頂門の一針ー私の「身辺雑記」平井 修一
私の「身辺雑記」(87)
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平井 修一
小生の「身辺雑記」は長すぎる。手短な方がいいとは思っているが、残り時間があまりないみたいで、焦るように書きまくっている。腸に腫瘍ができ始めたのだろう、このごろは坐って食事ができなくなった。それでなくとも胃が無いために椅子に座ると小腸でつっかえて吐きがちだったのが、今はそれが進行して苦痛になってきた。
食卓でゲーゲーはしたくないし、同席の人もそれは嫌だろうから1人キッチンで食物が大腸に落ちやすいように立って食べている。立食主義者?
医者にかかればまた手術だ。QOLは最低になる。国庫の負担にもなる。治療は避けて運命に任せることにした、とりあえず。それにしても酒だけはぐいぐいいける。
■3月26日(水)。朝はびっくり室温20度、春が来た。が、薄曇。
朝食後に島倉千代子の「東京だよ、おっかさん」を聞きながら洗濯ものをたたんだが、「やさしかった 兄さんが・・・あれが あれが 九段坂逢ったら泣くでしょ 兄さんも」で、もうだめ。涙ボロボロ。嗚呼、こんなおセンチで中共を撃破殲滅できるのだろうか。
先日紹介した「老兵東雷」こと李東雷・元人民解放軍中佐も、元紅衛兵の石平氏も、そして元中核派兵隊の小生も、洗脳から悪戦苦闘して除染、再生し、普通というか、それぞれの歴史観をもつようになったが、もしかしたら支那にも少しずつ中共脳から解放される人々が増えているのかもしれない。
しかし、こういった見方は軟弱すぎるだろう。油断するとウクライナみたいに強襲される、侵略される。「軍艦マーチ」を聞いておセンチ気分を吹き飛ばしてみたが、「千代子もこんなに大きくなりました」の台詞が耳に残って、またウルウルだ。昭和の歌姫は美空ひばりと島倉千代子だろう。
ところで支那情勢。ソ連・ロシア同様に言論が不自由だと辛辣で本質をついたアネクドート(小話)が流行るのだろう、支那で今、流行っているのが「娼婦の小話」だそうだ。笹川陽平氏のブログから。
<中国南部・広東省の東莞市は工場地帯が広がり、日系企業も多く進出している。出稼ぎ労働者も多く、売春が黙認されてきた。しかし、(3月)9日、中国国営テレビ(CCTV)が実態を詳細に報じたため、当局が取り締まりに乗り出した。
東莞市警察当局は、10日の午後までに市全域のホテルやサウナを一斉捜索し、162人を連行。問題があった12カ所を厳しく処分することにした。また、中央政府の公安省も特別チームを派遣し、売春の『黒幕』の検挙に乗り出した。
ところが、ネット上ではCCTVを指弾し、警察当局を非難し、売春婦たちに同情する声が多い。CCTVの美人キャスターが数人、政府高官の愛人になっていることもあるし、幹部の腐敗問題、立ち退きや医療問題など、人民の死活に係わる大きな社会問題を報じるべきだという声。
CCTVの記者が(捜索現場に)潜入取材をし、女性たちの半裸映像もそのまま流し、人権や弱い女性たちの立場を考慮しないテレビ局の報道倫理も問われている。そこで下記のような小話が誕生した。
・・・
警察官:何故売春をしたのか?
被疑者の女性:頼る党は腐敗し、頼る工場は買収された。結局自分の体に頼らざるを得なかった。時間は短く金稼ぎが良い。横領にもならないし腐敗にもならない。体は売っても魂は売っていない。
警察官:その罪を知っているのか?
被疑者の女性:私は生きていくためにやっている。人民に頼らず党にも頼らない。ベッド一つで後は何もいらない。騒音もなければ汚染もない。誰にも迷惑をかけていない。だから国に何一つ迷惑をかけてはいない。これがどうして罪になるの?
