「核」が日中開戦を抑止する(11)平井 修一 | 日本のお姉さん

「核」が日中開戦を抑止する(11)平井 修一

「核」が日中開戦を抑止する(11)
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平井 修一
今回から軍学者・兵頭二十八氏の論考「日本有事 憲法を捨て、核武装せよ!」を紹介するが、氏の経歴にまず触れたい。
氏は1960年生まれ、陸自北部方面隊に2年間勤務後、神奈川大学へ進学。2
年生の時に対ソ国防論を書き、数十人の言論人にコピーを送ったところ、文学者で保守派論客の江藤淳(東工大教授)にのみ評価され、その縁で東工大大学院へ進んだ。
修了後はミリタリー雑誌編集部、テレビ番組制作会社などに勤め、やがて「ゴルゴ13」の原作公募で作品が採用されたのを機に国防分野のフリーライターとして独立した。
なぜ国防分野なのか。1年近くの図書館引き篭りで国防関係の文献を学び、「これほど当事者とそれ以外の人の情報ギャップがいびつな分野はない。この分野ならライターとしてデビューできる」と予感したとからという。
「マック憲法がある限り日本人は軍事リアリズム、核武装の必要性を理解できない」と、憲法改正=核武装を主張している。さあ読んでいこう。
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米国を1960年代後半から1970年相前半にかけてベトナムの戦場で苦境に追い込み、とうとう敗退させたのは中国人民解放軍であった。
何と数十万人ものよく訓練されたシナ(China)兵が、違法にベトナムの軍服を着こみ、インドシナの全域で、軍用機を操縦したり、対空兵器を操作したり、弾薬を運んだり、米軍を砲撃していたのだ。
シナはまた、ソ連からの援助物資を国境から北ベトナムに搬入する役目も買って出ていた。これではいくら米空軍が猛爆しても、北ベトナムの戦争遂行意志は少しも変化しなかったわけである。
1950年からの朝鮮戦争では、マッカーサーの仁川上陸作戦の直後から「北朝鮮軍」なるものは実体としてほとんど消滅してしまった。後は休戦までシナ軍が単独で国連軍と戦い続けた。
勝利の決め手はソ連仕込みの「督戦」システムであった。ロクに武器も持たせない何万ものシナ人の兵隊を、敵の機関銃のタマが切れるまで繰り返し突撃させ続けることが中共軍には可能だった。これを「人海戦術」という。
ベトナム戦争も、この朝鮮戦争と同じく実態は「米支戦争」になったのだ。ただし「人海」は、ここでは北ベトナム軍の後ろ盾に徹していた。
朝鮮戦争のときには中共は米国から承認されていなかったけれども、ベトナム戦争の最終段階では、中共はまぎれもない国連安保理常任理事国である。とんでもない世界平和の敵といえよう。
しかしアメリカの大衆がこの真相を知ったのは、ソ連崩壊後(の1991年以降)であった。キッシンジャーら、北京の「おだて」攻勢に舞い上がってしまった政策助言者たちは、「米国はシナと結託してソ連を牽制していくのが安全・安価・有利である」と信じ、歴代大統領にも勧めた。米国政府は、シナが悪党であることはよく知りながら、国民にはそれを隠した。
アメリカは1990年代の初めまで、大陸間弾道弾を多数持つソ連を地球最大の敵と考え、軍備努力の大半はソ連向けとして用意しておかざるを得なかった。シナはこの米ソの対立関係をうまく利用した。
ベトナム戦争のときは、シナはソ連に加担して、ソ連から物資をただで貰って、人件費ゼロのシナ兵をインドシナに送り出した。もしシナが単独で米国に立ち向かえば、良いことは一つもなかったろうが、「米ソ敵対」という構図があったおかげで、シナがソ連と組んで米国に長期の不正規戦争を挑んだ場合には、米国はさすがに息切れし、間もなくシナに一歩譲る形となったのである。
中共は70年代末から80年代にかけては、今度はソ連を敵とし、米国を味方とし、米国から援助を引き出して、日本を上回る富国強兵を追及するという新路線を選ぶ。
ちょうどその転換点で(中共による)「対ベトナム戦争」が起きている。
1979年、ソ連はシナを南北から挟み撃ちするため、ベトナムへの軍事援助を強化していた。
シナは、それまで未開な属国だと馬鹿にしていたベトナム人が、ソ連をたのんで支那に対等の発言をするのが気に食わなかった。北京は事前に米国に密かに予告をしたうえで、突然「教訓を与える」との無茶苦茶な理由を表明し、ベトナムに軍事侵攻したのだ。
