である甲午農民戦争(東学党の乱)が
勃発すると、両国は朝鮮に軍を送り込み、ついに日清戦争
にまで発展したのである。
以上が日清戦争を論じるうえで知っておくべき時代背景
の概略であり、いずれかの機会には日清戦争について
論じてみたい。
(以下次号)
(おおやま・いたる)
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●著者紹介
大山格(おおやま・いたる)
平成3年から歴史同人「日本史探偵団」を主宰、いつのまにか
歴史雑誌の記事を書くようになる。現在戦史研究家として、
学習研究社、小学館、東洋経済新報などの媒体で幅広く活躍中。
得意分野は戊辰戦争。軍事ヲタクではあるが、歴史家として政治、
経済、文化史などにも視点を広げ、広い視野を持とうと呼びかけ
ている。明治の元勲大山巌元帥の曾孫としても有名。
ホームページ
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大山格のブログ
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