(困り果てた警察官は、共産党規律委員会書記に助けを求める)
書記:これは社会の安定団結を破壊することだ。わかるか?
被疑者の女性:(いきなりスカートをめくって)これは組織のものか?
(書記:頭を振る)
被疑者の女性:あなたのものか?
(書記:また頭を振る)
被疑者の女性:国有資産なのか?
(書記:同じく頭を振る)
被疑者の女性は怒りを露わにして:「物権法」を知っているのか。雷峰同志に学ぶことを強調される中国社会で、自分の物を他人に貸してどこが間違っているのか。
しばらく黙っていた書記は言う:同志、ご苦労様でした>
中共が娼婦に返り討ちにあった図で、笑ってしまう。それにしても雷鋒とは懐かしい名前だ。御用メディア「人民中国」がこう紹介している。
<雷鋒は中国では誰にも知られている名前である。彼は1940年生まれで、949年に新中国が成立したのち、人民政府は彼を学校で学ばせた。19歳の年、雷鋒は中国人民解放軍に参加し、普通の兵士となった。
中国人の印象のなかで、雷鋒は「人を助けるのを楽しみとする」「無私奉公」という言葉と深く結びついている。彼は休みの日を利用して、利用客がもっとも多い駅に行き、旅客の荷物運びを手伝ったり、建築現場で無償で手伝いをしたりした。
彼の生活は質素で、給料を節約してためたお金を被災地に寄付した。彼にとってこうしたことは日常生活の一部分であったが、こうした身近な些細な事柄が、中国の人々を代々感動させてきたのである。1962年、雷峰は不幸にも事故にあい、わずか22歳で亡くなった。
1963年3月5日、毛沢東主席は「雷鋒同志に学ぼう」と記し、雷鋒の精神を全国津々浦々にまで伝え、この日は中国人が雷鋒をしのぶ日となった>
毛沢東は大躍進運動で1000万とも2000万とも言われる餓死者を出したのに続き、今度は人民に「自己犠牲の精神、滅私奉公が大事だ」と洗脳して文革に火をつけ、凄まじい混乱を引き起こした。
文革の犠牲者数については、中共の第11期3中全会において「文革時の死
者40万人、被害者1億人」と推計されている。しかし、文革時の死者数は内外の研究者による調査でも40万人から1000万人以上、4000万人とする諸説がある。
洗脳されるとひどいことになる。「正義と思えば何でもできる」から敵を惨殺することも平気になる。石平氏のように除染、転向、再生した人はごく少数で、多くの元紅衛兵は未だに中共の走狗、番犬だ。
毛沢東曰く、「45年の後の21世紀、2001年には中国は強大な社会主義工業国に変わっているであろう。しかし中国は謙虚でなければならない。今でもそうでなければならないし、2001年でもそうでなけらばならないし、永遠にそうでなければならない。中国人は国際的な付き合いの面で、大国主義を断固として、徹底的に、きれいさっぱりと、全部一掃しなければならない」と訓示した(1956年11月「孫中山先生を記念する」)。
当時、中共は西側諸国から拒絶されていたから「うちは大国主義ではありません、怖い存在ではありません、仲良くしましょう」と嘘をついていただけである。本音は「パンダをあげますから支援金をください。友好万歳!」。トウ小平の「韜光養晦」(能ある鷹は爪を隠す、臥薪嘗胆)の外交スローガンと一緒だ。
毛沢東に傾斜しているような言辞を弄する習近平は大国主義、覇権主義むきだしだが、「能ない鷹は爪を現す」と威嚇して世界の不信を買っている。
中共は善を唱えて悪を行うのが常で、「解放」と称して侵略する。プーチンも一緒。支那人、半島人、ロシア人には油断禁物である。
■3月27日(木)。朝は室温18.5度、曇。千昌夫の「北国の春」などを聞きながら朝食。昭和演歌はいい。威風堂々振りをひばりが歌い、繊細で優しいところを千代子が歌った。日本人は清貧で美しかった。今は貧すれば貪する、えげつない人がずいぶん多いような感じがする。