ところがベトナム軍は善戦した。シナ軍お得意の人海戦術は、現代ではとても通用しないことが明らかとなった。
そこで1980年から中共は軍の人減らしを図った。兵員数でなく、装備の質で米ソに対抗できるような改革を目指したのだ。結果、現在のシナ軍は160万人に半減された。なお、陸自の総兵力は14万8000人で、うち沖縄駐屯は1900人でしかない。
問題は陸兵の精神だろう。今のシナ兵は「督戦」システムは受け付けない。80年代の農村で育った彼らには、死ぬ理由が何もない。都市部の若者は反日愛国を叫んでいるが、口とは裏腹に全員徴兵は逃れていて、カネとセックスにしか興味はない。
洋上作戦は航空優勢が前提だ。しかし空自のF15の電子能力に対抗できる戦闘機を、シナ空軍は未だに持てていない。ロシアから比較的新型のスホーイ戦闘機を100機以上買ったが、いまやレーダーの性能で劣る戦闘機が数で空戦に勝つことはできない時代なのだ。ただし無人特攻機に改造して用いれば、海保の巡視船や商船は防ぎようもない。
シナ海軍の軍艦もボロだが、こちらは数がものをいうかもしれない。というのも、海自がストックしている対艦ミサイルの数よりも、シナ軍の動員できるボロ船の方が多いのだ。こちらの全弾が目標を1隻ずつ撃沈しても、余裕で何十隻もが沖縄に殺到できるだろう。漢級原潜の領海侵犯事件で示されたように、シナ海軍のエリート部隊の統率はよくとれている(注)。
今日のシナは、将来のアメリカとの対決において、かつてのソ連が西欧を
「人質」にとったようにはいかない。人質とすべき隣接地域がない。
例えば朝鮮半島は、すでにシナの一部のようなものであろう。韓国人はアメリカ人を好いていないし、アメリカ人も韓国人が嫌いだ。だからシナは今さら韓国を人質とすることなどできそうにない。
シナは、日本の戦後の再軍備を妨害するため、数十年にわたって執拗にアメリカ国内で反日宣伝を繰り広げてきた。彼らは一貫して「米国にとって日本なんて維持する価値はないですよ、それどころか米国は危険な日本人を未来の敵と考えて抹殺するべきなのですよ」刷り込み続けてきた。
このため、有事になって急にシナが東京を核攻撃するぞと脅しても、米国人の心の中に「そうですか。仕方がないでしょうね」との反応しか生じさせられない。米国は、シナによる日本への核攻撃それ自体は、米軍基地に被害が及ばない場合には、なんらの葛藤もなく傍観できる。(つづく)
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注)漢級原潜の領海侵犯事件:2004年(平成16年)11月10日に発生した、
中国人民解放軍海軍の漢型原子力潜水艦が石垣島周辺海域を領海侵犯した
事件。日本政府は、海上自衛隊創設以来2度目となる海上警備行動を発令
した。
11月10日午前5時48分から7時40分にかけて、潜水艦は潜航したまま石垣島
と多良間島間の日本国の領海侵犯をした。これは潜行中の潜水艦の領海内
の航行が無害通航に該当しないから明白な領海侵犯である。つまり国際法
上は潜水艦は撃沈可能だった。午前8時45分に防衛庁から海上警備行動が
発令された。これは潜水艦がさらに北上し尖閣諸島付近の領海を再度侵犯
する恐れが生じたためである。
この事件については中国側が情報開示を行わなかったため、偶発的もしく
は意図的に領海侵犯をしたかについては明らかでない。中国は外交部の報
道官が「技術的な問題により誤って侵入した」として遺憾の意を表明し、
問題は適切な解決をしたとした。
一説には潜水艦艦長が「他国の領海を通航する際は潜航してはならない、
浮上して国旗を掲げよ」という基本を知らなかったらしいというのがある。中共中央は慌てて再教育をしたというが・・・
清国海軍の主力艦、定遠(日本軍の攻撃により自沈)、鎮遠(日本軍により鹵獲)の砲塔に洗濯物がぶら下がっているのを見て、「これなら勝てる」と日本軍の幹部は思ったという。小中華(韓国)の船長、船員のモラルの低さは世界中が知ることになったが、大中華のモラルも同様ではないか。油断大敵だが、兵頭氏が言うように「シナ海軍のエリート部隊の統率はよくとれている」かどうかは、ちょっと分からない。(2014/5/2)