いま、中国が尖閣諸島に長い箸を伸ばして、啄(ついば)もうとしている。 | 日本のお姉さん

いま、中国が尖閣諸島に長い箸を伸ばして、啄(ついば)もうとしている。

いま、中国が尖閣諸島に長い箸を伸ばして、啄(ついば)もうとしている。
■「加瀬英明のコラム」
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4月はじめに、出版社から求められて、中国論の本を大車輪で書きあげた。
『中国人韓国人にはなぜ「心」がないのか』という題名で、5月8日の発売予定ということである。
中華文明の入門書のようなものだが、中国人の精神構造を知ろうとするなら、大学で講義を受けるよりも、中華料理店に通うことをすすめたい。
食が最大の重大事の源
中国人にとっては、日本と違って、食が最大の重大事である。これほどまで、食に執着している人々はいない。食が中国人を、中国人たらしめている。
中国料理は全てが食材、忌避がない
どの国の食文化をとっても、宗教的な理由か、慣習的な理由で、食べないものについてタブーがある。中国料理は忌避するものがない。世界で、メニュウの幅がもっとも広い。中国に「不問鳥獣虫蛇、無不食之」(鳥獣虫蛇を問わず、食さないものがない)という、古い諺(ことわざ)がある。
中国人は何ごとについても、即物的で、享楽的だ。日本人が質実を重んじて、禁欲的であるのと、正反対だ。
中国料理では招待主がテーブルの中央に座って、もっともよい位置を占めている。
主人はコンダクター
日本では、主人が自分を卑下して、出入り口に近い、もっとも低いところに座るが、中国では食が何よりも重大事だから、主人はオーケストラの指揮者(コンダクター)のように、全体を見回せるところに座る。中国人から見れば、日本の接待主は食だけでなく、客を軽くみているようで無責任だ。
中国では人間関係から対外政策まで、あらゆるものが、中華料理の油っこい臭いを発している。食は胃の問題だから、胃が心より上に置かれている。
宰相の語源は腕が立つ料理人
宰相という言葉があるが、日本ではまさか「宰相」という言葉から、料理を連想する者はいまい。
ところが、中国では「宰相」は、腕が立つ料理人のことだ。厨房(ちゅうぼう)における才能を評価されて、皇帝に仕える官吏全員の長となった。
角川漢和中辞典で「宰」という字をひくと、「君主のそば近くに仕えて、ことに料理をつかさどる者をいい、転じて官吏の長となった」といい、「宰相」は「料理大臣」と説明されている。
伊尹は中華料理の宗家
中国最古の王朝の殷(いん)の料理人だった伊尹(いいん)は、3代の皇帝に宰相として仕えた。伊尹は今日でも、中華料理の宗家として崇められている。
今日でも、中国では食を武器とする饗応が、政治や、駆け引きの大事な場となっている。
王になった料理人もいた。少康(しょうこう)は夏の5代目の王となった。虞(ぐ)の王の料理人だったが、夏に軍を率いて攻め込んで、王位を奪った。
清の乾隆(けんりゅう)帝は6代皇帝として、中国の領土をもっとも大きく拡げた。
乾隆帝は、遠征戦争を10回戦って勝ったために、「十全老人(シチェンウコン)」として、共産中国においても称えられている。食道楽をきわめたことによっても知られており、「ラオタオ」と呼ばれている。」、「老(ラオ)」は、若者でも「老師」と呼ばれるように、尊称である。
乾隆帝のもとで、故宮などの宮殿の膳房(ぜんぼう)に、1万人以上の料理人と、料理人を助ける使用人が働いていたと、記録されている。
漢時代の『戦国策』に、斉の宣王ががんしょくを軍師として召し抱えようとした時に、自分に仕えれば、毎日、「太牢(たろう)」を用意するといって、誘った故事が記されている。「牢」は「いけにえ」だが、祭に供える豪華な料理だ。
日本で武士を召し抱えようとするときに、料理によって釣ることは考えられない。
中国の多くの古典が、食に言及している。