GHQ製の日本国憲法にはこうある。
<第二十五条[1] すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
[2] 国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない>
「生活部面」とは変な訳だが、GHQ草案では「In all spheres of life」とある。「生活場面」とか「生活分野」「生活局面」「生活面」とかが妥当ではないか。汚い訳語。
まあそれはさておき、第二十五条は「国民の生存権、国の社会保障的義務」を規定したものだという(「岩波コンパクト六法」)。同じような条項は日本国憲法を作った米国の合衆国憲法にはないが、前文にはこうある。
<われら合衆国の国民は、より完全な連邦を形成し、正義を樹立し、国内の平穏を保障し、共同の防衛に備え、一般の福祉を増進し、われらとわれらの子孫のために自由の恵沢を確保する目的をもって、ここにアメリカ合衆国のためにこの憲法を制定し、確定する>
「一般の福祉」が日本の第二十五条に相当するのかもしれない。第8条[連邦議会の立法権限]にも「一般の福祉」が登場する。
<[第1項]連邦議会は、つぎの権限を有する。合衆国の債務を弁済し、共同の防衛および一般の福祉に備えるために、租税、関税、輸入税および消費税を賦課し、徴収する権限>
借金の返済を最初に詠ったのは、「建国しました、金を貸してください、絶対返します」と欧州諸国にアピールしたのだろう。これはちょっと面白い。
大日本帝国憲法には社会福祉も社会保障も規定されてはいない。国民の義務ばかりが掲げられているが、それではあんまりだということだろう、憲法発布勅語に「朕国家の隆昌と臣民の慶福を以て中心の欣栄とし」とはある。「臣民の慶福」、つまり国民の幸福を大事にするということだろう。
この第二十五条でGHQが狙ったのは日本政府に社会保障を義務付けることで戦争に向けられる体力をそぐ、ということだろう。社会保障費は1970年
3.5兆円だったものが、80年24.8兆円、90年47.2兆円、2000年78.兆円、
2013年110.6兆円と、恐ろしく増え続けている。
中央社会保障推進協議会(社保協)という団体がある。共産党系だ。サイトにはこうある。
<日本の社会保障制度の改善をめざして、労働組合、医療、福祉関連の諸団体、女性団体などの組織が集まって、1958年に創設されました。共同して運動をすすめる組織です。
1960年代の朝日訴訟、小児マヒから子どもを守る運動、70年代の老人医療費無料化の運動、80年代から今日にいたる医療、年金、福祉、介護などの改善運動をすすめてきています。
現在、全国労働組合総連合(全労連)など27の労働組合、全国保険医団体連合会(保団連)など13の民主団体が参加しています。47都道府県すべてに県社保協があります。市区町村を基礎にして組織している地域社保協も250の地域で結成されています。
いま、介護保険や国民健康保険制度の改善の他、来年予定される医療制度の「改革」に、大きな問題ありと反対の運動をすすめています>
社保協は錦の御旗として「活かそう憲法第二十五条」を掲げている。国に寄生して「もっとよこせ」というわけだ。彼らは「国民のいのちを取り上げる医療・介護一体改悪法案は撤回を!」を叫び、「輝け!いのち 4・24ヒューマンチェーン」で国会を包囲するのだという。
税金や国保の保険料を滞納しても処分や差し押さえは許せない、と学習会も開いている。
人間としての基本は自立、自助、毛沢東の言う「自力更生」だが、彼らは国に、他者に依存している。
彼らが恥じ入らないのは「われわれには生存権があり、国には社会保障の義務がある」という論理があるからだ。
金は出さないか出し渋るが、権利を主張して貪ろうとする。騒音おばさんのよ
うにひたすら「もっとよこせ、もっともっと!」と喚きたてるのだ。
生活保護を当たり前の権利だと思うような、こういう手合いは小生が中学生の1960年代前半は目立たなかったが、後半あたりから増えていったよう
に思う。何があったのか。
美濃部亮吉が社会党と共産党を支持基盤とする「革新統一」知事として
1967年から1979年の12年間、3期にわたり東京都知事を務めた。東京での
革新統一方式は以後、一挙に全国に拡がり、一時は日本の総人口の半数近
くが革新自治体施政下に暮らす画期となった。最初の67年都知事選結果を
外電は「共産主義者が東京で勝った:Communists Win in Tokyo」などと報じたという。
このアカが何をやったのか。老人医療費無料化、高齢住民の都営交通無料化、都職員の給与引き上げなど、これでもかというくらいバラマキをし、結局東京都は財政危機になった。
美濃部当選以降、福祉は票になったから候補者は「安心の暮らし」「生活が第一」など猫撫で声で非自立者、寄生者にすり寄った。
納税せずに生活保護を受けていようが一票は一票だ。
かくしてバラマキは続き、国も地方自治体も財政は危機的状況になった。
今や日本は毎年、40兆円も借金しないと運営できない国になった。借金(長期債務残高)はつもりつもって777兆円。地方の借金201兆円と合わせて978兆円。戦費を蓄えなければいけないのに、いつまでバラマキ政治をするつもりなのか。サッチャーがバラマキを止めたから英国は“英国病”から脱したのではないか。
■3月28日(金)。朝は室温15度、快晴。マフラーをして散歩に出たが、暑くなって取った。桜は今週末から来週あたりが見ごろになりそうだ。花モモは今日明日に開花しそう。
核兵器の開発は一から始めると実際に運用できるまでにはかなりの年数がかかる。米英加は1942年に「マンハッタン計画」に着手、1945年に完成し、広島と長崎で実用し30万人を殺して威力を証明した。わずか3年だが、これはナチスとの核爆弾発明競争があったことと、ナチスから逃れた有能な核物理学者を連合国が確保できたことが大きいだろう。
フランスはナチス占領下に北米に逃れた核物理学者がマンハッタン計画に
かかわったが、本国では1951年あたりに開発を始めて1960年に完成。それ
以降も200回ほど核実験を行い、実験を終えた、つまり完璧な核武装(300
発)を完備したのは1996年だった。36年かかった。
中共は1950年あたりに始め1964年に完成した。毛沢東は「大国にはなりません、謙虚路線で行きます」と言いながら、食うものも食わず“パンツ一枚になっても”しっかり核武装した。今は1000発。
安倍晋三は研究用に所持していた核兵器転用可能なプルトニウム(331キログラム)と高濃縮ウランを米国に返還するという。中国が「核不拡散に対するリスク」と批判していることも念頭に「利用目的のないプルトニウムは持たない」という。(3/24の核サミットで)
安倍がまたへたったかとうんざりしていたら、NHKが「これではまったく不十分だ」と抗議している。
<世界中で、核兵器に転用できる物質がテロリストなどに盗まれる懸念が高まっているなかで、アメリカは世界各地に広がった核物質の回収を進めていて、日本としても具体的な対応を迫られているという現状があります。
また日本は、研究用とは別に原子力発電所の使用済み核燃料から取り出し
たプルトニウムを、国内と海外に合わせておよそ44トン保有しています。
IAEA=国際原子力機関は、プルトニウムが8キロあれば核爆弾が製造でき
るとしていて、日本が保有するプルトニウムは核爆弾およそ5500発分に匹
敵します>(3/26)