『論語』のなかでは、孔子が「飯は精白のものをよしとし、膾(なます)(魚貝や、獣肉)は細かく切ると、美味しい」から始まって、食について蘊蓄(うんちく)を傾けている。
中国の伝説によると、古代の王朝や諸侯は、すべて黄帝から出た。黄帝がすべての漢人の遠祖であるといって、中国人全員が誇っている。黄帝も、「中華料理の開祖」「竈(かまど)の神」として、崇められている。
当初の中国訪問、1979年の年
私が中国に招かれて、はじめて北京を訪れたのは、1979年(昭和54)年だった。華国鋒(かこくほう)時代だった。
人民解放軍の李達(りたつ)副参謀総長が、私のために天安門広場に面する人民大会堂で、歓迎晩餐会を催してくれた。
華味三昧の境地
李達将軍は80代で、中国でよく知られた軍人だった。毛沢東の大長征の戦友だった。
李将軍が、新しい料理が運ばれてくるたびに、長い箸を使って、私の皿によそってくれた。まさに華味三昧(ざんまい)だった。私はもてなされながら、西太后(せいたいこう)が義和団の乱に当たって、北京を捨てて、新しく敷設されたばかりの鉄道で、西安へ逃れたことを思い出した。
西太后は宦官(かんがん)に担がせた鳳輦(ほうれん)に乗って北京駅へ赴き、16輌編成のお召し列車に乗った。このうち、4輌が厨房車だった。50人の上席料理人と、同数の次席料理人が乗り組んだ。
清朝の皇帝の食事は、毎日2回の正餐に百品の料理と、間食に40点を出すのが、規則となっていた。
中国では接待する時には、食べられないほどの料理を出すのが礼儀であり、主人の見栄である。残したら、主人の面子を潰す。
料理の種類と皿の数が良否を決める
中華料理は1品1品の内容や、できばえよりも、料理の種類と、皿の数の多さによって、よし悪(あ)しを決める。
日本人は、粗食だった。食べきれないほど、出さない。出されたものは、すべて食べた。
毛沢東主席の死後、側近の回想によると、毛主席は大躍進運動によって、数千万人が餓死していたあいだ、連夜、山海の珍味を楽しんでいた。
日中の食文化の違いは、精神文化の違いである。中国で先祖を祀る時に供える料理は、豚の頭の丸焼きをはじめ、豪華さと美味しさを競っている。
神社で供えられる神饌(しんせん)は、穀類、堅塩(かたじお)や、昆布、大根、キュウリなど、僅かなものだ。
神社建築は簡素なものであって、霊性を感じさせるが、中国の道教の廟は極彩色で、日本料理に対して、中華料理そのものだ。
日本料理は、素材の味を大切にする。中華料理は、異なった食材をいろいろ使って、揚げたり炒(い)ったり焼いたり、手間をかけて、もとにない味をつくる。中国人が饒舌(じょうぜつ)であるのに、よく似ている。
日本人は食に対して淡白で、料理も外見が美学の対象になる。清らかであることを、重んじている。中国人は即物的だから、ただおいしければよい。
中国人は、高邁(こうまい)な宗教を信じない。食こそが、神である。中国人は現世利益だけを求めて、生きている。
日本人のあいさつは、時間によって、「おはよう」「こんにちは」「今晩わ」だ。中国では、「ニーチーファンラマ、あなた食うたか?」に、決まっている。韓国も、同じことで、「シクサハッショスムニカ?」(食事はしましたか?)だ。
中国近代文学の巨人魯迅の考え
中国近代文学の巨人である、魯迅の代表作の『狂人日記』の主人公の青年は、日頃、自分も食われてしまうかもしれないという、恐怖に、苛まれている。魯迅はこの作品のなかで、中国の歴史は同じ人間を食べ散らかし、まわりの国を食べ散らかしてきた歴史でしかないと、断じている。魯迅の『薬』も、食人の恐怖をテーマにしている。
『食人宴席』の本の真意
鄧小平時代に、一時、出版の自由が緩められて、紅衛兵が文化大革命のときにいくつかの派に分かれて、全国にわたって殺しあって、食べあったという本が刊行され、光文社から『食人宴席』(カッパブックス、黄文雄訳、1993年)という題で、訳出された。
食は、習近平国家主席を頂点とする、党幹部にとっても、最大の生き甲斐となっている。
いま、中国が尖閣諸島に長い箸を伸ばして、啄(ついば)もうとしている。