まだ5500発分はあるから、日本の核武装はまだ可能だとNHKが教えてくれ
た。たまにはいいことを言う。
栗栖弘臣氏(くりすひろおみ、1920年2月27日 - 2004年7月19日)は内務
官僚、海軍軍人を経て陸上自衛官に。第12代陸上幕僚長、第10代統合幕僚
会議議長。自衛隊制服組トップの統幕議長だった1978年、週刊誌上でいわ
ゆる「超法規発言」を行い事実上の解任をされた。
1978年7月、「週刊ポスト」誌上で「現行の自衛隊法には穴があり、奇襲
侵略を受けた場合、首相の防衛出動命令が出るまで動けない。第一線部隊
指揮官が超法規的行動に出ることはあり得る」と有事法制の早期整備を促
す“超法規発言”を行った。
これが政治問題化し、記者会見でも信念を譲らず、同様の発言を繰り返したため、文民統制の観点から不適切として、時の防衛庁長官・金丸信(北への支援の見返りに金塊をもらって自滅した売国奴)に事実上解任された。
日本では本当のことを言うとクビになる。しかしその後、福田赳夫総理が閣議で有事立法・有事法制の研究促進と民間防衛体制の検討を防衛庁に指示。国防論議のタブーが破られ、以後多くの国防論議が巻き起こるきっかけとなった。
栗栖発言から25年後の2003年6月、有事法制の第一段階といえる武力攻撃
事態対処関連三法が成立、施行された。
栗栖氏は解任後、静岡新聞の客員論説委員、金沢工業大学附属国際問題研
究所所長、国士舘大学客員教授などを務めながら以下の著書などで安全保
障問題の発言を続けた。
『私の防衛論』高木書房、1978年
『自衛隊改造論』国書刊行会、1979年
『いびつな日本人』二見書房、1979年
『仮想敵国ソ連』講談社、1980年
『核戦争の論理』二見書房、1981年
『米ソ激突の恐怖』芳文社、1984年
『考える時間はある』学陽書房、1984年
『安全保障概論』ブックビジネスアソシエイツ社、1997年
『日本国防軍を創設せよ』小学館、2000年
『マジノ線物語』ケイアンドケイプレス、2001年
『核戦争の論理』を読みたかったが川崎市立図書館には『私の防衛論』と
『自衛隊改造論』の2冊しかなかった。
しかし、栗栖氏の後継者ともいうべき田母神俊雄閣下が「日本核武装計画
真の平和と自立のために」を書いている。軍学者の兵頭二十八氏が「日
本有事 憲法を棄て、核武装せよ!」を、渡部昇一、西尾幹二 の両先生
が「日本は憲法で滅ぶ 中国が攻めてくる!」を、老兵の吉澤正大氏が
「日本はこうなったら核武装するしかないな 戦中戦後92年生きて分かっ
たこと」を書いている。
日本の防衛を真剣に考えたら核武装を研究せざるを得ないのだ。以上の4
冊は図書館に発注した。
吉澤正大(よしざわまさひろ)氏の著書はネットで紹介されていた。以下
引用。
<吉澤氏は水産大学校名誉教授。元海軍大尉で、大東亜戦争を駆逐艦響(ひびき)、巡洋艦五十鈴、戦艦扶桑で戦い、キスカ撤退作戦に「響」乗り組みで参加されました。その時の様子も本に収録されています。
戦後は、朝鮮戦争での特別掃海任務に参加され(平井:秘密裏に日本は参戦していたのだ)、水産大学校の機関科教授を定年まで務めました。その後JICAの東南アジア漁業開発センターへ転身し、4年間をタイで過ごしたそうです。
「あたらしい教科書を作る会山口支部」に参加。そこでの勉強会で「こうなったら日本は核武装するしかないな」と考えるようになったそうです。
今年95歳になられます。
「20世紀の戦争、第一次・第二次大戦とその後の米ソの代理戦争などで3300万人から4000万人の死者が出ているが、人類はそれでもまだ戦争を止めないので、人間の理性なんかに期待するな」
とした上で、「日本は米ソ冷戦の中で特別に恵まれた平和を享受したお陰
で、すっかり平和ボケになってしまった。何れは支那に飲み込まれるだろ
うが、戦後60年間の左翼の努力が実を結んだのだ」と半ば諦めていたらしい。
しかし、全く別の観点から日本国の現状を見ると、「いつの間にか日本の
核武装に対する下地が80%出来あがっている事に気が付いた。あと少しな
んだから、気が付いた奴はみんな頑張れ!」と言っています。
材料となるプルトニウムや、運搬手段たるロケット技術も既にある。核動力は原子力船むつで失敗したかに伝えられているが、あれは朝日新聞の捏造であって、「実際に漏れたのは微弱な放射線。それもレントゲン検査の1/1000くらいだから何の問題も無かったのだ」そうです。
実際に作る段になって、国民に諮っていては埒が明かないし、外国勢力に加担した社民党や共産党などの妨害工作も考えられるから、「作っちまえ!」と書いてます。
当然バレるでしょうが、だからと言って国民は反対したりしない。一部サヨクは騒ぐだろうが、大多数の国民は納得するだろうと、核武装に関する世論調査の結果を挙げて結論しています。アメリカさえ説得できれば、国際的(NPTもIAEAも)には何の障害も無いのです。
事実アメリカから1996年、日本の首相経験者に「日本の核武装について話
し合おうではないか」と誘いもあったらしいですね。日本の首相経験者は
腰抜け揃いなので、全員が全員断ったらしいですが。
この他、西部邁氏や片岡鉄哉氏、平松茂雄氏、石平氏の論文も紹介する形
で引用されています。
この本は、論文集の形をとっているので、核武装の他に色々なテーマが集
められています。家族のありかたとジェンダーフリーへの批判、教科書問
題にサヨクはどのように関与したかという問題、靖国神社の話、所謂「南
京事件」の話など盛り沢山です。
今の90歳代は、本当に苦労してきた世代だと思います。戦争に駆り出さ
れ、戦後は廃墟から立ち上がり、日本復活のレールを敷き、そして実現さ
せてきました。それに比べれば、今の原発事故なんて屁でもねえってもん
でしょう。核攻撃を受けた訳じゃないんですから。そういう戦った世代か
ら、のほほんとしている後世代へ残す遺言書みたいな本です(以上)>
他の方もこの本についてこう書いている。
<実際に戦争を経験された方の言葉は、戦後しか知らぬ評論家や言論人よ
りも重いと思います。核兵器の被害を受けた我が国。平和を訴えるのも必要ですが、同時に核武装について議論を始める時期にきたのではないでしょうか。
現実的に考えれば実際に所持出来るまでの道のりは相当な歳月を要すると思います。しかし、核武装の議論をするだけでも世界は驚くでしょう。それが抑止力にも繋がるのです。核は「使う兵器」から「外交兵器」となったのです>
上記の本を読んだらまた報告したい。
午後は図書館へ。とても面白かった。4冊受領。
今日はカミサンは休みだが、4月にフランスへ親友と二人で旅行するので三井住友銀行M支店へユーロを買いに行ったがドルしか売っていなかった。ドルは世界通貨、ユーロは地域通貨=二流なのだ。
ユーロを扱っているF支店を案内されたものの電話をしたら「平日にお電話ください」のテープが流れるだけ。金曜日は平日なのに。M支店に苦情を言ったが、1時間ほども待たされた挙句、結局F支店はテープを切り替え忘れたのだそうだ。
カミサンはF支店へ車で向かおうとしたが、もう3時過ぎ。お仕舞。「もう今日はさんざん。予定したことが全然できなかったわ」と疲れ切っていた。
おまけに会社(病院)からは「50周年社史を出すから“第3病棟の目指すこと”を4月中に書け」と言われたそうで、うんざりしているところへ今日のトラブルだからへばっていた。「お金払ってゴーストライターに頼みたいくらいよ」と言う。小生は得意だが、関わりたくはないから深入りはせず、「まあ、飲めよ」と労わった。(2014/3/28)